あらすじ
自己責任ではない!
その貧困は「働けない脳」のせいなのだ。
ベストセラー『最貧困女子』ではあえて書かなかった貧困当事者の真の姿
約束を破る、遅刻する、だらしない――著者が長年取材してきた貧困の当事者には、共通する特徴があった。世間はそれを「サボり」「甘え」と非難する。だが著者は、病気で「高次脳機能障害」になり、どんなに頑張ってもやるべきことが思うようにできないという「生き地獄」を味わう。そして初めて気がついた。彼らもそんな「働けない脳」に苦しみ、貧困に陥っていたのではないかと――。「働けない脳=不自由な脳」の存在に斬り込み、当事者の自責・自罰からの解放と、周囲による支援を訴える。今こそ自己責任論に終止符を!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
子供の頃から苦しんだものの正体が鮮明になった気がした。
家族や学校、部活、バイト先、職場で怠け者として扱われ罵られてきた。
家族には「怠け者でーす」という開き直りキャラを演じて、お前は本当にだらしないな!と言われながらも生きてきた。
この本を読みはじめてすぐ涙が出てきた。そうなんだよ、いくら頑張ってもまわりに追い付かないし同じようにできない。頭の中が不安感でいっぱいで目の前の作業を素早く処理できない。何か不利な目に遭うのではといつも苦しくて気が付けば何もしないまま時間が過ぎている。
遅刻しないように出勤して9時間耐えるだけで精一杯。ただそれだけで1日の体力と精神力を使いきり、家に帰れば寝たきり。家は荒れて散らかり放題。1日外の世界と関わっただけでもう心も体も限界。そして精神疾患を抱えた。
今の日本社会で生きていくためには朝出勤して9時間耐える、それのために人生の全ての時間を捧げないとならない。そんな他の人から見たら意味不明な私の人生を、私の頭の中身を説明してくれた本だと思う。
誰にも家族にも理解してもらえない苦しみを、ここまで解像度高く書いてもらえたことが本当に嬉しい。
この本に出会えて本当によかった。鈴木さんありがとう。
できればこの後家族にも読んでもらいたいと思う。
Posted by ブクログ
岡田斗司夫さんの話を聞いて。「最貧困女子」と「貧困と脳」をセットで読んだ。
「最貧困女子」の取材対象が抱えていた不自由が、自分に降りかかった体験記。最貧困女子では取材対象に対してリスペクトはしていたものの、「どうしてこんなことができない?」という気持ちがやはり心のどこかには存在していたという。それが、自身が病気を患って同じ立場になったことで、「最貧困女子」を書いていた時には分からなかった彼女たちの気持ちや状況が身をもってわかった、という内容。
同じく俺も、「どうしてこんなことができない?」という気持ちを、「最貧困女子」で抱いた。そしてその気持ちで「貧困と脳」を読めるから、自分の身にも起こるかも、と、入ってき方がすごい。同時に、自分の身には降りかかっていないことに感謝、ひいては世の中の最適化と自分の最適化があんまりズレていない状態で生まれ育ったことに感謝、と思う。
匿名
学生の頃から生きづらさを抱えていて
成人してからも仕事のことや社会のことでうまくいかずに悩んでいました。
ネットでこの本のことを知り購入。
タイトルにも惹かれました。
読んでいるうちに励まされ思わず泣いたところもありましたし、すごくすごく為になるところや勉強になるところもありました。
まずは日本人すべての人に読んで欲しいです。
そうすれば、もしかしたら日本の未来が少しずつかわるかもしれません。
本当に他人事じゃないですね……
Posted by ブクログ
面白かった。発達障害だが、感情の消耗や過度の疲れやすさ、不安への過集中の持続など健常の人には存在しないことが驚きだった。そりゃ我々は生きてるだけで疲れるなと思った。発達障害の知人が片付けが苦手でものを溜め込んでしまうのも、だらしないからではなく、不安から身を守るためで、自分の家族が疲れ果てて寝ている、自分の状況の説明ができない、なにがなんだかわからないという状態にも説明ができた。私も漫画は描けるが、役所の書類を書くのは苦手だ。福祉関係の仕事に就く人にもぜひ読んでほしいと思った。久々にいい本よんだわ。
