あらすじ
小山田は謹慎すべきだったのか
2021年の東京五輪。コロナ禍による一年延期をはじめ、様々な問題が発生する。
直前に発覚したスキャンダルで、開会式スタッフは辞任。
急遽開会式の音楽担当となったのは、ミュージシャン小山田圭吾だった。しかし、小山田もまた、学生時代に障がい者を「いじめ」たことを語ったかつての雑誌記事が、炎上。音楽担当を降板した彼は、テレビ番組のレギュラー、ライブ活動などを失い、1年近く実質謹慎する。
だが、炎上の渦中、「週刊文春」の取材に答えた小山田は、報じられた「うんこを食わせてバッグドロップ…」といったいじめの事実を否定する。
当時の現場では何が起きていたのか――? なぜ、「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」両誌に、このような記事が出たのか。そして、小山田がここまで追い詰められねばならなかった理由とは。
小山田本人への20時間を超える取材――、開会式関係者、小山田の同級生、掲載誌の編集長と取材を進めるうちに、この「炎上」の「嘘」が見えてくる――。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
大炎上とは、自分の人生に退屈しているSNS依存の餓鬼が閻魔様にでもなった気になれるイベントのようだと思った。
ファンで追ってる人のことであっても、知らないことが殆どなのだから、日頃気にもしていなかったような人の炎上ネタなんて鵜呑みにしちゃいけない。
誰かの投稿を拾ったメディアやインフルエンサーによって「今回はこの人をサンドバックにしてくださあーい!」と定期的に投下されるのも悪質よね。
次の炎上の対象が投下されたら、ぴたりと止んで忘れ去られる。大多数の人間が人の生活を壊すことに加担しているのに、イベント感覚であることが恐ろしいなと思う。
また、山崎さんを責める声もあるけれど、彼にも彼の立場や守るべき組織や人がいるわけだから、飲み込んだ言葉がたくさんあるのでは、と私は思っている。だって、あの記事が出たのは30年以上前なんだから。時代と共に環境も変わっている。
「それはないでしょう」って言って良いのは小山田さんと関係者だけだと思う。
Corneliusは中学生のころから好きで、例の記事もずっと気になってたから事実が知れてよかった。
そして、小山田さんの周囲にいる人々が良い方ばかりで良かった。
餃子のエピソードは人柄が感じられて微笑ましかった。
ファンでもないのにここまで調べて執筆された著者さんに感謝を。
Posted by ブクログ
毎日ネットを見てると、結局大声で嘘をつき続けた人間が勝つ世の中なんだよなと絶望的な気持ちになることが多い。でもこういう本を読むと、蟷螂の斧かもしれんけどそれでも正義はある、と少し勇気が出る。そのほんの少しの正義がなきゃ未来は真っ暗闇だもんな。
Posted by ブクログ
渋谷系誕生前夜のフリッパーズギターの契約の残りを消化するためのポリスターレコード立ち上げが興味深い。
週刊誌のゴシップ記事ならいざ知らず、お洒落最先端の音楽雑誌で事実ではないことを書いてウケればオッケーな仕事をしていたロッキンオンジャパンの山崎さん。
Posted by ブクログ
ことの真相としては、小山田圭吾が露悪的に話したことを、山崎洋一郎が盛ってインタビュー記事にし、村上清が油を注いだ。
東京オリンピックの騒動の前に訂正や謝罪をするチャンスはあったが、ズルズルと引きずり、最悪のタイミングで爆発したということ。
小山田は過剰過ぎるほどにその責めを受けたが、山崎はずっと逃げているなという印象。
Posted by ブクログ
書評やら年末ランキングやら、諸々の結果を見て、最終的に読んでみたくなったもの。読んで正解。漫画・しょせん他人事とも通底する話題で、自分の中でホットな問題。”炎上”界隈のリテラシーも含めた危機って、自分ごととして考えておかないと、あれよあれよと足元をすくわれかねない。何といっても、本作の主題となった問題に触れた際、『ん?ちょっと待てよ…』ではなく、『マジかよ、小山田』って思ったもの。
Posted by ブクログ
聞きづらいことだったろうに、多くの人にインタビューしてよくまとめたな〜と。
著者の書き方のせいかもしれないけど、諸悪の根源の記事を書いた人が、その後の著者のインタビュー要請に一切応えないことに不誠実さを感じてしまった。
Posted by ブクログ
優しい人なんだなと思いました、小山田圭吾さん。
真相は本人のみぞ知る、がベースではあるけれど、
このライターの視点を信じるとすれば、
ロッキンオンのインタビュー記事はたぶんに
捏造が入っているし、そこをせめようと思えば
せめられるけれど、自ら発信しない小山田さん。
それは優しさでもあり、甘さでもあるとも思った。
