あらすじ
「世間の人々が若者に不満を持つのは古今東西変わらないようで、古代エジプトの遺跡の壁画にも『近頃の若者は……』って、書いてあったらしい。ちなみにこの話はネットで流行ったウソなのだけども、そんなウソ話がリアリティを持つくらい、人々は若者にいつも呆れているし、若者はいつも呆れられている」
――「第1章」冒頭より
「まったく、近頃の若者は!」と嘆くあなたも「Z世代化」している!?
ゆとり世代の東大講師がコミカルに語る衝撃の若者論!
「PTAに言いつけますけど、いいんですか?」
「気難しい表情の上司は存在がストレス」
「怒らない=見捨てられた。だから、いい感じに怒って」
「職場環境はいいけど、社名を自慢できないから転職します」
若者を見ればわれわれの生きる「今」の、社会の構造が見えてくる!
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Posted by ブクログ
「Z世代」と呼ばれる若者たちを分析することで、社会の在り方と変化を展望する。
●Z世代の住処
・若者はSNSという檻の中で監視し、監視されることによって安寧を得ている。コミュニケーション「らしきもの」を取りながら、ヌルい関係性の中でお互いを監視し続ける。
・学校も「不快なものを極力排除した」楽しい場所でなければならない。Z世代は「客」だから。そして、教員が指導しようものならすぐにクレームを入れる。こうして、教員と生徒、お互いがWin-Winになる「無関心」という関係が生まれる。
・若者は、「ありのままでいたい」けど「何者かになりたい」という、相反する願望を抱えている。無理はしたくないものの、他人から「凄い」と言ってもらえるレベルではありたい。
●消費の主役・Z世代
・「若者らしさ」「推し活は人を幸福にする」という社会言説を作り、Z世代を消費のターゲットにするビジネス。「みんなやっているから」という曖昧な理由で、サービスやモノが飛ぶように売れていく。
・コンテンツが個別多様化し、より閉鎖的で他者から見えないようになる中で、不適切で粗悪なものが若者をとんでもない方向に「教育」していく危険性がある。YouTuberやインフルエンサーが「ビジネス」のために行なっていることを、リアルな世界線での倫理観として学んでしまう若者たち。
・「友達と違ってたら嫌ですよね」
こうやって「不安」を煽ることで、Z世代をカモにする企業も存在する。不安に根拠は必要ないので、若者はホイホイ金を払う。
・若者のいる現代社会はビジネス化の一途をたどっている。そして、知識がなくて意思決定が拙い若者は恰好のカモである。
●唯言が駆動する非倫理的ビジネス
・「やりがい」「ガクチカ」「インターン」「コミュ力」など、言葉が一人歩きしてしまい、その言葉の真偽はともかく「正しいという空気」さえ作ってしまえば、事実を都合良くコントロールできる。
・実態なき言葉を駆使して「成功体験」を積んできたZ世代は、それなりにいる。しかし、実態のない、言葉しかない薄い世界にしたのは他でもない「オトナ」。
●劇的な成長神話
・「成長」「自己実現」など、若者は具体性のない付加価値を求める。
・「道徳の対称性」によって、自分と違う立場の人には口出しできず、第三者的でどこか他人事な思考に陥る若者。「好きにしたらいい」「自分で考えてやってごらん」など、大人が是としてきた個人主義的な自己責任論を、若者たちは参考にし、また強いられている。
●消えるブラック、消えない不安ー当たりガチャを求めて
・職場は確実に脱ブラック化してきているにも関わらず、若者の「不安」を消えず、「ゆるい」職場は敬遠されてしまう。どこかに必ず「やりがいのある職場」があると信じ込み、離職を繰り返すことで「ガチャ」を回し続ける。
・社会は人を怒らない方向にシフトしており、怒られた経験ない若者たちは、「怒られる」=「恥ずかしいこと」「この世の終わり」だと思ってしまう。
・他責思考の人間に、「当たり」は永遠に回ってこない。
●不安と唯言のはてにーわれわれに何ができるのか
・Z世代は、我々の住む社会の構造を映し出した「写像」である。世代間で分断するのではなく、我々みんなに同じ構造があることを認識し、どうやってそこから生きていくのかを考えていくことが重要。
・自分にぴったり合う仕事、楽しい仕事など、この世には存在しない。
・「満点志向」の人間から脱却して、「われわれは頭が悪い」という自覚をもとに、愚直さをもって賢くなる努力を積まなければならない。
・信頼にも不安にも根拠はないからこそ、「余裕」を持って生きる。
Posted by ブクログ
砕けた書きぶりで、自身の少し片寄ったZ世代感が述べられており、ニヤリと共感してしまう。章ごとの流れもとても筋道たっていて理解しやすく、最後までおもしろく読んでしまった。
『自分を否定するものは全てアンチ』
怒られなれていない世代が陥る思考に、5歳の息子の教育方針を考えさせられた。
Posted by ブクログ
zenlyなどにより互いの情報を監視することで、自身の行動を最適化するなど、監視されることに対する抵抗がかなり薄い可能性が今の若い世代にはある。
小中高大と何もせず、手も挙げず、ノートも取らず、ただ黙って座っていることが「いい子」とされる学校環境と異なり、職場ではそれは成立しない。
学校は不安なものを排除し、楽しさだけで満たされたテーマパーク化している。
明確な美醜の基準がない中で、「ブサイク」といえば「ブサイク」にしてしまえる。この他にも、「ガクチカ」や「インターン」「コミュ力」など、意味内容が伴わない唯の言葉が跋扈している。
鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』「ガチャ概念の最たる誤りは、当たりがどこかにあると錯覚している点」とあるように、「ガチャ」と他責思考の人々に当たりなど、永遠に回ってこない。
Z世代はただのアーリーアダプターで、人類すべての社会構造を写し取った存在である。自身も同じであるということを認識し、どう共存するかを考えることが重要である。