あらすじ
すべての人が真理を見いだすための方法を求めて、思索を重ねたデカルト(1596-1650)。「われ思う、ゆえにわれあり」は、その彼がいっさいの外的権威を否定して達した、思想の独立宣言である。本書で示される新しい哲学の根本原理と方法、自然の探求の展望などは、近代の礎を築くものとしてわたしたちの学問の基本的な枠組みをなしている。[新訳]
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デカルトが行ったこと
デカルトを知る第一歩として読んだ本。解説が丁寧で, 哲学の知識が乏しい初学者にもお勧めの1冊。通勤の間に1章ずつ読んでいたらあっという間に読み終わっていました。何度も読んで, デカルトがこの方法序説にて伝えたかったことを咀嚼していこうと思います。
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間違いなく名著であろう。知とは何か、真理を追究するとは何かについて考えさせられた。自身がなぜ知を追究しているのか、人生の目的ごとよく考え直したいと思う。言葉は平易で読みやすいが、かなり重厚な内容であるため、何度か読みたい。
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方法序説
著:デカルト,R.
訳:谷川 多佳子
岩波文庫 青613-1
1637年ラテン語で発表された本書は、教会からの迫害を恐れて、無名のまま発表された。
当時は、宗教界の圧力は強く、生前には本人の名を出すことはできなかったようだ
我思う故に我有り:コギト・エルゴ・スム
逆説のようですが、完全なる神の理念が中心と理解しました。
つまり、論理の世界から神、神学が除外されるのは、ニーチェの「神の死、神々の死」を待たなければならないです。
用いる言葉をすべて、定義することはできず、哲学的な考察については、厳密性に欠け、行間を含めて、論理に飛躍があるが、哲学とは、完全性を証明するものではなく、「知を愛する」ということでよいでしょうか
気になったのは、以下です。
・きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながら道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる
・理性すなわち良識が、わたしたちを人間たらしめ、動物から区分する唯一のものである
・良書を読むことは、著者である過去の世紀の一流の人々と親しく語り合うようなもので、しかもその会話は、かれらの思想の最上のものだけを見せてくれる、入念は準備のなされたものだ。
・一人で闇のなかを歩く人間のように、きわめてゆっくり進み、あらゆることに周到な注意を払おう
そうやってほんのわずかしか進めなくても、せめて気を付けて転ぶことないように、とわたしは心に決めた
・全生涯をかけて自分の理性を培い、自ら課した方法に従って、できるかぎり真理の認識に前進していくことである
・ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に謝りとして廃棄すべきであり、その後で、わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうかを見極めなければならない、と考えた
・われわれの持つような感情と欲求を持ち、そうして真の人間を構成するためには、理性的魂が身体と結合し、より緊密に一体となる必要があることも示した
・わたしは生きるために残っている時間を、自然についての一定の知識を得ようと努める以外には使うまいと決心した。その知識は、そこから医学のための諸規則を引き出すことができるようなもので、それらの規則はわれわれが現在までに持っている規則よりももっと確かなものである。
■デカルトの論理
・「我思う故に我有り」
この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられると判断した。
・わたしは、一つの実体であり、その本質ないし本性は考えるということだけにあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない
・考えるためには存在しなければならない
・わたしたちがきわめて明晰かつ判明に捉えることはすべて真である