自分もコーネリアス世代なので、
彼がブレイクした当時の、その世代の空気感、
すこし露悪的な感じは体感しているし、
その頃はそこまで目立った記事でもなかった気がする。
メディアスクラムは警戒すべきだし、
昨今の兵庫県知事の炎上からの逆転で、世間も
学び始めている。だからこそ、ノンフィクションライターの
手でなく、小山田さん本人も少し発信しても
いいのではないかな?と思った。
Posted by ブクログ
2021年夏に起きた、小山田圭吾の炎上に関する本。
「小山田圭吾の『いじめ』はいかにつくられたか」を
読んだ時も思ったが、小山田本人にももちろん非があるが、
ロッキンオンの山崎にも同等以上に非があったと思う。
お人好しすぎたんだな、小山田圭吾は。
フリッパーズのイメージを変えようとして、
無理にロックなことを言おうとしていたのも原因だろう。
イジメの張本人の「渋カジ」先輩がカメラマンやってるというのは意外。
Posted by ブクログ
もっとモヤモヤを抱えながら読む覚悟でしたが、筆者の小山田さんをはじめとする取材対象との距離感が絶妙で(だからこそ際立つ山崎氏への憤り)、思いの外面白く読めた。読み終わって尚残る若干のモヤモヤは今後の我々の課題。
Posted by ブクログ
基本的には「罪なきもののみ石を投げろ」と思っています。
30年前の雑誌に掲載された小山田圭吾のいじめ記事が、どのような過程を経て、小山田のオリンピック開会式の音楽担当辞任という結果に至ったかを追ったノンフィクションです。小山田本人や彼の同級生への取材を元にしています。
実際にいじめを行ったとされている中学生時代、雑誌にいじめについてのインタビュー記事が掲載された90年代中盤、そしてオリンピック開会式音楽担当の依頼、就任、辞任があった2021年の3つの年代が軸となるのですが、悪夢のドミノはこういう道筋を辿って、パタリパタリとフラグを立てていきながら炎上へと導かれていったのかと納得ができました。一方で、小山田がどのような家庭で生まれたのか、そして幼少期にどのような体験をしたのか、バンドデビューから解散、ソロキャリアのスタートそして現在までというクロニクル的読み物としても楽しめます。
小山田がいじめのことを語ったインタビュー記事が出た当時、小山田の同級生たちの間では「記事の中の小山田と、実際の彼の間にギャップがある」と感じていて、中学生時代に小山田がいじめを行っていたという認識はなかったそう。眼の前でオナニーさせる、うんこを食わせるなどは別の人間がさせたこと(しかしそれを止められず傍観)であって、実際に小山田自身の行為として彼の記憶にあるのは、ロッカーに閉じ込めてガンガン蹴飛ばした、段ボール箱に閉じ込めてチョークの粉をふりかけたことはあったとのこと。もちろん第三者から見て嫌悪に値する行動なのは間違いなく、小山田も当時を振り返って反省しています。
コーネリアスとしてソロデビューする時に、今までのキャラクターを打破し、爪痕を残そうと雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』に露悪的な自己演出でいじめ体験を語り(そもそも当時の小山田本人が、未来でオリンピック担当するなんて信じないだろう)、ショッキングな見出しがつけられた。ちなみに『ロッキング・オン・ジャパン』は取材された側に原稿チェックをさせないことで悪名高い。別の雑誌『クイック・ジャパン』でもいじめについて語ったが、これも当初は企画を断ったが、結局は断りきれず引き受けてしまった。
それらの記事をソースに書かれたブログが、ファンやネットユーザーのあいだでは密かに知られていて、たびたび2ちゃんねるなどで局所的に話題になっていた。そのブログをソースに小山田圭吾が音楽を担当する番組あてにクレームなども数件あったものの、小山田側への確認はあったが降板などはなく、大きな問題にならなかった。事務所スタッフが一度弁護士に相談し、「放置はよくない」とアドバイスをもらったものの、スキャンダル対応の経験がない小さな芸能事務所ゆえ、先延ばし先延ばしになっていた。ここまででも、小山田側から説明する機会は何度もあったことが分かります。
東京オリンピック開会式も呪われたような状況にあり、コロナ延期によるチーム解体、総合統括・佐々木宏氏のLINE内での演出提案への批判そして辞任(渡辺直美にオリン”ピッグ”)、演出担当の振付家MIKIKO氏辞任、と大荒れに荒れるなか迫ってくる開催日。開会式を担当する旧知のスタッフからすがるような気持ちで小山田に依頼があって、助けになるならと受諾。その時は「たかだか5分程の楽曲提供ということと、オリンピック開催自体に批判的である音楽仲間もいたこともあり、クレジットには『小山田圭吾』の名前は入れないでくれ」という約束であったとのことですが、プレスリリースには全員の名前を記載しなければならず、その兼ね合いで公式発表にも名前が出てしまったとのこと。そして例のブログのリンクつきのツイートが大バズリ、あとは言わずとも、、、
