【感想・ネタバレ】痛み、人間のすべてにつながる――新しい疼痛の科学を知る12章のレビュー

あらすじ

「痛み」の本質の理解はここ十数年で大きく変わった。17世紀のデカルト以来、「痛みの経路」で多くを説明しようとする古いパラダイムが浸透していたが、最近は脳神経科学と認知心理学を組み合わせた巧みな実験の数々によって知見が深まり、痛みに対処するためのさまざまな実践的アプローチが視野に入ってきた。痛みは脳でつくられるが、その存在は脳の中だけに閉じてはいない。脳・身体・痛みの関係の本質が新たな常識になれば、より多くの苦痛を軽減することにつながる。本書が啓蒙するのは神経科学以上にそうした本質の認識であり、読み終わるとたしかに、「痛み」と自分の関係が変わっている。本書では痛みのきわめて多様な側面が取り上げられる。持続性の痛みに対処するために必要なのは、全体論的アプローチだからだ。痛がる脳の最新科学、情動や共感の役割、痛みの社会性、「無痛」の研究、鎮痛薬以外の対処法の展開(認知行動療法から編み物セラピーまで!)……すべての章が、痛みについての新しい理解の扉を開いてくれる。痛みはあなたを保護する仕組みであり、当事者が痛みに対して主導権を握ることで、痛がる脳はダイナミックに変えられる。読者に手渡されるのは、この知識の力だ。

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ

痛みに関して、脳神経学や認知心理学もふまえた最新の解説

「痛みは脳がつくるものであり、わたしたちの安全装置兼守護者であり、組織損傷の通報者ではない」というこれまでの常識を覆す内容
膝の外科手術のプラセボ効果については知っていたが、オープンラベル・プラセボは驚いた
持続痛には編み物が良いらしいが、今後医療や製薬業界がどう変わることができるか

感覚に対する認識が変われば、情動や思考や社会や文化まで全てに影響を及ぼす思われるが、そういった意味では革命的な内容であるかもしれない

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2025年08月07日

Posted by ブクログ

目から鱗の本です。痛みはダメージによる直接的なリアクションではなく、脳が作り出す感覚である、というエビデンスベースで示された最新の疼痛医学が、多くの持続性の痛みに悩む人の痛みだけではなくQOLの改善への道標となることを願います。私自身の経験や知見ならも、納得感がある内容でした。慢性痛に悩む人に本書を薦める価値を感じました。

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2025年06月29日

Posted by ブクログ

痛みとは組織損傷の尺度と一般的にみられているし、医師もそのように考えている。その方が説明しやすいという点もあるがそうだとすると組織が治癒したにもかかわらず持続する痛みは心因性と処理されて厄介なものとしてしか扱われない。
しかし、痛みには身体の末端から脳まで伝わる痛みの信号というのはなく、侵害受容器、侵害信号というのもがあるだけで、それを受けた脳が痛みを作り出しているだけである。
痛みは安全装置であり、免疫系などと協力して、身体を危険から保護する役割を担っている。持続痛などは継続的な痛みに脳がオーバーヒートしている状態であり、保護装置が適正に働いていない脳を適正な状態に戻すための対応が必要であり、ここでは催眠、編み物、痛みの知識を患者や対応する医療関係者が持つ必要が、痛みからの回復のため必要である。
また痛みは、老化を促進し、寿命を縮める。

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2025年03月20日

Posted by ブクログ

齢を重ねると毎日どこかしら痛い。痛みはどこから来て、どこかに消えていく可能性はあるのか?誰もが願う痛みからの回避に昨今の研究は進んでいると感じた一冊。

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2025年02月24日

Posted by ブクログ

あらゆる痛みについての研究がわかりやすく紹介されている。痛みは脳の錯覚かも?(だから持続痛も痛みがないと覚えさせれば治るなど)とか、体を守ってくれるために大切、編み物セラピー(集中力、マインドフルネス)とか!おもしろかった!