・完全性の高いものが、完全性の低いものの帰着であり、それに依存するというのは、無から何かが生じるというのに劣らず矛盾しているからだ。
・そうして残るところは、その観念が、わたしよりも真に完全なある本性によってわたしのなかに置かれた、ということだった。
・つまり、一言でいえば、神である本性だ。
・わたしの本性に可能なかぎりで神の本性を認識するためには、わたしのなかに何らかの概念が見出されるすべてのものについて、それを所有することに完全性があるかないかだけを考察すればよかったからである
・神のうちにある一なる完全性ではありえずしたがって神は合成されていない
だがもし、世界に何らかの物体、あるは、知性的存在者、あるいは、他の本性があって、それらが、完全無欠でないとすれば、それらの存在は神の力に依存しているにちがいなく、そうなると神なしには、一瞬たりとも存在できないと。
・多くの人が、神を認識することにも、自分たちの魂が何であるかを認識することにさえも困難があると思い込んでいる。
イメージを思いうかべられないものは、すべて、かれらには理解できないと思われるからである
そもそも、感覚のうちになかったものは、知性のうちにはない。
・結論として、われわれの観念や概念は、明晰かつ判明であるすべてにおいて、実在である
実在であり、神に由来するものであり、その点においても、真でしかありえないことになる
目次
方法序説
第一部
第二部
第三部
第四部
第五部
第六部
訳注
解説
ISBN:9784003361313
出版社:岩波書店
判型:文庫
ページ数:160ページ
定価:570円(本体)
1997年07月16日第1刷
2014年02月14日第29刷
Posted by ブクログ
読みやすいと聞いたので読んでみた。「我思う故に我あり」のところまでは確かに読みやすかった。道徳についての第三部の、第二と第三の格率が特に興味深かった。とにかく前に進み続けること、そして、自分にコントロールできる部分を重視するということが。
Posted by ブクログ
我思う故に我ありということばが有名で、様々な人が引用していたデカルトの著書を初めて読んだ。
原著は難解だとばかり思い込んでいたけれど、この本はとても読みやすく、すんたり頭に入ってきた。
1600年代にこんなにも視野広くいろんなことを考えている人がいたのかと驚いた。
人の解剖に関する考察もどれも鋭く、学ぶべき考え方がたくさんあったし、人に対する見方で、多くの人が真理を求めるのではなく自分の正しさを証明するための会話をしているという指摘や、過去の偉人たちの批判を聞いて、偉人たちはその時代にあった素晴らしい人たちで尊敬するに値するほど深い思考力を持っている。
だから、批判している人は、その人のことを本当に理解できないのではないか?だから、自分は原著を自分で読むことにこだわった。と。
こういったことは今現代にも通じており、改めて意識しておきたいと思った。
Posted by ブクログ
ポッドキャスト「日本一楽しい哲学ラジオ」のデカルトシリーズを聴いてから読んだので、斜め読みで内容確認。当時の時代背景などが判らないと難解だったり合意しかねない部分もあるが、その点で上記ポッドキャストを聴いて背景を理解してたのですんなり読めた。
Posted by ブクログ
3/10再読✅
個人的に5部は一回読めば十分な気がしました。キリスト教的な考えが色濃く、すこし同意しかねます。
しかし、1〜3部は人生をよりよく生きるにあたって必要な方法が述べられていて定期的に読み直しが必要だなと思いました。
また4部では神の存在についてデカルトの考えが論理的かつ実践的に書かれているので面白いです。
6部は5部と同様それほど重視しなくてもいい気がしますが、自分で真理を発見することの重要性、またそれまでの習慣や経験に価値があると述べられている点については、貯金や筋トレ、勉強習慣と似ているなと感じ、そこはぜひ読んでほしいです。
また、全体を通して「善き理性」「無知の知」が述べられており、前世代のプラトン(ソクラテス)的な考えが垣間見えて面白いです。
あとやっぱり古典は普遍的なことを言っているものが時代を超えて残っており、現代でも十分通用するので古典読書は大切だなと実感しました。
Posted by ブクログ
考えることを考える
薄いけど内容の濃い本だった
今を生きる私からすると動物の理性の部分とかはうーんと思うところもあったけれど、全体的に現代ってデカルトの時代と大差ないんだなと思った
