【感想・ネタバレ】虎のたましい人魚の涙のレビュー

あらすじ

全国の書店員から熱烈な支持!
『わたしを空腹にしないほうがいい』『うたうおばけ』の著者による、名エッセイ集。


時が過ぎ、変わっていくもの、変わらないもの。
さりげない日常の場面や心情を切り取る言葉が、読む人の心に響く23編。

「いまのわたしが、いまのわたしで、いまを書く。いまはこれから。」(本書より)

【文庫版あとがき収録】

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

素晴らしい読書体験をさせてもらった。
書き表したい比喩の言葉が浮かびそうで浮かばない。そんな自分の語彙力やセンスのなさに打ちひしがれながらも、この本を読む事でそのセンスの限界をどうにか拡張しようと助けてくれている気がして励まされる。
なぜ、自分は本を読んでいるのか。その一つの理由として、誰かが悲しんでいる時、辛い時にそっと無言で差し出してあげられるような言葉を探しているのだと思う。
いつもなら自分の行動に対して、「誰かのために」というのは、あまりにも横柄で、客観視できていないと思えてしまい、言葉にも文字にもできないが、今日は確信を持って書き記そう。
くどうさんの言葉が自分の心を軽快にしてくれたように、自分も誰かの心を支えることのできる花束をいくつか携えていたいと思えた。

0
2025年11月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

◾️record memo

ライダースの高齢女性は、
「ハッハー!ざんねん、みんなの期待の分重くなったわ」
と手を叩いて喜び、二百三十八グラムのまま購入してくださった。その、みんなの期待の分重くなった、というのが面白くいまでも忘れられずにいる。

そしてその冬、わたしはだれも信用できなくなって部屋から一歩も出られなくなり、店長にもだれにも連絡せず無言でサラダやさんのアルバイトを辞めた。

本当はだれかのきもちを推し量ることがいちばん苦手だ。悩んでいる人にも、その一歩先の言葉を促すような寄り添った声をかけることができない。

わたしはよくはかりかたを間違ってとても嫌われてしまったり、目の前からいなくなってしまったりする。仲良くしたい人ほどはかろうとしてしまいそういう悲しいすれ違いをする。結局最後までわたしの何がその人を傷つけたり怒らせたりしたのかわからないこともある。

「みんなの期待の分重くなったわ」赤いライダースの高齢女性がサングラスを外す。
わたしは期待の分だけ重たくなってしまう。しっかりはかることができないから、その場の勢いで目分量をするしかないのだ。それなのに人は目分量をベテランの証であり、なかなか真似できないと言う。みんなと同じはかりを上手く使える人の方が、わたしにはよっぽど羨ましい。たしかに目分量の日々はふらりとしてとても気楽で、自由だ。しかし、ときどきとてもさみしい。

今回は流石に間に合わなくてもおかしくなかった。へばりつく前髪を整えながら思う。わたしは間に合ったときのことしか覚えていないのかもしれない。間に合わなかったこともこれまでいくらでもあったのだ。夜の雨をくぐり抜ける銀河鉄道に揺られながら、わたしは何もかも間に合わなかったずぶ濡れの日々のことを思い出していた。

最近はバスで帰宅している。盛岡バスセンターからバスに乗り、実家の最寄のバス停に到着するまでだいたい四十五分くらい。そんなにかかるなら電車乗りなよ、車買いなよ、とよく言われるが、わたしはバスでゆっくり移動するのが好きだ。速すぎる移動手段ではきもちが追い付かないときがある。バス停にいちいち停車しながら岩手山に夕陽が沈んでいくのを眺めているうちに、会社員のわたしからたったひとりのわたしへとグラデーションのようにきもちが傾いていく。

特に雨上がりで蒸し暑いこの日、わたしは静かに帰りたかった。些細なこと、と言われるようなことだったかもしれないが、わたしは仕事で相手に対して失礼なことを言ってしまった可能性があり、それを悔やんでいた。傷付けられるよりも傷付けることの方がじんわりと落ち込む。それが無意識で引き起こしてしまったことだとなおのこと。なんてことを言ってしまったのだろう。なんて失礼な思想を抱えていたのだろう。実際、相手は全く気にしていないようだった。いちいち気にしていられないくらい、わたしと同じような失礼なことを言われ慣れているのだろうと思った。わたしは自分を恥じた。

