【感想・ネタバレ】学校と日本社会と「休むこと」 「不登校問題」から「働き方改革」までのレビュー

あらすじ

学校に行かないのは「問題」?
身体を壊しても部活動に打ち込むのは「美しい」?
教育現場や社会を取り巻く「皆勤」の空気と、
ワークライフバランスを教育相談の第一人者と考える。

学校に行かないことが不登校として「問題」だと言われるのはなぜか。身体を壊しても打ち込んだ部活動が「美しい」のはどうしてか。多年にわたり教育相談に従事してきた著者がみた日本社会、はなはだしくは過労死にもいたる「皆勤」の空気と、それに囲まれた現代学校の姿を浮き彫りにする。


【序章より】
日本社会ではコロナ禍前から「働き方改革」が叫ばれていました。しかし、過労死・過労自殺が喫緊の課題と認識されるようになってから約30年、遅々として進まないようにも見えてしまいます。日本社会の働き方、特に長時間労働を変えるのにどうしてこれほど時間がかかるのかという疑問と、コロナ禍を経験しても「休むこと」についての意識・行動が変わらないことが私の中で結びついていきました。わかりやすく言えば、学校教育に原因があるのではないかということです。本書は、日本社会の長時間労働と学校教育の「欠席」を結びつけて考えるようになった道筋を記すことになります。


【主要目次】
序章 「休むこと」についての意識は変わってきたのか?

第Ⅰ部 日本社会と「休むこと」

第1章 「休むこと」についての意識変化
1「休むこと」は悪いこと?/2「過労死」は日本特有?/3「働き方改革」が始まる/4有給休暇の取得義務/5勤務間インターバルの努力義務化/6男性の育児休暇取得

第2章 日本社会の働き方
1半ドン?/2「24時間戦えますか?」/3「過労死」への注目/4首相も「過労死」/5自殺の増加と「過労自殺」への注目/6労働時間の減少とサービス残業/7電通第二事件の衝撃

第3章 長時間労働と勤務間インターバル
1国家公務員の場合/2 二つの「2024年問題」

第4章 教員の場合
1一年以上の休職者と教員の自死/2教員の「働き方改革」/3長期の病気休職取得者と早期退職者/事例研究から浮かぶ実態

第Ⅱ部 スポーツ界と「休むこと」

第5章 高校野球と「休み」
1高校野球の「休養日」/2「球数制限」の導入/3佐々木朗希選手の決勝「登板回避」/4「投げすぎ」は体によくない

第6章 近年のスポーツ界等の動向
1大坂なおみ選手の記者会見拒否/2バイルス選手のオリンピック決勝棄権/3水泳萩野公介選手の休養/4バスケットボール馬瓜エブリン選手の休養/5サッカー界

第7章 高校野球の今後
1 2023年春の全国大会とWBC/2「休養日」導入まで/3「球数制限」?/4監督の「休み」?

第Ⅲ部 学校教育と「休むこと」

第8章 皆勤賞という存在
1皆勤賞の消滅/2「ワークライフバランス」

第9章 「出席停止」という規定
1「出席停止」と皆勤賞/2「出席停止」と「勤務間インターバル」「球数制限」との共通性/3文部科学省の長期欠席・不登校調査における混乱

第10章 入学試験における「欠席」
1大学入試の場合/2高校入試の場合/3その他の試験における欠席及び追試

第11章 学校の部活動におけるガイドライン
1ガイドラインによる活動制限/2部活動の「休み」?/3部活動の位置づけ/4二つの「がんばる」

第Ⅳ部 「休むこと」について考える

第12章 「欠席」からみた戦後学校教育
1「学校は行かなくてはならない」という通念/2「学校を休むことは悪いこと」

第13章 具合が悪くても休まない学校教育
1「長期欠席」から取り出された「不登校」/2「学校を休んではいけない」という呪縛/3毎日学校に行く児童生徒/4「不登校」のグレーゾーン

第14章 「長期欠席」に注目しなくなった学校教育
1不就学への無関心/2一年以上居所不明児童生徒の見落とし/3虐待及び非行事件を契機とした「長期欠席」調査/4日本社会における「不登校」という認識とバックラッシュ

