あらすじ
私たちは言葉を通して世界やそこに住む人々とかかわり、ともに暮らしている。でも、言葉はときに誤解やトラブルの元にもなる。言葉は、私と世界とをつなぐメディアなのか、はたまた両者を隔てるバリアなのか。そもそも、「言葉を発する」って何をすることなのだろう。本書はこれらの問いから出発し、言葉を旅していく。SNSをはじめ、言葉に振り回されがちな日常の中で、言葉と親しくなり、より自由につきあっていくための一冊。
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Posted by ブクログ
かなり面白い本!!
紀元前のプラトンの著作には今に至る問題がすでに述べられている。
p39
「彼は、その著作のひとつ『パイドロス』の終盤に、次のような神話を書き記している。
エジプトの古い神々のひとりであり「技術の主」であるテウトは、数学や天文学、将棋や双六など、さまざまなものを発明して人間に与えたが、なかでも注目すべき発明は文字である。テウトは神々の王タムスに対して、文字を覚えることによって人間の記憶力と知識(知恵)は高まるのだと誇る。
しかし、タムスはこれに納得しない。(略)
人は文字を覚えると、書かれたものに頼るようになる、と。つまり、情報を自分の頭のなかに記憶する代わりに文書や書物に刻み込むようになり、それを思い出すときも、新たに学ぶときも、そのつどそれらを探し、それらを参照して済ますようになる、ということだ。
そうやって記憶を外部化するにつれて、人は記憶力の訓練を怠り、物事を深くきちんと知ろうとしなくなる。その結果、情報を知識として自分のものにしていないにもかかわらず、表面上は物知りのように見える人間ができあがってしまう。自分の頭で自在にものを考えることができず、本当の意味での知識をもたない、過大評価とうぬぼれだけが高まった人間になってしまう、というのである。(プラトン『パイドロス』岩波文庫)」
ひーー!これわたしのことじゃん!
p111に、ある地域に住む、ある会社に所属する、ある部活に入る、といったときに、そこで日常的に用いられている方言や用語を一切使わずに過ごすのは困難だと書かれているが、わたしもそう思う。だからドラマなので自分の出身地の方言を違う地域で話し続けるキャラクターには違和感を覚える。いつも、実際にはあり得ない…と思いながら観ている。
共同体の言葉の習得は大事だが、注意点もあると。
・発話の「主体性の喪失」と「責任放棄」
・表現や思考の平板化
なんでも「すごい」で済ませるとき、表現だけでなく思考自体が単純で平板になっている。
p132 「きわめて複雑に交錯する語彙の蓄積があるがゆえに、私たちは、関連し合う言葉動詞を比較し、複数の似通った言葉のあいだで迷い、自分の意志でひとつの言葉を選択することができる。よく似た言葉のあいだでなければ、迷うことも決めることもできないのだ。その意味で、自然言語の語彙の途方もない複雑さこそ、私たちにとって祝福すべき重要な財産ーーまさしく文化遺産ーーなのだと言える。
私たちはときに、主体性を失い、何に対しても同じ言葉をなんとなく周囲と同じように発しがちになる。しかしれそれは、表現が単純で貧しいものになるというだけではなく、同時に物事の見方や考え方自体も平板なものになってしまうことを意味する。そうした状況を避けるためには、まずもって、自然言語に蓄えられた豊富な語彙のネットワークという重要な資源が必要なのである。」
p133 「たとえば、自分のいまの心境や他社への感情に注意を向ける際、「むかつく」「いらつく」「きもい」といった、それ自体としては曖昧な言葉だけを、しかも平板な仕方でしか用いることができないのであれば、自分の心について、その分だけ漠然とした相貌しか見いだせないことになる。なんかむかつく、なんかいらつく、あいつはなんかきもい、といった具合だ。こうした解像度の低い曖昧な認識では、自分の心がいまそうしたネガティブな状態にある原因も対策も具体的に見えてこないし、他者についても、大雑把にただ否定的にとらえることしかできないだろう。」
ただ、母語の多種多様な語彙を深く学ぶということは、時代錯誤な価値観や倫理的に問題のある価値観を内面化しかねない。これは伝統を受け継ぐことにまつわるさらなる注意点で、それを避けるには、複数の言語のあいだを行き来することが大事だという。それにより自分の見方の特殊性や問題点に気づけるから。
あるいは外国語の勉強も物事の新しい見方の獲得につながるという意味をもつ。
正宗白鳥「一つの外国語を学ぶのは一つの新しい世界を発見したことになる」
フンボルト「ある外国語を習得することは、ほんとうはこれまでの世界観においてひとつの新しい立場を獲得することであるはずである」
温故知新も大事なこと。
たとえば「しあわせ」は「しあわす」からきていて、「めぐりあわせ」「運」「運命」「なりゆき」「機会」というものを意味し、良い巡り合わせにも悪い巡り合わせにも使われてきたのだそうだ。「不幸」や「人が死ぬこと」を意味することもあった。
「この発見は、「しあわせ」の現代的な意味の視野の狭さを私たちに気づかせ、「しあわせ」についての新しい見方へと開いてくれるものーーあるいは、私たちが忘れがちな見方を活性化させてくれるものーーでもある。」(p161)
