あらすじ
奇人にして天才――カテゴライズ不能の「知の巨人」、その数奇な運命とは
「知る」ことこそが「生きる」こと
研究対象は動植物、昆虫、キノコ、藻、粘菌から星座、男色、夢に至る、この世界の全て。
博物学者か、生物学者か、民俗学者か、はたまた……。
慶応3年、南方熊楠は和歌山に生まれた。
人並外れた好奇心で少年は山野を駆け巡り、動植物や昆虫を採集。百科事典を抜き書きしては、その内容を諳んじる。洋の東西を問わずあらゆる学問に手を伸ばし、広大無辺の自然と万巻の書物を教師とした。
希みは学問で身をたてること、そしてこの世の全てを知り尽くすこと。しかし、商人の父にその想いはなかなか届かない。父の反対をおしきってアメリカ、イギリスなど、海を渡り学問を続けるも、在野を貫く熊楠の研究はなかなか陽の目を見ることがないのだった。
世に認められぬ苦悩と困窮、家族との軋轢、学者としての栄光と最愛の息子との別離……。
野放図な好奇心で森羅万象を収集、記録することに生涯を賭した「知の巨人」の型破りな生き様が鮮やかに甦る!
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Posted by ブクログ
岩井圭也があの熊楠を描く、そりゃ期待するやろ。そしてその期待は裏切られることなく。
頭脳も行動も規格外のド迫力というのが、南方熊楠の魅力。彼を小説に書くなら、ファンタジーでもSFでも歴史偉人伝でも伝奇でもどないでも料理できるのに、岩井圭也は、人間熊楠を家族小説として料理してきた。父母や兄弟、奥さんや息子・娘との関わり。そして彼を支えてきた友人知人たちとの交流が物語のメインとなる。
奇矯な言動に、天才的頭脳とフィールドを駆け巡る肉体、天狗(てんぎゃん)の異名も大げさとは思えない熊楠が、周囲とどういう風に関わっていくのか?年齢・性別どころか生死の境すら破壊しての関わり合いは読んでいて息をつめ、文章が落ち着くごとにため息をつかざるを得ない。
昭和天皇への御進講がクライマックスになるんだろうなぁ。その場面も確かにいいが、俺は那智での研究生活シーンと高知から帰ってきた息子との交流シーン、そして最後の方の娘との交流シーンが好き。
超人であっても人間熊楠なんやな…それがとても良かった。
Posted by ブクログ
4歳の頃から頭の中で他の声が聞こえる熊楠。そしてその声は熊楠を煽ったり、不安にさせトラブルの原因になります。
弟に生活費を出してもらって研究をつづけるも、やがて…
ある程度南方熊楠のやらかし人生は知っていたけれど、めっちゃ面白くて一気読みしました。
弟の「那智山から下山してほしくなかった」という、弟が思い描いた兄でいて欲しい気持ち…那智山は平安の時代から霊験あらたかな場所なので、余計に兄が現実離れしたイメージから一転して成り下がったと感じたのかも知れません。弟の痛烈な一言が悲しすぎました。
そして息子の病気…辛すぎる。
所々にでてくる和歌山弁「お休みよ(お昼以降に言うバイバイ)」「ふうわり(格好悪い)」「~しよら(~しよう)」など、和歌山県出身の私としては、懐かしくもあり、この方言をここに持ってくるのは絶妙!と思うところもありました。
年を取って体も弱り、やがて悟っていく熊楠。家族や周囲の人あってこその濃い人生でした。
Posted by ブクログ
この世の全て、そして、己を知り尽くしたいと願った南方熊楠は、何か一つの単語をもってカテゴライズすることはできない唯一無二の存在感を持っている。
