【感想・ネタバレ】教養としてのヨーロッパの王と大思想家たちの真実のレビュー

あらすじ

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本書は、16世紀から19世紀までのヨーロッパの王たちと大思想家たちの歴史を描く。ヨーロッパが大きく隠してしまっている本当の真実を白日の下に暴露する”破壊的”歴史読み物。あなたのヨーロッパ史の常識が根底から覆る。

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Posted by ブクログ

まえがきー破壊的歴史書
第1章 英国最大の秘密(恥部)ーシェイクスピアの生みの親はエリザベス1世だ
・シェイクスピアは本当はフランシス・ベーコンで本当の父親はウィリアム・セシル
・ヨーロッパの大きな国家対立がアメリカの独立を許した。
・歴史は他の主要国がどう動いていたかを見る。
・横に横に話をつなげてみる。
第2章 プロテスタント運動とは、「男女の愛(性欲の自由)と金儲け(商業の自由)を認めろ」の闘争だ
・1770年代のワイマール国は今のディズニーランドのようなもの。たくさん人が集まって楽しくて仕方がなかった。現代でいえば、いまのシンガポールやドバイが真似して実行している。
・ミラノはドイツ系だから真面目によく働いて、ファッションブランドや自動車のブランドを作った。フィレンツェはフランス派だ。ヴェネチアは12世紀からユダヤ商人たちの都市。
・ヘンリー8世は天才だった。人間は自由ではないと言い切ったことだ。人間に自由意志なんて無い。悪の権化であるローマ・カトリック教会は、人間には自由意志があると決めつけた。
・日本の戦後教育を受けて、いわゆる自由主義(リベラリズム)なるものを無前提に信じ込んで「私は自由だ」と思い込んでいるのと同じだ。自由なのは、お店で好きな食べ物を注文するとか、誰でもタクシーや電車に乗れる程度の自由だ。サラリーマン(給与所得者、勤労者)なんて本当は奴隷身分だ。何が自由人だ。
・本当のことを言うと、権力者と大金持ちだけが自由だ。ここが大事な点だ。
・ヨーロッパの中心がフィレンツェからパリに移った。
・ヨーロッパの国王たちといったって、1500年代までは田舎者。イタリアの方がずっと栄えていた。
・ルイ14世はフランス最大の国家秘密で恥部。実は隠し子。
第3章 フランス国最大の秘密ーブルボン朝の恥部
・フランスの王家は10世紀頃の、カペー朝から始まる。フランスの王家は、たった3つしか無い。カペー朝、ヴァロワ朝、ブルボン朝。
・フランス人が今でもイギリス人を見下す根拠は、もともとみんな似たような原住民なのだが、フランスの北岸のノルマンディー地方にいた、フランス王の隠し子みたいな人が、ノルマン人(ヴァイキング)としてイギリスに上陸し制圧した。ウィリアム征服王。この後250年間は、イギリスの王宮ではフランス語が使われた。
・”豚のサクソン族”という言葉を日本人は覚えるべきだ。臭い豚を飼って主食にしていた部族が、サクソン族だ。下層民である。北ドイツ一帯にも大きく広がっていて、ザクセン人と言う。今のイギリスの下層民は、実は、”豚のサクソン人”なのだ。これがわかるとヨーロッパ白人の上層と下層の大きな2大分類が分かる。この事実を誰も日本人に教えないから、いつまでたっても分からないのだ。差別用語としての実感を伴ったコトバ。これに対してアングロ族は、ちょっと上品なゲルマン族の一種ということになっている。だから「英米」のことを「アングロ・アメリカン」と言う。日本人が「このアングロサクソンめ」と使うのは大間違い。使っていいのはフランス人だけ。英米人は「アングロ・アメリカン」と言う。
・ノルマン人がサクソン族とアングロ族を、250年間支配した。支配階級はフランス語を話し、これで英語がめちゃくちゃに混ざった。混合言語になった。
・英語というのは元々、大陸の西のハズレの島国で、言語と文化の吹き溜まりの国だ。英語は雑種言語で、穢い言語だ。同じく大陸の東のハズレにいる私達日本人も、雑種言語だ。
・ドイツ語のほうがずっと由緒正しくて、ローマ語、ギリシャ語に近い。英語には音読みと訓読みみたいな、いろんな読み方がいっぱいあって、たまったもんじゃない。混合言語。大陸の端っこにある島国で、日本語も同じ。あらゆる種族(人種)と言語(コトバ)の吹き溜まりだ。日本語の母音は、本当は「アイウエオ」の5つではなくて20ぐらいあるらしい。「おとうさん」と「おとおさん」は音が違うのだ。
・1572年におきたサン・バルテルミの大虐殺(1万人のプロテスタント=ユグノーが殺された)は重要だ。