テクノロジーは進化していてもね
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初めてこんなに難しい本を読んだという印象
自分がバックボーンを知らないのか、翻訳が間違えているのかと思うほどであった
ただデカルトの思想や物の見方の片鱗は感じられたので再読してみたいと思う
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近代の原点 理性主義
書物の学問では1人の良識ある人間の推論の方が多くの手によるものよりも真理に接近しやすいと彼が述べているのがかなり意外であった
Posted by ブクログ
開始: 2024/5/1
終了: 2024/6/18
感想
哲学の基礎。しかし本人は哲学とは思っていない。後の世の皮肉。しかし偉大な著書の運命なのかもしれない。著者の手を離れた本。歩き出す。
Posted by ブクログ
集合知や研究の進め方など、現代に通じる考え方が既に確立されていたのだと感じた。独りよがりな主張も垣間見えるが、そこも含めやはり天才だと思った。
Posted by ブクログ
第3部、第2の格率が実践的に有益だと感じた。
自らの言動が、他を害することのないようにする姿勢を強く感じた。
それは、ガリレオなど、当時自らの論を恐れずに発表した人々の断罪を目の当たりにしたからなのかもしれない。
疑い深く、ある意味で臆病なデカルトであったからこそ、この時代にこうして知恵を授かることができると思うと、有り難く感じる。
「通常の協力」という概念が新鮮で興味深く感じた。
未知数をxy...と置く記号法がデカルトのものだと知り、驚いた。
第2部、明証性、分析、総合、枚挙の、4期則については、自らの道具とするほどに理解できていないように感じたので、時間をおいてまた再読し、実践を試みたい。
Posted by ブクログ
有名な方法序説。「コギト・エルゴ・スム」実際はJe panse, donc je suisといのはまあいい。
ようやく読めました。
著名がゆえに構えていたものの、文体は易しい(翻訳のおかげかも)し、内容もだいたいは簡潔。読みやすくてびっくりした。
とっつきやすい一冊。中学生でも読むことは可能だと思う。
内容の理解は難しいけれど、読むのに易しいから取り組みやすい。
デカルトのいう神の存在がどうしても僕には明晰判明なものとは思えなかった。明晰判明にしようとするともやがかかってします。先入観による拒絶だろうか。
デカルトの論理をいつかじっくり解きほぐしてみたい。
Posted by ブクログ
「我思う、ゆえに我あり」
デカルトと言えばこのフレーズ。本書がその出典。
哲学哲学しているかと思ったが、ページ数も少なく意外と読みやすく感じた。
ただ1回だけでは理解が進まず、特に後半は神との対話のような辺りが苦しんだ。
相互理解のアプローチでは、同じものを見ても思考が異なるから意見が分かれるのであって、理性の有無には関係ないとしている。
デカルトが意識していたのは、
・極端を嫌い中道を選ぶ
両極端では修正幅が大きいため
・一度決めた意見に一貫して従う
フラフラ脇道にそれず同じ方向に進む方が結果
的に到達が早い
・最善を尽くしても手に入らないものは諦める
いくら良くても自分の力の外にあるものは深追
いしない
何も難しいことばかりではなく、日頃からちょっと意識するだけで幸福度があがる要素ばかりだ。
前例踏襲を疑い、外見ではなく基礎や成り立ちを重んじ、先人達の礎の上に努力を重ねた発展を謳うことは現代の行き過ぎた結果主義、効率主義への警鐘とも感じた。
自然科学や数学、幾何学など様々な角度から導き出した真理。過去の偉人の思考力、探究心には驚かされる。
Posted by ブクログ
デカルトのアプローチはとても勉強になるなと思った。
他人の築き上げたものに拠るばかりでは完成度の高いものは作れない、というのは納得感がある。自分自身も、当然だと思っていた資本主義とか、必然的に存在してしまうものと捉えていた格差とかについて再度捉え直そうとしているところなので、信念を捨て去るのが向いてない人のタイプや三つの格率の話は心に留めておこうと思った。
形而上学やスコラ哲学の知識がなく、神の存在とかどうでも良くない?と思ってしまっている自分にとっては、神の存在証明はイマイチ理解しきれなかった。