p.117 注射恐術症をもつようになった子どもは予防接種を避けるばかりでなく、血液検査や歯の治療、献血などもしないらしい。

p.176 その後の研究では、人間でもこのような痛みの伝染”が起こることがわかっている。しかも、(第7章でも述べたが)この他者の痛みへの共感と理解は、見知らぬ人が痛がっているときにはずっと弱い。モーギルのチームは、私たちは知らない人に対してかなりのストレスを感じるため、知っている人ほどには共感できないことを示した。知らない人と向き合うとストレスホルモン(グルココルチコイドという)の産生量が増え、それによって共感能力が低下するのだ。さて、この課題はどうすれば克服できるだろう?二
〇一五年に、モーギルと彼のチームはある有効な方法を発見したーそれは音楽ゲーム「ロックバンド」だ。モーギルらの研究では、自分以外の誰かの身体的な痛みに対する共感は、見知らぬ人に対しては弱まるが、ストレスホルモンを薬理学的にブロックした状態ではそうならないことが確認された。いっそう重要なのは、知らない人でも一緒に「ロックバンド」をほんの一五分プレイービートルズになったつもりでコントローラーのギターをかき鳴らしたり、ドラムをたたいたりしすれば、元知らないどうし”の二人が互いに痛みの共感を示すようになったことだ。いうまでもないが、研究者らのねらいは私たち皆に「ロックバンド」を買いに走らせることではない。望まれているのは、持続痛を抱えて生きる誰かのもとを訪ね、お茶を飲みながらおしゃべりをすること。一緒に田舎の散歩に出かけたり、編み物をしたり、トランプで遊んだりすることだ。それから、相手を励ますように、心を込めて身体に触れることにも強力な鎮痛効果がある。ぎゅっとハグをすることの威力を侮ってはいけない。意味のある人づきあいは痛みを抱える人々のためになるが、痛みに悩んでいない人々も気づきを得られ、その痛みを理解できるようになる。双方ともにストレスが減少するのだから、これは血圧や免疫系の機能、心の健康に加え、他者、特に知らない人に向けて好意や寛大さを示す上で得策以外の何ものでもない。
人と行き来することは往々にして薬物療法よりも有効だ。この種の介入は簡単かつ安上がりで、それにかかわる人は皆恩恵を受ける。慢性痛の患者さんに対する医療従事者の接し方は変わらなければならない。そして幸い、政府機関や医療施設もそのことに気づいている。「社会的処方」といって医療従事者が患者さんを地域の支援やサービスにつなげる取り組みが、いくつかの国で浸透しはじめていむ。とはいえ、孤独を感じている人、孤立している人の手助けをするのは私たちひとりひとりの責任だ。新型コロナウイルス感染症の世界的流行を受けて誰もが孤立の現実を経験したいま、相対的には短かったが実際にそんな時間をともに過ごしたことで、めいめいが社会の中で慢性的に孤立し、孤独な人たちを気にかけるようになっているよう願いたい。
社会的不公正があるところには、いつも不必要な痛みが生じる。アメリカ全土における膨大な救急外来件数を調べた二〇一六年の研究によると、黒人の男女が来院した場合に鎮痛剤を投与される可能性は

心をひとつに
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白人の患者の半分だった。運よく鎮痛剤をもらえたとしても、その投与量は白人患者にくらべて低い傾向があった。また、黒人の子どもが虫垂炎で来院したときに中等度の痛みに対する鎮痛剤や重度の痛みに対するオピオイドが投与される可能性は、白人の子どもよりもはるかに少なかっ加。しかしながら、同じくらい気がかりなのは、こういった格差を引き起こす思い込みや偏見がどこまで及んでいるかだろう。この点については、バージニア大学の社会心理学者からなる創意に富んだチームにより、近年多くのことが明らかにされている。彼らが行ったある研究では、六〇〇人を超える全米大学体育協会(NC
AA)所属の医療スタッフを対象に、前十字靱帯を断裂した学生選手に関する症例研究を配布した(なお、その選手が黒人であるか白人であるかは無作為に割り当てた)。スタッフらはまず、このケースについていくつかの質問に答える。その中には選手の痛みを1から4までのスケールで評価することも含まれる。続いて、「象徴的レイシズム尺度」Symbolic Racism 2000 Scaleの項目に基づく質問がなされる。これは偏った意見(たとえば「実際問題として、一部の人は努力が足りないということだ。黒人がもっと頑張りさえすれば、白人と同じように経済的に成功できるだろう」というような文章)にどの程度同意するかによって回答者の人種的態度を測定する尺度だ。各項目のレイシスト的な意見に強く同意すればするほど、回答者のスコアは低くなる。結果は、平均的に見ると医療スタッフは黒人選手の痛みを白人選手の痛みよりも弱いと評価した。また意外なことに、各スタッフの人種的態度と黒人選手の痛みに対する認識とのあいだに関連はなかった。「ひじょうに肯定的な人種的態度を示したスタッフでも、そのような〔黒人の痛みを低く評価する〕傾向がうかがえた」と研究論文の著者のひとりであるソフィー・トラワルターは述べている。この偏見は選手がけがをした直後に感じた痛みをめぐってのもので、痛みから回復する段階においては見られなかった。つまりスタッフは、黒人は白人にくらべて痛みを感じにくいと考えはしたが、よりうまく痛みに対処できるとは考えなかったようだ。この研究は、社会構造によってもたらされるこういった偏見がなぜ存在するかの解明には至っていないけれども、それが確かに存在していることをはっきりと示している。

