【感想・ネタバレ】パーティーが終わって、中年が始まるのレビュー

あらすじ

定職に就かず、家族を持たず、
不完全なまま逃げ切りたい――
元「日本一有名なニート」がまさかの中年クライシス!?
赤裸々に綴る衰退のスケッチ



「全てのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、怖いものは何もなかった。
何も大切なものはなくて、とにかく変化だけがほしかった。
この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。
喪失感さえ、娯楽のひとつとしか思っていなかった。」――本文より
若さの魔法がとけて、一回きりの人生の本番と向き合う日々を綴る。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

パーティーが終わっても、人生は続くっていう話。

読んでいると漠然と色んなことが終わってしまった切なさに共感しそうになるけど、よくよく考えるとまだ終わってない色んなことは沢山あって、曲調が変わっただけでまだパーティーの音楽は鳴っていて、踊りながら日々は続いていく気がする。





p. 15
この歳になるとさすがに、失敗をしたときに「次に活かせる」と思うのは難しくなってきた。結局、自分はいつまでも自分のままで、自分が陥りがちな思考や行動のパターンからは逃れられない、ということがわかってしまった。
若い頃は、試行錯誤を積み重ねれば、どこかに辿り着くのだと思っていた。いつか、完璧な自分になれるのだと思っていた。でも、そうじゃなかった。失敗は何かの糧じゃなくて、ただの失敗だった。自分はどこにも辿り着かず、ずっと中途半端なままで、同じ失敗を繰り返しながら生きていくのだ。
そして、もういい歳になった今でも、現実への現実感のなさは続いている。恥ずかしいから口には出さないけれど、未だに、これが本当に現実なのか、自分の人生というのはこれで本当に全部なのか、と、常にうつすらと思っている。

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2025年08月17日

Posted by ブクログ

ネタバレ

著者の言葉がグサグサ、グサグサ刺さるほどには自分も年をとったということなんだろうなぁ、と思いながら読みました(^^;)

必ず向き合わなければならない『老い』『衰え』ですが、体力や気力もですが、『感情』の衰えについてハッとさせられました。

以前は楽しめていたことが楽しめなくなった
若い頃はキラキラして見えてた景色が平凡に感じるようになった
あらゆることへのときめきが薄くなった、と言った感じ

目に見える『若さ』ではなく、内側からくる『若々しさ』のことを言ってらっしゃるのかなぁとも思ったり、、、

ときめきも、老いとともに薄れていくのかと思うとさみしいです。でもそういう『老い』のありのままを受け入れるのも生きることの一環なのかなとも思います。

無駄に長生きはしたくない派ですけどね。

今読めてよかった本(^^)

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2025年05月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

著者と同じタイプの人間なので、分かる〜と思いながら読んだ。でも40代に突入していないので、老いを感じる気持ちは未来の自分を見ているようだった。
老いの何が辛いって自分が衰退していくのを感じるから。この本のタイトル通り、パーティ(=若さ)が終わって、喪失感と共に静かに生きていくのしんどそう。でもそれすらも悪くないって思えるようになるのが老いるってことなのかな。40代まであと数年なので、自分がどんな心境になるか楽しみになってきた。

外食が裕福層の文化に日本もいずれなっていくっていうのは、最近思っていたことなので同じ意見を持っている人を見かけて嬉しかった。
あと飼い猫に対して「陰キャ男子」「人間だったらキモいブログやってる」と評するの酷くて笑った。

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2025年10月03日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ん?確か歌人の方だったような。
歌集だと思って借りたらエッセイだった。
日本一有名なニート?
今は蟹ブックスの店員さん!?
どんな経緯で読みたいリストに入れていたのか全然思い出せない。

冒頭示される思考回路はあまり共感できないもの。
「ずっと何も背負わない自由な状態でいたかった。」
「とにかくひとりで気ままに毎日ふらふらしていることが、自分にとって大切だった。」
「あまり働かずに毎日ゲームとかをして暮らしていた。」
「いつまでこんな感じでやっていけるのだろう、ということは、あまり真剣に考えてはいなかった。」
「まあなんとかなるんじゃないか、と思っていた。」

いや、そういう気持ちになることもあるけど、それを起点にそこまで突き抜けた生き方するのは相当無謀、無計画さの成せる業で、それなりに清濁飲み込んでなんとか現実を生きている身からすると、お気楽さをやっかむ気持ちばかりが生まれてしまった。

ところが読んでいくと、ところどころなるほどと思える示唆がある。
ベースには働きたくないとか、お金は持ってる人から恵んでもらえばなんとかなるというフリーライダー的発想があって、反発を覚えるまではいかずともやや違和感から始まるのだが、その生き方をしてきて行き着いた教訓的なものがゆる〜く刺さってくる。

あれ?なんかその教訓、自分のこうでありたい立ち振る舞いをしたときにも通ずるものがあるぞ。
やってみた者にしか言えない痛さがあるぞ。

周りと比較しないとか、お金に執着しないとか、独りでも大丈夫とか、積極的なリーダーシップよりもくるもの拒まず去る者追わずの姿勢だとかphaさんの生き方、濃度こそ違えどベクトルは同じのような気がする。
そしてそのベクトルの極端な生き方をしてきた経験者としての後悔、反省未満の気付きがぷすーっと刺さる。

そもそもタイトルにして、あるやり過ぎた一時代の終焉を偲ぶ一抹の哀愁が漂う。
好き勝手やることに昔ほど楽しさは感じなくなったとか、一般的な人の感覚がやっとわかったとか、今更な悟り。
かと言ってこの結末が予見できていたら他の生き方が出来たかというと、そうでもなく人はその人らしくしか生きられないというような諦め。
だからこうしとけみたいな押し付けがましさもなく、ああしとけば良かったみたいな弱音もない。
心境の変化はあっても熱量は驚くほどない。
何とも言えないぬるい温度感なのに妙に目が覚める今までにない心地。

ふと、これが本当に感じていることではなく、ニートの顛末のちょっとした不本意事例として今ならウケるのではと狙ったものだったらとんでもない策士、紡ぎ手だなとひねくれた見方もしてしまった。

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2025年09月20日

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