ここ最近、会う人会う人に「お忙しそうですね」と言われている。それに次いで、どうやってふたつの仕事を両立させているのか、とか、儲かっているのか、とか、身体を大事に、とか、高給取りと結婚して専業で書け、とか、言いたい放題言われてしまう。確かに忙しいのだが、自分で自分を忙しい人生にしたのだ、わたしだけの忙しさなのだから、わたしの忙しさはわたしだけで心配したい。

好きで会社員も執筆業もやっている。しかしときどき、これを続けて何になるのだろうと、真っ暗な気持ちになることがある。このまま自分の人生はどうなってしまうのか。考える時間が増えてふさぎ込んでいたのに、すいちゃんはひとこと「いろいろあって、つかれますよねえ」と言うだけで、あとは何も聞いてこなかった。

「届きましたか!レインさんにいちばん似合う武器だと思って」とすいちゃんが言うので、スマートフォンを持ったまま声を出して笑った。武器。何と戦うのだわたしは。いや、常に戦っているのか?新鮮な秋刀魚が剣のように濡れて光っていたことを思い返す。すいちゃんは過去にも、「強くなりたいときのために」と言って資生堂の赤い口紅をくれたり、「愛は大きいほうがいいですから」と言って、漫画に出てくるような、顔よりも大きなハート形の棒付きキャンディーをくれたりした。

わたしはわたしで、青い花や野うさぎのぬいぐるみや夜景の名のついたマニキュアをお返ししていた。日々に追われて贈り物の楽しさをすこし忘れていた。ぶ厚いリボンをほどくときの、心まで暴かれてゆくような緊張感とうれしさのことを。またすいちゃんを誘って、突然「じゃじゃ麺」とか「馬刺し」とか連絡をしよう。すいちゃんとごはんを食べていると、わたしはひとりでに強くなる。

キートン山田みたいな人。わたしの人生における、顔に縦縞の入るような絶望も、くちびるを尖らせたくなるような羨望も、だらしない目で有頂天になるあやうさも、そのすべてを「やれやれ」と言いたそうなやさしい口調や冷静なつっこみでただ伴走してくれる人。こう書いてみるとかなり現実的な気がしてくる。

わたしも二十六歳になって、世の中のみんながみんな、自分の傷に対して「せっかくできた傷なんだから笑ってもらいたい」と、思っているとは限らないと知っている。うっかり尋ねた傷の理由がその人にとって致命的で、とても重くて深い、かんたんに開けてはいけない箱の中の出来事と紐づいていることだってある。

ホットサンドメーカーでパンと一緒にやけどしちゃった。マッサージのために父親の背中に乗っていたらバランスを崩して足の指を折った。実は持病があってその手術の古傷だ。死んじゃおって思ったことがあって自分でやった。

わたしはただ、いま会話しているあなたに興味があって、その日常になにか変化があったなら、よかったらそれを聞かせてほしいのだ。それなのに「話す価値」があるかどうか、身構えている人のなんと多いことだろう。ただでさえ物理的に傷ができて大なり小なりこころがめそめそしているはずなのに、その傷までだれかと比べて遠慮しなくていいのに。

だれだって一日一日はたいしておもしろくないし、たいして深刻でもない。しかしその日常が些細な(あるいは重大な)エラーを起こして切り付けてきたものが傷跡になる。語ることができなかった傷は、時折、語ることができなかったという理由で痛み続けることもあるだろうから。

顔をぬるま湯で流す。お茶を飲もうと冷蔵庫を開けると、白くまぶしい。また、ううっ、と泣けてくる。冷蔵庫はいつ開けてもあかるくまぶしくひえひえでえらい。もうなんにでも感動してしまうモードだ。前に、東京から高速バスで仙台に帰る途中の福島県のサービスエリアでも、ひとりで桃のソフトクリームを買って食べて、桃のソフトクリームはあまくてつめたくて桃の味がしてえらい……と泣きそうになったことがある。

きらきらしたものをほしいと思わなかった。そのきもちは、きらきらしていないものを選び続けながら思春期を過ごすうちに、次第に「きらきらしたものは自分に似合わない」「きらきらしたものを身に着けられる奴と自分は違う」という意識に屈曲した。たくさんのものを妬みながらでないと自分が保てない中高時代を過ごした。

落ち着いて周りを見わたすと、売り場の一角に置かれたコンパクトが目に入った。様々なかたちの銀色の結晶をとじこめたようなコンパクトケースで、それはとても光っていた。見つけてしまった、となぜか思った。どうしよう、こんなに貴重なものを見つけてしまって。と思った。わたしは導かれるように座らされていた席から立ち上がり、コンパクトを手に取った。手のひらの上でくるり、と回すと、大小の銀色の結晶は競い合うように光を跳ね返した。その光は決して派手ではなく、しかし、自らの光を誇っているような上品さがあった。