Posted by ブクログ
衝撃の内容だった。そしてかつてそういう人が職場にいたことに気づいて落ち込んでしまった。やはり知らない事は罪だなぁとも。
行政で働く人たちは必読と思った。福祉部門に限らず。
ホワイトカラーの人は他人事ではないよ、との著者の言葉。切実でした。
はぁー
Posted by ブクログ
貧困なのは自己責任、という世間の風潮に「NO」とはっきり言っている一冊。閲読するまでは実際に私も『貧困自己責任論』に対して肯定的だったのだが、今では考えを改めた。
高次脳機能障害になってしまった人の脳の中で何が起きているのか、なぜ貧困に陥ってしまうのか、また、福祉制度との斥力が生じてしまうのはなぜなのかといった事を分かりやすく説明している。社会福祉に興味のある人におすすめしたい。
Posted by ブクログ
前半は、かつて筆者自身が取材したケースについて、脳梗塞により後転的に脳が不自由になったという立場から、何が原因で一般的に理解しがたい行動に繋がるのかを再検証した内容。
後半は、それらのケースを踏まえて支援の側ができること、当事者の自己理解の重要性、行政の関わり方の提言などを行う。
それほど長い本ではないが、伝えたいテーマが明確で、また自身も当事者であるために状況を世間にわかってほしいという強い意思が伝わってきた。
本としては読み応えがあったが、実際に我々や行政が何をできるのか、というところは考えさせられる。
Posted by ブクログ
自分の悩みの本質に初めて触れてくれた内容でした。誰にも理解されず自分の中だけで消化していたことを綺麗に言語化されていて、読んでいて自分がとても救われたように感じられました。自分を責める事をやめ、自分を愛する事を少しずつ学んでいきたいと思います。
Posted by ブクログ
貧困と脳の関係を著者自身が健常者から脳障害となって追体験し、データともと付き合わせて詳細にまとめるという稀にみる説得力のある一冊だった。
あと問題提起も現実的で自分もあるきっかけで脳障害になるリスクもありそれを考えると怖くなった。
これは社会人に必読としていい本だと思う。
Posted by ブクログ
【感想】
ホラーだった
高齢者が、駅では案内図を見ずにすぐに人に尋ねたり、IT化についていけないことが不思議であったが、脳機能が低下している人から見た世界を知って納得した
脳機能を低下させてはいけないと強く感じた
【要約】
貧困は個人の努力不足ではなく脳機能の低下によって引き起こされる
加齢による認知機能の低下が仕事や日常生活に与える深刻な影響
①遅刻の常態化②約束を破る③作業の遅延④会話の困難⑤外出への支障
脳機能の低下が与える精神面への悪影響
①感情の抑制喪失や常に不安に襲われる状態②公的支援の申請すら困難になる
脳機能低下の予防にはDHA
脳機能を一度低下させてしまうと元には戻らない
Posted by ブクログ
「最貧困女子」などのルポを「世代間を連鎖する貧困」という視点などから発表してきた著者が、自身が脳梗塞によって高次脳機能障害となったことにより、脳の機能障害から貧困に陥らざるを得ないという視点から捉え直して、改めて過去の取材を当事者としての観点から再発見し、なぜ「だらしない」「さぼる」ように見えるのか、当事者・支援者・周辺者はどうしたらよいか、などを詳述。
短期記憶の機能低下、注意力の低下、現況の把握力・判断力・事故決定力の喪失など具体的な記述から、これは悲惨な状況であること、「自己責任」ではないことなど認識できた。自分の認識が変わる本。
【目次】
まえがき 最貧困女子から10年
第一章 「なぜ?」の原風景
第二章 自己責任的に見える当事者
第三章 やっとわかった彼らの言葉
第四章 「働けない脳」の僕たち
第五章 なぜ彼らは座して破滅を待つのか
第六章 なぜ彼らは制度利用が困難なのか
第七章 「働けない脳」でどうするか?ーー当事者と周辺者・支援者へ
第八章 唯一前進している生活保護界隈
最終章 貧困の正体
あとがき
考えさせられた。
考えさせられました。自堕落に見える彼ら、彼女らの背景にそんなことがあるんだと、それはまたとてつもなく理不尽で悲しいことなのだと。今、50歳後半になってちょっとだけ世の中が分かってきた気がしていましたが、まだまだ至らないことに気が付きました。
