あらすじ
全国の書店員から熱烈な支持!
『わたしを空腹にしないほうがいい』『うたうおばけ』の著者による、名エッセイ集。
時が過ぎ、変わっていくもの、変わらないもの。
さりげない日常の場面や心情を切り取る言葉が、読む人の心に響く23編。
「いまのわたしが、いまのわたしで、いまを書く。いまはこれから。」(本書より)
【文庫版あとがき収録】
感情タグBEST3
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Posted by ブクログ
◾️record memo
ライダースの高齢女性は、
「ハッハー!ざんねん、みんなの期待の分重くなったわ」
と手を叩いて喜び、二百三十八グラムのまま購入してくださった。その、みんなの期待の分重くなった、というのが面白くいまでも忘れられずにいる。
そしてその冬、わたしはだれも信用できなくなって部屋から一歩も出られなくなり、店長にもだれにも連絡せず無言でサラダやさんのアルバイトを辞めた。
本当はだれかのきもちを推し量ることがいちばん苦手だ。悩んでいる人にも、その一歩先の言葉を促すような寄り添った声をかけることができない。
わたしはよくはかりかたを間違ってとても嫌われてしまったり、目の前からいなくなってしまったりする。仲良くしたい人ほどはかろうとしてしまいそういう悲しいすれ違いをする。結局最後までわたしの何がその人を傷つけたり怒らせたりしたのかわからないこともある。
「みんなの期待の分重くなったわ」赤いライダースの高齢女性がサングラスを外す。
わたしは期待の分だけ重たくなってしまう。しっかりはかることができないから、その場の勢いで目分量をするしかないのだ。それなのに人は目分量をベテランの証であり、なかなか真似できないと言う。みんなと同じはかりを上手く使える人の方が、わたしにはよっぽど羨ましい。たしかに目分量の日々はふらりとしてとても気楽で、自由だ。しかし、ときどきとてもさみしい。
今回は流石に間に合わなくてもおかしくなかった。へばりつく前髪を整えながら思う。わたしは間に合ったときのことしか覚えていないのかもしれない。間に合わなかったこともこれまでいくらでもあったのだ。夜の雨をくぐり抜ける銀河鉄道に揺られながら、わたしは何もかも間に合わなかったずぶ濡れの日々のことを思い出していた。
最近はバスで帰宅している。盛岡バスセンターからバスに乗り、実家の最寄のバス停に到着するまでだいたい四十五分くらい。そんなにかかるなら電車乗りなよ、車買いなよ、とよく言われるが、わたしはバスでゆっくり移動するのが好きだ。速すぎる移動手段ではきもちが追い付かないときがある。バス停にいちいち停車しながら岩手山に夕陽が沈んでいくのを眺めているうちに、会社員のわたしからたったひとりのわたしへとグラデーションのようにきもちが傾いていく。
特に雨上がりで蒸し暑いこの日、わたしは静かに帰りたかった。些細なこと、と言われるようなことだったかもしれないが、わたしは仕事で相手に対して失礼なことを言ってしまった可能性があり、それを悔やんでいた。傷付けられるよりも傷付けることの方がじんわりと落ち込む。それが無意識で引き起こしてしまったことだとなおのこと。なんてことを言ってしまったのだろう。なんて失礼な思想を抱えていたのだろう。実際、相手は全く気にしていないようだった。いちいち気にしていられないくらい、わたしと同じような失礼なことを言われ慣れているのだろうと思った。わたしは自分を恥じた。
ここ最近、会う人会う人に「お忙しそうですね」と言われている。それに次いで、どうやってふたつの仕事を両立させているのか、とか、儲かっているのか、とか、身体を大事に、とか、高給取りと結婚して専業で書け、とか、言いたい放題言われてしまう。確かに忙しいのだが、自分で自分を忙しい人生にしたのだ、わたしだけの忙しさなのだから、わたしの忙しさはわたしだけで心配したい。
好きで会社員も執筆業もやっている。しかしときどき、これを続けて何になるのだろうと、真っ暗な気持ちになることがある。このまま自分の人生はどうなってしまうのか。考える時間が増えてふさぎ込んでいたのに、すいちゃんはひとこと「いろいろあって、つかれますよねえ」と言うだけで、あとは何も聞いてこなかった。
