あらすじ
医療、教育、政治……あらゆるものが売買されるこの時代。市場主義の暴走から「善き生」を守るために私たちは何をすべきか? 現代最重要テーマに挑む、サンデル教授待望の最新刊
「結局のところ市場の問題は、実はわれわれがいかにして共に生きたいかという問題なのだ。」 (本文より)
感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
行き過ぎた資本主義は、全ての物をお金で取引できる市場主義へと変えてしまった。お金の為に人身売買や臓器売買までもが需要と供給によって成り立ってしまう場合だって有るのだ。そこには道徳やモラルが歯止めになる事もあるが、当事者同士が双方利益を享受出来るとしたら、そして市場として成り立ってしまったら、そう考えると恐ろしい世界になってしまうだろう。イスラエルの幼稚園では、時間になっても子供を迎えに来ない親を如何に減らすか、対策として罰金を設ける事にした。結果はどうだろう?意に反して子供を迎えに来ない親が増えてしまった。親たちは、罰金を料金と受け止めてしまったのだ。
などなど、色んな考えさせられる事例がこの本には挙げられている。「これから正義の話しをしよう」の著者マイケル・サンディルの行き過ぎた市場主義に疑問を投げかける素晴らしい本だ。
Posted by ブクログ
十数年前にサンデル教授の「正義論」を学び、
議論し続けることの大事さを訴える実践的な講義に感銘を受けました。
今回この著書をあらためて読み、
政治哲学を経済学との関係で考え議論することが不可欠であることを再度学びました。
すべてが売り物になる懸念として挙げられていた2点は、
1、公正の議論:お金のあるなしがあらゆる違いを生み出す
2、腐敗の議論:あらゆる領域の価値観を侵食する
不平等、格差、公平についての倫理基準の考え方は、経済と政治を議論するうえで主要なトピックであるように思いますが、
本書では、とくに2点目の腐敗の議論に焦点を当てられています。
商品なると腐敗、堕落したりするものがある。これについて考えます。
商品とは、金銭的に取引ができるもの。
実際には、売買できるものとしてあらゆる物の価値が適切に測られるわけではない、はず。
でも現代社会は、どんどんあらゆるものやことを財務情報化したり、商品化していっている。
それにより何が失われているか、失われているものがあるかさえ、考える間もないままに。
「市場経済」が「市場社会」になるとき、私たちが被る代償は。
___この30年のあいだに起こった決定的な変化は、強欲の高まりではなかった。そうではなく、市場と市場価値が、それらがなじまない生活領域へと拡大したことだったのだ。こうした状況に対処するには、強欲さをののしるだけではすまない。この社会において市場が演じる役割を考え直す必要がある。市場をあるべき場所にとどめておくことの意味について、公に議論する必要がある。この議論のために、市場の道徳的限界を考え抜く必要がある。お金で買うべきではないものが存在するかどうかを問う必要がある。(本文より)
…
- 腐敗の議論
英語だと、”corrupt”。
サンデル教授が強調する市民としての「美徳」との関係で考えると、
道徳的な価値を低減させるー”diminish their value”ことを意味しています。
___われわれは、腐敗というと不正利得を思い浮かべることが多い。だが、腐敗とは賄賂や不正な支払い以上のものを指している、ある財(善)や社会的慣行を腐敗させるとは、それを侮辱すること、それを評価するのにふさわしい方法よりも低級な方法で扱うことなのだ。公聴会の入場料を取るのは、この意味における腐敗の一種である。(本文より)
経済学は、道徳的議論を含まない市場原理を理論立ててきた。
この領域は、公的生活を扱うものではなかったはずが、
今やこの経済理論が公的生活を支配するようになっている、道徳理論を書いた領域に公的生活をゆだねる状況になっていることを懸念しています。
あらゆる物事に効率を求める傾向にある社会状況を考えると、印章論としてもとても説得力があります。
近年はやっている行動経済学も、前提として、人間が選択肢のコストと利益を比較検討する、あらゆるものに経済的価格があると考えること。
経済学的アプローチはあらゆる人間行動に当てはまる包括的なものだという議論は、
ゲイリー・ベッカーの『人的資本』 (1976出版 )に代表される、シカゴ派経済学にたどることができ、
その合理的な人間観が、今もなお、強固なものとして現在にも浸透しているのですね。
理論の力すごい、と改めて思う。
人間の合理的判断は例外、と疑い始めてもいい状況にあるように思いますが、
金融危機など経ても、そこまでパラダイムはシフトしていないということなのですね。
- インセンティブを疑う
「インセンティブ」がますます使われるのは現代社会の特徴でもあったのですね。
もともとそうではなかったのか。