Posted by ブクログ
少し前に、「風呂キャンセル界隈」という言葉が話題になった。「あぁ、面倒くさくて入れないとき、あるよね」。そう笑いを持って受け止めた人も多いだろう。しかし、それを笑えない人たちがいる。本気で風呂に入れないのだ。入りたくないわけではない。入らないといけないこともわかっている。でも入れない。どういうことか。
うつ病の兆候としてよく挙げられることのひとつに、入浴の困難がある。健常者でも夜遅くにクタクタになって帰宅し、「もういいや、風呂は明日の朝入ろう」と考えて、そのまま寝てしまう経験はあるだろう。うつ病になると、朝起きた瞬間その状態からスタートする。謎の疲労感と倦怠感。十分に寝ているはずなのに疲れが取れず、体がだるい。歯を磨く、服を着替える、髭を剃る……日常生活にさまざまな支障が出始めるが、いちばん顕著に現れるのが風呂である。
医学的には「易疲労性」と呼ばれるが、本書では「脳性疲労」という言い方をしている。脳が疲れた状態、脳のはたらきが低下している状態、つまり体じゃなくて脳が不自由な状態。この「不自由な脳」がいかに貧困と結びつきやすいか。それが本書のテーマである。
「不自由な脳」は一般に理解されにくい。それは怪我や肉体の欠損と比べて見えにくいということもある。内臓疾患でもレントゲンや各種検査の数値で可視化されるが、脳の「不自由さ」は数字や言葉で伝えることが難しい。だがそれだけではない。
著者はもともと貧困層や生活困窮者を取材してきたルポライターである。その中で、彼らには共通した特徴があることに気づいていた。時間を守らない、計画性がない、約束を破る、危機的状況なのに何もしない。なぜこんなにもだらしがないのか。でも著者はあえてそれを書かなかった。書けば「こんな人間は貧困になって当然だ」と自己責任論の燃料になり、貧困者に対する攻撃を助長してしまう。そういう危惧があったからだ。だが同時に、著者自身もその「なぜ」を深掘りせず、「結局そういう人たちなのだ」と考えることしかできなかった。
それが一変したのは、著者が脳梗塞で脳機能障害を負ってからである。そこではじめて、彼らが「やらない」のではなく、「できない」ということに気づく。冒頭の例を思い出してほしい。誰かが「風呂に入れない」と言っても、健常者は「そういうことは誰だってあるよ」と、自分にとって既知の困難の延長線上で理解してしまう。「できない」のではなく「やらない」だけ。つまり努力が足りないとしか思ってもらえない。この断絶感。
僕の話をしよう。前に勤めていた会社で隣の席だった先輩の話。その先輩は真面目で几帳面な性格だった。彼の作る資料はいつも綺麗に色分けされていて、先輩の性格をよく表していた。その先輩があるときから急に遅刻や欠勤が目立つようになった。昼頃にようやく出社しても、パソコンの画面をただぼうっと眺めている。僕は先輩の分まで仕事しなくてはいけなくなり、正直心の中では「もっとしっかりしてくれよ!」「気合いを入れろよ!」といつも毒づいていた。ほどなくして先輩は会社を辞めた。いま考えると、その先輩は間違いなくうつ病だった。それが理解できたのは、僕自身もうつ病になってからだった。
でも、そういうのは病気の人でしょ。病気と怠けてる人を一緒にしないでほしい。そう思うかもしれない。だが、著者は過去の貧困の取材を振り返って、その対象者たちに高い頻度で発達障害や精神疾患による精神科通院歴があったことを思い出す。そして何より、「確実に間に合う時間に家を出たのに約束に遅れる」「買い物でレジの表示金額を見ても財布からいくら出せばいいかわからない」といった、かつての取材対象者たちと同じ状態に著者自身も陥っていた。そこではじめて「不自由な脳」、すなわち「やらない」のではなく「できない」脳が存在することに気づく。
こうした不自由脳の持ち主は、現代的な社会生活から容易に脱落する。なぜなら、この社会は「できる脳」を基準に回っているからだ。不自由なのが体であれ脳であれ、介助も経済的支援もないまま生きていくのは同じくらい無理ゲーなのに、脳の場合は助けてもらえないどころか自己責任論の矢を向けられる。「俺たちは同じ環境でこんなに頑張っているのに、たったそれしきのことで!」というわけだ。そうやって当事者は口を閉ざす。いっそう自分の苦しさを隠す。