「ごめんね。ぼくはともだちがほしいんだ」
と、彼はそう言ってわたしの手をわたしのベッドに戻すと、布団にもぐる音がした。右手だけがベッドの上で冷えていくのを感じながら、しばらくその意味を考えていた。わたしはわたしの期待によって空回りし、恋愛ではなく友人づきあいをしたかった彼を傷つけたのではないか。

わたしがわたしである以外、ほかに意味があることなんてないような気がして、将来のことも、勉強のことも、「しーらない」と思わせてくれるような不思議な空間だった。

働いていると、泣きっ面に蜂どころか、泣きっ面に蜂・ピラニア・猪・カメムシ、というようなときがある。ひとつの不調をなんとか耐え抜こうとしているときに限って「どうしていま」と思うような別の問題が、それもいくつも重ねて降りかかるのだ。仕事、執筆、家族、友人関係が、導火線でつながれているかのように連続で火を噴いてしまったその夜、残業を終えて家へと車を走らせながら、わたしは気が付くとハンドルを握ったままさめざめと泣いていた。どうやって気持ちを回復させたらいいだろう、と考え始めてすぐに、ドリアだ、と思った。この頃のわたしにはドリアが足りない。ドリアだ。にっちもさっちもいかないわたしに、とにかくドリアを。

寝てばかりになった祖父のそばに座ると、祖父はわたしの手を握って「しあわせになれ、な、しあわせになれ、な、それだけのことだ」とわたしの目を見て言った。

そのときの写真をいまでもたまに見返す。自由な野良犬の眼差しを。単純で、複雑で、勇敢で、諦めていて、ちっともこちらを気にしていないような眼差し。わたしはわたしだから、おまえはおまえだ、と言われているような気分になる。わたしはこれこそが自由のなかを突き進んで暮らす顔なのだろうと思う。

わたしは「自由」のことが時々こわい。だれかに決められて、言われるがまま過ごして、不満があればだれかのせいにして暮らしていけたらどれだけ楽だろうと思っている。二十七になり、いまさら何をと思われることを承知で(ああ、そうか、これはわたしのための、わたしのせいの人生なのか)と思うことがある。ようやく、自分の人生は自分で決めて自分でやって何とかしなければと思い始めているのだ。働かなければいけない。書かなければいけない。暮らさなければいけない。そう思うことでどうにか毎日を嫌々やりこなしていても、本当はひとつも「なければいけない」ことなんかない。今すぐ会社に行かなくなったっていいし、一生原稿を書かなくたっていいし、ごみだらけの部屋でポテトチップスだけ食べて生活したって全く構わない。自由だ。いまの生活はその自由からすべて自分が自ら選んで引き受けたのだから、いつ手放したって良い。そして、選ぶも選ばないもすべてわたしのせいなのだ。そう思うと時折、お腹の底から輪郭のない不安が込み上げてくる。

日々の忙しさに「自由になりたい」とうっかり願うたび、こころの中の野良犬と目が合う。どうする、いいぞ、すきにしな。すきにしたいか?こころの中の野良犬は穏やかだからそう簡単に吠えたりしない。吠えろ、とわたしが念じるまではきっと。

わたしは「仕事」か「執筆」か「健康な人生」のどれかを手放さなければいけなかった。そもそもわたしには両手ふたつしかない。わたしはこれまでずっと居酒屋のバイトが一気にたくさんのジョッキを運ぶように「仕事」と「執筆」と「健康な人生」を胸まで使って抱えて走っていた。多分これからも無理して抱えることはできる。しかし、常に無理して抱えていると、目の前で転んだ人の手を取ることはできないし、そのジョッキで誰かと乾杯することもできない。わたしの手はすっかりジョッキで埋まっていた。どれか手放そう。わたしは覚悟を決めた。

何かを手放す覚悟をするのはとても悔しいことだったけれど「出来なくなる」のではなく「いままでが出来すぎていたのだ」と思うようにした。スーパーマリオは星を捕まえると七色に光りながらいつもより速く走る。いつもなら踏まないと倒せないクリボーは七色のマリオが体当たりするだけで「ぽて」という音とともに吹き飛ぶ。わたしは四年間、もしかしたらそういう状態だったのかもしれない。七色の時間が終わったなら、飛んでくる甲羅に気を付けながらゆっくり歩いて、たまに駆ければよい。