第15章 「休むこと」についてのルールと無知学
1高校の「欠席」についてのルール/2働く人にとっての「休むこと」についてのルール/3無知学という視点

第16章 学校教育における「しつけ(躾)」
1学校教育の社会化機能/2発達課題としての勤勉性再考/3年休をどのように使っていますか?/4「休まない美学」と「休む美学」そして再び「皆勤賞」

終章 欠席と遅刻

コラム 病気休暇と休職制度/過労死・過労自殺の認定/教員不足/マラソン円谷選手の自死/長期欠席・不登校調査の変更/大学入学共通テストの追試/フランスはいかにして「バカンス大国」になったのか/ガイドラインが求める大会の見直し

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

長時間労働への依存は、学校教育でのしつけに続く、高校・仕事での休みのルールの無知化により支えられているのでは、とのこと。高校野球など部活動ついても。
「「これくらいできないと困るのはきみだよ」?」で紹介があった本。

0
2025年10月03日

Posted by ブクログ

ネタバレ

休むということが、学校の児童生徒のときから嫌われてきて、皆勤が規範とされてきたことの説明である。教員の自殺が事例を多く取り上げている。それだけでなく、スポーツについてもトーナメント方式なども考えられている。一方長期欠席の児童生徒への無関心ということで、行政が対応していないことも問題として取り上げている。
 教師になる学生はこれをぜひ読んで、少なくとも自分は休みを取るような教師になることを目指すのがいい。

0
2025年08月10日

Posted by ブクログ

冒頭から読み進めていくうちでは「働き過ぎ」を筆頭にした日本社会における労働社会学の分析がメインだが、その淵源としての教育のあり方を分析する(筆者の専門はこちら)という形で個人的な興味と導入の仕方が噛み合った。問題としても装丁の雰囲気もお固めだったが、掘り出し物といった出会い。

0
2025年07月05日

Posted by ブクログ

【目次】

序章:「休むこと」についての意識は変わってきたのか?

 第Ⅰ部 日本社会と「休むこと」
第1章 「休むこと」についての意識変化
第2章 日本社会の働き方
第3章 長時間労働の勤務間インターバル
第4章 教員の場合

 第Ⅱ部 スポーツ界と「休むこと」
第5章 高校野球と「休み」
第6章 近年のスポーツ界等の動向
第7章 高校野球の今後

 第Ⅲ部 学校教育と「休むこと」
第8章 皆勤賞という存在
第9章 「出席停止」という規定
第10章 入学試験における「欠席」
第11章 学校の部活動におけるガイドライン

 第Ⅳ部 「休むこと」について考える
第12章 「欠席」からみた戦後学校教育
第13章 具合が悪くても休まない学校教育
第14章 「長期欠席」に注目しなくなった学校教育
第15章 「休むこと」についてのルールと無知学
第16章 学校教育における「しつけ」
終 章 欠席と遅刻

0
2024年11月13日

Posted by ブクログ

コロナ禍を経験した現代社会において、明らかに「休む」ことへの意識が変わりつつある。無理してでもマスクしてでも学校や仕事に行くのが当たり前だった世の中が、諸外国と同じようにしんどい時は菌の拡散を防ぐ・そして自分や同僚のために休む、ということが当たり前になりつつある。自分の中でもちょうど平成から令和になったあたりから休むことの重要性に気づき、意図的に休むことも覚えた。風邪やコロナ・インフルエンザ等感染性の疾患はもちろん、精神疾患や過労でおかしくなる前に休む、そんな世の中に日本は早く舵を切るべきだと、痛感させてくれた一冊だった。

p.37 現在、このサービス残業に対しては、労働基準監督署が監督指導を行った賃金不払い残業の是正結果を公表しています。それによると、二〇二一年度の調査でサービス残業が発覚して指導を受け、未払いだった残業代を一社で一〇〇万円以上支払った企業は一•六九社と公表されました。中には、合計で三億七一
00万円にものぼる企業もありまず。また、JR西日本は、二〇二〇年四月から二〇二一年一月までで五五人に計約一三〇〇万円の賃金未払いがあり、うち八人は労使協定を超えて月八〇時間以上の時間外労働(残業)をしていたことを明らかにしましょた。民間企業におけるサービス残業の実態が、その一部にしてもこうして明らかになってきていますが、「氷山の一角」にすぎないという指摘もあります。先の明石氏(二〇一九年)は、この状況をたとえて「みんなが制限速度を破って車の運転をしているような状態」と述べて、「だから事故(過労死・過労うつ)が発生し続ける」と警告しています(二九ー三一頁)。

