【感想・ネタバレ】俺の文章修行のレビュー

あらすじ

ゴミカスみたいなおのれを命懸けで書いてきた。
町田康の文体に宿るその精神と技巧。はじめての告白
「お互い、ええ文章書こうで!」

・千回読んだ『ちからたろう』がつくった文章の原型と世界観
・ゴミ捨て場から持ち去った『ことわざ故事金言小事典』の活躍
・筋道を見せる「プロレス」的文章と敵を倒すための「格闘技」的文章の違い
・文章のいけず――かさね、刻み、間引き、ばか丁寧、無人情/薄情、置換、時代錯誤、がちゃこ、国訛、半畳、ライブ、バラバラ――を使う
・「俺は」と書き始めるか? 「私は」と書き始めるか? その一瞬が次の内容を決める
・「書く姿勢」を取れるのは、いずれ此の世からいなくなる人間だけ
この世にある、書くことでしか伝わらない現実。生きるための文章読本。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

相変わらずの町田さん節に浸れた。
終始難解で容易に理解できるものではなかったが、ここに書いてあること全て脳裏に焼き付けたいと渇望するほど面白い内容だった。

・面白い文章を書くにはとにかく読書をする。
ただあらゆる書物を貪るのではなく、少々難解だと感じた本を繰り返し読む。
・文章の書き方を教わったところで、内蔵型の変換装置は身につかない。
外付けと内蔵のバランスを保ち、高尚なことを述べねばと肩肘張らず、心中に蠢く糸クズを探る。

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2025年10月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

関西人に生まれてよかった、河内弁の呼吸が分かって良かった、と思う文章で、読んでいて楽しかった。自分の文章も含め、読んでいて行間から何かくさみが上がってくるなと思うことがある。その現象が気のせいではなく、なぜ起こるのかが克明に明かされていた。

文章の内容とは自分の中にある糸屑のようなゴミカス(心の錦)から湧き出てくるものという。いかにも関西人らしい、自分をあげることへの気恥ずかしさを感じさせる。なんだか照れながら大真面目、真剣な人だ。

ノリ、グルーブ、または文体と内容はお互に呼応しながら組み上げられていくものらしい。

文体、文章のいけずで迂回しながら書き上げなければ、基本、小説は2行、純文学は1行で話が終わるものというのは核心をついていてむちゃくちゃ面白かった。

女が死んでいた。
犯人はフナコシであった。以上。

その間をいかにいけずをして、読者を焦らしながら展開するかが小説。

純文学は人間の嘆きを描くもので、1行。

女に持てたい・女とやりたい
他の奴が出世して腹立つ
人が死んで悲しい
社会に不正や不平等が多くて腹立つ
もっと俺をフィーチャーしろ

あはは。

これを、迂回して文章で楽しませられるようにながながと書くのが純文学、というのは、いやー確かに。

純文学の定義をこれだけ明快に言い表した人に初めて出会った。

雑な感慨ホルダー、という概念も面白かった。

自然ていいよね
人工あかん

銭儲けあかん
心っていいよね

二項対立でもたれあい、世間一般に受け入れられている雑な感慨に自分の考えを、すべて収斂させて単純にものを見ていては、自分が本当にどう思っているか、感じているか、自分の真実は何かがわからない、という話。

以下抜粋。

ええなあ、と、あかんがな、が互いに無れ合いながら、ひとりで立つことがないまま補強し合うことによって、その外皮がどんどん強靱になっていく。だけどそもそもの根拠はきわめて雑、という雑な感慨が知らず知らずのうちに育ち、自分では精緻だと思っている考えの、その出発の地点で、まったくなにも考えずに事物・事象を雑な感慨ホルダに入れてしまっている、という事が、よくあるというか、殆どそうである、という事、そして、それが心の錦=言葉を動かす最初の力を弱めているという事について前に申しあげた。

このあいだ読んだ、現代思想の本のデリダの二項対立から離れたグレーゾーンを見ようという話がまさにこれで、哲学的な話を、こんなにもわかりやすく平たい言葉で紐解く手つきに感嘆した。

雑な感慨ホルダー、使いすぎないように気をつけよう。






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2025年05月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

町田康の文章は、一般的な文章と違い、そこに町田がいるように錯覚してしまうほど口語的な雰囲気がある。深夜寝床で頭に思い浮かぶすべてを記したように要約の逆を行く形ですべて書いてある。故に、要点が掴みづらく、抽出されたニュアンスが印象に残る雰囲気の創り。

当然の如く、一般的なチップスというより、町田流のやり方、町田節の書き方である。町田作品を書くとき氏の頭の中はこういう感じになってるんだなと思うための書である。

インプットとしては、起承転結がしっかりしていて、読みやすく結末がハッピーエンドといった綺麗に終わる物語より、どこかツッコミどころがあり、理解できない部分がある物語の方が、気になって何度も読んで行くうちに新たな気づきがある。故に自分好みの本よりそうでない本の方が発見がある。

町田作品は文章のいけずによって出来ている。
まずは変換装置という、言わば言い換えによって単なる説明的文章にユーモアを足すことによって、内容説明ではなく文章そのものに内容を孕ませることが出来る。次に刻みである。
刻みによって、同じ場面であっても細かく刻むことで要素をふんだんに盛り込むことが出来る。
例)吉岡はうどんを誂えた。
→最終形態: 吉岡は、店の敷居のところで、牛乳を撒き散らして、股立ちをとり、予備の茸を鶴に与えてから、右の太腿をたっかく上げて、店に入り、うどんを誂えた。

「いいよね」「あかんがな」のどちらかに振り分けられるようだが、「雑な感慨ホルダ」はどう作用するべきなのか、よくわからなかった。

大河ドラマとなった司馬遼太郎『翔ぶが如く』に憧れて『呼ぶが如く』を(おそらく)ChatGPTに生成させたところNHKラジオドラマみたいなあらすじになって印税収入が減りそうで萎えたみたいなエピソードまで書いてある。

相変わらずバイブスのみで読み進めるような感じの文章。

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2025年05月20日

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