あらすじ
日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年
元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴く!
本書は、書名から明らかなとおり、日本人に根付いている「日本人特有の法意識」をテーマとする。私は、裁判官として三十三年間に約一万件の民事訴訟事件を手がけるとともに、研究・執筆をも行い、さらに、純粋な学者に転身してからの約十三年間で、以上の経験、研究等に基づいた考察を深めてきた。この書物では、そうした経験をもつ者としての、理論と実務を踏まえた視点から、過去に行われてきた研究をも一つの参考にしつつ、「現代日本人の法意識」について、独自の、かつ多面的・重層的な分析を行ってみたいと考える。
法学者・元裁判官である私が、法律のプロフェッショナルですら満足に答えられないような曖昧模糊とした「法意識」に焦点を合わせた一般向けの書物を執筆したのは、日本固有の法意識、日本人の法意識こそ、私たち日本人を悩ませる種々の法的な問題を引き起こす元凶の一つにほかならないと考えるからだ。
そればかりではない。意識されないまま日本人の心理にべったりと張り付いた日本的法意識は、日本の政治・経済等各種のシステムを長期にわたってむしばんでいる停滞と膠着にも、深く関与している可能性がある。その意味では、本書は、「法意識」という側面から、日本社会の問題、ことに「その前近代的な部分やムラ社会的な部分がはらむ問題」を照らし出す試みでもある。
この書物で、私は、日本人の法意識について、それを論じることの意味とその歴史から始まり、共同親権や同性婚等の問題を含めての婚姻や離婚に関する法意識、死刑や冤罪の問題を含めての犯罪や刑罰に関する法意識、権利や契約に関する法意識、司法・裁判・裁判官に関する法意識、制度と政治に関する法意識、以上の基盤にある精神的風土といった広範で包括的な観点から、分析や考察を行う。
それは、私たち日本人の無意識下にある「法意識」に光を当てることによって、普段は意識することのない、日本と日本人に関する種々の根深い問題の存在、またその解決の端緒が見えてくると考えるからである。また、そのような探究から導き出される解答は、停滞と混迷が長く続いているにもかかわらずその打開策が見出せないでもがき苦しんでいる現代日本社会についての、一つの処方箋ともなりうると考えるからである。
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Posted by ブクログ
裁判官としても学者としても長年経験のある著者が書いた日本人の法意識について本。
欧米、特にフランスとの比較が多い。
家族法の話が大変興味深かった。
国連の拷問禁止委員会でアフリカの委員から「日本の司法は中世並み」と批判された話が出てくる。えー、でも自国の治安は中世以下じゃない?なんて「それとこれとは関係ないだろう!」とキレられそうな感想を持ってしまった。人質司法と批判される我が国の刑事裁判。カルロス・ゴーンが逃亡したことは、まだまだ記憶に新しい。
日本は江戸時代以前、権利という概念がなく個人の私権が重視されなかったという。現実の環境に応じて柔軟に対応する状況主義の法思想だ。これがギリシア哲学やキリスト教に根源を持つ西欧の法体系と異なる。
「不思議の国のアリス」の話が例として出てくる。最後のシーン、アリスが裁判にかけられるところで裁判の不備をアリスが「ナンセンス」と言い切る箇所がある。アリスの7歳6ヶ月。7歳6ヶ月でも裁判の仕組みが分かっていて当然なのだ、と筆者は言う。
対して日本では現在、大学生くらいにならなければ裁判の仕組みを学習しないのではないかと書かれている。日本では上から下に下るものとして(お白砂の上で奉行が下す、ような)人々の意識に根付いているという。しかし江戸時代、子どもでも裁判の仕組みを教わっていたし、農民も武士を訴えるような訴訟もあったと著者は言う。唯々諾々と農民は従っていたわけではなく、集団で訴え、その方法を次代に受け継ぐことをやっていたのだ。なんだか今の「訴えてやる」という啖呵がいかに裁判というものが人々の生活の外にあるものかを示しているのではないかと思った。
離婚についての意識について書かれている箇所は非常に面白かった。当事者の合意のみで離婚できるという仕組みは世界的に見れば珍しいらしい。それが個人の自由を尊重していると思われるかもしれないけれど、蓋を開けてみれば、離婚時の強者のいいなりになるしかない、ということになるという。もう関わりたくないから、慰謝料も養育費も取らずに離婚した、って話は私も聞いたことがある。著者の友人がフランス法をよく知っているという関係でフランスとの比較がこの章では多いのだが、例えばDV被害者である妻が子どもを連れて夫から逃げる、ということがある、とする。日本では実家、友人、知人宅に逃げ込む、ということしか出来ないが、フランスでは裁判官が「DV保護命令」接触禁止、被害者の医療費負担と住居裁定(加害者費用負担)、住居所の秘匿と連絡先を弁護士等にする許可、親権行使、面会交流、婚姻費用(生活費)の分担等について定める…などなど当事者以外が関わることがたくさんある。これについて筆者は家裁専門裁判官を多数養成するくらいの抜本的改革が必要だと主張する。
子の福祉を本当に欧米並みに考えるなら、それくらいの改革は必要だろうな、と思う。フランスでは子の福祉侵害としてDNA鑑定には刑事罰が科されているという。どんなときでもか、かは分からないけれど。日本では子が生まれれば手厚い保護保障によって基本的に順調に育っていくことが可能という前提が整っていない、と書かれていた。私もそれはその通りだと思うし、それが整っている国がある、ということなのだろう。
刑事裁判についての法意識についても書かれている。全くもって「推定無罪」が浸透していない。2004年の村木厚子さんの冤罪事件も記憶に新しい。検察官の証拠捏造という極めて異例な事態だが、同じことが袴田さんの事件でも言われているのだ。検察官が裁判官を下に見ているような書き方を著者はしている。検察官のチェック機能が欠落しているのだ。
日本人の法意識は訴訟に親和的ではなく、法的リテラシーが未熟であるという。訴えられたら、とか、訴えてやる、とか思っていたとしても、どうしたらいいか分からない、何をどこから手をつけたらいいのか分からない、どれくらい費用がかかるのか分からない、そんな人が多いのではないだろうか。ちょっとずつでも、これが裁判になったらどうなるんだろう、とか、なぜこの冤罪事件は発生したのかとか、を自分の身の上に当てはめてみて考えるのがいいのではないかと思った。