あらすじ
京都までの約500kmを15日で踏破した江戸の人々。その健康を支えたのは豆腐に小魚、たくあんに米と、つましいながら理に適った食生活だった。現在では世界各国から注目を浴びる和食のルーツである江戸時代の食の内容とその効能を余すところなく紹介する。健康で楽しく、生活が自然と正される江戸めしのスゝメ。
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Posted by ブクログ
昔の人が食べていた物に興味があって買った本です。
お寿司の由来とか、昔は食べ物を手に入れりのに、たくさん歩いて買いに行ってたとか。
いまの便利な世の中に感謝する気持ちと、もっと日本食を食べたい気持ちがわいてきました。
大好きな一冊です。
Posted by ブクログ
これぞ現代の予防食。プレケアにつながる。カロリーオフや糖質オフなど負のイメージではなく、積極的に昔ながらの食材、メニューを摂る事を推奨する。
第四の消費にあったように「シンプル」「和回帰」の風潮があるため、これからの世代にとっては「江戸めし」と聞いて古臭いと思うよりも、逆に新しく、かっこいいモノ。自分の身の丈にあったモノと感じるはず。
・いまや世界の主要都市には必ず日本食レストランがあり、その数は24000軒にのぼる。
・1年に1度以上和食を口にする「和食人口」は6億人
・江戸近郊に住む農民たちが生業にしていたのは主に野菜作りだ。練馬大根や千住葱、谷中生姜、小松川の小松菜など
・朝四ッ時(午前10時)に食べる軽食が「四つめし」。昼八ッ時(午後2時)に食べるのが「八つめし」で、その名残が「おやつ」
・薄口醤油には料理の見た目を美しくしたいという、関西の人々のこだわりが感じられた。しかし、京都や大阪に比べ生魚を食べる機会が多い江戸の人たちにとっては
生臭さを消す香りと濃厚な味が必要だったため、濃口に比べて香りの弱い薄口醤油が根付かなかった。
・江戸前の海には隅田川、荒川、中川、江戸川、多摩川の5本の河川が流れ込んでいる。
八百八町の台所から流される天然の飼料がそれぞれの流域へと運ばれ、それを食べて太ったのが江戸前の鰻というわけだ。
・特に隅田川の岸には米蔵がずらっと並び、米俵を出し入れする度に米粒が川にこぼれ落ちる。この米粒を食べて育ったのが深川産の鰻で、当時から名品とされていた。
・行事食:正月のお節、1/7の七草粥、ひな祭りは夫婦和合を表すハマグリ、5/5端午の節句には家の繁栄を願って、枯れても葉が落ちない柏の葉を使った餅菓子を作る。
・花見の真の意味は、花弁と花粉を杯に受けて飲むこと。花粉には神様が宿っており生命力の象徴として考えられていた。
・1960年マグガバン・レポートの推奨食物:果物や野菜、穀物をなるべく未精製の状態で摂取すること
→米なら玄米、小麦なら全麦パンのこと。野菜や果物は素材本来の持ち味を食すこと
→つまり白米食が定着する以前の日本食(江戸めし)
・気づいていないだけで今でも私たちのまわりには江戸めしがあふれている
Posted by ブクログ
江戸時代の食事について知りたくて、手に取りました。
江戸時代の食事=素食
即ち、素材を大切にして、素材の栄養や味を最大限引き出していただく、素晴らしい食事だということがわかりました。素直に、おいしそうです。
日常に取り入れるヒントもたくさん紹介されていたので、早速メモって、冷蔵庫に貼り付けました。
「江戸めし」という表現が新鮮でいいな、と思いました。食生活改善にはネーミングもまた、大切ですね。
Posted by ブクログ
仮人さんからの頂き物2。ありがとうございます(゜∀゜)
「江戸煩い」と糠漬けの発明の項がなかなか面白かった。
日本食を好きな人がもっと好きになれる本。熱々の新米と漬物が食べたい!
Posted by ブクログ
今は欧米でヘルシーと言われてダイエット食になっている日本食は江戸時代に確立されたものでした。
世界で最初(?)の外食店と言われる料理茶屋の定番メニューの奈良茶飯、大豆や小豆、栗を醤油で味付けした煎茶でご飯を炊いたもの。川崎の万年屋が有名だったそうです。
江戸の女子に人気だったのが「芝居 こんにゃく いも かぼちゃ」だそうで、これも今に通じるかな?
独身男の多かった江戸時代に流行ったのが、屋台。すし、てんぷら、そばなどなど。広重の「二十六夜待ち」という浮世絵に沢山の屋台が描かれています。
江戸料理で一度食べてみたいのが「ねぎま鍋(ネギとまぐろの鍋」と「たまごふわふわ」
Posted by ブクログ
ま。素食。すすめてみますわ。
なんだか、今普通にご飯として食べているものが、
我々の感覚で言うところのマック的な存在だったと思うと、江戸の食文化がとても楽しく思えてきて、その文化や当時の町並みを想像するのが、とても楽しかったです。