「来週死ぬなら玲音さんは働きますか、書きますか」
と言った。わたしは言葉に詰まった。絶対に書く。でも、来週死ぬとしても書きながら働きたいし、そもそもわたしは来週死なない。と思ってしまったのだ。
「書く、と、思います。書くことはやめられないと思います」
わたしは内心悩みながら、噛みしめるようにそう答えた。Aさんは不思議そうな顔をして、
「そしたらもう、答えは出ているじゃないですか」
と言った。

0
2025年10月26日

Posted by ブクログ

装丁が好きすぎて、一目惚れした本。
会社員と作家の二刀流で、一生懸命に日々を生きていくれいんさんの感情に共感。
私の今の状況と重なることが多くて、全部自分で選んできたんだし頑張ろう!と支えてくれるような存在。

0
2025年10月07日

Posted by ブクログ

初めてくどうれいんさんの作品を読みましたが
とても好きな作家さんいになりました。
文庫版のあとがきが私は特に好きでした。

0
2025年09月30日

Posted by ブクログ

社会人と作家という兼業作家を頑張るがゆえ、苦悩さがにじみ出ている一冊。
がんばりたいけどがんばりきれない。仕事も書きものもプライベートも100%がんばっているのに、まだ高嶺を目指そうともがく姿勢に読んでいてはっとさせられる。
タイトルの意味を知り好きになる。
自分も頑張らねばと思わされた。

0
2025年08月18日

Posted by ブクログ

出てくるエピソード的に、20代~30代くらいの女性に特に刺さるエッセイ集だと思う。どの作品も短く読みやすい。
文庫版あとがきにて作者が語っていたように、コンビニに入るとまず栄養ドリンクコーナーに行ってしまうような人、本屋が開いている時間に立ち寄ることが出来ない忙しい人がどうかこの本に出会えますように
日常への些細で強烈な違和感と、自分を作り上げてきた環境への愛着と、プライドと劣等感と反骨精神と、あらゆるものがぐちゃぐちゃになっている。
でも作者の目から見る世界は美しくて優しくて愛しい。
エッセイというものをこれまで食わず嫌いしていたけど、出会えてよかった。

0
2025年08月10日

Posted by ブクログ

すごく良かった。
年齢や出身地が近いことなど、共感できる点が多く、等身大の姿が書かれた文章だなと思いました。
自由について書かれた文にはハッとされられました。
また別の作品もぜひ読みたいです。

0
2025年07月16日

Posted by ブクログ

またまた、れいんさんの本を。
大学生の私は、まだ心も幼くて、他人を信用できていないところがある。
就活、大学生活、友達関係、美味しいもの。まさに現在進行形で私の生活を彩っているものだ。れいんさんも大学生活の頃の話をよくエッセイで取り上げていて、ああ、そうだよな、私もだよ。と心の中でずっと思っている。れいんさんの実家は岩手県で、私の暮らす場所とはずいぶんと離れたところで、東北の生活に想いを馳せることがしばしばある。遠く離れたところでも私を繋いでくれる本という媒体は、私の心の支えになり、私とれいんさんにとっての架け橋でもある。れいんさんと大学の授業の影響で、詩が最近気になっている。やってみようかな、どうやってやるんだろう。やってみるしかないな、楽しそうだし。私の心を豊かにしておくれよ。

れいんさーん。
タイ料理が食べたい。てへへ。

花を買うことも挑戦したいよ

0
2025年07月04日

Posted by ブクログ

まだ会社員と作家の二足の草鞋であったくどうれいんさん。
はー!とため息をつきたくなるような話をまとめていて、
勝手にくどうれいんさんは若くしてこんなに売れっ子になったすごくスムーズな人生の方と思っていたが
そうではなく、ますます魅了された!

0
2025年06月20日

Posted by ブクログ

正社員と作家の両立で目まぐるしながらも葛藤の日々をエッセイに落とし込んでくれたれいんさんにあっぱれ!おふろがだいきらいって可愛かった。

0
2025年11月13日

Posted by ブクログ

今の自分には違うけど、考え方とか捉え方とか言語化してくれてありがとうございます
もっと働いてしんどくて、デロデロの時に読みたい

0
2025年10月28日

Posted by ブクログ

営業職と作家の2足のわらじだった頃のくどうさんのエッセイ。どちらの仕事の事も愛し、全力で頑張って、忙しさでぼろぼろになって、それでも、という日々。くどうさんのエッセイの中では食べ物の話があまり出てこないところを見ても、忙しさが見て取れるような気がする。

