【感想・ネタバレ】パーティーが終わって、中年が始まるのレビュー

あらすじ

定職に就かず、家族を持たず、
不完全なまま逃げ切りたい――
元「日本一有名なニート」がまさかの中年クライシス!?
赤裸々に綴る衰退のスケッチ



「全てのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、怖いものは何もなかった。
何も大切なものはなくて、とにかく変化だけがほしかった。
この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。
喪失感さえ、娯楽のひとつとしか思っていなかった。」――本文より
若さの魔法がとけて、一回きりの人生の本番と向き合う日々を綴る。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

自分は厭世的な物の見方が好きではないので苦手かもしれないと思いきや、とても楽しめた。

シェアハウスで生きていきたいとは思わないが自分も人付き合いに対して「来るもの拒まず去る者追わず」というスタンスを持っており、「読書と散歩と新しい出会いさえあれば人生は十分に楽しい。豊かな人生にそこまでお金は必要ないだろう」という考えを持っているので、こういったスタンスを極限まで実践するとどうなるのかを垣間見た気分になった。phaさんにとって、読書と散歩と人との出会いは創作をするための手段であり、創作意欲が削がれると昔ほど楽しめなくなってしまった、というくだりには考えさせられた。私にとってここでの創作活動に該当するものはあるのだろうか。自分も歳を取ったら、似たような虚無感を抱くことがあるのだろうか。

予想していたほど厭世的でも自虐的でもなく、淡々としていてどこまでも素直で正直な文体であった。無邪気さと、どことなく幼稚さを感じるほどの素直さであった。phaさんが50代になった時に何を書くのか是非読んでみたい。

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2026年02月17日

Posted by ブクログ

ネタバレ

私は少しだけ著者より若い。それでも自分から若さがどんどん抜けてきて、今までできたことができなくなる、体感的にワイワイするのが厳しい、衝動だけでなんとかやっていた間に他の人が淡々と積み重ねで仕事や生活をこなしている事実、などなどが突きつけられた。儚さ、とは少し違う何か哀愁のようなものを読み取り年を取ることについて考えざるえないと改まった気持ちになってしまった。あとがき(だったか?)にある通り、40代と青年期(30代含め)すぐ後に書かれたことでシェアハウス運営の時代などに瑞々しさが光る描写があった。

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2026年02月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

著者と同じタイプの人間なので、分かる〜と思いながら読んだ。でも40代に突入していないので、老いを感じる気持ちは未来の自分を見ているようだった。
老いの何が辛いって自分が衰退していくのを感じるから。この本のタイトル通り、パーティ(=若さ)が終わって、喪失感と共に静かに生きていくのしんどそう。でもそれすらも悪くないって思えるようになるのが老いるってことなのかな。40代まであと数年なので、自分がどんな心境になるか楽しみになってきた。

外食が裕福層の文化に日本もいずれなっていくっていうのは、最近思っていたことなので同じ意見を持っている人を見かけて嬉しかった。
あと飼い猫に対して「陰キャ男子」「人間だったらキモいブログやってる」と評するの酷くて笑った。

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2025年10月03日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ん?確か歌人の方だったような。
歌集だと思って借りたらエッセイだった。
日本一有名なニート?
今は蟹ブックスの店員さん!?
どんな経緯で読みたいリストに入れていたのか全然思い出せない。

冒頭示される思考回路はあまり共感できないもの。
「ずっと何も背負わない自由な状態でいたかった。」
「とにかくひとりで気ままに毎日ふらふらしていることが、自分にとって大切だった。」
「あまり働かずに毎日ゲームとかをして暮らしていた。」
「いつまでこんな感じでやっていけるのだろう、ということは、あまり真剣に考えてはいなかった。」
「まあなんとかなるんじゃないか、と思っていた。」

いや、そういう気持ちになることもあるけど、それを起点にそこまで突き抜けた生き方するのは相当無謀、無計画さの成せる業で、それなりに清濁飲み込んでなんとか現実を生きている身からすると、お気楽さをやっかむ気持ちばかりが生まれてしまった。