問題とされた2つの雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』は私はどちらも読んだことがあります。問題となった記事が出た数年後の2000年前後にそれらの雑誌を読み始めた世代です。特に『クイック・ジャパン』に私はハマって、古本屋でバックナンバーを買い漁りました。例の記事も読んだことがありますが、普通にエンタメとして読んでいました。当時は悪趣味的、露悪的、自虐的で、令和の今では許されないような毒のある作風のサブカルチャーが、メジャーなものに迎合できず満たされない人間のカウンターカルチャーとして救いになっていたと思います。そんなこっそりとした後ろ暗い愉しみが、今ではネット、SNSの網の目によって暴かれてしまいます。当時の自分がもし今存在したなら、どうしているだろう(おそらく慣れているだろうけど)。
「コーネリアスの音楽を聞けば、今の小山田さんがそのような人ではないことが分かる」というような甘っちょろいことをいうつもりは勿論ありません。しかし今回の炎上を経て、コーネリアスの音楽性の変化がより印象的になりました。昨今の作品、2017年リリース『Mellow Waves』以降の作風は、それまでのコーネリアスの作品と手触りが異なるものでした。ケレン味たっぷりな振る舞いだったソロキャリア初期を経て、多重録音とサンプリングを駆使し『Fantasma』という稀代の名盤をリリースしたあと、コーネリアスは急激に音・アートワーク・歌詞から肉体性や意味、人間らしい匂いなど「有機性」を遠ざけて、よりミニマルに、より記号的になっていきました。リスナーとして良くも悪くも「無臭」「潔癖」とも思えるほどに。
しかし前作から11年ぶりのアルバムとなった『Mellow Waves』のジャケットデザインには「砂の乳房」を思わせる銅版画。曲のタイトルや歌詞も、有機的なものから距離をとったこれまでと違い、情緒を帯び、薄味だけどメッセージを残そうとする意思を感じました。曲のタイトルが日本語なのも、前作までは考えられなかったはず。続いて騒動後2023年には、初めて日本語がアルバムタイトルになった『夢中夢』を発表。有機性のある作風をさらに推し進めます。もちろん曲の作りは、ものすごく制御・整頓された無機的なこれぞコーネリアスといったような部分がベーシックになっていますが、縦軸と横軸で管理された音の配置の中に、絵筆で水彩をえがくような有機的な響きを感じます。童顔だった小山田圭吾も、大人になったんだなあとしみじみ思いましたし、この作品をしみじみ聞けるほど、自分も大人になったのだと苦笑しました。
人間性と作品はけして無関係ではないものの、受け取る側はそれらを分けて楽しんでよいと私は思います。ミュージシャンの逮捕でCDが回収、配信が停止になることがありますが到底理解できません。音楽ではないですが、ヒトラーの『わが闘争』なんて現在も出版されていますし。
いじめられた側の気持ちはいじめられた人間にしか分かりません。本当にいじめが存在していたかは被害者とされている当人の胸の内を聞かないと判断できませんが、この本の中には、いじめ被害者とされている方の証言はありません。倫理的に、彼らを今回の問題に巻き込んでしまうことは避けるべきだとも個人的には思いますから、このことはこの本の評価を下げる要因にはなりません。
出身校の校風などを資料を元に調べて、当時の雑誌編集者にコンタクトを図り、複数の同級生への取材といったように、今回の炎上劇にここまで裏をとろうとしたメディアが他にあっただろうか、と思います。アクセス数かせぎのコタツ記事が目立つ中、ひとつの事例を説明するためには、これほどのページ数が必要なものなんだと改めて理解しました。取材に費やした時間や手間は私には想像ができません。
いまもフワちゃんが燃え、ランジャタイ伊藤が燃えています(2024年8月現在)。その炎の裏に、要約された記事や文字数の限られたポストでは伝わらないストーリーがどれだけ隠れているのかを想像してほしいです。火を付けるだけ付けておいて、燃え上がる様子に興奮して、消えたあとには振り返りもしないなんて、放火魔と変わらないですよ。
基本的には「罪なきもののみ石を投げろ」と思っています。インスタントに他人を裁くな、と。
Posted by ブクログ
ひっくり返るような新しい情報はなかったけど、それでも時系列を追って、どのようにして小山田圭吾という一個人があそこまで炎上したのかを、丁寧に追ったノンフィクションとして読み応えはあった。結局のところ、一番恐ろしいのは、顔も見えない、どこかにいる普通の人の悪意と、正義感なのだと思い知らされた。