Posted by ブクログ
デカルト41歳での著作。デカルトが求めた生き方、考え方の徹底ぶりはすごいと思った。思想の根底に、一人だけで苦労して仕上げた作品ほどの完成度は、たくさんの部品を寄せ集めて作り、いろいろな親方の手を通ってきた作品にまさっているということ。極限まで考えたどりついた「われ思うゆえにわれあり」デカルトの哲学はあまり理解できなかったが、思考をすすめるプロセスの4つの規則 1注意深い。即断、偏見をっさける。2小部分への分割 3順序、単純→複雑 4見直し
読書についての姿勢も触れられていた。一度決めた以上、一貫して行うことも大切。
Posted by ブクログ
哲学者といえば堅物で世間と違う自分を正当化しているイメージだったが、デカルトは自分なんかよりも更にずっと上の視点から世間を見ていた事を知った。
ただし神の存在証明は何度読んでも循環論法になってしまう様に感じてしまった。
Posted by ブクログ
まちづくりの在り方や、生物学的な事例から自らの思考、考える道筋を解き明かそうとしたもの。今の自分では、あまり頭に入ってこなかった。後日、再チャレンジかな。
Posted by ブクログ
デカルトが考える学問へのアプローチと生き方を述べた本である。言葉選びが難しく、解釈するのが難しい。主観的な話が多く、万人がより良い人生を生きるために書いた本ではないと感じる。自分語りの一種ではないだろうか。
ただ、デカルトは「われ思う、故にわれあり」の名言を残した有名な人物であるので、参考にはなると思う。
自分なりに噛み砕くと、デカルトは以下の意見を述べている。
・不要なことで他人に時間を奪われるべきではない
・自分が信じる道を行く(芯を持つ)
・思想や発言はどんなに有能な人に伝えても相手が自分なりに解釈を曲げてしまう
・人から教えてもらうより自分で感じる方がより正確である
Posted by ブクログ
意外と庶民的な感覚を持っているんだな、という地点から繰り広げられる知的無双に笑いが込み上げてきた。
すごいことは分かるんだけど、当時の常識を共有できていないからいまいち目を輝かせることができない。この方々が私の価値観を涵養したため、もはや当たり前として昇華してしまっている可能性もある。
ところどころで歯切れが悪くて、今のSNSに似ているなと思った。
Posted by ブクログ
「我思う故に我あり」で有名なデカルト著。
ちなみに「我思う故に我あり」は本書で登場する。
100頁ちょっとの物理的には薄い一冊。
ただ内容的には1回読むだけでは吸収しきれないはどの分厚い内容。
今回読んだ中で一番面白かったのは、
「真でないいかなるものも真として受け入れることなく、一つのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば、どんなに遠く離れたものにも結局は到達できるし、どんなに隠れたものでも発見できる、と。」
という一文。
この一文は、4つの規則という形で記載されているけど、1つ目の規則である「わたしが明証的に真であると認めるのでなければ真として受け入れないこと」は中々出来てないので意識していく。
400年近く前にフランスで書かれた本に気付きをもらうというのはとても面白い。
Posted by ブクログ
人間は生まれながらにして、永遠不変の本質を知っている。プラトン
感覚的な経験を積み重ねていくことで、普遍的な知識・判断を導き出す。個々の経験・事実からそれらに共通する一般法則を求める。経験派は蟻の流儀で集めては使用する。合理派は蜘蛛の流儀で自らのうちから出して網を作る▼物事を認識するとき、偏見・先入観を持つな。人のもつ目の錯覚、独りよがりの主観(狭い世界)、うわさ話・聞いた話、伝統・権威の盲信(先生・本が言ってた)に気を付けよ▼経験に基づく知識を使えば、人間は自然(人間を取り囲む環境)を支配できる。F・ベーコン『ノヴム・オルガヌム』1620
経験なんて疑わしい。目の錯覚や感覚は人を欺くかもしれない。今は正しくても100年後も正しいとは限らない。どんな経験も夢かもしれない▼ただ疑っている自分の精神はたしかに今ここにある。この疑いのない精神が、合理的な推理・推論・論証によって一般法則を見つけ出す。経験や観察に頼らずとも、私たちには物事を正しく判断し、真偽を識別する力がある▼平行な2つの直線は交わらない。善悪の区別。完全と不完全の違い。美醜の判別。これらは人間が生まれながらに持っている知識であり、経験によって得たわけではない▼人間の理性の裏付けは神。神は世界を創造した。世界は神の理性に支配されている。人間の理性は神の理性からもたらされる。だから、人間はこの世界の法則を認識できる。客観と主観は一致している。世界や自然は、数学的な秩序として、人間の意識や主観の外に独立して存在している。ルネ・デカルト『方法序説』1637