p.73 この事例調査では教員の性格など個人の側ではなく、構造的な、いわば環境に原因を求める立場からの分析を行
(注10)
い、共通に浮かび上がってきた要因が以下の三つです。
①教員にとって転勤(異動)は「危機」であり、ストレス要因になる。
②生徒指導上の問題がストレスとなる。
③特定の保護者の「クレーム」がストレスとなる。
より具体的には、異動して学級崩壊した小学校高学年を担当する、生徒指導が困難な中学校二年生の担当となる、進学校(高校)から教育困難校への異動などです。特に毎年のように異動する教員が多い学校こそ要注意です。こうした特定の学校で長期に休む先生が出ているということになります(保坂、1100
九年)。
おりしも二〇二〇年一二月、公立小学校のークラスの児童数の上限が四〇人から三五人に引き下けられることが決まり、新たに必要となる教員は五年間で約一万三〇〇〇人となります。ところが、教員不足はさらに深刻さを増し、文部科学省が初めて実施した調査によれば、二〇二一年度始業日時点において、全国で二五五八人もの不足が明らかになりました。様々な報道でこの事実を知った方も多いでしお。
「教員の不足」は全国で起きていることですが、その不足のまま相当期間(場合によっては一年近く)、人員が補充されないということが起きているということになります。これは一五人で戦うラグビーに例えれば、欠員一名のまま一四人で戦うようなものです。しかもこの女員を残りの教員で補わなければならないことによって生じるさらなる過重労働から、もう一人(つまりは二人目)が休むという状況が起きています。この問題を追ってきた朝日新聞の氏岡真弓氏(二〇二三年)は、これを「連鎖休職」と表現しています。私も、こうした実態を先に述べた講習・授業での教員たちとのやりとりから得ましたが、「教員不足」の実態はきわめて深刻です。
こうした危機的な状況の根本は「ブラック」と言われてしまうほど過酷な教員の労働環境にあります。
すでに教員の「長時間労働への依存」はもはや限界に達している、あるいは限界を超えていると考えられます。これに関しては、「定額働かせ放題」と揶揄される四%調整額が、ようやく政策レベルでも議論されるようになりました。また、こうした問題に真っ向から立ち向かう書籍等が出てきています(例えば、高橋哲「聖職と労働のあいだー「教員の働き方改革」への法理論」や妹尾昌俊「「忙しいのは当たり前」
への挑戦』など)。今後のこうした議論の行方と政策レベルでの「教員の働き方改革」を注視したいと思います。
ただし、ここで取り上げたのは教育公務員である公立学校教職員(正規職)だけです。現在一五%も占めるという非正規の教員と私立学校教員の実態(データ等)はわかっていません(山崎他、110二三年)。
その両方が重なる私立学校の非正規教員では、「使い捨て」と言われるような事例がみられも。例えば、横浜市の橘学苑では、過去六年間で百人以上の教員が退職していることから労働組合が結成され、非正規職員の不当解雇・残業代未払い等に対して二•二〇年七月にストライキが実行されました。これを理由に解雇された教員二名が学校に対して撤回を求める訴訟を起こしましたが、東京高等裁判所による和解で「不当労働行為」が認められ、陳謝文がホームページに掲載されたところで。こうした事例からも、ま
にいくつもの私立学校でストライキが起きていることからも、その実態が推察できます(今野、2019)
なお、公立学校数無員にはストライキ権は認められていません。