「届きましたか!レインさんにいちばん似合う武器だと思って」とすいちゃんが言うので、スマートフォンを持ったまま声を出して笑った。武器。何と戦うのだわたしは。いや、常に戦っているのか?新鮮な秋刀魚が剣のように濡れて光っていたことを思い返す。すいちゃんは過去にも、「強くなりたいときのために」と言って資生堂の赤い口紅をくれたり、「愛は大きいほうがいいですから」と言って、漫画に出てくるような、顔よりも大きなハート形の棒付きキャンディーをくれたりした。
わたしはわたしで、青い花や野うさぎのぬいぐるみや夜景の名のついたマニキュアをお返ししていた。日々に追われて贈り物の楽しさをすこし忘れていた。ぶ厚いリボンをほどくときの、心まで暴かれてゆくような緊張感とうれしさのことを。またすいちゃんを誘って、突然「じゃじゃ麺」とか「馬刺し」とか連絡をしよう。すいちゃんとごはんを食べていると、わたしはひとりでに強くなる。
キートン山田みたいな人。わたしの人生における、顔に縦縞の入るような絶望も、くちびるを尖らせたくなるような羨望も、だらしない目で有頂天になるあやうさも、そのすべてを「やれやれ」と言いたそうなやさしい口調や冷静なつっこみでただ伴走してくれる人。こう書いてみるとかなり現実的な気がしてくる。
わたしも二十六歳になって、世の中のみんながみんな、自分の傷に対して「せっかくできた傷なんだから笑ってもらいたい」と、思っているとは限らないと知っている。うっかり尋ねた傷の理由がその人にとって致命的で、とても重くて深い、かんたんに開けてはいけない箱の中の出来事と紐づいていることだってある。
ホットサンドメーカーでパンと一緒にやけどしちゃった。マッサージのために父親の背中に乗っていたらバランスを崩して足の指を折った。実は持病があってその手術の古傷だ。死んじゃおって思ったことがあって自分でやった。
わたしはただ、いま会話しているあなたに興味があって、その日常になにか変化があったなら、よかったらそれを聞かせてほしいのだ。それなのに「話す価値」があるかどうか、身構えている人のなんと多いことだろう。ただでさえ物理的に傷ができて大なり小なりこころがめそめそしているはずなのに、その傷までだれかと比べて遠慮しなくていいのに。
だれだって一日一日はたいしておもしろくないし、たいして深刻でもない。しかしその日常が些細な(あるいは重大な)エラーを起こして切り付けてきたものが傷跡になる。語ることができなかった傷は、時折、語ることができなかったという理由で痛み続けることもあるだろうから。
顔をぬるま湯で流す。お茶を飲もうと冷蔵庫を開けると、白くまぶしい。また、ううっ、と泣けてくる。冷蔵庫はいつ開けてもあかるくまぶしくひえひえでえらい。もうなんにでも感動してしまうモードだ。前に、東京から高速バスで仙台に帰る途中の福島県のサービスエリアでも、ひとりで桃のソフトクリームを買って食べて、桃のソフトクリームはあまくてつめたくて桃の味がしてえらい……と泣きそうになったことがある。
きらきらしたものをほしいと思わなかった。そのきもちは、きらきらしていないものを選び続けながら思春期を過ごすうちに、次第に「きらきらしたものは自分に似合わない」「きらきらしたものを身に着けられる奴と自分は違う」という意識に屈曲した。たくさんのものを妬みながらでないと自分が保てない中高時代を過ごした。
落ち着いて周りを見わたすと、売り場の一角に置かれたコンパクトが目に入った。様々なかたちの銀色の結晶をとじこめたようなコンパクトケースで、それはとても光っていた。見つけてしまった、となぜか思った。どうしよう、こんなに貴重なものを見つけてしまって。と思った。わたしは導かれるように座らされていた席から立ち上がり、コンパクトを手に取った。手のひらの上でくるり、と回すと、大小の銀色の結晶は競い合うように光を跳ね返した。その光は決して派手ではなく、しかし、自らの光を誇っているような上品さがあった。
「ごめんね。ぼくはともだちがほしいんだ」
と、彼はそう言ってわたしの手をわたしのベッドに戻すと、布団にもぐる音がした。右手だけがベッドの上で冷えていくのを感じながら、しばらくその意味を考えていた。わたしはわたしの期待によって空回りし、恋愛ではなく友人づきあいをしたかった彼を傷つけたのではないか。