今私はそこそこハードな環境で働きながら転職活動をしていて、あまり本が読めていないなあ、と思いつつ移動時間で読もうと思ってとらたまを手に取った。今の自分の、忙しいことを楽しんではいるけれどもそれはそうとして穏やかな日々を過ごしたい気持ちだとか、自分と同じくらい頑張っている人としか話したくないというような鬱屈とした気持ちにこんなに寄り添ってくれる本だとは思っていなかった。いつもいいタイミングで本が選べる私が好き。

あとがきに書いてあった文章が本当に今の私の状況で、くどうさんありがとうとハグしたくなるような気持ちになった。
“花屋の開いている時間に、八百屋の開いている時間に、本屋の開いている時間に、たまたま帰ることできたあなたが文庫本になったこの本と出合い、仕事用の鞄にすっと入れたまま、読めたり読めなかったりしたらいいな、と思う。”

0
2025年10月27日

Posted by ブクログ

今の私にぴったりな本だった。お守りみたいに大切に本棚に仕舞っておきたい。

好きだった話
・竹馬とキートン山田
・光っているとほしくなる
・あまりにきまじめな薪
・祝福の速度
・おめでとうございますさようなら

0
2025年09月02日

Posted by ブクログ

読み返したい。
毎日仕事に行かなきゃいけないって思うし、職場に着いたら〇〇しなきゃいけない、、って思ってしんどかったけどこの本読んで心が軽くなった。そんなに思い詰めなくてもいいよね

0
2025年08月05日

Posted by ブクログ

働く人に送るエッセイ
日々の忙しなさに追われて、気がつくと何か忘れているような気がする人に勧めたい一冊

歌人らしい視点が面白く、著者の人となりがわかり親近感がわいた。うどんオーケストラが好き。

0
2025年08月02日

Posted by ブクログ

くどうれいんさんの文章、やっぱり好きでした。
すごいなぁ、私も書きたい。こんなふうに、日々を。
わたしはそんなにがむしゃらには働いていないけれど、すこしずつ噛みしめて読みました。

0
2025年07月24日

Posted by ブクログ


 この人のこと好きだなと思えるエッセイでした。
 わかるわかるとなること(お風呂のこととか)、私の中で言語化されてなかった日常を言語化してくれているところ、そして私にはない視点の日常をくれるそんな作品でした。
 日常のお裾分けをありがとうございます。

 耳朶の紫式部 のような友だちにわたしもなりたい。そして欲しい。秋刀魚が武器っていいなあ。そんな言葉で物を贈り合える友だちがいるっていいなあ。

 お気に入りは耳朶の紫式部、傷跡を聞く、祝福の速度。

0
2025年07月01日

Posted by ブクログ

読み終わるのが勿体無くて、仕事用の鞄に突っ込みながら、ちびちびと読んでた。
刹那を生きてる人やなぁと思った。
わたしのための、わたしのせいの人生。

0
2025年06月25日

Posted by ブクログ

くどうれいん、はじめて読んだ。距離感の近い文章。無理していなくて、ちょっとひねくれていて、等身大なかんじでよかった。作者と同年代なせいか、わかる〜ってなるところも多かった。小学生のころの一輪車ブームとか、懐かしかった。あと、お風呂がきらいというお話。読んでいるあいだ、母親の、「おふろー!」っていう大声が耳の奥に蘇った気がした。

0
2025年06月14日

Posted by ブクログ

「不毛なことだが、わたしはふと気を抜くと大人になってからも『いま、いまが、いまじゃなくなる、いま、いまがいま、いま』と考えてしまう。ベルトコンベアからとめどなく流れてくる『いま』を手に取った瞬間、もっと新しい『いま』を取りこぼしてしまう。どうしようもない妄想なのに途方に暮れて泣き出したくなる」

0
2025年06月11日

Posted by ブクログ

労働するすべての人へ肩を叩いて歩いてまわりたいと書いてくださっているように読んでいてとても励まされた。
働くってとっても大変だしつらい時もあるしでも楽しくてやりがいを感じることもあるし…
でもやっぱり全部欲張るには抱える腕が足りなくてくじけそうなときに、くじけなくていいんだよとじんわりと温めてくれる二月の暖炉のようなエッセイです。