うつ病というと、一般には気分が落ち込む病気と思われているかもしれない。しかし、うつ病や双極性障害のような精神疾患は、もっと全般的な脳機能の低下を伴うことが多い。たとえば僕の場合、朝から午前中にかけての意識や記憶が不確かになる。自分が何をしていたのか、あるいはいま何をしているのかすらわからないことがある。こんな経験があった。頂いた桃を冷蔵庫に入れておいたので、それを食べようと思った。だが、冷蔵庫を開けたら桃がない。妻が帰宅してから「冷蔵庫の桃どうした?」と聞いたところ、驚きの答えが返ってきた。今朝僕が自分で剥いて食べていたというのである。刃物を使っていたのに、その記憶が一切ない。寝ぼけているだけだと思うかもしれないが、催眠状態のような感じで自分に保証が持てない。自分が自分でなくなってしまったようで、シンプルに怖かった。
そんな僕も夕方から夜になると、だんだん意識がはっきりして、普通の生活が送れるようになる。問題はそこだ。周囲の人間は元に戻った僕を見て、「ほら、やっぱりできるじゃん」と思う。そして、できるときの僕を基準にして「やる気がない」「サボってる」と判断する。健常者は意識はコントロール可能なものだと思っている。なぜなら、脳とはまさにコントロールする器官だからである。したがって、その脳が「不自由」になったときにどんな事態が立ち現れるか、想像がつかないのだ。
ほかにも本書を読んで思い当たるのは、中長期的な思考や判断ができないことである。僕の場合は予定を立てて計画的に実行することができない。たとえば、僕は家で家事をやりながら仕事しているが、休みの日に妻から「洗濯して」と頼まれる。これは簡単だ。ところが、平日の夜に「洗濯物が溜まってるから明日洗っといて」と頼まれると、かなりの確率でできない。やることはまったく同じなのだが、「明日の予定に組み入れる」になった途端、急に難易度が上がる。いつから始めていつまでに終わらせるか(普通はそんなこと意識せずにできると思うが)、それが思考できない。気がついたら夕方になっている。目の前のことをひとつひとつ処理していくのはできるが、To Doリストを作って優先順位をつけてやろうとすると、混乱して何をすればいいかわからなくなる。本書に出てくる建築デザイナーの女性と同じだ。あるスパンの中で自分の現在地がどこで、いま何をすべきかが思考できない。
だが、こんな僕でも誰かがタスク管理してくれれば、健常者と同じように仕事することができるのだ。いや、僕はもともとデザイナーで、デザインしたりこういう文章を書いたり、クリエイティブな作業なら普通の人より得意だという自負さえある。つまり、体の不自由な人でも適切な支援があれば社会生活が送れるように、脳が不自由な人にも支援が必要なのだ。だから、まずはその「不自由さ」を可視化すること。それによって不毛な自己責任論を終わらせること。それが本書の目指しているゴールである。
Posted by ブクログ
衝撃的だった。
福祉でカバーされない、グレーゾーンが売春や犯罪の餌食になるとは、知ってたけれど、生来の障害ではなく後天的にも「脳が不自由な人」にいつでもなりうるということが怖くなった。
脳機能障害は50歳以上ならかなりの確率で身近な問題だし、外傷によってもあり得る。
認知症でも同様のことが起きるから、この先を考えてしまう。
ただ、ずっと調べているけれど、良い対策がない。成人後見人などは正直使えないし、自分の認知機能が衰えたときにどのように、自ら福祉にアクセスしたり、お金を管理すればよいのだろう。少なくとも、犯罪からは守りたいが、合法的な保険、高額商品の売り込み、ほぼ詐欺のようなリフォームや古物商の営業からはどのように身を守れば良いのだろう。。。。
不自由な脳
・集中できない
・短期記憶障害
自分ができること>できないこと ⇒できることに集中して、必要なサポートを受ける
適度な依存 少し助けてもらうだけで、プラスではなく掛け算でできることが増える
一人でできることが減る=人に頼らないといけない
だが、家族やパートナーも本人を心配するがゆえに、助けどころか追い詰めてしまうこともある。