人間は生まれたばかりだと何も書かれていない書板だ(アリストテレス)。白紙に文字を書くように、経験を通じて、さまざまな事物の観念を手に入れていく。いかなる人間の知識も、その人の経験を超えるものではない。無数の観念を組み合わせて、複雑な観念の知識を獲得していく。ジョン・ロック『人間知性論』1689
真っ暗闇だと、人は近くに何かあっても見えない。物はその人が知覚しなければ、その人にとって存在していない。自分が知覚していなくても、他人が知覚していれば、その他人にとって物は存在している。誰も知覚していなくても、神は見ているため、存在できる。ジョージ・バークリー『人知原理論』1710
「私」は知覚(五感)が集まって束になったものであり、「私」という実体はない▼自分が見ているコップ(主観)と実際のコップ(客観)が一致するとは限らない。ずっとコップは見えているものだから、人間はコップの存在を習慣的に信じるようになる。皿を落とした。割れた。その経験を何度も繰り返すと、「皿を落としたから割れた」と因果関係を理解するようになる。因果関係は経験(習慣)による思い込みであり、自然界には存在しない。客観的な因果関係は存在しない。いかなる因果関係も真理ではなく、どのくらいか確かなのか、確からしさだけがある。ヒューム『人間本性論』1739
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宗教とは、人が孤独の状態にあるとき、ある神的な存在と自分は関係していると感じさせる行為・経験。ウィリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』1902
Posted by ブクログ
1637年に刊行された「我思う、ゆえに我あり」で有名なデカルトの書籍。屈折光学、気象学、幾何学の論文と抱き合わせで出す計画だった?あらゆる学問を一通り履修した結果、いずれも不確実で堅固な基盤を持たないと感じて、自分でその基盤を考えてやると走り出した人。神の存在とかを議論している。若干拗らせている感じ…
Posted by ブクログ
この手の本にしては薄く(が、タイトル通り、何かの序文らしいので、本当は夥しい文量なのだろう)取っ付きやすいので手に取った。しかし、やっぱり難しい。われ惟う…に辿り着けたのは良かった。
この「われ惟う」って空海とかで出てくる仏教の唯識論に似ていますよね?と思うと、東洋哲学は1000年以上前に同じ議論をしており、先進度合いが凄いなあと思う。
Posted by ブクログ
哲学って世の中をそれぞれベクトルは違えど偏屈な捉え方したものだと思ってたけど、デカルトの考え方はすごく庶民的かつ曲解が感じられないからなんとなく分かるなぁと思えた。医学の部分は発展して発見が多いからちょっと違う部分もあるけどそれもまたその当時の医学の見え方が知れて面白かった。文章が入ってきづらくて読むのに時間がかかったけど最後まで読めた達成感あるからいいや笑
Posted by ブクログ
子供の頃に読んだ時に衝撃を受け、何年もして再読。匿名で出されていることを知った。
近代学問の基礎を築いたデカルトが、どのようにしてそれらのもっと学問探究を進めていったかが方法論として語られており、「容易なことから探究し、次第に困難な事象を解いていく」やり方や有名なコギトエルゴスムの考えが示される。
自然学が発展しつつもまだ宗教勢力に押し殺されていた当時の時勢に対し、デカルトが自身の研究内容をどう出していくかというスタンスについても書かれており、哲学書でありながら彼の思いのような部分も垣間見える所が、どこか好ましくも感じる。
Posted by ブクログ
何か一回分かりやすく噛み砕いたものを読んだり見たりしてから、読んでも良いかも。
個人的には終盤につれてよく理解ができなかった。
というより割と一気に読み通さないと理解ができないかも。
少なくとも部ごとでは読まないとわからない。
もう一回何かしらの解釈を理解してから読み直そうと思う。