あらすじ
あなたは友人の出世を喜べますか? 人はなぜ裏切るのでしょう? 夫婦、男女、そして上司と部下の友情とは? 人生を深く温かく支える「友情」を、臨床心理学の第一人者が豊富な経験と古今東西の文学作品からときほぐす、大人のための画期的な友情論(目次より「友だちが欲しい」「男女間に友情は成立するか」「友人の死」「“つきあい”は難しい」「友情と同性愛」「茶呑み友だち」「友情と贈りもの」など)。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
若松英輔・山本芳久『危機の神学』で、現代の私たちにとり「コスモロジー的な生き方」が重要であるという示唆を得た。また、河合隼雄『明恵 夢を生きる』を読み、それは「出会うできごと全てが、自分と意味のある関係がある」と受け入れる人生態度のことだと理解した。
そこで、この考え方をより身近な観点で深めたいと思い、以前読んだことのある本書を再読した。
まず、本書における「友情」の範囲の広さが改めて印象的であった。
著者は、いわゆる「同性の友達」だけでなく、男女、夫婦、家族、上司と部下、師弟関係にも友情は働いているという。それだけでなく、石やぬいぐるみなどの「もの」、ペットや植物、そして「神」との間にも友情は働くとする。(神との友情など想像したこともなかった。)
さて、この「コスモロジー(目に見えないつながりをも含めた世界観)」という補助線を入れて本書を読み直してみる。
本書では、利害関係や社会的な役割(鎧)を離れたところに生まれるつながりを重視する。そして良い面ばかりではなく、親しくなった人の影の部分が現れたり、善悪の判断があいまいになったり、相反する感情が結びついたりすることからも目をそらさない。この「影」を受け入れる観点があってこそのコスモロジーなのだ。
友人の影の部分が明らかになってなお友情が続くのは、そこに「やさしさ」があるときだと著者は言う。友人の欠点や時には悪事を知り、それを肯定できないとき、「外から批判する以前に、内側に共に立って感情をわかちあう、やさしさが友情を支える」のだと。
そしてこのやさしさは、自らの「死」を自覚することから生まれる。互いに「死すべき者」と感じるとき、善悪や貧富などの世俗的な評価を超えて、束の間の生を共にしている者に対するやさしさが湧いてくるという指摘には、どこか深い層で納得させられるものがあった。
著者は友情を、心や感情の触れ合いにとどめない。心も体も超えて、人間の存在にいのちを与えているものを「たましい」と呼び、そのレベルでの触れ合いにまで言及する。
「コスモロジー」の補助線により見えてきたのは、「すべては目に見えない大きな生命の循環のなかで、お互いの宇宙を認め合うプロセスなのだ」という、本書の骨格であった。
本書の中では触れられていないが、「大人の友情」は、自分自身(の弱さ)に対する態度も含めて考えて良いのではないかと感じた。
まだまだ消化不良ではあるが、「コスモロジー的な生き方」について、身近な人間関係を通して理解を深めることができた。
『危機の神学』で描かれていた「分断の時代における異宗教間の対話」のような大きな歩みも、突き詰めれば、こうした一人ひとりの「たましいのレベルでのやさしさの交わし合い(=大人の友情)」の積み重ねの先にあるのではないだろうか。
Posted by ブクログ
"人間は死ぬことだけは確実である。このことが、どれほどしっかりと自覚できているかが大切である。互いに死すべき者と感じるとき、善悪とか貧富とか長短とか、この世のいろいろな評価を超えて、束の間のこの世の生を共にしている者に対する、やさしさが生まれてくる。"
Posted by ブクログ
ちょっと難しいかな~と恐々読み始めたけど、切り口が身近というのと、1つ1つが短いのもあってとても読みやすかった。
うんうん、そうだよな~。と思うような内容がたくさん。自分や周りの環境を振り返りながら、人間として大切なことを改めて考えさせられました。
本文より↓
友人とは「夜中の十二時に、自動車のトランクに死体を入れて持ってきて、どうしようかと言ったとき、黙って話に乗ってくれる人だ」
外からみて批判し、非難する以前に、内側に共にたって感情をわかちあう、やさしさが友情を支える
悪を許容するわけではないが、それでも何とか関係を続けてゆき、変化を期待し続ける態度に支えられて、子どもは成長してゆくのである
人の死に対しては「喪」が必要だ。