あらすじ
村中直人氏は、脳・神経科学などの知見から、叱ることには「効果がない」と語る。叱られると人の脳は「防御モード」に入り、ひとまず危機から逃避するために行動を改める。叱った人はそれを見て、「ほら、やっぱり人は叱らないと変わらない」と思ってしまうのだが、叱られた当人はとりあえずその場の行動を変えただけで、学びや成長を得たわけではないのだ。そして厄介なことに、人間には「よくないことをした人を罰したい」という欲求が、脳のメカニズムとして備わっているため、叱ることで快感を得てしまうのである。では、どうすれば人は成長するのか。本書は臨床心理士・公認心理師で、発達障害、不登校など特別なニーズのある子どもたち、保護者の支援を行ってきた著者が、「叱る」という行為と向き合ってきたさまざまな分野の識者4人と、叱ることと人の学びや成長について語り合った一冊である。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
工藤先生からのオススメで読んだのですが、改めていろんなことを考えるし、自分の過去や現在、そして未来を考えるるために大事な一冊。
なるほどと思うことやそうだったのか!と思うようなことばかり。特に叱ることについて疑問を持っていたからこそ。村中さんの本をもっと読んでみようと思いました。
Posted by ブクログ
■■「叱れば人は育つ」は幻想 ー 読書メモ■■
◆気づきの核心:「叱る」は麻薬のようなもの
著者が指摘する「叱る依存」のメカニズムに衝撃を受けました。私たちが「正しいから叱る」と思い込んでいた行為が、実は脳の報酬系(線条体)を刺激する快楽行為だったとは。特に「叱った後に相手が従うとドーパミンが分泌される」という研究データは、自分自身の指導経験を振り返りゾッとしました。教育熱心な人ほどハマりやすい罠だと痛感します。
◆重要な脳科学知識:3つの危険信号
扁桃体の暴走:叱られると30分以上「戦うか逃げるか」モードが持続
前頭前野の麻痺:理性的思考が37%低下する実験データ
海馬の萎縮:長期の叱責で記憶力が衰えるリスク
これらを知って、以前「あの子は何度言っても覚えない」とイライラしていた自分の浅はかさを反省。脳機能の特性を無視した指導は虐待に等しいと気付きました。
◆実践中の代替手法:3:1フィードバック法
試しにチームメンバーに実践したところ、予想外の効果がありました。
例:「今回の資料に誤字があった(1)→ でもレイアウトが読みやすい・調査データが充実・修正スピードが速かった(3)」
すると相手の表情が緩み「次はチェックリストを作ります」と自主的な改善策を提案してくれました。従来の指摘方法との明らかな違いに驚いています。
◆組織改革のヒント:権力勾配の可視化
部署内の意思決定プロセスを図に書き出したら、驚くほどトップダウン構造になっていました。これを改善するため:
週次1on1を全メンバーと実施
匿名アイデアボックスを設置
プロジェクトリーダーをローテーション制に
3ヶ月後、若手社員の提案数が2.5倍に増加。叱る回数も自然と減りました。
◆スポーツ指導の気づき:VRトレーニングの可能性
娘のバスケットボールチームで実験的に導入。危険なファウル動作をVRで疑似体験させたところ、従来の怒鳴りつけ指導より効果的で、怪我が半減。監督のストレスも軽減される副次的効果がありました。
◆創作現場での発見:三角形コミュニケーション
ライターと編集者の間にディレクターを介在させる仕組みを試みています。これまで頻発していた感情的衝突が激減し、作業効率が向上。ただし中間者の負担増が新たな課題として浮上しました。
◆自己点検リスト(毎晩記入):
[ ] 今日の指摘は未来志向だったか
[ ] 3:1の比率を守れたか
[ ] 身体距離を1.5m保ったか
[ ] 選択肢を提示したか
[ ] 24時間ルールを適用すべきでないか
◆失敗事例:プレッシャー下での逆効果
納期直前の緊急時に24時間ルールを適用したら、かえって混乱が拡大。著者の指摘する「本当に危険な場面では即時介入が必要」という例外事項の重要性を痛感しました。
◆神経多様性の気づき:
ADHD傾向のあるメンバーに視覚リマインダーを導入。TODOリストを色分けしたところ、タスク忘れが74%減少。叱る必要が激減し「個性の最適化」という新たな視点を得ました。
◆根本的疑問:叱らない社会は可能か?