答えがない、けれど自分ごととして考えていかないといけない。
著者が高度脳機能障害を経験しているからこその内容で、「我々」という言葉を使っているのが印象的だった。
Posted by ブクログ
約束を破る、遅刻する、だらしないといった貧困当事者にありがちな特徴。貧困は働かない本人の自己責任だと自身も思っていた著者が脳梗塞で高次脳機能障害になる。すると、やろうとすることがどうやってもできない、脳が働かない焦りと不安の中で、貧困者たちの言うことが今の自分の症状と同じであることに気づく。身体の障害と違って見た目ではわからない。サボりではない。やりたくてもできない不自由な脳を理解し、貧困者への周囲の支援を訴える。
かなりシリアスな本である。著者は脳梗塞という病気がきっかけで脳が不自由になる。貧困者の中には同様の病気でなる人もいるだろうが、生立ちやDVなどがきっかけで発症する人もいるそうだし、普通に働いていて発症する人もいる。それを著者は脳疲労と書いている。
実はこれ、至って軽度だが私も心あたりがあります。仕事をしていてこのような症状が出て焦り、不安になり、働く気力をなくしたのです。たいした脳ではありませんがあまり使わずに生きたいものです。
Posted by ブクログ
以前も紹介した鈴木大介さんの本です。
今回は、ざっくり言うと「こんな脳みその具合だから、働かないのではなく働けないのだ」という本でした。
精神疾患、精神科通院歴のある方、発達障害などを持つ方がどうして働けないのかを色んな事例で示してくださいました。
「不自由な脳」の持ち主は高確率で貧困に陥る。正しくです。制度に繋がるのも難しく(人間関係だけではなく、書類上でも)働けなくなってしまったら、あっという間に貧困まっしぐらです。この本にも出てきましたが、書類を書けない方たち、ここに古名前を書いて…と指さしてもらわなくてはか書けないという方を読んで、双極性障害を持っていても私にはなかったなぁと思いました。先日も入院した母の保険の書類や、介護の書類などをそろえてきたので。
逆によくあるな。と思ったのが、脳疲労です。脳みそが疲れてしまって何も考えられなくなるのです。”頭の中の紅茶にミルクを落としたような”本当にこれで、ミルクティーではなく、ロイヤルミルクティーなんじゃないかというくらい白くなってしまいます。仕事から帰宅すると、私は廊下兼台所にへたり込んで、しばらくタバコを吸いつつぼんやりします。この時が”頭の中の紅茶に~”な状態になっていることが多いなぁと思います。
先延ばし癖があるから、締め切りの遠い書類を忘れがちになるという言葉を聞いたことがあります。すぐに出さなくてはならない書類なら、とっとと出せるのですがなまじ締め切りが遠いと、後からでいいや。と先延ばしにして結局忘れてしまうそうです。
こんなこんなの不自由な脳を持っている私たちのことを分かりやすい言葉であらわしてくださって、本当にありがたいなぁと思いました。
願わくば、世の多くの方がこの本を読んで「そんな人があなたの身近にもいるんだよ」ということを知ってもらえたらな。と思います。
Posted by ブクログ
高次脳機能障害になって理解できた、貧困取材対象者たちの不自由感。やる気がない・だらしない、ではなく、必死に頑張ってもできないのだと。制度の利用も困難。働けない脳を持った人々に、自己責任ではなく、どう対応し支援していくか。
当事者として書いてくれたこと、表現してくれたことが、社会にとって大きいと思います。
Posted by ブクログ
この本の中で印象に残った言葉・・・。
他者から信頼されたいのに、努力してもできないと自分を責めてしまう真面目なあなたこそが『本物のあなた』であり、自堕落でどうしようもないあなたは『あなた自身の本態』ではない(本文を引用した文章ではなく要約した概要です。)
そして、あとがきの一番最後、筆者の心の底からの一文です。
Posted by ブクログ