「やさしい」は、もともとは「痩せる」が形容詞化したもの。人の見る目に対して目も細る思いであるというのが原義だ。ここから「気恥ずかしい」とか「肩身が狭い」といった意味が生じ、さらに、恥ずかし気にしている様子や恥じらう様子が「控えめである」「つつましい」「おとなしい」「優美である」「上品である」といったことを意味するようにもなった。さらにそうやって細やかに心を配ることから、「思いやりがある」「情け深い」「親切」といった意味も備えるようになった、と。
知らなかった! これはすごく日本的な感性という気がする。「やさしい」はkindとはたぶんまったく違うところから発生しているんじゃないかな。「ありがとう」とThank you がまったく違うように。
「遅くとも万葉集の時代から、千年以上にわたって日本語文化圏の生活のなかで「やさしい(やさし)」がたどってきたこうした消息に、現代に生きる私たちがどこまでなじんでいるかは定かではない。とはいえ、私たちがふだん「やさしい」という言葉を用いている無数の文脈の源流には古語「やさし」の用法があり、そうした古来の意味合いと、その自然な変化が、現在の用法にも多かれ少なかれ響いていることは確かだろう。だからこそ、「やさしい」という言葉は、「ひ弱」「繊細」「上品」「温厚」「思いやりがある」「親切」といった言葉から成る独特の多面体として成り立っていると言えるし、私たちもこうした言葉のあいだで連想を広げ、多様な意味合いで「やさしい」を日々使用することができるのである。」(p159)
Posted by ブクログ
「自然言語は生ける文化遺産」
言語の本質、コミュニケーションの在り方、生成AIやSNSとの向き合い方について簡潔ながらも丁寧に述べられている。
普段当たり前に使っている言葉の意味や本質について非常にに考えさせられる。
特に、「一つの外国語を学ぶのは一つの新しい世界を発見したことになる」という考え方は、ソシュールの一般言語学講義と似通ったものがあり、物事に対する見方や考え方は言語によって大きく左右されていることを実感した。
Posted by ブクログ
『言葉なんていらない?』
中高生向けシリーズの本書はイラストと適宜の「まとめ」を添え深遠なテーマを分かりやすく説いている。「やばい」「えぐい」が生む過度の同調、生成AIの便利さに隠れる危うさ、SNSのフィルター、様々な場面で浮き彫りになる言葉の役割をバランスよく捉えた良書だ。
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このシリーズ、どの本も面白いのですが本書は特に良かったです。言語の本質、コミュニケーションのあり方、SNSとの付き合い方、本に触れる事などのテーマに関心がある方は特に楽しめるでしょう。今年読んだ「言葉・コミュニケーション」のジャンルでは本書が私の中でベストです。
Posted by ブクログ
言葉が持つ意味と力について考えさせられた。日常的に何気なく使っている言葉は、文脈に応じて帯びる意味や影響力は変わってくる。
文字数制限があり非同期コミュニケーション性が強いSNSでは、十分な対話は難しく、結果的に炎上社会やフェイクニュースの温床となっているのだと思った。
話し言葉においても「やばい」や「すごい」といった、便利だが曖昧な表現を使ってばかりいると、豊かな想像力が失われ、見える世界も変わってくる。
言葉の扱い方には常に慎重に、丁寧に、そして対話の姿勢を崩さないこと。
Posted by ブクログ
言葉について考えるといつもとても興味深いなーと思います。
言葉なんていらないと思ったことはないけれども、
言葉を使うことの難しさ、そして、言葉が良くも悪くも持つ私たちへの大きな影響やは色々感じる中、
この本はそのようなことを今一度整理し直して考えさせられるものでした。
言葉の深み、言語によって見える世界が変わってくること、
だから私はきっと、他の言語に好奇心を抱いたり、学ぶ動機が湧くのだな、とあらためて気づく。
入ることでしか得られない視点や考え方を、自分も経験してみたくなる。
言語を習得したいけれども言語を習得することは並大抵のことではないなー、と、母語でさえも、その深みを理解しきれていない言葉がたくさんあるのに、と、圧倒されもしますが、一層の関心もそそられますね。
Posted by ブクログ
「あいだで考える」シリーズの中では難しい方だと思うが、言語哲学系の本としてはかなり易しく書かれていると思う。
私自身は今まででいくつか言語哲学系の本を読んできたので、新しく知ったことはあまりなかった。しかし、言語哲学系の本をいくつか読んできたからこそ、この本の構成がどれだけ緻密に練られているかよくわかる。
元々かなり難しい内容なのに、ここまでわかりやすく、そして一貫性のある形でまとめるというのはなかなかできることではありません。著者と編集者の両方に拍手を送りたいです。
Posted by ブクログ
シリーズの中ではぶっちぎりで難しく、かつ前半は言葉に対する否定的な話題が続くので折れそうになるが、ふんばって読み続けると目からうろこが落ちて脳みそがパッカーンと開く。