あらすじ
話題を呼んだ前作『動物化するポストモダン』より5年半の待望の続編。明治以降の「自然主義的リアリズム」、大塚英志の「まんが・アニメ的リアリズム」に対して「ゲーム的リアリズム」とは何か? まさに文芸批評の枠を超えた快著。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
本書にも言及のある通り、社会と物語との関係について述べたもので、ラノベや美少女ゲームが考察の中心。
キャラクター小説、データベース消費、まんが・アニメ的リアリズム、ゲーム的リアリズム、想像力の二環境化、自然主義的読解、環境分析的読解、コンテンツ志向、コミュニケーション的志向、文体の半透明性。
本書で言及される世界に初めて立ち会う人でも分かるくらい説明が丁寧でありつつ、その主張は斬新。
前半の理論編は個人的にかなり参考になった。
背景知識が豊富な著者なので説得力がある。宇野氏がゼロ想で批判していた点も見直してみたい。
Posted by ブクログ
前作よりも刺戟的。
なるほどキャラクター小説の読み方とはこうか、とひざを打つことしばし。
もちろん作品の選定に偏りはあるとはいえ。
さすがあずまん。
Posted by ブクログ
「80年代生まれの第三世代オタク」をライトノベルや美少女ゲームあたりから論じていたもの。
今のその辺がはやってる状況だから、必然的にその消費世代への言及が多かったんでしょうか。
ちょうど自分の世代の話(どちらかというと男性向けの話が多めでしたが)で面白かったです。
遥か3の時空跳躍な設定は、男性向けのあたりを参考に作ったのかも知れませんね、と思ったり。
Posted by ブクログ
一章読んでから結構時間が空いてしまってから二章以降を読んだけれど、面白かった。
とはいっても、本文中にあるような、オタクの中心が美少女ゲームからライトノベルへ移行、からさらにいまは深夜アニメへ、になっているのかな、と思った。そういう所も含めて、2012年になってしまって結構変化してきた事態もあるとおもうので、動ポモ3を期待したいのだけれど、最近はもはや筆者にコンテンツ批評に興味が無いようなので、寂しい限り。。。
Posted by ブクログ
筒井さんに出された宿題「ポストモダンの文学」、これに対して「ポストモダンでは文学は求められなくなる」と悩み始めてから約10年。ようやく出せた解答が本書である。最初にいつもの東さんだ。ブログ論壇の展開で「劣化東」と言われる人々(僕も含む)が増える中、ポストモダン批評とサブカルチャーを繋げ広めたオリジネイターだからこそ、ブログ論壇を読みあさる僕にとっては新鮮味がなかった(笑)。なので粗読(拾い読み)。清涼院流水、西尾維新など敬遠していた作家の読み方がようやくわかった。物語内に収拾されない『メタ』が大事なのだ。
Posted by ブクログ
著者の前著『動物化するポストモダン』はオタクの動向だけでなく日本社会全般に当てはまる「『大きな物語』の衰退→物語消費からデータベース消費」という流れに言及したが、当書はオタクの消費活動及び、消費の対象となる作品(「ひぐらしのなく頃に」など)の構造について焦点を当ている。
リオタールの言う「大きな物語」とは高度経済成長期の日本で「仕事を頑張れば明日は今日より良い暮らしができる」というように国民全体に広く受け容れられたスローガン、価値観のこと。ポストモダンはそのような大きな物語が衰退して、拡散的な小さな物語が生まれ、社会やライフスタイルの多様化が尊ばれる時代である。
前著の内容と被りますが、ポストモダンの徹底化により台頭したのが「萌え」と「データベース消費」である。漫画やライトノベル、ゲーム、アニメのキャラクターは「眼鏡っ子」、「ツンデレ」、「先輩」、「妹」といった「萌え要素」という単位まで分解され、その萌え要素を集めたデータベースそのものが消費の対象となっている現象を「データベース消費」と表現する。
ちなみにこうした傾向はキャラクターの自律化や二次創作の増加といった現象を招く。たとえば、作品ごとにキャラクター設定の一貫性に欠け、作者自ら「シリーズものではない」と公言する「東方Project」には二次創作で作られた設定が次の原作に反映されるなど、こうした動きが顕著に表れている 。
データベース消費が作品内に強く現れることで、ゲーム的リアリズム(ゲームのような現実)が誕生すると言う。それは、
「ポストモダンの拡散した物語消費と、その拡散が生み出した構造のメタ物語性に支えられている。その表現は、まんが・アニメ的リアリズムの構成要素(キャラクター)が生みだすものでありながら、物語を複数化し、死をリセット可能なものにしてしまうため、まんが・アニメ的リアリズムの中心的な課題、すなわち『キャラクターに血を流させることの意味』を解体してしまう。(P.142)」
と説明されます。その「ゲーム的リアリズム」が生んだのが「ONE」、「ひぐらしのなく頃に」、「九十九十九」といった作品だとされる。
ただ、「大きな物語の衰退→現実認識の多様化」の流れを唯々諾々と受け容れるだけでは「人それぞれでいいじゃん」という単なる相対主義で思考停止してしまう。
自分の取り巻く環境を能動的に変えようとするのではなく、受動的に変化に適応しようとする点で、この唯々諾々と受け容れる姿勢は「動物的」である。ただただ美少女に「ブヒる」ことで消費する「萌え豚」という言葉が人口に膾炙するようになったことと無関係ではあるまい。
最初に読んだのは4年前だが、この本が『涼宮ハルヒの憂鬱』を読むきっかけになって、そこからいろいろな漫画やライトノベルに触れるようになったことを考えると、不思議な因縁を感る。
そして、4年前に読んだときに内容をほとんど把握できなかったのに、今はできることが感慨深い。今となっては言いたいことも結構あるが。