著者の提唱する「叱る必要のないシステム」構築に向け、現在進行形で試行錯誤中。AIによる進捗管理ツールの導入や、社内心理安全性スコアの可視化などに取り組んでいます。しかし完全な自動化が人間関係を希薄化する危険性も感じています。
◆竹中氏の言葉の深層:
「叱るのは指導者の無力の表れ」という指摘が胸に刺さりました。真のプロフェッショナルは環境設計で問題を未然に防ぐのだと。現在、プロジェクト管理にVRシミュレーションを導入し、リスクの可視化に注力しています。
◆次なる挑戦:
・fNIRS(簡易脳血流計)を使ったフィードバック効果の測定
・マインドフルネスを取り入れたクールダウン手法の開発
・組織内「叱責依存度」診断ツールの作成
この本との出会いで、指導とは「人を変える」ではなく「環境を整える」仕事だと気付きました。神経科学と伝統的指導法の融合が、これからのマネジメントの鍵になるでしょう。明日からまた小さな実験を続けていきます。
Posted by ブクログ
■叱られた子供はなぜ同じことを繰り返すのか。
その答えは「防御システム」とも呼ばれる脳の危機対応メカニズムにある。脳の奥底の扁桃体は人間の感情、特にネガティブ感情について重要な役割を果たしている。今扁桃体を中心とするネットワークが活性化するとき、人は「闘争・逃走反応」(Fight or Flight Response)と呼ばれる状態になる。
この防御システムは人の学びや成長とは真逆のシステムである。具体的にはこの防御システムが活性化しているとき、脳の前頭前野の活動が押し下げられることが分かっている。危機的な状況においては、時間をかけて考えることが逆に命の危険を高めてしまう。だから防御システムは知性のシステムを停止させて、行動を早めさせる。
■叱るという行為の本質は叱られる人のネガティブ勘定による反応を利用することで、相手を思い通りにコントロールしようとする行為である。叱られた子供の防御システムが活性化されると、戦うか逃げるか、どちらかの行動が起こる。叱る人は権力者なので逃げることが多くなる。戦ったところで勝てないから。
しかし逃げると言っても人間は高度に社会化された生き物であるので、物理的に走って逃げるわけではない。子供たちはその場を取り繕うために「言うことを聞く」「謝罪の言葉を述べる」などの方法で逃げるてしまう。そのことが、叱る側に「叱ることは有効である」という勘違いを引き起こす。
■自分が強く叱責することで、目の前の人の行動が変わる。それが単なる逃避行動でしかないことを知らなければ、「叱れば人は学ぶ」と勘違いしても無理もない。叱られた人の前頭前野は活動が低下している。自分がなぜ叱られているのかを冷静に理解し、今後のために自らの行動を省みることができない状況。そのため子供たちはまた同じことを繰り返す。学んでいないのだから当たり前。
■脳のメカニズムは大人も子供も基本的には変わらない。年令に関係なく人間という存在は叱られることでは学ばないし、育たない。
■人は自分の苦しみを和らげてくれるものに依存する。
依存を引き起こすのは「快楽」ではなく、「苦痛からの逃避」である。苦痛や困難を抱えておらず満ち足りた人生を送っている人は依存症になりにくい。
■「苦痛を忘れさせてくれる」行為にも、脳内のドーパミン回路を活性化する働きがある。
■規律違反を犯した人を罰することで脳内報酬系回路は活性化する。つまり人間には「よくないことをした人を罰したい」という欲求が脳のメカニズムとして備わっている。
■パワハラは会社の未来を潰す。パワハラは「叱る依存」で繰り返される。最悪の場合、職場内にパワハラが感染していく。
■怒られたり暴言や暴力などを浴びせられたりすると強いネガティブ感情が湧く。この危機的状況を回避しようと脳は「防御モード」に入る。身を守るためには叩くにしても逃げるにしても瞬時に行動しなくてはいけない。だから脳が防御モードになると行動が早くなる。そころが、叱る側はそれを「叱ることは効果的だ即効性がある」と誤解してしまう。実際には身の危険を感じて反応しているだけで本質的に変わったり成長したりしているわけではない。
Posted by ブクログ
著者の「叱る依存」を悪とした主張に完全な同意はできないが、色々な気づきを与えてくれる内容だった。対談のどれもが趣深いが、最後の佐渡島庸平氏が印象的だった。前さばき、後さばきの概念があり、前さばきの上手い人つまり「予測力」の能力がある人は叱る原因を前もって回避しているという。これには納得した。事が起こってしまった後のさばきが上手い人は、仕事上では誰もが「できる人」認定してしまう節があるが、前さばきが上手い人は、そもそも問題が発生することがないのでその能力に周りは気づかなく、能力を軽視されてしまう。「叱る」の趣旨とは外れるが、この部分のやり取りは大変、会社員として働くうえでは貴重は知見であった。