・その前年にレパントの海戦でスペインがオスマン・トルコ帝国を打ち破った。ギリシャの北あたりで今のアルバニアとの間くらいの海峡。この時(1571年)に初めて地中海の西半分の、ヨーロッパ側の海をヨーロッパ白人がようやく安全に通れるようになった。その前まで600年間ぐらいはオスマン・トルコ(イスラム教のスルタン)が強かった。
・だからフェリペ2世が、実質のヨーロッパの覇者だ。フェルナン・ブローデルの「フェリペ2世時代の地中海と地中海時代」。イマニュエル・ウォーラステインの「世界システム論」。世界をネットワーク論の相互連関で見る(概観する)考え方が生まれた。
第4章 1718世紀のヨーロッパの思想界は命懸けの殺し合いの世界だった
・ローマ語のデウスと、ギリシャ神話の狼のゼウスは異なる。違う。別物である。全く別である。
・デウス(これは16世紀に宣教師どもと日本に来た)とゼウス(ギリシャのオリュンポス12神の中心)は別物なのだ。ギリシャ神話の神々こそは真に立派な神々で、人間味があって人類に悪いことをしない。全く違う。ただし、ローマ・カトリック教会が、ギリシャのゼウスから泥棒して、剽窃して「デウス」なるものを作って自分たちの神にしたのだ。と言えば、これでいい。誰でも分かる。まさしくそうなのだ。
・デカルトはローマ・カトリック教会に毒殺された
・デカルトが、古代のアリストテレスを横に置けば、世界最高の知識人であるのだ。
・それは「この世(世界)は物質と霊魂だけからなる。だから神(デュー。デウス)は要らない」と言い切った文章を書いたこと。「神と、従って宗教も要らない」と断言したからである。
・これにローマ・カトリック教会が怒り狂った。当然ながら、神(宗教)は要らない、となると、自分たち坊主(僧侶)は要らない、存在意味がない、ということが大きくバレてしまったからだ。
・これを人類史上、初めて、デカルトが敢行した。たったこれだけのことだ。本当にこれだけ。
・デカルトの思想というのは、明晰で明確で明瞭。
・私には自分の知能(思考、霊魂)が有る。だから、私はここに有る。「私はここに居まーす、実在しまーす」となる。
第5章 仏墺露3女帝の”パンティ同盟”とドイツの偽善者フリードリヒ2世(大王)の戦い
・ロバート・ウォルポールが、独と仏と墺を対立、戦争させる大戦略を組んだ。大英帝国の基礎を作った。
・一番簡単に言うと、ドイツを背後から嗾けて、操って、フランスとロシアとウィ-ンを互いに大喧嘩させる。こうやってヨーロッパ大陸を常に戦乱状態に持ち込む。これがイギリスの大戦略である。今でもそうだ。
・だから1750年代ぐらいから、イギリスが本当に悪い。
・ドイツとフランスとロシアとウィーンを、いつも喧嘩(戦争)させることでヨーロッパに戦乱が続いて、その隙間でイギリスが海洋帝国として7つの海を支配する大英帝国になったのだ。
・私の大発見の1つは、イギリスがヨーロッパ諸国を互いに喧嘩させることで、大英帝国になったという事実だ。
・例えばイタリアは、1500年代までは、フィレンツェを中心にしてものすごく繁栄した。自治都市国家の連合体で、フランス、イギリス、ドイツの国王たちよりずっと豊かで、いい暮らしをしていた。
・イタリア独立というのは、どうもオーストリア帝国から、イタリアを分裂させて独立させた動きがある。それがまさしくイギリスなのだ。
・ナポレオンが(ワーテルローの戦い)で打ち破られ、その後はイギリスが世界覇権を握った。そして地中海にも堂々と入ってきた。カンヌやモナコ、ニースなどの南仏の超高級地を開発した。アングレーの土地と呼ばれる。フランス語でイギリスという意味だ。
・この時から1914年に第1次世界対戦が始まるまでの200年間に、ヨーロッパ白人文明の大繁栄が続いたのだ。
・この時、アジア(日本を含む)、アフリカ、南米などは、みじめな植民地にされた。
・イギリスが背後から、イタリアをそそのかし武器と資金を与えて独立させたことで、ウィーンの帝国を弱体化させた。これが大きな見方でのヨーロッパ史だ。
・フランス王室(仏ブルボン朝)の財政は、ミシシッピー・コンパニーの巨大バブル崩壊で急速に悪化した。これを裏に隠したままだったので、フランス革命にまでつながった。この時、イギリスがフランスを叩きのめしたのである。
・ヨーロッパ近代が始まってから500年しか経たないヨーロッパが、その間に世界中を支配した。軍事力と近代サイエンスの力で。白人どもの文明が優れていたから。みんな植民地にされた。それが植民地主義だ。その次に帝国主義の属国にされていった。この200年のことだ。そしてようやく今それらが終わっていく時代に今私たち人類がいるんだということを自覚しないといけない。
あとがき