脳の機序が失われることにより働けなくなることがある、という実体験を基にした話。筆者の著書は昔からよく知っておりますが、まさかよりによってそんな方に脳の病気が襲いかかるとは、、、運命のイタズラというか、だらしないとされる貧困な方々の謎を解き明かす為に神様が与えた試練なのかもしれない、とすら思ってしまいました。とにかく動けなくなる、大事なことほど考えられなくなってFreezしてしまう、ということが脳の状態によってはあるということ。脳梗塞のようなはっきりした病気以外でも途中出てくる例では何となくゆっくりそういう状態になってしまう人も居るらしく、また勿論虐待などの影響でも同様の症状は出るようで、相変わらずやるせなくなりました。
Posted by ブクログ
オーディオブックで。先天的、あるいは後天的な脳の障害や、幼少期の生育環境が、適切な福祉にアクセス出来なくさせる要因になっている。また脳の障害は目に映らないため、健常者には改善する、という発想が生まれない。何にせよ楽をしたがるわたしたちだから、見えないものの悲惨さには考えが及ばないのだ。そうぞうりょく想像力を働かせなくてはならない。
Posted by ブクログ
本来、支援が必要とされる人が、自分からはなかなかそうした支援に繋がろうとせず、なぜそうなってしまうのかを筆者自身の経験も踏まえて考察している。周りから見れば怠けているだけのようにしか見えないことでも、実は脳の機能が著しく低下しているせいなのだと筆者は言う。もちろん、高次脳機能障害、脳性疲労、先天的な機能低下を一緒くたにすることについては疑問もあるが、筆者自身もその点に関しては慎重な態度を示している。大切なことは、ときに支援が必要とされる者が支援者の意に反した行動を取ってしまうが、それは脳の機能が低下しているが故に起きることである、という視点を支援者が持っておくことである。
当人の不安を減じることの重要性についても説かれており、そのために信頼できる他者との関係性が必要と筆者は述べているが、なかにはその段階で躓く者も一定数おり、そんなものがあったら苦労しないよと思う。
Posted by ブクログ
・高次機能障害の方がどのような不自由をしてるかが、分かった。確かに一般の人からは受け入れるのが難しいと思う
・どこまでが症状で、どこまでが甘えなのかも他者からは判断が非常に難しい。確かにあの人は実はそうだったのかもと思うような人はいた。そういう人にぜひ読んで欲しいと思ったが、おそらく読書もできないかもしれないと思った。
周りからはなぜ働かないのか?と思われているが、実は働けないのかもしれない。他者に理解されない苦しみが症状をさらに悪化させるケースはいくらでもあるだろう。
もし自分の子供がそうなった時は信じて接しようと思った。
・うつ病や、ホルモン系の病気、妊娠などでも同様の症状が起きる事は勉強になった
・110ページまでしか読んでいないが、他に読みたい本あるし、概略は掴めたと思うから、終了。また気になれば再購入する。損切りも大切
Posted by ブクログ
本書の趣旨とは違うかもだが、
脳が疲労して動かなくなるという状態は、ときどき自分の身にも起こることで、その状態が頻繁に起こるもしくは常にその状態というのは考えただけでそりゃ大変だなと
その人の人格ではなく、脳のせいなのだ、もしくはそういう病気なのだと考えてみると、いくつかしっくりくる事例も多くあるし、そういう人たちへの理解を深めると共に、自分の脳疲労への解像度を上げ、適度に休むことが大事
Posted by ブクログ
どこぞの作家さんの紹介に誘われてみた。
前提条件なしで入ったのは非常に良かった。自分が働きたくない原因を解明する本ではなく、脳の機能障害により働けなくなる現実があるんだよって話でした。
興味深いお話でサクサク読めた。何か見えていなかったものが見えてくるのではないかと言う予感がする。
知らないことを知ることは、世界が広がるにつながるんだなぁ。
Posted by ブクログ
どうしても遅刻する。約束を守れない。探し物に時間の経過を忘れる。仕事が異様に遅くなる。対話速度についていけない。重要課題を先送りする。問題に向き合えば何も行動できなくなる。頭の中で何がおきているかを説明できない。傍目には理解されない。…骨折していれば走れないように、脳の障害だから、出来ないこともある。努力が不足しているからではない。自己責任を問うよりも、寄り沿って考えてあげよう。あきらめるのではなくやれる方法を見出してみよう。病は突然やってくる。事故に遭うかもしれない。自分がそうなったらを想像してみよう。