p.188 スレイター教授のチームは、どういった手法や薬剤が実際に乳児の痛みを緩和できるのかを神経機能画像を用いて調べるアプローチを切り拓いている。このチームはまた、処置に先立って赤ちゃんの皮膚に麻酔クリームを塗布すると、EEGに現れる痛みに関連した電気的活動が減少することも発見して。
しかし、すべての鎮痛薬でプラスの効果が得られているわけではない。同じ研究チームでは、未熟児で生まれた乳児について、血液検査や眼底検査など痛みを伴う処置の前にモルヒネを投与すると痛みを緩和できるかを評価しようとしたこともあるが、残念ながらプラセボと比較して痛みを低減する効果がまったく見られなかったばかりか、モルヒネに関連した副作用のために、試験を早期に中止しなければならなかっ樋。この研究は規模が小さく、あまり多くの結論は引き出せないことには注意したい。だが、研究チームは、簡単に使え、費用もかさまず、ローテクかつ副作用ゼロの鎮痛薬を確かに見つけた。それは手で触れることだ。私たちは皆、安心させるように撫でられたり軽くたたかれたりしたときの、気持ちがなごむ心地よい感覚を知っている。なお、撫で(られ)ることをめぐる科学は十分に確立されている。たとえば、もし読者が完璧な肌と肌との触れ合いを目指しているなら、相手の肌を(くれぐれも先方の了解を得た上で)秒速三センチメートル程度のスピードでそっと撫でてみてほしい。こうすると、皮膚に存在し、社交的な使いタッチに関連する僧号を脳に伝達する「C触覚線維」が活性化されお。大人はこのように撫でられると、短期的な痛みにおいて本人が知覚する痛みを軽減できお。グルスル博士は、乳児でも同じようなことが起こっているかを確かめようとした。そこで侵害刺を与える直前に赤ちゃんの皮膚を秒速三センチメートル(最適スピード)、または秒速三•センチメートル(速すぎ)で動くブラシで撫でるか、あるいは一切撫でずに刺数を与え、経過を観察した。すると、最適スピードで撫でた場合に赤ちゃんの痛みに関連した脳活動は減少するが、対照群二群でそのような変化はないことがわかった。この結果は、優しく安心感を与えるようなタッチは乳児の痛みを本当に緩和できるという確につながる。タッチによって乳児の脳にポジティブな情報が送り込まれ、安心だという印象を与えていることは明らかだ。またこれは、未熟児で生まれた赤ちゃんと直接肌を触れ合わせること(「カンガルーケア」として知られる)から、年齢を問わないマッサージまで、タッチには現実に健康上のメリットがあることを示す多くのエビデンスにも連なる。乳児の痛みに関する私たちの理解は、それ自体はまだ未熟ながら、新たな旅を始めようとしているすべての人間の不必要な苦しみを取り除ける可能性に大きな期待を抱かせるものだ。
痛みは社会的な意味をもっている。社会によって傷つけられている人ー孤独な人、疎外された人、声をもたない人々ーでは、そのことによって痛みも悪化しがちだ。社会の構造が痛みを悪化させている手段が環境や心理を操る拷問者のやり方と同じだというのは注目に値するが、もしかしたら当たり前のことなのかもしれない。孤立や屈辱、威嚇、抑圧、不公平などは抽象的な概念のように思われるけれども、これらはいずれも身体的・情動的な痛みの経験をいっそうひどくする。痛みは安全装置であることを踏まえれば納得できるだろう。つまり、痛みは安全によって鎮められ、脅威によってあおられる。
新しい痛みの理解を通して、私たちは弱い立場にある人に目を向け、虐げられている人たちに手を差し伸べたくなるはずだ。痛みは私たちを愛に導くものでなくてはならない。

p.196 二、三教えてくれる。そのひとつは、これらの差はとても複雑かつ流動的なものだと理解する必要があり、背景的な事情に基づく集団の一般化や個人に対する決めつけは絶対にすべきではないということだ。
二〇一四年に発行されたある看護学の教科書はこの点でひどい間違いをおかしている。痛みの宿念に関する文化的な差を扱った節にある記述を二つ(だけ)挙げてみる。「ユダヤ人は声高に意見を主張し、なんとかしてくれと訴えてくるかもしれない」「黒人は[中略]苦しみと痛みは避けられないと思っている」ー教科書の意図にかかわらず、こんな表現は差別的で誤りだ。またこれが仮にただひとりであっても看護師の見解に影響を及ぼすとしたら、危険でもある。この件は当然ながら大騒動となり、出版社は教材を回収して謝罪した。民族的・文化的集団を比較しようとするなら、それは尊敬や異文化理解を育てるような方法でなされなければならない。さらに理想をいえば、この多様な社会に暮らす人全員が痛みに対処する上で役立てられるようなものであるべきだ。痛みに対する文化的態度にはかなりの幅がある。たとえば、私自身の痛みに対する「文化的態度」は、おそらく私の弟のそれとはまるっきり違うだろう。私は医者で、弟は軍人なのだ。私たちは何よりも、「人々」のことを「ひとりひとりの個人の集合」ととらえる必要がある。また二つ目として忘れてはならないのは、皆それぞれに個人ではあるけれども、ひとつの国の中で民族的・文化的な少数派に属する人々は明らかに慢性痛になりやすく、痛みにつながる不当な扱いも受けやすいということだ。したがって、社会として、少数派の疎外を減少させることは何であれ追求されなければならない。

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2025年09月04日

Posted by ブクログ

痛みは脳が感じる仕組みだけでなく、プラセボ効果/錯覚、マインドフルネス/アクトなど様々なことをまとめている良書です。

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2025年06月02日

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