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2024年08月16日

Posted by ブクログ

<目次>
まえがき 破壊的歴史書
第1章英国最大の秘密(恥部)シェイクスピアの生みの親は…
第2章プロテスタント運動とは、男女の愛(性欲の自由)と金儲け
第3章フランス最大の秘密ーブルボン王朝の恥部
第4章17.8世紀の欧州思想界は命懸けの殺し合いの場
第5章仏墺露3女帝のパンティ同盟とドイツの偽善者フリードリヒ2
あとがき

2024/3/28第1版発行

1500‐300年くらいの歴史とゴシップと思想の本。
一般的な歴史書、西洋哲学書の案内本、ユダヤ人の関わり、などを別途読む必要がありと感じた。

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2024年09月16日

Posted by ブクログ

平成元年に社会人になってからずっとお世話になっている、副島氏の本です。今年(2024)3月下旬発刊の本ですが、彼は一年に何冊もの本を書くので、これが最新本では無いかもしれません。彼の本は記録によれば、これで71冊目となります、最もお世話になっている著者の一人だと思います。

この本は私が今まで読んできた本とは少し毛色が変わっていて、欧州王と大思想家達がどのように関わっているのか、さらには一般には知られていないこと、知られていてもタブーとなっていることを紹介しています。情報量が多すぎて一度では解釈しきれない部分もありましたが、今まで読んできた添島氏の本なので最後まで読み進めました。

以下は気になったポイントです。

・本当はシェイクスピアは、フランシス・ベーコンである。Wikipediaでも描いてあるが、正式には認められていないとある。しかし、どうして革職人の息子で、ちょろっと役者をやっていた程度の人間があんな作品群を描けるのか、と疑問を出すと、誰もが知らん顔をする(p17)

・イギリスのドレイクは指揮をしてスペイン無敵艦隊を破った、ドレイクは極めて有能な海賊の親分でこの男が強かった。ドレイクはスペイン領の西インド諸島まで襲撃しにいった、スペインはイギリスに負け始めた、それでもその後100年間は、スペイン帝国がまだまだ強かった。(p30)ウィリアム・アダムス(のちの三浦按針)はアルマダ海戦(1588)から12年後に日本の大分に流れ着いた、オランダ東インド会社に雇われて世界一周の貿易海路を開拓するためにシンガポールからメキシコのアカプルコに渡ろうとして、ハリケーンに巻き込まれた大分に漂着した。この時にリーフで号に積んでいた、当時最高級のカノン砲20門を家康に全て引き渡した。それが関ヶ原の戦いで4門使われた。これで石田三成の軍隊を粉砕した。西軍の際精鋭部隊が1000人も殺されて東軍の家康が勝った、これが真実(p30)

