あらすじ
女帝・称徳天皇に取り立てられ重用された奈良時代の僧侶、道鏡(?~772年)。女帝に取り入って皇位さえうかがった野心家として、長く悪名が根付いているが、本当にそのような人物だったのだろうか。さまざまな伝説を検証し、最新資料を検討すると、道鏡は実際には政治に関与することなく、天皇への仏教指導に終始した人物としての意外な実像が見えてくる。史料の綿密な検討によって、謎が多く、悪評にまみれた時代の寵児の実像に迫るとともに、古代政治の実態を描き出す。
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Posted by ブクログ
悪名の元となった虚構色の強い伝承を示した上で、史料の綿密な検証により人物像の再検討を行う内容。淳仁天皇の自律的な意思表明、道鏡が任じられた地位の実相など興味深い視点だった。
Posted by ブクログ
古代史は詳しくなく、道鏡も正座したら膝が3つあったという話ぐらいしか知らず。それもこの本を読んで江戸時代の川柳だったということがわかってよかった。
資料が非常に限定的だと思うが、それを丁寧に読んで伝承とは違う道鏡の真の姿を見せようとしている。道鏡は物部氏に連なる弓削氏だが名族ではなく傍流であろうこと、称徳天皇にとって父である聖武天皇の看病禅師であったことから寵愛されたのではないかということ、太政大臣禅師など職名は大仰だが称徳天皇の仏道修行の指導のみで実際の職権はなかったであろうこと、宇佐八幡託宣事件も首謀者は称徳天皇自身であろうこと、そして太政官政治をわがものにしていなかったからこそ称徳天皇の不予期間にすでに道鏡左遷の動きがあったのであろうことなど。
Posted by ブクログ
道鏡と称徳天皇については、いろいろなところで読んできたが、よくわからないところが多かった。
宇佐八幡宮による天皇になるべき宣託があったのかなかったのか、おぼろげながらに考えていた当時の権力者の中の血みどろの戦い、孤独の中で過ごした称徳天皇の思い、道鏡を天皇にしたいと考えたのは、称徳天皇であろう、と言う指摘には納得させられるところが多い。
称徳天皇が亡き後、すぐさま失脚させられた。道鏡には政治的、軍事的権力が一切なかったのだろうか?天皇に変わり、自分が天皇になろうとしたと言う。従来の解説では納得できなかったところである。