ところが読んでいくと、ところどころなるほどと思える示唆がある。
ベースには働きたくないとか、お金は持ってる人から恵んでもらえばなんとかなるというフリーライダー的発想があって、反発を覚えるまではいかずともやや違和感から始まるのだが、その生き方をしてきて行き着いた教訓的なものがゆる〜く刺さってくる。

あれ?なんかその教訓、自分のこうでありたい立ち振る舞いをしたときにも通ずるものがあるぞ。
やってみた者にしか言えない痛さがあるぞ。

周りと比較しないとか、お金に執着しないとか、独りでも大丈夫とか、積極的なリーダーシップよりもくるもの拒まず去る者追わずの姿勢だとかphaさんの生き方、濃度こそ違えどベクトルは同じのような気がする。
そしてそのベクトルの極端な生き方をしてきた経験者としての後悔、反省未満の気付きがぷすーっと刺さる。

そもそもタイトルにして、あるやり過ぎた一時代の終焉を偲ぶ一抹の哀愁が漂う。
好き勝手やることに昔ほど楽しさは感じなくなったとか、一般的な人の感覚がやっとわかったとか、今更な悟り。
かと言ってこの結末が予見できていたら他の生き方が出来たかというと、そうでもなく人はその人らしくしか生きられないというような諦め。
だからこうしとけみたいな押し付けがましさもなく、ああしとけば良かったみたいな弱音もない。
心境の変化はあっても熱量は驚くほどない。
何とも言えないぬるい温度感なのに妙に目が覚める今までにない心地。

ふと、これが本当に感じていることではなく、ニートの顛末のちょっとした不本意事例として今ならウケるのではと狙ったものだったらとんでもない策士、紡ぎ手だなとひねくれた見方もしてしまった。

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2025年09月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

10代20代必読の書。
でも読まないし読んでもピンと来ないんだろうな。

『波』(山本有三)にあるように、人生は「永遠回帰」の波みたいな話で、その時点では通じないんだろうな。


若さが過ぎ去り、40代という人生の転換期に差し掛かった著者の心境が率直に綴られた一冊。
かつて「日本一有名なニート」と呼ばれたphaさんが、猫と暮らし、書店で働く現在の生活を「ずっと続けたい」と語る姿に、変化のない日常への安堵と、誰しもある若さの終焉への戸惑いが感じられます。

ユングが40歳を「人生の正午」と呼んだように、中年期は自己再生の好機であると同時に「人生最大の危機」とも言われます。エリクソンの理論でも40〜64歳は壮年期とされ、まさにこの時期に「中年の危機(ミッドライフ・クライシス)」が訪れるとされています。このエッセイは、そうした心理的な揺らぎを、ユーモアと哀愁を交えて描いています。
人生100年時代なんて言葉はプロパガンダにすぎない(事実2024年の健康寿命は男性が72.68年、女性が75.38年)

若い頃は、何をしても楽しく感動も多い。しかし年齢を重ねるにつれ、気力も体力も落ち、感受性も鈍くなっていく。そんな「衰退のスケッチ」を正面から描いています。
これがすごい。

シェアハウスでの生活も、年下ばかりになってきたことで「これでいいのか」と悩むようになり、若者向けの空間に違和感を覚えるようになったと語ります。
あと性欲についても率直に書かれています。

ふと先日書いたように、"(若い)女性と食事したがるおじさん”や"ワンチャンおじさん"って根っこで繋がっている話書きましたが、フジテレビの中居正弘の件でもくだんの女性アナが「お父さんと同じくらいの年齢のおじさんとなんてありえない」というような由をどこかで読んだのも同じ。
若い世代から見たらいくら芸能人とはいえ確か事件の時の中居の年齢は51歳だった。


年齢を気にしないでうまくやり切れる、と若い時分に自分は思っているのかもしれませんが、そういうふるまいをしている年配者をみて「イタい」と思うわけで、この矛盾こそここで書かれていく、「もう取り戻せない自分」になるわけです。