・アルマダ海戦において、大事なのは、オランダの新教徒達(スペイン帝国の領土)の商船隊と、北ドイツのハンザ同盟の商船隊も背後から必死でスペイン艦隊を攻めた、この歴史事実が需要で、挟み撃ちにされてスペインは負けた。この時、オランダと北ドイツの諸侯達は、ウィーンの神聖コーマ帝国と戦っていたから、イギリス同様に死ぬ気で戦った。このことが、それから200年後にアメリカ独立戦争の時に復讐となって現れた、ワシントン独立軍に対してイギリスが大艦隊をアメリカに送った時に、スペイン艦隊がその隙にロンドンを襲撃しようとした。その時アメリカ独立勢力に屈服して停戦してイギリス艦隊を引き返させた。(p42)

・1534年にヘンリー8世が、ローマ教会とは別にイギリス国教会を作ると宣言した、単に離婚したいと言ったのではなく、正確には最初から元々その結婚はなかった、無効だとH8世は主張した。ローマ法王には王達の結婚を認める権限があるとされていたからだが「それを認めない」とヘンリー8世はいった(p65)

・1517年のルターが暴れ始めた年に、ローマでも(北ドイツと同様に)「利子をとっていい」の宗教会議の決議をした、ローマ協会では「男女の性行為の自由と、利子を取ることは絶対に許さない」が、ラテラノ宗教会議決議であった(p76)

・イタリアのミラノは、ドイツ系、だから真面目によく働いてファッションブランドやフィアットなどの自動車のブランドを作った、フィレンツェはフランス系、ベネチアは、12世紀からユダヤ商人の街である(p80)

・フランスには王家は3つしかない、カペー朝、ヴァロア朝、ブルボン朝で、最後のルイ16世は、フランス革命の時にギロチンで死んだ(1793)、あとは王様のいない共和国である(p103)

・フランスが今でもイギリスを見下すのは、1066年にフランスの北岸ノルマンディー地方にいたフランス王の隠し子みたいな人がノルマン人(ヴァイキング)として、イギリスに上陸して制圧したから、ウィリアム征服王から250年間は、イギリスの王宮ではフランス語が使われた、これで英語にたくさんのフランス語が混入した(p103)

・1571年にスペインがレパントの海戦でオスマントルコ帝国を打ち破った、この時初めて、地中海の西半分の欧州側の海を欧州白人がようやく安全に通れるようになった、それまで600年間はオルマントルコが強かった(p106)

・オランダの独立が達成されたのは、1648年にウェストファリア条約である、この時に宗教の自由が認められるようになった、領主様が信じている宗教に従えば良いという協定が生まれた、もう、ローマン・カソリックに従わなくて良くなった(p107)オランダの南部の今のベルギーはカトリックで、フランスに取り戻された(p107)

・イギリスは、ドイツを背後からけしかけて、操って、フランスとロシアとウィーンを互いに大喧嘩させる、こうやって欧州大陸を常に戦乱状態に持ち込むのが大戦略である。今でもそうである(p220)

・1714年にヴォルテールが北ドイツの国(ハノーバー国)からドイツ人を連れてきて、イギリス国王=ジョージ3世に据えた。英語が話せなかった。アメリカ独立戦争の時に、アメリカの独立を許してしまうという大失態を招いた。この娘がエリザベス2世である。ドイツ系だとまずいので、ウィンザー朝と名前を変えた(p223)

・第一次世界大戦で欧州は焼け野原となったが、アメリカの生産設備は残った、世界覇権は100年ごとに移動していく、そして今年2024年にアメリカのニューヨークで金融崩壊が起きて、世界覇権は中国に移っていくだろう、この見方を私は20年前からしている(p226)

・創価学会が1991年で綺麗さっぱり日蓮政宗の総本山の大石寺から完全に分裂した、僧侶達から追い出された。このことが創価学会には幸いして、もう職業的坊主はいらないという思想になった(p245)

2024年6月10日読破
2024年6月10日作成

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2024年06月10日

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