あらすじ
『他者と働く』『企業変革のジレンマ』
宇田川元一氏 推薦
「職場で傷ついた人は、企業変革の入り口に立っている。」
『「能力」の生きづらさをほぐす』で鮮烈なインパクトを残した気鋭のコンサルタントが、なきものとされてきた「職場の傷つき」に着目し、これからの組織開発のあるべき道筋を探る意欲作。
1ON1、対話、パーパス、人的資本経営、ウェルビーイングなど、目新しい言葉に飛びつく前に、まずその「傷つき」に「気づく」ことから、始まる。
「能力主義」の限界に気づき始めたすべての人へ。
【もくじ】
第1章 「職場で傷つく」とはどういうことか?
第2章 「職場で傷つく」と言えない・言わせないメカニズム
第3章 「能力主義」の壁を越える
第4章 いざ実践ーー「ことばじり」から社会の変革に挑む
■あの社員は、なぜ辞めたのか?
■ハラスメント未満の「傷つき」をなかったことにされる職場とは。
■仕事で傷ついたなんて言ったら負け?
■うまくいっている人の行動分析をしてマネして、本当に「できる人材」になれるのか
■かけ声ばかりで、実は排他的な職場とは。
■出世した、でもいつまでこのぎりぎりのラインで働き続ける必要があるのか
■優秀な人がいれば、組織の問題は解決するのか
■評価はどこまで「正しい」のか
■「自分で考えろ」の意味
■真面目な社員の「闇落ち」ーービックモーター社の事例から
■「天才職人」の降格
■形だけの「ストレスチェック」
■「通過儀礼」としての就活
■個人的なこと=気の毒だけど自分で何とかすべきこと
■「主体性」のある人材、欲しい? いらない?
■「人的資本経営」への違和感
■お調子者の静かな「傷つき」
■優秀ならば、傷つかない?
「職場で傷つく」を諦めない、当たり前にしないために、個人ができること・会社が具体的にできることとは何か。具体例を示しながら解くきほぐす。
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Posted by ブクログ
疲れた職場という問題は、社員の「不出来」「能力・資質」「メンタルタフネス」などの個人的な問題にされがち。すなわち、能力評価こそ、「職場で傷ついた」と言わせてくれない労働・職業世界を作っているのでは?
本当に状況を打開するのであれば、「誰が問題か?」のレッテル貼りではなく、「組織の何がこの人を追い込んだのか?」を再考することが必要。すなわち、糾弾ではなくしかるべきケアを。
「仕事の成果」=「誰と」×「何を」×「どのようにやるか」
Posted by ブクログ
職場で声をあげるほどではないが、モヤモヤしたままでいるようなことが仕事のやりづらさにつながることは確かによくある。筆者の方は、その状態を「傷つき」と呼び、さらにそのレベルのことを職場で相談しにくい原因が能力主義にあるとする。つまり、モヤモヤするようなことがおきるのは本人の能力の問題で自己責任だとする理論がまかり通るくらい、能力主義が根付いた(しかもその能力がコミュ力などのはかりにくいものになってる)社会に今なっていると指摘する。
筆者は、本当の傷つきの原因は、人同士や人と業務の組み合わせがあっていないことだ(能力の高低ではない)と説明する。
だから人事担当者は能力の高低を評価することより、最適な組み合わせを考えることに注力するべきだとのこと。
能力主義が背景にあるとするくだりは読む前思ってもみなかったことだけど読むとなるほどー。と思った。
成果ばかり求めるあまり個々の人が不幸な社会は苦しい。そこに具体的な疑問と対案をなげかけてくれてるのが良かった。
多様性やインクルージョンというのは本来筆者が唱えてることと似てるはずなのに筆者が否定的なのは、政策とかメディアで言われるそういう言葉に中身や意思が伴わないことが多いからだと思う。本来大事なことを言ってる言葉が、そうやって空虚なものみたいになるのは悲しいと思った。