【感想・ネタバレ】西郷従道―維新革命を追求した最強の「弟」のレビュー

あらすじ

幕末期、兄隆盛・大久保利通のもと尊攘派志士として活躍した従道。20代半ばで欧州視察後、台湾出兵では派遣軍トップとして制圧。西南戦争では、国家建設を優先し陸軍卿代理として、叛乱軍指導者の兄と敵対。隆盛自刃後、謹慎する。天皇に請われ復職後は海相を長期間務め、日清戦争時には陸海相兼務など軍事的指導者、さらに元老として政府中枢を担った。最晩年まで首相待望論があったが、「賊将の弟」と固辞し続けた志士の生涯。

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Posted by ブクログ

西郷従道は経歴程度しか知らなかったが、本書は、膨大な資料を読み解きながら、その華やかな経歴の背後にある兄・隆盛の存在、国家や「維新」への信念、家族への愛情などを明らかにしている。近代日本建設の新たな側面を学ぶことができた。

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2024年08月19日

Posted by ブクログ

小川原正道「西郷従道」(中公新書)
西郷従道については、彼が隆盛の弟であり、元勲の一人であることくらいしか知らなかった。従道は隆盛の引きもあって活躍を始めるが、その後、隆盛が反乱軍の首魁となったことは彼の後半生に影を残した。本書では、その面での苦悩とともに、従道が明治政府の高官として何を目指したのかを描いている。
1862年:寺田屋事件に関わるが幼少ということで謹慎で済んだ。
1868年:鳥羽伏見の戦いで耳の下に創傷。一時危篤となる。
1869年:山県有朋とともに欧州の軍事情勢を視察。山県はプロシア、従道はフランスに滞在。帰国後、山県とともに軍制の基礎を築く。
1873年:征韓論政変で隆盛は下野するが従道は政府にとどまる。彼は国家と天皇への忠誠のためとしている。
1874年:大久保利通が台湾出兵を唱え、従道は都督に任命される。英米が反発したため大久保も慎重論に転じるが、従道はそれを振り切る形で出兵した。戦闘は有利に推移したもののマラリアの蔓延で危機に陥る。大久保と清国の談判成立により撤退。
1876年:フィラデルフィア万博副総裁として渡米。
1877年:西南戦争勃発。陸軍卿代理として政府軍の兵站を担う。兄、隆盛の死に憔悴。翌年、イタリア大使に任じられるが、大久保利通暗殺や竹橋事件もあり、国内にとどまる。その後、農商務卿や海軍大臣などを歴任。
1894年:日清戦争勃発。従道は伊藤内閣で海軍大臣に加え臨時陸軍大臣も併任し、戦争指導にあたる。その後、何度か総理大臣擁立の話があったが受けず。
1902年:胃がんで死去(59歳)
明確な意思を持つ強い指導者ではなかったようだが、近代日本の建設という共通の理念を持つ明治期の指導者間の潤滑油として調整的役割を果たしてきたのだろう。

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2026年05月28日

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維新の英傑でありながら西南戦争で賊将となった西郷隆盛の弟で、自身は隆盛と道を違えて明治政府に残り、軍事的指導者、政治家、元老として政府中枢を担った西郷従道の評伝。
兄・西郷隆盛の影に隠れがちながらも明治政府で重きをなした西郷従道の生涯、人物像について、理解を深めることができた。従道は、薩長や元老間の「調和機関」として重要な役割を果たすとともに、「維新の大業」を成し遂げるという志を持ち、情にも厚い人物だったようだ。

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2025年07月22日

Posted by ブクログ

「賊将の弟」は、いかに明治の世を生き抜いたのか。幕末期、兄隆盛・大久保利通のもと尊攘派志士として活躍した従道。西南戦争では叛乱軍指導者の兄と敵対。その後、謹慎するが天皇に請われ海相等を長く務め、元老として政府中枢を担う。

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2024年12月07日

Posted by ブクログ

偉大な兄隆盛、大西郷と比して小西郷として影の薄い明治の元勲の一人西郷従道。偉大な兄と政府の間で明治維新後の政府の重鎮。調整役として実力を発揮した男の生涯。

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2024年11月04日

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