インセンティブをつけることで、
私たちが持っている本来の動機が書き換えられてしまう。
保育園のお迎えお迎え時間を有料化(追加料金を払って遅くに迎えに来る親が増えた)する事例はよく取り上げられていますが、
経済理論に則った制度設計が人の動機を動かす、重大な責任ある行為であることをあまり自覚できていないのが現状。
罰金かインセンティブか、その選択にも道義的責任を伴う。
だから、その制度設計によって、どのような姿勢が強化されるかをきちんと考慮する必要がある。
たとえば価値観に裏打ちされた制度設計がなされているフィンランドの事例が紹介されていました。
「共通善への貢献を含む道徳的配慮によって、ときとして価格効果が打ち消される」、それを象徴するスイスの核廃棄物処理施設の住民投票(補助金を払うとなると市民の反対が高まった)の事例。
動機がすり替わる場合とそうでない場合は、どのような違いがあるのだろう…
市民的義務感、教育、規範、などが関係してくるのかな、と思ったりしました。
プロセスも大事なのかもしれない。一人ではなくて、周りとのかかわりの中で行為を選択したり考えを定めていく部分もありそうだし。
だから、何が優位かきまっているわけでもないのかもしれないけれど、
価格が設定されていたら単純に一番明確な判断軸として、デフォルトで採用するのかもしれない。
たっぷり払うか、全く払わないか、のどちらか、
という話は、なるほど、そうだな、と思ったり。
ボランティアでするか、たくさん給料もらってするか、どのどちらかが一番やる気が出る。
中途半端に安い給与で働くことになったら、もともと持っていたやる気もなくなるような経験、あるなーと。
- どこまで商品化するかという倫理
本来すべてに価格をつけているわけではないのに、金銭的インセンティブにより、金銭化する、あらゆる関係性、人間関係も市場関係化する。
「商品化効果」(ヒルシュ)については、これまでも論じられてきていて、
それは、内的動機を消す、締め出し効果がある、ということ。
一方で、 商品化は性質を変えない、逆に寛容や利他、市民的義務は有限である、というような意見もあることも紹介(経済学者ケネス・アロー、デイビッド・ロバートソンなど)。
実際、商品化の闇は倫理的領域にまで浸透していて、それを人生や死の商品化を取り上げ、リアルに論じられています。
アメリカでは、従業員保険が1990sから発展し、さらに広まって2000年代頃には政府の規制も出てくるものの、歯止めかからずに突き進んでいった。
2009年のWSJ紙では、
「…結局、生命保険が遺族のためのセーフティネットから企業財務の戦略にいかにして変質したかという、ほとんど知られていない物語なのだ」
という議論がなされています。
そのほか、テロの先物市場、
バイアティカル産業、
ライフセトルメント産業、
スピンライフ型保険生命保険、とその二次市場死亡債…
など、
大手の証券会社(GSなど)もこのビジネスに乗り出しているという事実。
人の生死を商品化することの倫理はどこまで考えられているのか。
と疑問を投げかける暇もなく、
さらにこの領域のビジネスは発展していっているのでしょうね…。
ビジネス戦略の倫理性を問うような問題は、日常にも広がっている。
広告プロダクト・プレイスメント、
命名権や自治体マーケティングにも触れられています。
- 市場は社会規範にその跡を残す
失われるものがないかを考える必要がある。
商品化により何が失われてしまっているのか。
この問いへの思考停止こそが、今日の資本主義の問題ともいえそうです。
サンデル教授は言います。
マネーボール市場の効率性を高めることが美徳ではない。
責任ある環境倫理にもとめられる自制や犠牲の共有の精神が蝕まれる。
世界がどう動いているのかを説明する経済学が、世界がどう動くべきか、という道徳的領域に侵食している。
まずこれを自覚し、
実際にビジネスに取り組むときには、
出口戦略としても、線引きをまず意識したらいいのかも、
そして、フィンランドの教育の例にもあったように、
金額や金銭的利益が究極の目的や決定的達成指標とならないようにすること。
それ以外に、もっと大事なものがあることを制度設計側だけではなく、利用者側にも共有されるような設計と運営をすること。
美徳。
徳ある人間として一人一人が生きるだけではなく、
徳ある社会を皆で作っていく一員でありたいと思いました。
Posted by ブクログ
2012年刊。
それをお金で買いますか?というテーマの一例…
・刑務所独房の格上げ…一晩82ドル
・インド人代理母による妊娠代行サービス…6250ドル
・米国移住権…50万ドル
・欧州で企業が1トンの炭素を排出する権利…13ユーロ
・製薬会社の安全性臨床試験で人間モルモット…7500ドル
この世であらゆるものにプライシングされ、お金さえ払えば大体のものは買えるのだ、という態度について考えさせられる。
いい指摘はしているが、翻訳本なので読みづらく、読書中何度も眠くなった。