儒教的とか、そういうのも人間の知恵の一種と考えればわかると思う次第。
おじさん世代がイタさどころか痛さを感じるだろう。

人間関係について、「掘り下げず、なんとなく一緒にいる」ことの居心地の良さと限界が描かれています。若い頃は自分の楽しさを重視し、客観的な評価を気にしなかったのが今では「自分が死ぬまで逃げ切れるか」という視点を持つようになったと語っています。
これは若さへの生々しい憧憬と、それに伴う価値観の変化に戸惑う姿が一貫して書かれており
人生の「答え合わせ」と言えるのだ。
N値ではあるが浅田彰「逃走論」へのアンサーでもあるかも。


いろいろ感じる文。

いつまでもいつだって、自分と現実とのあいだには、見えない薄皮が一枚はさまっていて、そのせいですべてがフィクションのように思えていた。どうしたら他の人と同じように、現実をリアルに感じることができるのだろう。もっとちゃんと、現実とつながりたい。この薄皮を取り去りたい。(p14)


そんな自分が、四十歳を超えてからは、少しちゃんとした服を着るようになった。といってもそんなに大したことはしていなくて、あまりにもくたびれた服は捨てて、ユニクロやG
Uや無印良品でシンプルな服を買うようになったとか、一か月半に一度は髪を切るようになった(中略)
別に、お洒落になりたい、と思ったわけではない。中年男性があまりにもほったらかしの見た目をしていると、不審者だと思われて警戒されそうだからだ。
若い男子がボサボサの髪の毛でヨレヨレの服を着ていても、まあこの子は見た目に頓着していないんだな、と思われるだけだろう。
中年以降の男性がだらしない格好をしていると、なぜ危険な雰囲気になってしまうのだろうか。(p19)

年をとるにつれて、その人がどういうタイプの人間かということにかかわらず、自然に存在感というものが増してきてしまう。
年上の人間が場にいると、軽く扱いにくい。無視しづらい。いるだけで威圧感を放ってし
まう。
権力というもののもっとも些細な始まりは、その人がいるとなんとなく無視しづらいという雰囲気だ。年功序列というシステムが根強いのは、年上の人を軽く扱いにくいという人間の自然な感覚を基盤にしているからだ。(p20)


昭和的な店よりも平成的なチェーン店のほうが好きだ、と思っていた自分が、令和の今になって、こんな昭和の遺産のような店に通うようになるとは思わなかった。(p54)


今はツイッターを見てもユーチューブを見ても、自分の好みのコンテンツが無限におすすめで流れてくる。その情報の洪水から感じ取れるメッセージは「特に向上なんてしなくていい。この無限のぬるま湯の中に浸っていればいい」というものだ。(p70)


昔の自分は同じ店に通い続けるのが嫌いだった。それは堕落、つまり、環境をこまめに変えることで受け取れる刺邀を放棄する愚かな行為だと思っていた。毎日同じ街にいるのも嫌で、用もないのにいろんな違う街に出かけていたりもしていた。
いつからか、そういうのが面倒だ、と思うようになってしまった。(p150)

猫についても

シェアハウスに住んでいた頃は、猫は、住人や家具やゲーム機などと同じ、シェアハウスという場を成立させるための、舞台装置のひとつという感じだった。(p165)
誰とも会わずに部屋にこもってずっと猫とだけ接していると、猫と自我が融合してくるような感じがしてくる。(p166)
猫のいいところは人間扱いをしないでいいところだ。実際に、人間ではないからだ。
一方的にかわいがりまくって、奇声を発しながら毛の中に顔を埋めたりおなかを撫で回したり、勝手に写真を撮ってSNSに上げまくったりしても何の問題もない。(p167)
十年後はきっと、この猫たちはもういなくて、僕は五十代半ばになっている。五十代、重いな・・・・。そんな状況で一体どうやって生きていけばいいのだろうか。全く想像ができない。(p169)
例えば離婚をして落ち込んでいる人を見ても、さすがに口には出さなかったけれど、「これからは一人で自由に好きなことを何でもできるし、むしろよかったんじゃないか」というくらいに思っていた。
でも、これは僕で言うと、猫を失ったのと同じかそれ以上の悲しみなんだな。それならわかる。理解できる。(p170)

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2026年06月27日

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