p.112 それにしても、高校野球界と日本社会は、こうした「投げすぎ」に対して、休養日や球数制限、つまりは「休むこと」を認めるようになるまで、どうしてこれほどの時間がかかったのでしょうか。牧野会長の休養日の提案から実際の導入まで実に二〇年もかかっています。それはやはり、「がんばること」、無理をしてでも「がんばること」に価値を置く日本社会の真ん中に、高校野球があったからではないかと、私は考えています。その周りには、それこそ二四時間戦う(=働く)ことを讃えてしまう日本社会が広がっていました。それゆえにこそ、働きすぎて体を壊してしまう大人と、投げすぎで肩・肘などを痛める野球少年が、私には重なって見えたのです。牧野会長が休養日を提案してからその導入までの年月は、一九九〇年代の過労死・過労自殺への注目から二〇一〇年代の本格的な「働き方改革」に取り組むまでとほは同時期ですが、その重なりが国然とは思えません。
そして、第1部で注目した「働き方改革」で長時間労働を規制するための切り札とまで言われている「勤務間インターバル」は、高校野球の「球数制限」と同じ位置付けとして捉えることができます。「がんばること」に価値を置くことが間違っているわけではありませんが、無理をしてでも「がんばること」までいくとどうでしょう。さらに、どこまでも無理をして「がんばる」となるとその程度によっては疑問です。そうは言えても、実際にここから先は「無理」できないと線を引くことはおそらく本人にも周囲にも難しいことでしょう。そもそも休むこと自体、第6章で取り上げた大人のスポーツ選手たちでさえ難しかったと告白しています。それゆえ強制的に「休ませる」手段である、「勤務間インターバル」や「投球制限」が必要になったのではないでしょうか。

p.129 本章1の皆勤賞廃止議論で再三指摘されてきたのが、皆勤賞を目指して具合が悪いにもかかわらず登校してしまう児童生徒でした。(そうした児童生徒がどうして出てきてしまうのかは第I部で改めて議論します。)第1章1で述べたように、これまでのインフルエンザの流行とその時期に学級(学年)閉鎖が繰り返されたこと自体、罹患した児童生徒が無理をして登校してしまったからとも考えられます。コロナとの同時流行が予想されたこの三年に、インフルエンザの流行がなかったことが、罹患した人がきちんと休めば感染拡大は防げるということを証明したようにも思えます。つまり無理をしてしまう当事者本人、働き手に対する「勤務間インターバル」、高校生投手に対する「球数制限」、そして児童生徒に対する「出席停止」はいずれも、強制的に「休むこと」を命じる制度という共通性が浮かび上がってきます。

p.165-167 4二つの「がんばる」
障害者文化論研究者を名乗る荒井裕氏は、「がんばる」には「はつらつ系」と「忍耐系」の二つがあ
(注8)
ると述べています。「はつらつ系」が「当人が好きなことや望ましいことに打ち込む様子を肯定的に捉える際に使われる」のに対して、「忍耐系」は「当人が不幸な出来事に巻き込まれた際、くじけそうな気持ちを鼓舞するために使われる」と説明しています。もちろん、「両者の区別は曖昧」ですが、「本当に必要な区別が付かなくなってしまう」ことがないよう「違いに自覚的でいたい」とも記しています。そして、日本社会が東日本大震災ではこの言葉を「自粛した」のに対して、コロナでは「むしろ積極的に使われてきた」と述べて、「もしかしたら両者をあえて取り違えたい人がいたのかもしれない」と結んでいます。
この説明を借りれば、部活動をがんばる子どもたちは、本来は「はつらつ系」と言えるでしょう。しかし、具合が悪いときでも学校に行こうとする子どもたちに使うとなると「忍耐系」が混じることになり、本書ではそうした「鼓舞」や「叱咤激励」はどうなのだろうかと疑問を呈していることになります。学校教育の中で、この「がんばる」ことは良いことであり、「がんばれ」という「鼓舞」や「比咤澈励」が多用されてきたことは間違いありません。これを部活動のところで説明したのは、「両者の区別は曖昧」で、「本当に必要な区別が付かなくなってしまう」例として部活動が典型的だからです。例えば、高校野球で甲子園を目指す高校球児や吹奏楽部でコンクール全国大会出場を目標とする「はつらつ系」の「がんばる」生徒たち。そこには本章で示したデータのように長時間の練習が存在しがちです。しかも、それを生徒たちが望んだからという形をとり、目標に向かって当人が好きなことや望ましいことに打ち込む様子を肯定的に捉えてがんばるように励ます大人が導入したとも言えます。
この辺りについて、先に紹介した『響け!ユーフォニアム」のエピソード(全国大会出場を本気で目指すかどうかを自分たちで決めるという顧問からの提案)に対して、主人公の心情は以下のように描かれています。
「自分で決める」という耳あたりのいい言葉がいかに厄介であるか、この大人(引用者注:提案した願間の滝先生)
は知っているのだろうか。久美子は息を吐くと、密かに周囲の様子を探ってみる。自分の意見だけが浮いてしまわないようにするためだ。(武田、二〇一三年五三頁)
もし、部員全員が「はつらつ系」ではないとしたら、それこそ「忍耐系」の「くじけそうな気持ちを鼓舞するために使われる」がんばれという叱咤激励が混じることになります。このような状態で「がんばれ」と励ます大人は二つの「がんばる」の違いを自覚しているのでしょうか。そこに「本当に必要な区別が付かなくなってしまう」ことはないのでしょうか。第I部で取り上げた過労死・過労自殺の裁判において、使用者側がその働き方、つまりは長時間労働を「本人が望んだ」と述べたことを考えると、この「忍系」への叱咤激励は、「長時間労働への依存」という日本社会の働き方の中でも起きていることではないでしょうか。
本書の主題である日本社会に広がっている「長時間労働への依存」を学校教育との関連から捉えようとしたとき、この部活動の影響はとても大きいのではないかと私は考えるようになりました。最後の第IV部では、この部活動も含めた学校教育が、「長時間労働への依存」という日本社会を作り出してしまったのではないかという「仮説」を、戦後教育全体を視野に入れて掘り下げてみたいと思います。

