【感想・ネタバレ】庭の話のレビュー

あらすじ

『暇と退屈の倫理学』『中動態の世界』への刮目すべき挑戦が現れた。
情報社会論より発せられた「庭」と「制作」という提案から私は目を離すことができずにいる。(國分功一郎)

プラットフォーム経済に支配された現代社会。しかし、そこには人間本来の多様性が失われている。
著者は「庭」という概念を通じて、テクノロジーと自然が共生する新たな社会像を提示する。(安宅和人)

*プラットフォーム資本主義と人間との関係はどうあるべきなのか?
ケア、民藝、パターン・ランゲージ、中動態、そして「作庭」。一見無関係なさまざまな分野の知見を総動員してプラットフォームでも、コモンズでもない「庭」と呼ばれるあらたな公共空間のモデルを構想する。『遅いインターネット』から4年、疫病と戦争を経たこの時代にもっとも切実に求められている、情報技術が失わせたものを回復するための智慧がここに。

【目次】
#1 プラットフォームから「庭」へ
#2 「動いている庭」と多自然ガーデニング
#3 「庭」の条件
#4 「ムジナの庭」と事物のコレクティフ
#5 ケアから民藝へ、民藝からパターン・ランゲージへ
#6 「浪費」から「制作」へ
#7 すでに回復されている「中動態の世界」
#8 「家」から「庭」へ
#9 孤独について
#10 コモンズから(プラットフォームではなく)「庭」へ
#11 戦争と一人の女、疫病と一人の男
#12 弱い自立
#13 消費から制作へ
#14 「庭の条件」から「人間の条件」へ

「家」族から国「家」まで、ここしばらく、人類は「家」のことばかりを考えすぎてきたのではないか。しかし人間は「家」だけで暮らしていくのではない。「家庭」という言葉が示すように、そこには「庭」があるのだ。家という関係の絶対性の外部がその暮らしの場に設けられていることが、人間には必要なのではないか。(中略)/「家」の内部で承認の交換を反復するだけでは見えないもの、触れられないものが「庭」という事物と事物の自律的なコミュニケーションが生態系をなす場には渦巻いている。事物そのものへの、問題そのものへのコミュニケーションを取り戻すために、いま、私たちは「庭」を再構築しなければいけないのだ。プラットフォームを「庭」に変えていくことが必要なのだ。(本文より)

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Posted by ブクログ

ネタバレ

庭を喩えに、

社会と個人のかかわり方について思索されていて、新しい考え方が学べてとてもよかったです。

共同体に属さなくても社会とかかわれる、そして自分自身の生きがいを担保できる、そう考えさせられる本でした。

コモンズやコミュニタリアン的な議論は、共感するところもありつつ、でもなんだか理想主義的になってしまいがちなところがあって、やっぱり何らかの形で内と外の境界線を作っていくので、固定的なところや排外性を抑えて実際にうまく機能するのは現実的ではないところがあったりと、

でも庭の話では、そんな人間関係自体をいったん相対化して、個人が事物と対峙する関係性を採り入れていた。人間関係から快楽や生きがいを得るのではなく、あるモノに向き合うこと―それは結局は自分との関係ともいえるのではとも考えたりしながら読みました。

また、「する」ことへの評価と「である」ことへの存在、ときどき論じられていることがありますが、どっちが大事だとか、よく読みながら、えっと、結局どっちなの?と、分からなくなっていたところ、

そもそも両方とも、他者からどう思われるか、というところに依拠している、という点で同じだと気づき、庭の話では、その二択を超えて、それ以外の方法で自分の生きる意味や生きる喜びを感じる方法がはっきり示されていて、とても新鮮でした。

ある意味自分の中にこもるようで、自分自身も相対化しているような。

この、共同体を活用しながらも依存しない、個々人での社会とのつながり方が、弱い自立、とも論じられていましたが、

個々人の芯の強さがそこには欠かせないように感じました。

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2025年08月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

SNSの“承認ゲーム”に少し疲れ、でもネットから離れたいわけじゃない——そんな自分に、この本は「庭」という視点をくれました。ここで言う庭は、手放しのユートピアでも“全部コントロールできる私的空間”でもありません。風や虫や雑草のような人間の外部が入り込み、思い通りにならないことを含んだ場です。著者はそこで、能動でも受動でもない中動態の姿勢を勧めます。世界を押し切るのでも流されるのでもなく、「ともに動く」。その構えが、承認の波に即応し続けるSNSのリズムから私たちを救い出す、と。

とりわけ納得したのは、ジル・クレマンの“動いている庭”という比喩です。自然は固定化できない。だから設計は“完成図”ではなく、剪定・間引き・遅延といった手入れの作法へ移る。情報の世界も同じで、タイムラインを定期的に剪定し、即時反応を遅延させ、受け取ったものを味わい直す時間を置く。そのとき、急ぎの成果ではなく、手触りとしての回復が生まれる。読んだ翌日に実際、通知を切り、閲覧回数を減らし、短いメモを書く——そんな小さな“庭仕事”から気分が軽くなりました。

一方で不満もあります。後半、戦争の強制力を“庭的あり方”に準える比喩には跳躍が大きいと感じました。平時の庭の具体像(生活の設計図)をもう一段掘り下げてほしかった。それでも、本書は「作ること(制作)を生活の基準線に引きなおす」という強い方向性を示します。承認の速さに合わせるのではなく、自分の手でリズムを作る。完璧な処方箋ではないけれど、日々を“庭仕事”として捉え直すための、実用的な比喩集として十分に価値がありました。

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2025年10月12日

Posted by ブクログ

ネタバレ

本書は、画一的で高速な社会構造(プラットフォーム)から、多様で個別性を尊重する柔軟な社会構造(庭)への転換を提唱する。社会や環境との関係性を再定義し、「庭」を媒介として、持続可能で創造的なコミュニティ形成を目指す。

「庭」とは単なる空間を超えて、人間と環境、人間と非人間の新たな関係を築く概念であり、消費から制作へ、強い自立から弱い自立へ、プラットフォームから多元的共生へと社会全体を変革する思想的枠組みである。

著者は、これを通じて人間の条件そのものをアップデートし、21世紀の持続可能で豊かな社会を実現するための哲学を提示している。

本書の限界:

「庭」の概念は抽象的であり、具体的な社会変革の方法や実践への明確な道筋が示されていない点がある。

提唱される多自然的なアプローチや弱い自立のモデルが、現代の資本主義社会においてどの程度現実的であるかが不明瞭。

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2025年05月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

SNS上で潮目を読んでそれっぽいことをつぶやくことで安易に承認欲求が満たせることで、承認欲求中毒となってプラットフォーム上で踊らされてることへの警鐘。他者世界との関係性の中で無意識下にもある自己承認欲求を拗らせずにどうあるべきか。庭を例えに場と個人という観点で深掘りされてる。随所に著者のアナキズムというか偏屈さを感じるけどだからこそ生まれてくる問い、見方が新鮮。

地域のつながりがーコミュニティがーと言ってるうちは、共同体に参加しない自由がないというか、排除的な要素が含まれてしまってるなとハッとさせられた。

デモでも選挙でもなく、日々の自分の選択が社会を作るっていう実感を持つ上で、デジタルプラットフォームの果たす役割は大きいと思うのだけど、そういう庭にできてるかって言うと、問いを立てる側の力量が試されてるなとも思う

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2025年01月11日

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