膨大な記憶力を持ち、自分の興味にまっしぐらな幼少期を過ごした熊楠。青年期には家族の援助があり、アメリカやイギリスへ渡航する。そこで学問を深めるも、脳病の影響もあって周囲の人とトラブルを起こし、金銭的にも苦しくなり帰国を余儀なくされる。帰国後は、一度那智の山に籠るも、他者との関わりなくしては、己を知ることができないと下山する。その後、結婚や神社合祀計画への反対運動、昭和天皇との交流等、周囲の人との関わりが熊楠を支えていく。羽山兄弟や、息子の熊弥の存在は熊楠にとっての心の支えや自信、不安になっていて、熊楠の心情を掻き乱す要素として描かれているのが印象的。
常人離れした熊楠に感情移入をすることは難しいが、他者との関わりによって変化していく熊楠がだんだんと読者にも理解ができそうな範囲に近づいてくると感じた。それは、「天狗」と称された幼少期の熊楠が、俗世に近づくことで、人々に功績を理解され、南方の名が世界に知られるようになる為に必要な過程とリンクしているように思った。
最近は、理解してもらう為に元々ある言葉に自分を当てはめて、自分はこういうものだと名乗らないと心を寄せてもらえないと不安に感じている人が多い。もしくは、傷つきたくないからカテゴライズをしておくことで予防線を張っているのかもしれない。でも、「我」は「我」であり、何かをもって分類することができない一人の人間なのである。そのことを熊楠の生き様を通して改めて呼び起こされた。熊楠には矛盾や綺麗じゃない部分があるからこそ人間らしさがある。だからこそ、南方熊楠の名は世界に知れ渡り、人々がほっておけない存在になったのかもしれない。
Posted by ブクログ
オーディブルで聞く、聞いていてわくわくする小説ではないが、知の巨人と呼ばれる南方熊楠のことをしりたくて聞いた。
この世界のすべてを知りたい、この世のすべてを知りたい、と口に出して徹底した採集と記録、大英博物館での学習もするが、結局自分が生きたいように生きるのが目的だったと自分でいう。金は弟常楠が酒蔵業から出し生活力はない。人間ぽさが出てよい本だった。
「知る」ことこそが「生きる」こと
研究対象は動植物、昆虫、キノコ、藻、粘菌から星座、男色、夢に至る、この世界の全て。
博物学者か、生物学者か、民俗学者か、はたまた……。
慶応3年、南方熊楠は和歌山に生まれた。
人並外れた好奇心で少年は山野を駆け巡り、動植物や昆虫を採集。百科事典を抜き書きしては、その内容を諳んじる。洋の東西を問わずあらゆる学問に手を伸ばし、広大無辺の自然と万巻の書物を教師とした。
希みは学問で身をたてること、そしてこの世の全てを知り尽くすこと。しかし、商人の父にその想いはなかなか届かない。父の反対をおしきってアメリカ、イギリスなど、海を渡り学問を続けるも、在野を貫く熊楠の研究はなかなか陽の目を見ることがないのだった。
世に認められぬ苦悩と困窮、家族との軋轢、学者としての栄光と最愛の息子との別離……。
野放図な好奇心で森羅万象を収集、記録することに生涯を賭した「知の巨人」の型破りな生き様が鮮やかに甦る!
Posted by ブクログ
南方熊楠の名を知ったのは、水木しげる先生の漫画。小学生だったと思うが、全く分からなくて断念。漫画なのに!?と衝撃を受けたことを覚えている。
ハヤマ兄弟との関係性が同性愛者としての熊楠のようなのだが事実かどうなのか判然としない。
弟のツネグスが献身的に援助する理由と、それを打ち切った時の気持ちはすんなり理解できた。
息子が精神病になってしまった時の葉書は実在するのだろうか。
この作品では粘菌の研究内容についてよりも内面描写が多く、同じ葛藤が繰り返し描写される。人間熊楠を表現したかったのかなとは思うのだが、常軌を逸する研究熱を疑似体験出来なかったのが残念。また、交友関係ももう少し広そうなので、そっちも知りたかったなぁ。