あらすじ
普通の人間にとって実践可能な人生の真の生き方とは何か。明治27年夏期学校における講演「後世への最大遺物」は、人生最大のこの根本問題について熱っぽく語りかける、「何人にも遺し得る最大遺物――それは高尚なる生涯である」と。旧版より注・解説を大幅に拡充し、略年譜を新たに付した。「デンマルク国の話」を併収。改版(解説=鈴木範久)
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Posted by ブクログ
内村鑑三はキリスト教の人というイメージがあったが、(歴史で2つのJと習ったため)、そんなに宗教の匂いはしない。
講演が上手かったということがテキストからも何となく分かる。
自分の人生を最大限に使って生きること、それ自体が後世に遺すことができる最大の遺物なのである。という考えにはかなり胸が熱くなる。
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自分はつねづね、生きている人・死んでいる人を掛けて
人間には4パターンあると考えています。
生きていて、生きている人
生きていて、死んでいる人
死んでいて、生きている人
死んでいて、死んでいる人
ここで具体的に持論の内容を展開するのは意味のないことなので
必要のない箇所の説明までは省きますが、
この作品を指す意味では3番目の『死んでいて、生きている人』
に対する掘り下げがなされているとイメージできました。
いわゆる、自分の肉体がなくなっても意志が人々に受け継がれ、
後を生きる人たちの心の中に『存在』が生き続ける、
イエス・キリストは言わずもがな、一部の歴史的な偉人は
それを信じるものの心に宿り、今に伝わるものとなっています。
この明治27年にキリスト教徒の夏期学校で、教壇に立った内村鑑三氏は、
後世になんらかの物や意志を残すうえで、その形の在り方に対する考えと、
偉人より運や才能に恵まれていない普通の人が、自分の意志を
未来に引き継ぐ為には、どんな取り組み方をすれば良いのか、
大まかに分けてこの二軸で語りかけてきます。
あくまで当時の世相と宗教をバックに照らし合わせての論評なので、
源氏物語を一方的に否定のベクトルで断じたりするシーンは、
少し行き過ぎの感はあると思いますが、おおむねここで言われている内容は、
今でも通じる普遍的な内容が多く、単に人間として当たり前のことを
しているだけでなく、その後を生きる人たちの為に、良い影響を与える
ものを生み出す為に取り組むこと、その重要性を説かれています。
ここは、少し前に読んだ福沢諭吉の、学問のすすめにも通ずる所です。
講義の中では、代表的日本人である二宮尊徳や、イギリスの思想家である
ジョン・ロックが引き合いに出され、彼らは一代で自分たちの意志を
すべての人に伝え、遂行することはできなかったものの、
その身が亡くなっても、現代にまで人々の心に存在が生き続けている、
実に見事な好例として挙げられています。
とはいえ、なかなか一般人には偉人と同じ基準で生きろと言われても、
厳しいのが実情です。
『シーザーを理解するためにシーザーである必要はない』と思います。
では果たして自分たちは後世になにが残せるのか、内村鑑三氏は
結びに、ほんの少し心がほぐれる様な、解決策を投げかけてくれます。
自分は、仮にこの講義を受けた出席者となっていたとしたら、
帰り道にはおそらく、来る時より少しだけ軽い足取りで
『偉人も自分自身も、一歩一歩の確かなまっとうな道のりを
歩んでいくうえでは同じものだ』
こんな風に思ったはずですし、周囲にいる人の顔もイメージができます。
この先、自分が『死んでいて、生きている人』になれるかどうか、
まずは生きながら、誠実に目の前のことに取り組みたいと思います。
続くデンマルク国の話については、内容は短いものですが、
デンマークが敗戦後に国土を失ったことをバネにして、
その後に国力を高める姿を説くものとなっていて、ここでは
日本が第二次世界大戦で敗戦して、その後に辿るべき模範となるべき道を、
何十年も前から予行演習したかのようなものとなっていて、
これはまた読み応えのあるものでした。
著者には他に有名どころで、代表的日本人という作品があるそうですが、
これもまた近く目を通してみたいと思います。
Posted by ブクログ
後世への最大遺物
本居宣長は「やまとごころ」を知るために、まず『源氏物語』を読むことを勧めた[柄谷行人『憲法の無意識』]のと対照的に、文脈が異なるけれども「後世への害物」であると一蹴したのは印象的に感じた。その文脈とは平野啓一郎氏が、小説を文字通り「小さく説く」ものと考えたように[平野『小説の読み方』]、誰もが書きたいように《着飾ることなく》かいた文を文学として理解しているのだと感じた。
根底には、すべての人にとって後世に残す「最大の」ものとは生涯そのものとする考え方がある。成果を《物》として残せる者も残せない者も、どんな生き方をしたかに勝る偉大なものはないという主張は説得的であると同時に、内村の優しさと信仰心を感じた。
デンマルク国の話
シュレスヴィヒ・ホルスタインを奪われたデンマークが宗教心を梃子にして復興したという話。植林事業はダルガスが引っ張ったが、デンマーク人の信仰があってこそである。不正確なところがあるかもしれないが、フロイトの攻撃欲動が内に向けられ文化を形成した例として理解した。
