あらすじ
ゴミカスみたいなおのれを命懸けで書いてきた。
町田康の文体に宿るその精神と技巧。はじめての告白
「お互い、ええ文章書こうで!」
・千回読んだ『ちからたろう』がつくった文章の原型と世界観
・ゴミ捨て場から持ち去った『ことわざ故事金言小事典』の活躍
・筋道を見せる「プロレス」的文章と敵を倒すための「格闘技」的文章の違い
・文章のいけず――かさね、刻み、間引き、ばか丁寧、無人情/薄情、置換、時代錯誤、がちゃこ、国訛、半畳、ライブ、バラバラ――を使う
・「俺は」と書き始めるか? 「私は」と書き始めるか? その一瞬が次の内容を決める
・「書く姿勢」を取れるのは、いずれ此の世からいなくなる人間だけ
この世にある、書くことでしか伝わらない現実。生きるための文章読本。
感情タグBEST3
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相変わらずの町田さん節に浸れた。
終始難解で容易に理解できるものではなかったが、ここに書いてあること全て脳裏に焼き付けたいと渇望するほど面白い内容だった。
・面白い文章を書くにはとにかく読書をする。
ただあらゆる書物を貪るのではなく、少々難解だと感じた本を繰り返し読む。
・文章の書き方を教わったところで、内蔵型の変換装置は身につかない。
外付けと内蔵のバランスを保ち、高尚なことを述べねばと肩肘張らず、心中に蠢く糸クズを探る。
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”俺の修行”だから、必ずしも万人受けする文章教室を謳っている訳でなく、当然、そのまま真に受ければ、皆が上手くいくとは到底思えない。くさしている訳では全くなく、著者の無二の文体の、その来し方が垣間見えて非常に興味深い。ハウツー本としてじゃなく、ひとつの読み物として、ただ楽しめる。かつて”今日から俺は”で触れて以来、”気色ええ”って言い方がツボなんだけど、それがここで出てくるとは…。素敵。
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ばりクセな町田康節の裏に隠れるのは真摯な文章論。結局は多読と再読、結局は内容、結局は自分。「形式と内容」以降は金言がたくさんあり、再読するときはマーカーを引こうと思う。きっとすぐにでも再読する。
日頃大阪弁にふれない人は読みにくくてしゃあないこっちゃろうけど、まあしゃーないな。これが町田康です。そして、あなたは、わたしは。
Posted by ブクログ
2025.03.22
これを読んで文句を言いたくなる人も多いと思う。だけど、その気持ちを乗り越えて読むと、商業ベースに乗る本を書く、あるいは出版社に書かせてもらうために、何が必要かが筆者独特の言い回しで表現されているとも思った。
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文章力を身につけるにはたくさん本を読めと。ただし同じ本を百回読めという。確かに魅惑的な提案だ。そんなに読めばきっと何かを手にするような気がする。町田さん曰くそれは文章変換能力だそうだ。しかし僕には一冊の本を百回読むほど時間は残されていない。学生時代に教えて欲しかった。いい文章を作成するテクニックとして「いけず」したらええんやとか。いわばそれはノイズであり、つるりと転倒しないための滑り止めっていうやつちゃうんかな。そしておのれの「心の糸クズ」に向かい合って、ステレオタイプな感情のフォルダにしまいこまわんことやそうや。これは、たぶん、ネガティブケイパビリティではないかと察する。しかしそれは大変なエネルギーを必要とされるのではないかと思う。「糸クズで人が狂わぬよう、神様は忘却という名のルンバをくれた」と町田さんが言うてるくらいやから。しかし、町田康さんの文章の無駄に饒舌なしょーむないところと、そのリズムが好きや。翻弄といといされるわ。
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口語体でふざける系の文章って素人がやると寒くなりがち
この手の書き方で面白いを維持できる著者のバランス感覚はすごい
文章で余分だなって感じること多いけど必要なことではあるのだなと改めて思った
手法というか書き方の指南もちゃんとあって参考になった
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関西人に生まれてよかった、河内弁の呼吸が分かって良かった、と思う文章で、読んでいて楽しかった。自分の文章も含め、読んでいて行間から何かくさみが上がってくるなと思うことがある。その現象が気のせいではなく、なぜ起こるのかが克明に明かされていた。
文章の内容とは自分の中にある糸屑のようなゴミカス(心の錦)から湧き出てくるものという。いかにも関西人らしい、自分をあげることへの気恥ずかしさを感じさせる。なんだか照れながら大真面目、真剣な人だ。
ノリ、グルーブ、または文体と内容はお互に呼応しながら組み上げられていくものらしい。
文体、文章のいけずで迂回しながら書き上げなければ、基本、小説は2行、純文学は1行で話が終わるものというのは核心をついていてむちゃくちゃ面白かった。
女が死んでいた。
犯人はフナコシであった。以上。
その間をいかにいけずをして、読者を焦らしながら展開するかが小説。
純文学は人間の嘆きを描くもので、1行。
女に持てたい・女とやりたい
他の奴が出世して腹立つ
人が死んで悲しい
社会に不正や不平等が多くて腹立つ
もっと俺をフィーチャーしろ
あはは。
これを、迂回して文章で楽しませられるようにながながと書くのが純文学、というのは、いやー確かに。
純文学の定義をこれだけ明快に言い表した人に初めて出会った。
雑な感慨ホルダー、という概念も面白かった。
自然ていいよね
人工あかん
銭儲けあかん
心っていいよね