p.170 フランスはいかに「バカンス王国になったのか」ーー「休み下手な国」から「休むために働く国へ」
フランスにおいて国の制度として整えられてきたバカンスは、「数週間まとまった日数、仕事を休む期間を意味します。現行の法律では、五月一日~一〇月三一日の間で原期一二ー二四日間、自宅以外の場所で過ごすというのが典型的で、「バカンス大国」と言われるのもうなずけます。その個定が受うまくの生紹介した高崎順子氏(二〇二三年)は、それが「自然のなりゆき」でそうなったわけではないと以下三つの段階を説明しています。
①バカンス元年(一九三六年)
全労働者共通に年休暇制度として「勤続一年以上で一年に一回、原則連続取得で一五日間(可能な限り公教育の夏休み期間に合わせる)」が法律で保障されました。そして、国が主導してバカンスを取らせるための部署(「余暇整備・スポーツ担当局」)が誕生し、割引乗車券の発行など具体的な対策が打ち出されます。
とはいえ当の労働者からの反応は冷ややかで、長い余暇など経験したことのない人々にとっては、その価値も意味も理解できないものでした。それまでバカンスは富裕層の慣習で、庶民にとってはむしろ悪い印象(金持ちの道楽)があり、また費用の問題も大きかったと考えられます。それゆえにこそ先の具体策(割引乗車券)などが有効だったのでしょう。
②戦後復興期における定着
戦後復興期から経済成長が続き、フランスでも「栄光の三〇年」と呼ばれる時期に国民生活が豊かになっていきます。それにつれて収入の一部を貯蓄から毎年のバカンス予算に回す余裕が生まれました。上記①の年次休暇に支えられた夏のバカンスがフランス社会に本格的に定着し、働く人の八割が長期休暇を取れるようになっていきました。同時に、高速道路の整備や、避暑地の開発などインフラの充実がそれを支えました。
③不況期の経済対策(一九八〇年代)
一九八〇年代には、不況対策として年次休暇とバカンスを活用しようとさらに制度を充実させました。ミッテラン大統領が「ワークシェア」を掲げ、国民の余暇時間を増やす方向(上記①の年次休暇を五週間に延長、週労働時間の段階的短縮、残業時間の上限規制など)を目指したのです(二〇〇二年、週三五時間労働法成立)。そして、経済格差解消のため「自由時間省」が創設され、福利厚生の一環としてバカンス小切手
制度(バカンス取得に対する経済援助)が始まりました。
私がここから学べると考えたのは、やはり第一段階の国家主導という導入の形です。このスタートがあってこそ、人々の生活が豊かになっていく第二段階でバカンスが本格的に定着し、国中に広がっていったのでしょう。この時代に日本も同じような高度経済成長期を経験しながら、本書が注目する「長時間労働への依存」が始まってしまったことを考えると対照的です(第2章参照)。ちなみに、日本でも「休暇が経済活性化になる」とした報告書(副題は「一二兆円の経済波及効果と一五〇万人の雇用創出」)が二〇〇二年(経済産業省)に出されていますが、その中でもフランスが不況対策としてバカンスを活用したことがふれられています。しかし、今からでも経済対策としての働き方改革や「勤務間インターバル」導入(第3章参照)にあたり、こうした国主導が有効だと学ぶことはできます。
もう一つ大事なことは、「社会にはバカンスがなぜ必要か」、「どんな過ごし方をするのが望ましいのか」を国レベルで考えて整備してきたことでしょう。そもそも「余暇=自分が好きに使える、自由な時間」とし、その余暇こそ「生きる喜びと、人としての尊厳を知ることができる時間」と定義するというのが哲学の国フランスらしいと感じてしまいます。その定義をふまえて、国レベルで考えるという点は参考にしたいものです。
高崎氏は上記の法制化当時に反対した労働者たちの反発が日本と「そっくり」で、フランスもまた「休めない国」だったと知ったことが紹介のきっかけだったと記しています。「今の日本には、働き方と同じだけ、休み方を考えることが必要」という氏の提言に私もまったく賛成で、「学校を休むこと、そして仕事を休むこと」について考えることを呼びかけたいと思います。

