あらすじ
普通の人間にとって実践可能な人生の真の生き方とは何か。明治27年夏期学校における講演「後世への最大遺物」は、人生最大のこの根本問題について熱っぽく語りかける、「何人にも遺し得る最大遺物――それは高尚なる生涯である」と。旧版より注・解説を大幅に拡充し、略年譜を新たに付した。「デンマルク国の話」を併収。改版(解説=鈴木範久)
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Posted by ブクログ
後世への最大遺物
本居宣長は「やまとごころ」を知るために、まず『源氏物語』を読むことを勧めた[柄谷行人『憲法の無意識』]のと対照的に、文脈が異なるけれども「後世への害物」であると一蹴したのは印象的に感じた。その文脈とは平野啓一郎氏が、小説を文字通り「小さく説く」ものと考えたように[平野『小説の読み方』]、誰もが書きたいように《着飾ることなく》かいた文を文学として理解しているのだと感じた。
根底には、すべての人にとって後世に残す「最大の」ものとは生涯そのものとする考え方がある。成果を《物》として残せる者も残せない者も、どんな生き方をしたかに勝る偉大なものはないという主張は説得的であると同時に、内村の優しさと信仰心を感じた。
デンマルク国の話
シュレスヴィヒ・ホルスタインを奪われたデンマークが宗教心を梃子にして復興したという話。植林事業はダルガスが引っ張ったが、デンマーク人の信仰があってこそである。不正確なところがあるかもしれないが、フロイトの攻撃欲動が内に向けられ文化を形成した例として理解した。
人口の増加により環境収容力を超えるのではないかと懸念されている中、土地を奪うのではなく様々な技術発展が人口を支えている。しかしながら、内村が依拠した「天然の無限的生産力」は信仰にとどまるものなのか、遺伝子組み換えは「神」を否定するものなのかと考えたが、ナンセンスだろうか。
Posted by ブクログ
「私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起ってくる。」「われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少しなりとも善くして往こうではないか」
ここの部分はすごく共感。こういう人生を送りたい。
「では何を遺すか、遺しやすいことは、お金<事業<思想(文学・教育)<勇ましい高尚なる生涯」
ここから受け取ったのは、お金・事業・思想も大事だけど自分では100%コントロールできないが、「勇ましさ」は、自分でコントロールできることなのでここにフォーカスすることが大事ということを感じた。
Posted by ブクログ
■ひとことで言うと?
信念を貫いて生きる姿勢こそ、後世への最大遺物である
■キーポイント
- 後世に遺せるもの
- お金・公的事業・思想(著述と教育):遺すためにはある程度の才能が必要
- 勇ましく高尚なる生涯=生き様:どんなに不遇な状況でも遺せる最大遺物
- 「勇ましく高尚なる生涯」の選択 → V.E.フランクルの「態度価値」に通ずる考え方
Posted by ブクログ
母校の先輩でもある内村鑑三曰く、人生をかけて後世に残すべき(わかりやすい)ものは「金か、思想か、事業か。」
とはいえこの3つは誰もが遺せるものではない。内村鑑三はこう言う。
この3つよりももっと尊きものがある。それが人生だ。
高尚なる人生はだれにでも遺せるチャンスがある。
とにかく善く生きろと。
Posted by ブクログ
我々は後世へ何を遺すことができるのか。内村鑑三曰く、後世への最大遺物は「勇ましい高尚なる生涯」であるという。金や事業、思想も後世への遺物と言えるが、これらは万人にとって遺すことが容易なものではなく、一種の才覚が必要とされる。しかし、高尚なる生涯は誰しもが希求することができ、後世に遺すことができる。まずは自分にとっての、「高尚なる人生」とは何かを考え、働きかけることが重要。