二項対立でもたれあい、世間一般に受け入れられている雑な感慨に自分の考えを、すべて収斂させて単純にものを見ていては、自分が本当にどう思っているか、感じているか、自分の真実は何かがわからない、という話。
以下抜粋。
ええなあ、と、あかんがな、が互いに無れ合いながら、ひとりで立つことがないまま補強し合うことによって、その外皮がどんどん強靱になっていく。だけどそもそもの根拠はきわめて雑、という雑な感慨が知らず知らずのうちに育ち、自分では精緻だと思っている考えの、その出発の地点で、まったくなにも考えずに事物・事象を雑な感慨ホルダに入れてしまっている、という事が、よくあるというか、殆どそうである、という事、そして、それが心の錦=言葉を動かす最初の力を弱めているという事について前に申しあげた。
このあいだ読んだ、現代思想の本のデリダの二項対立から離れたグレーゾーンを見ようという話がまさにこれで、哲学的な話を、こんなにもわかりやすく平たい言葉で紐解く手つきに感嘆した。
雑な感慨ホルダー、使いすぎないように気をつけよう。
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『ちからたろう』を1000回読んで文章の原型と世界観がつくられた、というところで、一気に引き込まれた。本嫌いだった私が珍しく数十回は読んだ本だったからだ。
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「適当なことを言うと勝手に文章を生成する畜生」が言葉を量産する現代に、魂のこもった文章を書くということの本質を、『町田節』炸裂のエッセイで面白おかしく学べる本だと思います。
何度も爆笑しました。
ただし、連載ベースなので全体的に構成が体系化されてないのと、多少難解な箇所もあるので、純粋に町田康先生が好きな方向けです。
手っ取り早く執筆ノウハウを習得したいのであれば、ビジネス書コーナーへ。
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私は文章を書くのが好きだとはいえ生業としていない故に自己表現っつーか自己満かしらんって言葉はやはりおもろくて内から沸々と放出される瞬間がなんとも心地良くドーパミン分泌させるドラッグと類似してるよねと公言すればケッコー際どい境遇に追いやられるの必至なので嘘ウソとしらばくれるんんんっむむむっと句読点を打たないのは決して気を衒った振る舞いではなくコンマ何秒の脳内を駆け巡る思考且つ感情のフッテージそれをばエディットする私はダイブしてるのよ。思いっきり腹打ちしてるかしらん。
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個人的には町田さんの文章が好きなので面白い。
例のごとく話がそれたり表現が分かりにくい、読みにくい部分も多いので、文章の書き方を手っ取り早く知りたい人なんかは向かないかと(本書内でも説明下手だと言われると言っていた)。
ただ、文章を書くうえで参考になると思われる箇所はたくさんあるし、突然核心に触れているような事を言っているようなところもあってハッとさせられたりもしたので、読んでよかった。
とりあえず昔読んだ、いい感じの本を読み返してみたいと思う。
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町田康の文章は、一般的な文章と違い、そこに町田がいるように錯覚してしまうほど口語的な雰囲気がある。深夜寝床で頭に思い浮かぶすべてを記したように要約の逆を行く形ですべて書いてある。故に、要点が掴みづらく、抽出されたニュアンスが印象に残る雰囲気の創り。
当然の如く、一般的なチップスというより、町田流のやり方、町田節の書き方である。町田作品を書くとき氏の頭の中はこういう感じになってるんだなと思うための書である。
インプットとしては、起承転結がしっかりしていて、読みやすく結末がハッピーエンドといった綺麗に終わる物語より、どこかツッコミどころがあり、理解できない部分がある物語の方が、気になって何度も読んで行くうちに新たな気づきがある。故に自分好みの本よりそうでない本の方が発見がある。
町田作品は文章のいけずによって出来ている。
まずは変換装置という、言わば言い換えによって単なる説明的文章にユーモアを足すことによって、内容説明ではなく文章そのものに内容を孕ませることが出来る。次に刻みである。
刻みによって、同じ場面であっても細かく刻むことで要素をふんだんに盛り込むことが出来る。
例)吉岡はうどんを誂えた。
→最終形態: 吉岡は、店の敷居のところで、牛乳を撒き散らして、股立ちをとり、予備の茸を鶴に与えてから、右の太腿をたっかく上げて、店に入り、うどんを誂えた。
「いいよね」「あかんがな」のどちらかに振り分けられるようだが、「雑な感慨ホルダ」はどう作用するべきなのか、よくわからなかった。
大河ドラマとなった司馬遼太郎『翔ぶが如く』に憧れて『呼ぶが如く』を(おそらく)ChatGPTに生成させたところNHKラジオドラマみたいなあらすじになって印税収入が減りそうで萎えたみたいなエピソードまで書いてある。
相変わらずバイブスのみで読み進めるような感じの文章。
Posted by ブクログ
文章の書き方をテーマにした(たぶん)エッセイ。
よい文章どうのについては、ともかく町田節読みたさで読んだ1冊。
切腹サークルが面白かった(単語)。
「ギケイキ」や「宇治拾遺物語」のエッセンスが随所に感じられて、あの本たちはこういう思考が裏にあって生み出されたのか〜とも思いつつ、面白い(町田氏風だと、おもろい)単語、表現は出てこないかとワクワク読み進めました。
(ははっ、ていう乾いた感じの笑いも好き。)
Posted by ブクログ
子どもの頃の愛読書で何回も読んだものってなんだろう。
本好きだったとはいえ、いまさら思い出すもないかも。
筆者は「ちからたろう」
やはり子供のころから、文才はあったんだろうなと。
難解な話なんだけれど、独特の言葉の言い回しでテンポよく読み進める。
とはいえ、半分も良くわからなかったけれど(笑)