あらすじ
万人を感嘆させるプロフェッショナル魂
戯曲『リア王』を演ずるにあたり、俳優・山崎努が綴ったノートは八冊にも及ぶ。演技とは? 死とは? 生とは? 身につけた技術に甘んじることなく、思索を深める日々。その果てに結実する、独創的な演劇論。いつしか我が身に流れ出す、リアの血潮。凄烈なプロフェッショナル魂が万人の胸を打つ、日記文学の傑作。
解説・香川照之
単行本 2000年3月 メディアファクトリー刊
文庫版 2003年8月 文春文庫刊
この電子書籍は2013年10月刊の文春文庫新装版を底本としています。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
こんなに凄い本を読まずにいた己を哄ってしまった。恥ずかしい!!!
演劇の教科書と言ってしまうと堅苦しい。
でもそうなのよ。日記なので、氏の一本の芝居への取り組みに時系列で同化して、のめり込んでしまう。名優の芝居創りを追体験出来るのだ。
(勿論出来るものではないけど)
ものを創ることに対する心の在り様を教えてもらえる。
(勿論教えてもらえるものではないけど)
本当にこの本が世の中にあって良かった。
読めて良かった。
人生楽しくなるかもしれない。
Posted by ブクログ
私はシェイクスピアとの関わりからこの本を手に取りました。そしてこの本では『リア王』と真摯に向き合った山﨑さんの姿を知ることができました。
単に頭で考えて理論を組み立てるのではなく、生活すべてをかけて全身でリア王にぶつかる!そうして生まれてきた深い思索がこの本で語られます。これには驚くしかありません。シェイクスピアを学ぶ上でも非常にありがたい作品でした。
俳優という職業とはいかなるものなのか、そして俳優という一つの仕事の枠組みを超えてあらゆる職業におけるプロフェッショナリズムというものも考えさせられる作品です。
Posted by ブクログ
読み始めた時はこの本を最後まで読めないかと思った。馴染みのないシェイクスピアの台本(改行なくページに余白なくびっしり)を読み飛ばそうかと思った。でもひとつひとつ丁寧によんでいってよかった。山崎努さんがそれらをどう捉えてどう表現するのか、その軌跡を一緒に辿ることができたから。
舞台が段々と終わりに近づくにつれ寂しい気持ちになった。
俳優という仕事は演技をする仕事ということは知っているし、なんならいつも見ているけど、あとがきの香川照之さんが言う「具体的な実態や確かな有効性が酷く曖昧な俳優という仕事」をここまで言語化し曝け出したものを拝見する機会は中々ないと思う。
そして役と徹底的に向き合う=自分や自分の家族と向き合うところも含まれている。それも惜しみなく曝け出している。
随所に娘さんへの愛情、奥さんへの信頼を感じる日記だと思ってたけど、私にとってはほっこりする箸休め的な箇所もリア王を演じる上で向き合うべきこととして箸休めではなく重要な記述なんだと感じた。
翻訳の松岡和子さんが彼女の著書でリア王に父親との思い出に触れたように、娘を持つ父親である山崎努さんはリア王を演じるからこそ自分の家族のことも避けては通れない向き合うべきことなのだ。
「人は皆己の身の丈にあった感動を持つべきなのである。読み齧ったり聞き齧ったりした知識ではなく自分の日常の中に劇のエキスはある。日常を見据えること。」
この本が発行されてだいぶ経つしもう山崎努さんも87歳と知って驚く。リア王の時は60-61歳、もう20年以上たっている。
正直不動産を観ているときに偶然この本を見つけたのがきっかけだがこの本に出会えて良かった。
Posted by ブクログ
名言の嵐で、読むたびに内容の濃さと熱量に圧倒されます。
ひとつのことをつき詰めた人には、実際神が宿るんだなあ…風姿花伝ぽい。現代の風姿花伝。
朗読を習っているので、練習中の思いを呼び返しつつ読むとさらに重みが増します。「俳優は登場人物に溶け込んで消えなければいけない」というくだりには濃いマーカーが引いてあり、マーカーやら書き込みやら本がもうカラフル。
山崎さん、思いを文章にして世に出していただいて本っ当にありがとうございます(拝礼x10)
一人芝居で、舞台上で兄と対話しながら兄の具体的な人物像を脳内に浮かべられないでいた時、後で観客から「兄が見えてこなかった」と言われた、というお話にわあーと思いました。演じ手の頭の中にあるものって、(十分な技術があれば)目に見えなくても正確に観客へ伝わっちゃうんだなと。
ジュディ・デンチのくだりでは猛烈に実物を見たくなって、「チャーリング・クロス街84番地」の映画を見始めたらすごく面白くて、今度はその原作が読みたくなって…(映画にジュディはそんな出てませんでしたが)
そんな連鎖式読書も楽しいです。
Posted by ブクログ
俳優がここまで一本の演劇に情熱を注ぎ込むのか、ということが実感として迫ってくる作品。自分自身の仕事への取り組み姿勢を反省させられる。松岡訳の『リア王』は読んだことがないので、来年読みたい。本書のもとになった芝居をみたかった。
