Posted by ブクログ
2020年05月12日
20200512
1637年、デカルト41歳の処女出版「理性を正しく導き、学問において真理を探求するための方法の話【序説】加えて、その方法の試みである屈折光学、気象学、幾何学」全500ページの大著の内、冒頭の78ページが「方法序説という序文」なのだそうだ。後の歴史が選択した通り、あらゆる哲学的思考の...続きを読む根幹を成した彼のこの「基本姿勢」は、人類の叡智を直線的に紡ぎ積み上げる大構想・ビジョンに満ちている。決してお籠りさんで独りよがりではなく、自ら旅に出て体感し体験し、考えた末に打ち建てる真理。同時に、人間臭く未熟で不安で内省的。人間デカルトは本書において度々、お茶目な側面も垣間見せている。
ー良い精神を持っているだけでは十分でなく、大切なのはそれをよく用いることだ
ー大きな魂ほど、最大の美徳とともに、最大の悪徳をも産み出す力がある
ーきわめてゆっくり歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる
ー旅にあまり多く時間を費やすと、しまいには自分の国で異邦人になってしまう
ー真らしく見えるにすぎないものは、いちおう虚偽とみなした
ー【四つの規則】1.明証: 注意深く即断と偏見を避ける、2.分析: よりよく解くために必要なだけの小部分に分割する、3.総合: 思考を順序にしたがって導くこと、4.枚挙: 完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、何も見落とさなかったと確信する(デカルト「精神指導の規則」)
ー【四つの格率】1.わたしの国の法律と慣習に従うこと、良識ある人々にしたがって自らを律する、中庸、2.自分の行動において、できるかぎり確固として果断であり、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うこと、3.運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めること、4.最善の仕事を選ぶ、全生涯をかけて自分の理性を培い、自ら課した方法に従って、できうるかぎり心理の認識に前進していく
ーあらゆる極端は悪いのが通例であり、穏健な意見は行うのにいつもいちばん都合がよく、おそらくは最善である
ー旅人は、あちらに行き、こちらに行きして、ぐるぐるさまよい歩いてはならないし、まして一カ所にとどまっていてもいけない。いつも同じ方角に向かってできるだけまっすぐ歩き、たとえ最初おそらくただ偶然にこの方角を選ぼうと決めたとしても、たいした理由もなしにその方角を変えてはならない。というのは、このやり方で望むところへ正確には行き着かなくても、とにかく最後にはどこかへ行き着くだろうし、そのほうが森の中にいるよりはたぶんましだろうからだ。
ー「必然を徳とする」自分の力の範囲内にあるものは思想だけしかない、ほかのものごとにたいするあらゆる執着を脱することで、自らをはるかに豊かで、力にみち、自由で、幸福だと考えた
ーすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない
ーコギト・エルゴ・スム: わたしは考える、ゆえにわたしは存在する【ワレ惟ウ、故ニワレ在り】(中略)どんな身体も無く、どんな世界も、自分のいるどんな場所も無いとは仮想できるが、だからといって、自分は存在しないとは仮想できない。反対に、自分が他のものの真理性を疑おうと考えること自体から、きわめて明証的にきわめて確実に、わたしが存在することが帰結する。逆に、ただわたしが考えることをやめるだけで、仮にかつて想像したすべての他のものが真であったとしても、わたしが存在したと信じるいかなる理由も無くなる。(中略)わたしは一つの実体であり、その本質ないし本性は考えるということだけにあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない
ー「そもそも感覚のうちになかったものは、知性のうちにはない」(デカルトは、哲学者ですらそうだ、と批判している)
ー今までわたしが学んだわずかばかりのことは、わたしのまだ知らないことに比べればほとんど無に等しい
ーほかの人から学ぶ場合には、自分自身で発見する場合ほどはっきりものを捉えることができず、またそれを自分のものとすることができない
(以下、訳注より)
ー「知者は運命のただなかで魂をみがき、運命を脱する」「神は時を征服しても、知者の幸福までは征服しない」(セネカ「書簡」)
ー実体: 「存在するために他のいかなるものも必要とせずに存在するもの」(デカルト「哲学原理」)それは本来神だけであるが、デカルトは、神に創造された実体として、精神と物質の二つを認めた