「供給能力を棄損しても財政の健全化を優先する」「将来、放射性廃棄物の処理で困っても、今原発を動かした方がよい」…健全な脳どころか、人並み以上に頭脳が優れているとされるエリート達も含めてそう信じ込んでいる。GDPシェアが下がり続け、相対的貧困が止まらない国。「不自由な脳」が貧困につながる。脳の障害を知ることで、誰もが自分の脳には限界があることを気づかなければいけない。
Posted by ブクログ
以前から「最貧困」たる社会「弱者」についての本を出版されていた鈴木先生だが、脳梗塞から高度脳機能障害を患っておられたとは知らなかった。
ただそのせいで、「最貧困」者と面談していてどうにも共感しきれずにいた「社会不適合性」の原因が、脳の働きにあることを強く感じた。というか、実感した。というか、ほぼ体験した。
これは貴重なレポートだ。
従来から問題意識を持って取り組んでいて、しかもそこにしっくりこない部分があって、何の因果かそこに落ち込んでしまい、それを冷静に分析して表現することができる。
先天的であろうが後天的であろうが、脳機能に障害が発生すると、どうも共通して発現する症状があるらしい。
頭が重い。疲れる。
作業記憶域が使えない。
注意が維持できない。
自己表現的コミュニケーションが取れない。
不安が拭えない。
自己肯定感が持てない。
人が使えるエネルギーは一定であって、当然精神活動に使えるエネルギーにも限りがあるから、「正常」な状態で使わなくていいエネルギーを使わざるを得なくなれば、通常の働きに障害が出るのではないかと思った。
脳が働きたくても働けないのだ。
その結果陥る貧困。
これは痛い。
本の後半に行くと、それが社会や制度への怒りにも転嫁しているようだが、正直、だからどうなのだと思うところはある。
自己責任ではないよ。
それはそうだ。
だからどうなのだ。
自己責任でなければ、日々の生活に汲々としている「我々」が手を差し伸べなければならないのか?いつか自分もそうなるかもしれないから?
どうもその辺が難しい。共感しづらい。真っ直ぐ歩いていく人間は幸せになるべきだが、幸せでないのは間違っているわけではない。
制度としての福祉はあるが、不十分だという。不十分だろう。原資は税金であり、公平でなければならいのだから、枠に当てはめるようにするのは当然だと思う。
それに、そういう制度にたかる奴もいるからな。フリーライドは許せないという感情は当然だ。
新しい問題提起に是非なってほしい。
だが、その先に何ができるか、何をすべきかは別の問題であろう。
Posted by ブクログ
「最貧困女子」などの著者であるこの人自身が
脳機能障害を経験して初めて分かったという、脳の超短期記憶の障害、ワーキングメモリの枯渇、によって生じる作業不能やコミュニケーション不全について、書いてある。
そうなってしまった本人には、大変な状況だと思うが、そばにいる人が、それを助ける方法は、あまり考えにくい。
福祉制度が、実際にはかなり改善してきているという記載が、かすかな救いだ。
Posted by ブクログ
ここに書かれていることは、多分、いわゆる本書で言及されているような当事者たちと直接関わったことのない人には、なかなか理解が難しいかもしれない。
私は筆者の言わんとするところは非常によくわかる。実際そういう人物、事実に日々直面しているからだ。
ただ、残念ながら行政で支援にあたっている職員も、なかなか当事者の本質を理解できていないことが多い。支援にあたる職員が専門職である場合ももちろんあるが、いわゆる行政職であるにもかかわらず、支援の仕事の割り振りをされていることも少なからずあるからだ(そのことも一つ問題であるとは思うのだが、専門職という人材を確保するのが難しいという面は確実にある。募集しても人が集まらない)。
また本書にある通り、支援対象者本人の責にできないところに事象の原因があることがほとんどで、だからこそ支援者はなんとかしてその牙城を崩そうと試みるのだが、思いの外ハードルは堅牢だったりする。