人口の増加により環境収容力を超えるのではないかと懸念されている中、土地を奪うのではなく様々な技術発展が人口を支えている。しかしながら、内村が依拠した「天然の無限的生産力」は信仰にとどまるものなのか、遺伝子組み換えは「神」を否定するものなのかと考えたが、ナンセンスだろうか。
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「私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起ってくる。」「われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少しなりとも善くして往こうではないか」
ここの部分はすごく共感。こういう人生を送りたい。
「では何を遺すか、遺しやすいことは、お金<事業<思想(文学・教育)<勇ましい高尚なる生涯」
ここから受け取ったのは、お金・事業・思想も大事だけど自分では100%コントロールできないが、「勇ましさ」は、自分でコントロールできることなのでここにフォーカスすることが大事ということを感じた。
Posted by ブクログ
ありがちな人生論と思って読み始めたが、骨太な仕事論、そして現代の起業論にも直結する恐ろしく本質的な名講演だった。
日清戦争の海戦直前という不安定な時代に、生きることの意味を、内村鑑三は「金→事業→思想」そしてさらなる最大遺物の観点から、ユーモア交えながら語り明かす。
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キルケゴールの国デンマークに、内村が自然な関心を寄せたことが想像できる。資源のない小国の偉大な物語に日本の姿を重ね合わせ大いに勇気づけられただろう。敗戦国は滅びない、必ずしも惨めではない、からしだねほどの信仰が有れば山をも動かすという内村のうちにあった神の啓示は、奇しくもその後の日本が辿る道をを予見していたかのようだ。
Posted by ブクログ
100ページ程の本で、すぐに読めてしまう本ですが、書いてあることはとても深いです。
澤地久枝さんか、大江健三郎さんかどちらかが、この本のことに触れていたので、読んでみました。
「私は何かこの地球にMementoを置いて逝きたい、私がこの地球を愛した証拠を置いて逝きたい、私が同朋を愛した記念碑を置いて逝きたい。」
と内村鑑三は言います。では、それは何か。
お金か、事業か、思想か・・・。
誰にでも達し得る最大遺物は
勇ましい高尚なる生涯。
では、その「勇ましい高尚なる生涯」とはどのようなものか。
この世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずること、
失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずること、
この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈り物としてこの世を去るということ。
と内村鑑三は言います。
簡単にできることではない。でも、そのような生涯を歩もうと決意し、その一歩を踏み出したいと思う。
『デンマルク国の話』もとてもよかったです。
これは、デンマークが1864年の戦争に負けて、ドイツとオーストリアに南部最良の2州を割譲。
戦いは敗れ、国は削られ、国民は意気消沈、窮困の極みに達したデンマーク。
そこに、ユグノー党出身のダルガスという男が、残されれた不毛の地に樅の木を植え、国土を豊かにしていった。
ダルガスの友人は言いました。
「今やデンマークにとり悪しき日なり」
ダルガスは答えます。
「まことにしかり。しかしながらわれらは外に失いしところのものを内において取り返すを得べし、君らと余との生存中にわれらはユトランドの曠野を化して薔薇の花咲くところとなすを得べし」
他人の失望するときに彼は失望しませんでした。
彼は彼の国の人が剣をもって失ったものを鋤をもって取り返さんとしました。
今や敵国に対して復讐戦を計画するにあらず、鋤と鍬をもって残る領土の曠漠と闘い、これを田園と化して敵に奪われしものを補わんとしました。
と内村鑑三はこのダルガスを評しています。
そして、この話は我々に何を教えるのか。
戦敗必ずしも不幸にあらざることを教えます。国は戦争に負けても滅びません。実に戦争に勝って滅びた国は歴史上けっして少なくないのであります。国の興亡は戦争の勝敗によりません、その民の平素の修養によります。善き宗教、善き道徳、善き精神ありて国は戦争に負けても衰えません。否、その正反対が事実であります。牢固たる精神ありて戦敗はかえって善き刺激となりて不幸の民を興しま
す。デンマークは実にその善き実例であります。
天然の無限的生産力を示す。・・・善くこれを開発すれば小島も能く大陸に勝るの産を産する。ゆえに国の小なるはけっして嘆くに足りません。これに対して国の大なるはけっして誇るに足りません。・・・外に拡がらんとするよりは内を開発すべき。
信仰の実力を示す。国の実力は軍隊でも軍艦でも、金でも、銀でもない。信仰である。
『後生への最大遺物』でそれは、「勇ましい高尚なる生涯」だと述べた内村鑑三。
そして、『デンマルク国の話』でのダルガスは、さまにその生涯を歩んだのだと思う。
この『デンマルク国の話』は、1911年の講演で話されました。
1911年と言えば、日清戦争、日露戦争に勝利して、日本は沸きたっていたのではないでしょうか。
そんな時に「国の興亡は戦争の勝敗によらず、その民の平素の修養による」と言い切る内村鑑三は、やはりすごい人だと思う。