0
2025年06月01日

Posted by ブクログ

くどうれいんさんのエッセイを読むと、そういえば人生を噛み締める瞬間がないことに気づいた。毎日過ごしている日常を立ち止まって振り返ることがないという事実にもったいないと思うようになった。
何気無い日常でもそれを普通に生きることがどれほど大変でどれほど幸せなことだろう。人生は皮肉なもので負荷をかければかけるほど、その反動で人生の面白さと楽しさを実感できる。なんか日常を頑張って生きようと思う。

0
2025年11月28日

Posted by ブクログ

くどうれいんさんのエッセイ集を読んだのは2回目。会社員と作家の両立の忙しい日々の中でも、ふと今までの自分に目を向けて振り返ってみたり、考えたり、、。人は、迷いながらも少しずつ前へ進んでいけると思ったエッセイ集だった。

0
2025年10月20日

Posted by ブクログ

「うたうおばけ」と少し印象が違うエッセイでした

この作品を執筆していた時のくどうさん、忙しかったんだろうな…。と思うシーンがいくつかありました。会社員と作家の両立。

くどうさんのエッセイは心にじんわり沁みる感じがすてき。

「蝿を飼う」「竹馬とキートン山田」「傷跡を聞く」が今回のお気に入り!

「自由な犬」の『自由』についての文章がとても印象的でした

この作品に触れて、思い返すと忙しすぎて毎日しんどくなっていた時期が私にもあったなぁと思い出していました。
文庫版あとがきでくどうさんも書いていましたが、日々につかれた人に読んでほしい!自分を労い、振り返る、よい時間を過ごせると思う

0
2025年10月16日

Posted by ブクログ

くどうれいんさんのエッセイを読むのは二冊目。前回は『うたうおばけ』を読んだ。まったく、印象が違った。れいんさんが20代くらいに書かれたエッセイのようだが、仕事と執筆で忙しい中に書かれて日常は自分の20代、30代くらいの忙しい日々が思い出されてちょっと胸が痛くもなった。なんであんなに不器用にしか生きられなかったのかなあと。40代になってもあまり変わってない気もするけど、だいぶ適当にもなってきた気もするなんて読みながら感じた。

0
2025年10月04日

Posted by ブクログ

 いろんな内容の入ったエッセイ。仕事を両立されながら執筆されたとのこと、凄いなとおもう。心が元気になる作品だと思います。

0
2025年07月27日

Posted by ブクログ

カイさんに教えてもらった

表題「虎のたましい人魚の涙」
「耳朶の紫式部」
「蠅を飼う」

の3つはよかった。それまでは少し失敗したかな?と思っていた。

普段あんまり読む本じゃなかったけど、こういうのは良い。
なぜかモヨコを読みたい気持ちになった。

0
2025年07月08日

Posted by ブクログ

二足の草鞋の時期のことが書いてあることもあり、読んでいて一緒に辛くなる瞬間もあった。
あと心なしか他の作品よりも毒づき具合が鋭い気がして、分かる〜と思ったり、そこまで?と思ったり、それが楽しい。

この等身大な正直さが好きだなぁ。

日常を過ごしながら「あ、今の場面れいんちゃんならこう書くのかな」という具合に心の中で呟いたりして、日々をたのしめてる。

0
2025年06月25日

Posted by ブクログ

通勤に1日の多くの時間を奪われる自分が、仕事用のリュックに入れたまま、読めたり読めなかったりした
みんなそうか、働いて忙しくてしんどくて楽しくて幸せでつらい
いまをつかめない、いまにいきれない、でもいまにいる
考えながら、でも考え過ぎずに、いたい

0
2025年06月08日

Posted by ブクログ

作家と会社員、二足の草鞋でとにかく忙しいくどうれいんさん。
忙しい!!と叫びながら疾風のように駆けつつ、時折くるくるとターンしていくような、威勢のよさと繊細な感受性を兼ね備えたキュートなエッセイだった。
くどうれいんさんの喜怒哀楽ってなんでこんなに可愛らしいのだ。おどけた感じの文体がとても魅力的。

ここ最近は、私もとにかく仕事と家事と子育てのもろもろ(PTA活動スポ少の当番習い事の送迎その他よくわからない付き合い)で忙しくて、自分の時間なんてほとんどとれなくて、本当にしんどかった。
薄い文庫本一冊を読み切るのにほとんど一ヶ月かかってしまった。
でもこの薄さがちょうどよくて、小さなカバンにだってしのばせて、本当にどこに向かうときにだって持ち歩いて気軽に一篇読めたりした。くどうれいんさんの文章に元気をもらいながら、なんとかがんばれたような気が、している。

0
2025年09月21日

「エッセイ・紀行」ランキング