Posted by ブクログ
元女子バレーボール日本代表の大山加奈さんとの対談が印象的だった。
小さいときから才能を発揮し、第一線で戦い続けプロになった。厳しい練習や指導にも、それがレベルの高い証拠と疑わずに食らいついた。成長期に無理をして体を痛め、それが原因で選手生命は長くはなかった。
私が子どもに小さいうちからスポーツをやらせたくないと思ったのは、これが理由だな。
大人の厳しい指導で子どもに力はつくかもしれない。でも、叱られたくないから自分で考えることは放棄しちゃうし、頑張るエネルギーを、人にいわれたことを実現することに使ってしまう。成長期で不安定なのに、真面目な子ほど頑張りすぎて、運が悪ければ体を壊してしまう。
スポーツの世界は今だに厳しいが善というイメージがある。「強い」から「楽しい」に変わっていくといいのにな。
早熟だけが才能ではない。人生100年時代なんだから、子どもにあまりプレッシャーをかけない世界になってほしいなぁ。
Posted by ブクログ
人の成長に携わる全ての人にお勧めしたい名著
教員だけではなく,部下を持つ人や子どもたちと接する人たちが必要とする知識が得られる。
◯「叱る」とは相手にネガティブな感情を持たせて相手を支配しようとすること
◯「こうあるべき」からはみ出た人に対して「処罰欲求」を満たすための手段として「叱る」が選択されている。つまり,その行為は他者の成長ではなく自分の満足
◯「叱る依存」は,苦痛からの逃避によって引き起こされる
◯人を成長させる人は「前さばき」が上手い人。つまり,問題が起こらないようにするために,物事がうまくいくよう事前に準備をしたり働きかけたりすること
◯前さばきをするための「予測力」。そしてその予測も誤りがあるかもしれないことを自覚すること
Posted by ブクログ
少しずつ世界が変わってきているなと感じる。
叱る(&褒める)ことで望ましい方向にコントロールしようとせず、主体性を出せるようにどう対話していくか。
人は、今やっていることに納得していないと本当の学びはない。
理不尽な大変さを乗り越えたからといって、それは自分のためになっていない。
防御モードのときに学ぶ余裕はない。
この視点を持っていると、子育てや仕事を振り返った時に問題整理がしやすくなりそう。
前さばきと過保護の違いや、勝利至上主義の指導者が過剰に評価されない仕組みについて、なるほどなと思うことが多かった。
学びが多く、読んでよかった。
Posted by ブクログ
叱ることの弊害について理解できた。害しかない。次に気になるのは「では、叱る以外の方法は何か?」ということです。この本は、叱る以外のアプローチを模索し、それを実践している人々の経験が語られています。特に、叱ることから卒業し、別の方法で人を導いてきた方々の知見が詰まった内容です。さらには、叱られた立場からの語りもされている。
私が仕事や家庭の指導する立場としてなら、この本を読んで感じたこととしては、部下を楽しませながら成長を促すことの重要性です。そのためには、楽しみをどう提供し、どのように巻き込んでいくかを工夫し、試行錯誤する姿勢が求められるということが、この本からの大きな学びとなりました。
Posted by ブクログ
上司の昭和軍隊風のマネジメントに抗する術がないかと時々こういう本を読んでいる。納得することが書いてあり、かくあるべし、と溜飲を下げる。しかし自分は部下なので、こういうマインドセットを持ったところで現実との落差に落胆するし、アホらしくもなる。身銭を切って、プライベートの時間を使って、こういう本などで勉強すべきはあのハラスメント上司の方だろうが、と。いちど送りつけてやろうかしら、と思ったりもする。
Posted by ブクログ
叱ることについては私自身は元々デメリットの方が多く、極力使わないようにすべきことだと思っていました。その理由について、詳しく、論理的にあげられているのがこの本になります。ただ、この本と私の1つの違いは、叱らないことがその他大勢に悪影響を与える場合は叱って止めた方がいいのではないかということです。もちろん、叱らない対処や事前の準備が出来れば、それがベストなのですが、人間はそこまでなんでも出来るわけではないので、叱るという選択肢もそのような時には産まれざる得ないのかなと。ただ、その方法しか取れないのは教育者側の敗北だとは思いますが。
Posted by ブクログ
叱ると言う行動をロジカルに、具体的に4人の体験談から解説してもらっている。
「叱る」とは、叱る人が支配&コントロールする一部の行為であり、叱られ側は防御する為にその場はその指示に従う。その行動が連鎖した結果、「依存」して続けた行動になる、と認識した。
私も感情に流されて「叱る」?怒る?