わたしがわたしである以外、ほかに意味があることなんてないような気がして、将来のことも、勉強のことも、「しーらない」と思わせてくれるような不思議な空間だった。
働いていると、泣きっ面に蜂どころか、泣きっ面に蜂・ピラニア・猪・カメムシ、というようなときがある。ひとつの不調をなんとか耐え抜こうとしているときに限って「どうしていま」と思うような別の問題が、それもいくつも重ねて降りかかるのだ。仕事、執筆、家族、友人関係が、導火線でつながれているかのように連続で火を噴いてしまったその夜、残業を終えて家へと車を走らせながら、わたしは気が付くとハンドルを握ったままさめざめと泣いていた。どうやって気持ちを回復させたらいいだろう、と考え始めてすぐに、ドリアだ、と思った。この頃のわたしにはドリアが足りない。ドリアだ。にっちもさっちもいかないわたしに、とにかくドリアを。
寝てばかりになった祖父のそばに座ると、祖父はわたしの手を握って「しあわせになれ、な、しあわせになれ、な、それだけのことだ」とわたしの目を見て言った。
そのときの写真をいまでもたまに見返す。自由な野良犬の眼差しを。単純で、複雑で、勇敢で、諦めていて、ちっともこちらを気にしていないような眼差し。わたしはわたしだから、おまえはおまえだ、と言われているような気分になる。わたしはこれこそが自由のなかを突き進んで暮らす顔なのだろうと思う。
わたしは「自由」のことが時々こわい。だれかに決められて、言われるがまま過ごして、不満があればだれかのせいにして暮らしていけたらどれだけ楽だろうと思っている。二十七になり、いまさら何をと思われることを承知で(ああ、そうか、これはわたしのための、わたしのせいの人生なのか)と思うことがある。ようやく、自分の人生は自分で決めて自分でやって何とかしなければと思い始めているのだ。働かなければいけない。書かなければいけない。暮らさなければいけない。そう思うことでどうにか毎日を嫌々やりこなしていても、本当はひとつも「なければいけない」ことなんかない。今すぐ会社に行かなくなったっていいし、一生原稿を書かなくたっていいし、ごみだらけの部屋でポテトチップスだけ食べて生活したって全く構わない。自由だ。いまの生活はその自由からすべて自分が自ら選んで引き受けたのだから、いつ手放したって良い。そして、選ぶも選ばないもすべてわたしのせいなのだ。そう思うと時折、お腹の底から輪郭のない不安が込み上げてくる。
日々の忙しさに「自由になりたい」とうっかり願うたび、こころの中の野良犬と目が合う。どうする、いいぞ、すきにしな。すきにしたいか?こころの中の野良犬は穏やかだからそう簡単に吠えたりしない。吠えろ、とわたしが念じるまではきっと。
わたしは「仕事」か「執筆」か「健康な人生」のどれかを手放さなければいけなかった。そもそもわたしには両手ふたつしかない。わたしはこれまでずっと居酒屋のバイトが一気にたくさんのジョッキを運ぶように「仕事」と「執筆」と「健康な人生」を胸まで使って抱えて走っていた。多分これからも無理して抱えることはできる。しかし、常に無理して抱えていると、目の前で転んだ人の手を取ることはできないし、そのジョッキで誰かと乾杯することもできない。わたしの手はすっかりジョッキで埋まっていた。どれか手放そう。わたしは覚悟を決めた。
何かを手放す覚悟をするのはとても悔しいことだったけれど「出来なくなる」のではなく「いままでが出来すぎていたのだ」と思うようにした。スーパーマリオは星を捕まえると七色に光りながらいつもより速く走る。いつもなら踏まないと倒せないクリボーは七色のマリオが体当たりするだけで「ぽて」という音とともに吹き飛ぶ。わたしは四年間、もしかしたらそういう状態だったのかもしれない。七色の時間が終わったなら、飛んでくる甲羅に気を付けながらゆっくり歩いて、たまに駆ければよい。
「来週死ぬなら玲音さんは働きますか、書きますか」
と言った。わたしは言葉に詰まった。絶対に書く。でも、来週死ぬとしても書きながら働きたいし、そもそもわたしは来週死なない。と思ってしまったのだ。
「書く、と、思います。書くことはやめられないと思います」
わたしは内心悩みながら、噛みしめるようにそう答えた。Aさんは不思議そうな顔をして、
「そしたらもう、答えは出ているじゃないですか」
と言った。