機会あれば再読して価格をつけることのモラルについて考えたい。
Posted by ブクログ
値段がつかない、つけられないものにも広告や先物としての価値を見出だし、間接的に値付けされ始めている現実を問う。
「ランナーがホームイン。セーフです。
安全と安心の、ニューヨーク・ライフ」
興ざめしてしまう中継中の広告が、当たり前と感じる世界になるのか。
Posted by ブクログ
「金で買えないもの、買えるが買うべきでないものはどこに線引きされるべきか」
ハーバード大学名物教授による市場主義の問題提起。
・良かった点
2012年出版。世相を見るに慧眼だなーと。日本はアメリカより10年遅れる、とよく聞くけど予言書みたいな現実に「おわ~~」と呻きながら読む。「金が全てじゃねぇが、全てに金が必要だ」って漫画にもあったよなー。
・よくなかった点
「ファストトラック」「インセンティブ」「非市場的規範」「商業主義」・・・問題の根っこは同じなので早めにまとめに入ってほしいのですが結構堂々巡りしていて長い。あと多分「お金で買えない道徳的・市民的善というものがあるべき」という論旨なんだけど、ならばそれをどうやって普及していくか、そこまでは言及していないのであくまで端緒。
総評
切り口は面白いが話が長い。
このままだと多分市場の失敗がどうしようもなくなるまで、各々が欲望のままに非市場的領域を踏み荒らして不毛の地を作るんだろうなあと。一方最近、地球規模の良心的運動・SDGsが流行りなのは激しさを増す商業主義への揺り戻しなのかなーという気も。
とりあえず個人でできることといえば「それはちょっとね・・・」という自分のラインで都度NOということくらいかなぁ。みんなやってる、そんなのやせ我慢だ、って馬鹿にされそうな流れでも、守るべき一線があればそれは最終そんなに悪い選択肢じゃなかった、と思えるようになればいいのだけどどうだろう。
Posted by ブクログ
なかなか難解な一冊でした。
社会経済と道徳をどう考えるかというのが本書の大きなテーマ。
その中で、第1章では「行列に割り込む」、第2章では「インセンティブ」、第3章では「いかにして市場は道徳を締め出すか」、第4章では「生と死を扱う市場」、第5章では「命名権」を例にあげ、経済学的に金銭でそれを購入することと、道徳的にそれはどうかということを論じている。
奥が深すぎる。
説明
内容紹介
国民的ベストセラー『これからの「正義」の話をしよう』のサンデル教授、
待望の最新刊登場! 現代最重要テーマに、教授はどう答えるか?
結局のところ市場の問題は、実はわれわれがいかにして共に生きたいかという問題なのだ。
(本文より)
私たちは、あらゆるものがカネで取引される時代に生きている。民間会社が戦争を請け負い、
臓器が売買され、公共施設の命名権がオークションにかけられる。
市場の論理に照らせば、こうした取引になんら問題はない。売り手と買い手が合意のうえで、
双方がメリットを得ているからだ。
だが、やはり何かがおかしい。
貧しい人が搾取されるという「公正さ」の問題? それもある。しかし、もっと大事な議論が欠
けているのではないだろうか?
あるものが「商品」に変わるとき、何か大事なものが失われることがある。これまで議論され
てこなかった、その「何か」こそ、実は私たちがよりよい社会を築くうえで欠かせないも
のなのでは――?
私たちの生活と密接にかかわる、「市場主義」をめぐる問題。この現代最重要テーマに、国民
的ベストセラー『これからの「正義」の話をしよう』のサンデル教授が鋭く切りこむ、待望の最新刊。
著者について
マイケル・サンデル(Michael Sandel)
1953年生まれ。ハーバード大学教授。専門は政治哲学。ブランダイス大学を卒業後、オックスフォード大学にて博士号取得。2002年から2005年にかけて大統領生命倫理評議会委員。1980年代のリベラル‐コミュニタリアン論争で脚光を浴びて以来、コミュニタリアニズムの代表的論者として知られる。類まれなる講義の名手としても著名で、中でもハーバード大学の学部科目「Justice(正義)」は、延べ14,000人を超す履修者数を記録。あまりの人気ぶりに、同大は建学以来初めて講義をテレビ番組として一般公開することを決定。この番組は日本では2010年、NHK教育テレビで『ハーバード白熱教室』(全12回)として放送されている。同講義を著者みずから書籍化した『これからの「正義」の話をしよう』は、日本をはじめとする世界各国で大ベストセラーとなった。
訳者略歴
鬼澤 忍(おにざわ・しのぶ)
翻訳家。1963年生まれ。成城大学経済学部経営学科卒。埼玉大学大学院文化科学研究科修士課程修了。おもな訳書にワイズマン『人類が消えた世界』、サンデル『これからの「正義」の話をしよう』『日本で「正義」の話をしよう』(以上、早川書房刊)『公共哲学』、バーンスタイン『華麗なる交易』など多数。