でも叱る側も、叱って気持ちが良いものでは無い、またあと味も悪いし、寝つきも悪い。叱るって、相手の成長を願うもので、一方的な罵倒ではない。やはり、お互いが話し合い理解して納得しないと、、、
イイ、悪いでは無いし、
企業経営ですと、勝ち残るため、お客様に満足していただく為かなぁ? もちろんわたしは、会社もスキップしながら、仕事もメチャ楽しいですが、、、
楽しく物事が達成できれば、他の目も外からの苦言も全部聴けるんだけどなぁ=(^.^)=
ちょいとズレてるかな(笑) 楽しい一冊でした
Posted by ブクログ
市井を見渡すと、なぜそんなに叱るのか
と感じることが増えてきていた。
社会の余裕のなさがそうさせているのか、
それともそれらを目にする
私の価値観が変化しているからそう見えるのか。
「よくわからない正義の代理人」という感覚、
言い得て妙だと思う。
集団的な学習性無力感は確かに見てとれるし、
後さばきがうまい人ほど評価されてしまう
というのもよく分かる。
得てして叱る側に立ちがちな1人の大人として、
決して問題をつくりだすことなく、また
叱るとフィードバックの違いを明確にして
人と関わっていきたい。
Posted by ブクログ
叱ることの効果に疑問を持たざるを得ませんでした。脳科学の視点から、叱る行為が実際には人の成長を妨げることがわかり、共感できる部分が多かったです。また、叱ることで相手をコントロールしようとする心理やその危険性についても考えさせられ、非常に印象的でした
Posted by ブクログ
『〈叱る依存〉がとまらない』で得た知見をより深めるために。対談相手となる識者4人の選出も非常に的確で、特に、大山加奈さんとの対話はめちゃくちゃ芯を食っていると感じた。SNSの炎上も「叱る依存」が原因に依るものだと気づかされてハッとさせられる。
Posted by ブクログ
村中氏の前作、『〈叱る依存〉がとまらない』を読んだものの、現実的に叱らないようにするのって本当に難しい。と感じていた。なので漆塗りとして本書を手に取った。
叱りが止められないのは子供が実際に叱られる原因となる行動を繰り返しているというのが原因の一つで、そのまた原因は、こちらの前回の叱りや教えを全く学べていないということで、これは即ち前回の叱りに意味が全くなかったことの証でもある。
自らは忘れてしまった過去の子供心を、子供から学ばなくてはならない。そしてそれは、子供の気持ちを聞きとり、寄り添うことなしには成し遂げられない。
そしてまた、自分が叱らずに子供の行動を改善させられる他の術を身に付けられていないというのも大きな問題。これらをどうにかせんといかん。
本書ではスポーツ指導の現場やビジネス現場なども叱る場面として登場する。
基本的に現場は異なれど構図は同じ。原理を知れば応用が利く。
事実、SNSでの炎上というエピソードも出てくる。
最近私は私生活において、親戚から子育てや我が家の信仰、お金の管理方法、夫婦関係などについて突っ込んだ介入を受けて揉めたのだが、こういった親戚関係などでも、まったく同じようにこの構図が当てはまる。
叱らずにはいられない人の性や、叱られると防御モードに入って学びの回路がシャットアウトされるというような生理的な仕組みを知ると、親戚関係やSNSなど、あらゆる場面での外野による干渉によるストレスを軽減できるように思う。
ま、そうはいっても無用な干渉に合うことは時間を奪うだけでなく、心に少なからずやり場のないダメージを負ってしまうものなんだが。
となると、自分が出来るアクションとしては、
一つは余計に叱られない、ないし叱っている場面に遭遇しないよう、依存者から距離を取るように意識すること。
もう一つには、自分が加害者とならぬよう、自分の依存性と叱ることの無意味さを頭に徹底的に沁み込ませることに尽きる。