p.197 4「不登校」のグレーゾーン
今から三〇年前に不登校の「グレーゾーン」という概念が提唱されました。教育社会学者の森田洋司氏(九九一年)が、中学二年生を対象とした調査で、「学校に行くのがいやになったことがある」という質間に「はい」と答えた生徒は「登校回避感情」を持っていると考えたのです。そして「①登校回避感情を示すが、がまんして登校する生徒、②登校回避感情を示し、遅刻早退行動を取る生徒、③登校回避感情を示し、遅刻早退行動を含めて久席行動に至る生徒」を「不登校のグレーゾーン」と呼びました。このうち
②と③の遅刻早退・矢席行動を報告した生徒は全体の四分の一(二五・一%)になります。これに①を加えると全体のおよそ三分の二 (六七・一%)にもなります。

p.244 しかし、先に引用した岡本氏(二〇〇五年)は、喩えのしつけ糸について次のようにも述べています。
「着物を縫う時、あらかじめ形を整えるために仮に縫いつけておくのがしつけ糸ですが、大切なことは、いよいよ着物が本格的に縫い上がると、しつけの糸ははずす、ということです。糸はもはや不要であり、それが残っていることはおかしくなります。この「はずす」ことが、子どもの発達にとって重要な意味をもつのです」(二六頁)。この喩えを使うならば、「欠席」(あるいは「休むこと」)に関する「しつけ糸」が、学校から社会への移行を経てもなおはずされることなく続いてしまうことによって、「長時間労働への依存」を支えてしまったと考えられます。

p.245 最近、教師の多忙化をよく聞きます。「やりがいを持てば休みが少なくても働ける」という意見も聞くのですが、やはり祝日などに自分の時間を持ち、視野を広げることも必要だと感じています」。
これに対して回答者は次のようにも述べていることを補足しておきます。
「いいですね。あなたの意見に全面的に賛成します。二四時間教師であり続けてはいけません。いつでも教師であり続けると、あなたが心配しているように視野が狭くなってしまいます。クラスにはいろいろなタイプの子どもや保護者がいます。うまく対応するためにも教師は人間の幅を広げるべきです。また二
四時間ずっと教師であり続けると間違いなく心と体を壊します。教師として働く時と、そうでない時の切り替えが大切なのです」。
しかし、このやりとりには、「年休」=有給休暇が、働く人にとって「権利」であるという発想がまった
(注4)
くないことに驚いてしまいます。
側然にも同じ頃、「店長は土日に休んではだめ?」という投書をめぐってのやりとりが新聞に掲載され
(注5)
ました。その女性の「声」を要約して紹介すると、大手小売りチェーンで店長をしている夫が土日祝日は出勤で休みは平日というのが普通。子どもの行事に参加できないため、運動会のある土曜日に休みを取ったところ、上司から「パワハラになるので休むなとは言えないが、休む理由としては弱い。この仕事をしているなら考えた方がいい」と言われてしまったそうです。「でも、普段いろいろ犠牲にして働いているのは家族のためだと思います。繁忙期でない時期ぐらい、たまの子供の行事で土日に休むのを快く受け入れてくれないものでしょうか」と結ばれています。