Posted by ブクログ
「『リア王』の稽古は一九九七年十二月から始まる。初日が年を越して一九九八年一月十七日だから約一ヶ月間、休日と舞台稽古を除いた稽古実数は三十四日である。〜 この日記は、稽古開始四ヶ月前からのものである。」
この一文から全てが始まる。
まず、この本を知ったのは、ある女優さんがブログで紹介していたから。
短く簡潔な一文だったけれども、とても読みたくなる一文だったので、翌日には、即購入。
とても、濃密な読書体験でした。
「走り書きで書いたもの」でありながら、準備段階からの「リア王」のイメージ作り、毎日の稽古の内容、些細な日常での出来事など、かなり丁寧に、子細に書かれている。
山崎さんの肉声が聞こえるような文章である。
(自分は、脳内で山崎さんの声に変換して読んだので、読み終えるのにかなり時間がかかってしまったが、濃密な読書体験だった)
いかに、山崎努さんが、「リア王」という役に向き合い、取り組み、妥協を許さず、一人の俳優として生きているというのが、文章の端々から感じられるのである。
稽古に入ってからの、日記が本当に圧巻である。
台本をもとにした、細かい修正内容や、その日の発見、ありとあらゆることが書かれている。
セリフの内容、舞台での体の動かし方、演者との間などなど、そして、日々変わる「リア王」のイメージを丁寧に書き留めている。
舞台稽古で、かなり疲れているだろうが、休むことなく日記が綴られる。しかも、かなり細かく、長く、丁寧に書かれている。
「リア王」に身を捧げているようで、迫力がある。
鬼気迫る内容もある一方で、休日における家族との心温まるエピソードや、友人との話も書かれており、一人の人間としての一部も垣間見られるのもよい。
(あの独特な“微笑み”が頭に浮かびました)
舞台本番数日前〜当日、本番前数時間前、直前の心境まで書かれているのも、すごい。
公演が始まってからの日記は、その日の公演内容についての善し悪しが書かれている。
「完璧」というものはないだろうが(追い求めても追い求めても、届かないものだろうが)、飽くなき探究心で舞台に望んでいることに胸を打たれる。
本書は2000年に単行本として刊行され、2003年に文庫化され、2013年に新装版として同じく文庫として出版された。
書かれた時は1997年〜1998年のもので、今からもうすでに、約20年以上前のことだが、色褪せることなく、今もみずみずしく感じられるのは、この『俳優のノート』という「日記」にそのすべたがつまっているからだろう。
俳優の香川照之氏が「解説」を書いている。
本書を読んでいて、自分が感じながら読み進めていたことと、ほぼ同じこと書いておられたので(失礼)、少し長いが冒頭部分を引用する。
「あなたがもし俳優ならば、あなたは即刻この本を『教科書』と指定すべきである。そして神棚高く飾るべきである。さらに、その日の自分に有用なしかるべき箇所を読んでから、毎日仕事場なり舞台なりに向かうことを強くお勧めする。/一方、あなたがもし俳優でないなら、俳優という人種がどれだけ『演じる』ことにおのれの精魂、人生、意識、肉体、信念を注ぎ込むことが可能であるのか、その最高レベルの探求をとくに堪能できたことだろう。」
「神棚に祭るべき」というのは、やや大げさ(ユーモラス)であるが、まさに香川氏の述べる通りであり、この「解説」も秀逸な文章で、読み応えがある。
山崎努氏の舞台『リア王』を追体験ではありながらも、希有な体験を得られる、とても素敵な良書である。
お薦めしたい。
Posted by ブクログ
俳優にとっては刺さるところしか無い一冊。内臓まで曝け出す覚悟が、わたしにはあるだろうか?作品のパーツとして、あるべき働きをしたいと思う今日この頃。あー、芝居がしたい!
Posted by ブクログ
俳優の役の臨み方が、日記を追うごとにわかる。セリフやストーリに自分をはめるのではなく、自分の腹に落とし込んでから演じることで、人ごとから自分ごとに変えていく本質が見える。
Posted by ブクログ
山崎努さん大好きなので読みました
ひとつの作品に対しての考え方とか準備とか、どんな思いでやっているのかとか知れて良かった
リア王未読なので読んでからまた読みたい
Posted by ブクログ
演技をすること、芝居をすることは、自分を知るための探索の旅をすることだと思う。役の人物を掘り返すことは、自分の内を掘り返すことでもある。そして、役の人物を見つけ、その人物を生きること。演技を見せるのではなくその人物に滑り込むこと。役を生きることで、自分という始末に負えない化けものの正体を、その一部を発見すること。
効率を狙って安心を得るのではなく、勇気を持って危険な冒険の旅に出て行かなくてはならない。手に入れた獲物はすぐに腐る。習得した表現術はどんどん捨てて行くこと。