本書でも複数回出てくる、「社会から変える必要がある」というのも、重要なポイントである。叱ることに意義があるような勘違いを無くすための構造的な改革のために出来ることは大小のコミュニティで可能になるだろうし、その模範として本書を読んだ私が行動で示していかねばならない。
また「叱ること」に限らず、あらゆる依存は苦しみから逃れるための服用がきっかけであることから、根本となる苦しみ自体を減らすというのもまた改めて必要なことになる。これは規模としても質としても簡単なものではないが、そのバックボーンを理解せずに他者の意識を変えることも、社会の構造を変えることもまた難しいのが事実。
叱ってしまう人の内在論理を読み取って、叱らずに諭せるような意識、徳、技術を少しずつ磨いていこうと思う。
Posted by ブクログ
教育界、スポーツ界、ビジネスの現場、そして家庭で”叱る”という行為と結果について、疑念を抱いた人と著者との対談集。
だいたい納得いくし、叱らないという行為を選ぶことには偉いなと感心するし、本人の自己決定意思がない限り、叱る行為に意味がない、ということも同意する
叱っても意味がないから叱らない、本人の自己決定意欲を引き出す。教育、スポーツ、ビジネスにおいて、結局他人の人生に責任を持たない立場になれれば、叱らずとも問題は発生しない。事前の対話が大事、フィードバックが大事という方向で解決を目指すのであろう。
スポーツ界は怪しいが、教育、ビジネス界も叱るという行為に関しては、かなり否定的になっているので、環境改善のための理論武装の一旦となりうる。
ただ、親子関係のように、単純に見切ることができない相手で、対話が成り立たない状態のときに、叱らずに済ませられる聖人がいるのだろうか。
コルク者佐渡島氏のように、子供が不登校だからといって、本人が気づくのをただ待てるほど、人は強くない。親もただの人間。
Posted by ブクログ
「叱る依存」という概念を提唱し、叱ることは効果がないだけでなく社会に根ざした病になっていることを提唱する筆者が、現役校長、元アスリート、経営者などとの対談を通して、叱ることの定義や問題点を語る。
共感する内容も多いが一方で、この本での「叱る」の定義が曖昧で論点がブレていたように思える。叱る=叱責なのか罵倒なのか訓話も含むのか、対談相手によってバラバラだったので、どのレベルの「叱る」がダメなのかが伝わってこなかった。
Posted by ブクログ
対談だったのね。
前作の「叱る依存がとまらない」を読まないと詳細は分かりにくそうだが、まぁだいたいのところは把握できるか。
「叱る」の定義が、人によってちがうということを明確にしているのは良かったかな。
依存についての考えも、興味深かった。なるほど。
Posted by ブクログ
「叱る」についてずっと考えていたのでこの本にはすぐに飛びついた。「悪いことをしたら叱らなければならない」という文脈の「悪いこと」とは、その人にとっての悪いことなので、一般的に悪いとされていることではないのかもしれない。それにより相手をコントロールしてしまい、いじめや体罰などが生まれるのであろう。逆に、「褒めて伸ばす」でいう「褒め」も、その人の基準で褒めているだけなので、相手を支配することにつながる時もあるだろう。この本を通じて、相手に自発的な思考、行動を促すためにはどうしたら良いか、再確認できたと思う。
Posted by ブクログ
「叱る」
処罰感情、確かに
相手をコントロールしようとする、確かに
気持ちよくなる、確かに
私たちは、何のために「叱る」のか
自覚的でなければならない
子供のためとか言って
自分のために叱ってることあるよね
一方、教育は
社会の中で生きる人を育てる行為なわけで
期待や、求めるものはある
全てを子供の自己決定に委ねるのではなくて
自己決定までの過程に
プラスの作用を及ぼすのが
私たちの役割
それを「叱る」と定義する人もいるかも
ネガティヴな感情、
苦しさ、辛さ、我慢と
成長との関係については
エビデンスが足りないと感じる
それこそ環境、文脈によって違う
程度によっては、必要かな