あらすじ
普通の人間にとって実践可能な人生の真の生き方とは何か。明治27年夏期学校における講演「後世への最大遺物」は、人生最大のこの根本問題について熱っぽく語りかける、「何人にも遺し得る最大遺物――それは高尚なる生涯である」と。旧版より注・解説を大幅に拡充し、略年譜を新たに付した。「デンマルク国の話」を併収。改版(解説=鈴木範久)
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Posted by ブクログ
題名で手に取ったところ講義録で想像と違ったが、パラパラめくるとなかなか興味を惹かれた。
人生で何かを遺すという思考は昨今下火で、なんならその熱さは敬遠されるようにさえなっていると感じていたが、整備された川ひとつとっても遺物であり、もう少し身近なものとして考えてよいものだと認識を改められた。
著者は大変話の上手い人で、
「文学はわれわれがこの世界に戦争するときの道具である。今日戦争することはできないから未来において戦争しようというのが文学であります。」
など直接講義形式で聞いてみたかったと思う。
言葉づかいは少し難しいが、最後まで楽しんで読めた。
Posted by ブクログ
文体が少し古く読みづらいが、内容は古さを感じさせないものであった。
後世に何を遺すべきか、お金を稼ぐ/つかう、事業を興す、書物や教師として思想をのこす、それぞれに長けた人はそれらの方法を取ることができるだろうが、そうでないものにも勇ましい高尚なる人生、生き様をのこすことができるだろう、といった内容。今の時代、今が楽しければいいいいよね、といった感覚で、自分が後世に何を遺せるかという視点で生き方を考えずにいる人も多いのではないかとも思い、現代の人が本書を読む意義は一定程度あるのではないかと感じた。
Posted by ブクログ
古本屋で見かけて読んでみた。明治27年に内村鑑三がキリスト教徒の集会で後世に何を残すかを講演した記録。わかりやすいし内容もすばらしい。
後世に残すものは、金、事業(土木工事)、思想ときて、結局は「勇ましい高尚なる生涯」こそが最大という結論。キリスト教徒だから信仰・伝道・隣人愛などの生涯かと思いきや、武士道・意地・義侠心の生涯を説いているのがおもしろい。
(p74から引用)
しかしそれよりもいっそう良いのは
後世のために私は弱いものを助けてやった、
後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、
後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、
後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた、
後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた・・・
(p70から引用)
メリー・ライオン・・・(中略)・・・実に日本の武士のような生涯であります。彼女は実に義侠心に充ち満ちておった女であります。彼女は何というたかというに、彼女の女生徒にこういうた。
他の人の行くことを嫌うところへ行け、
他の人が嫌がることをなせ
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あとこれは主題とは直接関係ないが、高知出身の下女が三日月に豆腐を供える話がかわいらしい。webで調べたら栃木県の神社には残っているようだが全国的には廃れた風習。三日月信仰自体が廃れたようだがなぜだろう。
(p51から引用)
その女は信者でも何でもない。毎月三日月様になりますと私のところへ参って「ドウゾ旦那さまお銭を六厘」という。「何に使うか」というと、黙っている。「何でもよろしいから」という。やると豆腐を買ってきまして、三日月様に豆腐を供える。後で聞いてみると「旦那さまのために三日月様に祈っておかぬと運が悪い」と申します。私は感謝していつでも六厘差し出します・・・
Posted by ブクログ
教科書でしか名前を知らなかった方の本を初めて読みました。
よくわからないというのが正直なところ。
時代の空気(キリスト教にたいして)ってどんなんだったのかな。
Posted by ブクログ
我々が後世に残すことのできるものを論じた本です。以下4つを後世に残す事ができるものとしてあげており、
1.金
2.事業
3.思想
4.勇ましく高尚な生涯
4つ目の「勇ましく高尚な生涯」を最大遺物と述べています。著者が言うように無数の方々の生涯が今を生きる我々に良い影響を与えているのは確かです。弱きを助け、艱難に打ち勝ち、品性を修練し、義侠心を実行し、情実に勝つという普遍的に大切であり、かつ困難な行動を続ければ、それは後世に繋がり、実りをもたらすという勇気付けられる話でした。
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天文学者ハーシェル:わが愛する友よ、我々が死ぬときには、我々が生まれた時より世の中を少しなりともよくして行こうではないか
後世へ我々の残すものの中にまずは一番に大切なものがある。何であるかと言うと金です。我々が死ぬときに遺産金を社会に残して逝く、己の子どもがに遺して逝くばかりでなく、社会に残していくと言うことです