p.247 4「休まない美学」と「休む美学」、そして再び「皆勤賞」ここで高校時代に「休まない美学」をたたき込まれたという投書(兵庫県三三歳)を紹介します。「休
まない」ことを「美学」と表現していたのが私には印象的でした。
始業前に部活の朝練。昼休みはグランド整備。放課後は、自主練習。引退の翌日から、お弁当を食べる間も電車の中でも受験勉強。それらが当たり前の環境で、疑問はなかった。「他が休んでいる時に新人が休んでどうする。差を埋めるために働け」。社会人になっても、上司の言葉を真に受け、走り続けた。三年後、心が折れた。何に対しても力が入らず、辞職(後略)。
その後、この方は「余白の大切さ」に気づき、「ぼちぼち行こうか」と週休三日にして心穏やかに健康的になったそうです。そして、「休憩しよう。懐よう。空を見上げよう。余白で心身を軽える「休む美学」。
高校時代の自分に教えてあげたい」と結んでいます





0
2024年07月25日

Posted by ブクログ

休んだら他人や会社に迷惑をかけるというが、それって本当に自分の健康や子どものイベントなどより大事なこと?休むことに罪悪感を感じすぎでは?など、問題提起してくれる本。
いろんな事例を用いてあり、個人的には納得感のある主張だった。

学校に通っているときは、皆勤賞があるように、休まないことが正義で、部活でも時間をかければかけるだけ良いような風潮に慣れてしまう。
それも長時間労働やサービス残業とかをしてしまう意識に繋がるのでは?という話は、確かになと感じた。
今までそういった切り口で休むことについて深く考えたことはなかったので、改めて適切に休みを取ること、休む方法を知ることは必要だと考えさせられた。

0
2025年04月06日

Posted by ブクログ

休むっていけないこと…?
って思ってたけどそうじゃなかった。

もちろん全部休みましょう!
とは言わないけど、保坂先生は「休むべき時には休んでいいんだよ」って書かれてる気がする。

みなさん、有給使ってますか?

0
2024年12月27日

Posted by ブクログ

皆勤賞はすごいことですが、求められるとつらいです。
働き方改革に取り組まれていますが、個人的にまだ休みをとりづらいと思います。

プラベートも大事にしていきたいので、仕事と休みのバランスをとっていきたいです。

0
2024年07月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

不足するマンパワーを超過勤務により補う働き方は、持続可能ではない。これの話を最近、ずっとしてた。休むことも推奨しながら、超過勤務は見過ごしているし、休むとやっぱり肩身は狭い。

学校教育において、欠席はいけない、迷惑をかけるとしつけられ、休むことについてのルールを伝えてもらえず、結果長時間労働へ依存するというのが結論として導き出される。

「休むこと」の固定観念と広まりつつある多様性。持続可能な働き方をしながら事業も持続するには。複雑にいろんなことが絡まってて、「休むこと」が当たり前に、ポジティブになるには、何からしたらいいのかとグルグルしている。

0
2024年11月03日

Posted by ブクログ

・過重労働と働き方改革と死と
・思い起こせばスポーツ選手をはじめとした
 選択的休養をよく見るようになった
・皆勤賞もすっかりなくなった(減った)なぁ

0
2024年10月13日

Posted by ブクログ

著者の「休むこと」へのこだわりを強く熱く感じる。常々、皆勤賞とか無遅刻とかには否定的というか休みがち、遅刻しがちな私でも若干気圧されるほど。
確かに社会の歯車となるべくマシン化する礎は義務教育の頃に植えつけられている。休んでも後ろめたさを感じる国民性。過労死に当てはまる他言語が無いなんて。

0
2024年07月06日

「学術・語学」ランキング