本書内で書かれていることのほとんどはその通りと思うのだが、唯一生活保護の相談・申請に関する部分だけは、ちょっと違うかなという気がする。「まず相談」ではなく「申請」からできるように、と筆者は言うが、丁寧に状況を聞き取り、ニーズを正しく理解することなしに適切な支援は組み立てられない。なにも、申請をさせないために相談させるわけではない。ニーズをきちんと把握することが全ての支援の大前提。また生活保護を希望する人全てに均等に機会を提供するためには、それぞれの事情を勘案し、誰から見ても公平に支援が提供されていると納得してもらえるものでなければならない。
ただ、その「相談」という行動こそが、彼らにとってあまりにも難しいことは、これまでの経験からわかり過ぎるほどよくわかる。
本書を読んで考えたことは、やはりベーシックインカム、この制度こそが人々の生きる権利を公平に支える制度なのかも、ということだ。
理不尽な扱いを配偶者から受け、でも自身は精神疾患により生活を成り立たせるほど働くことはできず、でも障害年金をもらえるほどには重くなく、生活保護受給は止むに止まれぬ事情があって受給が難しい、離婚もできない頼れる親族もいない、という人がいる。こんなケースでももしベーシックインカムがあれば、利用できる制度と組み合わせて、配偶者と離れて自立することができる。
今のどうにもならない制度の不備を埋めるには、もしかしたらベーシックインカムが最善なのかもしれない。
Posted by ブクログ
ここで書かれている「働けない脳」の特性が、自分の脳にも少し当てはまっていると考えさせられました。
ただ、ここに紹介されている人ほどには今のところはなっていません。
ここに出てくる「脳の特性→貧困」という負のスパイラルに陥っている人たちの絶対数を減らしたいし、また貧困の程度も軽くしてあげたいなぁと思います。
間接的にも、この人たちの生活の質が向上するような何かを見つけて自分なりに取り組みたいです。
Posted by ブクログ
高次脳機能障害に陥った著者が「不自由な脳」とはどんなものかを解説している。
不安への過集中とか字を読めなくなるとか、疲れるとあるあるーと思って読んだ。しかしこれを乗り切れるかは周囲の人次第…つら…
Posted by ブクログ
脳機能障害になった著者が実際に体験した「働けない脳」「不自由な脳」の実態について書かれています。
私の周りにも約束を守れない、毎回遅刻をしてくるような人がいましたが、それはもしかしたら「だらしがない」訳ではなく、「働けない脳」なのかもしれない。
この本を読むまでは、そのようなことを全く考えたことがなかったので、新たな知見を得られて良かったです。
そして、将来自分も同じような状況に陥った時に、この症状の存在を知っているか否かで心の持ちようが大きく違ってくるような気がします。
Posted by ブクログ
自己責任ではない!
その貧困は「働けない脳」のせいなのだ。
ベストセラー『最貧困女子』ではあえて書かなかった貧困当事者の真の姿
約束を破る、遅刻する、だらしない――著者が長年取材してきた貧困の当事者には、共通する特徴があった。世間はそれを「サボり」「甘え」と非難する。だが著者は、病気で「高次脳機能障害」になり、どんなに頑張ってもやるべきことが思うようにできないという「生き地獄」を味わう。そして初めて気がついた。彼らもそんな「働けない脳」に苦しみ、貧困に陥っていたのではないかと――。「働けない脳=不自由な脳」の存在に斬り込み、当事者の自責・自罰からの解放と、周囲による支援を訴える。今こそ自己責任論に終止符を!
☆3つけてるけど3.5をつけたい。
歳とともに 脳が疲れるということを実感することが増えてきたような気がしています。
本が読めなくなる、ドラマの内容が入ってこない。そんな時はしばらく横になって 目を閉じて脳を休めるとずいぶん楽になるのでそうしています。
けれど、ここに書かれているのは休んで治るものでは無いんですよね。
不自由な脳の存在は 確かに一般の人からは受け入れるのは難しいだろうなと思う。判断が出来ないと思います。
この本を読んで 納得した方々がたくさんいるんじゃないかと思う。
私も歳を取るにつれ どんどん不自由な脳になっていくかもしれない…
出来る限り、気持ちに余裕を持って 他人と接するように心がけたいなと思いました。