あらすじ
20世紀における思想的な震源地のひとつであるラカン。その理論は、思想としての側面と、実践臨床としての側面の二面性をもち、両者が渾然一体となっていることに難しさがある。本書は、著者みずからの精神分析の体験にもとづき、実践臨床の側面からラカンの本丸に迫る。ラカンの核心を読み解く超入門の書、『疾風怒濤精神分析入門』増補改訂版。
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Posted by ブクログ
いまのところ、今年ベストと言えるほど鮮烈な読書体験となったのが、片岡一竹『ゼロから始めるジャック・ラカン』です。
一言でいえば、“人間の生”について抱えていた疑問の多くが晴れた、そう言いたくなるほどの体験でした。
まず印象的だったのは、「人間は自然に対して言語において過剰である」という考え方。
だからこそ、人間は言葉に苦しみ、言葉に救われる。
これが、言葉だけで治療するラカン的精神分析の本質なのでしょう。
さらに、「生きる人間は、いつまでも《他者》の家に居候しつづけるしかない。」
この世界に生きることは、つまり他人の家にいるようなものだ、という解釈には、自分も薄々感じていたことが見事に言い当てられていると思いました。
千葉雅也さんご推薦の通り、ラカン入門として最良の一冊だと思います。
Posted by ブクログ
まだまだ分からない部分が多く、またどこかの岐路で読み直したいと思う。
でも不思議と生きていく勇気をもらえた。
すべての人には特異性というそれぞれの幸福がある。
過度に一般化すること、抽象化することに意識を傾け過ぎていたなと感じた。
読む前と読み終わってからとでは、見え方が変わったと感じる。
全体的に色が鮮やかに濃くなる感じ。
この感覚を忘れずに生きていきたい。
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ラカンの理論は勿論容易ではないのだけど、書かれてあることは、今まで私の人生において実感してきたことばかりだった。
我々が他者の世界に生きている限り、欲望は無限にズレていく。その不可能性に気付き、他者を神格化するのとは別の方法で「特異的な」幸福を見出さなければいけない。私が感じている根本的な居心地の悪さは当然のもので、その特異性から生まれてくる無意識の主体と上手くやっていかなければならない。
まんま『血の轍』やん。「再生の風景」やん。
エヴァンゲリオンやん。精神分析まだまだインチキなんかやないと思う。
あとは空虚さのところとか、「もの」の体験で、最近読んだ椎名麟三とアル中らもを思い出した。アル中もヤク中も砂糖中毒も口寂しいだけなのかもしれんね。
Posted by ブクログ
一般的な医療は勿論、臨床心理学等とも異なった「言語」を用いて分析主体(一般的に言う患者)の生き方を見つけ出すことのサポートをするのが精神分析
実践と理論について、概観とはいえ重要な箇所を説明してるところが素晴らしいと思った
精神分析の目的について、実践的な説明の上理論的な様々な視点から説明が施されているため、精神分析ならではの「特異性」を感じた
Posted by ブクログ
■評価
★★★★☆
■感想
◯精神分析は時間がかかるやり方であるし、自分で答えを見つけ出さないといけない。先生は話は聞いてくれて、たまに気付きや斜め上に発送を飛ばせそうな言葉に対してのヒントをくれるのみというのが新鮮だった。答えを求めていっても、答えは教えてくれない。自分自身の葛藤の中で見つけなければいけないというのが一番の収穫だった。そのために精神科医は傾聴力、賛成も否定もしないで耐えて聞くということが重要ということなので、ストレスがすごい職業だなと思った。
◯《もの》の体験によって享楽を得ることができるが、初めての体験が最高で、それを追い求めるけど到達できないという話があった。これはわかる気がする。サウナ・フルマラソン・性交渉など、初めてのこれだと思ったものは強烈で、後で思い返して享楽できるし2回目を追い求めるが、なかなか収穫隠遁の法則から抜け出せない。だから変化・改良改善を求めたり、べつの《もの》の体験をするんだと思う。中断して別のものに行くのは、暇つぶしや勉強としての態度としては非常に楽だなと思った。
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入門書として分かりやすく丁寧で、思いやりがある本だった。《他者》の存在や「《他者》に裏切られた!」という気持ちがなぜ存在するのか、それらをどう理解し折り合いをつけるか、などを理論的に読め、気づきを得られたことは良かった。抱えてきたモヤモヤを言語化出来る素晴らしさがこの本にはあった。
Posted by ブクログ
抑圧された無意識=自己の特異性への気付きを引き出す精神分析 難しいが、恐らく類書の中では、かなりわかりやすく書かれているのであろう。
フロイトやラカンの理論が正しいかどうかについては正直懐疑的だが…
まず、?精神医学、?臨床心理額、?精神分析と3種類ある。
?は医師が保険診療で行う。?は教育学部、カウンセリング、治療でなく援助。?は「健康」という概念がないもの。時間、お金、心理的負担がかかる。無意識の中にある「抑圧されたもの」を、思い浮かんだまま選択を加えずに言葉にする(自由連想)。分析主体は患者であり、分析家は意味を持った解釈をして患者を支配してはならず、共感や理解はご法度。
イメージの領域である想像界、言語構造の領域である象徴界、不可能な物一般を指す現実界がある。
人は生まれた時に他者の中に放り出される。主体としての存在を確立していく過程で、無意識のうちに抑圧を受けている。その後はエディプスコンプレックスが基本理論となり、当初母に全てを要請していたが、母自体も万能ではなく欲望を求める存在である現実に直面し、フラストレーションが生じる。父(=法)という、より上位の新たな存在への対応が必要となる(男児は父に同一化、女児は欲望の対象になろうとする)。理想を追うことは幸福に繋がらず、他者の評価に左右されない「特異性」に気付くことが、自己の肯定=幸せに繋がるのである。
Posted by ブクログ
原著にあたることなく解説書から読み始めるときはいつも、映画の予告編やあらすじを勉強してから本編に向かおうとする時と同じような感じがする。本書も同様だ。他の人の解釈を通してその原著と向き合う。そのような他人色に染まった解釈のままで終えることがいかに多いか。良き解説者との出会いは次への導きとなる。本書を手掛かりに原著者の文献に(もちろん日本語で)挑戦してみたい。また、手を広げることになってしまいそうである。
Posted by ブクログ
評判の高さを知り、単行本を買うかどうか迷っていたら文庫化した。
ソシュールとかを無駄に引き合いに出さない本。
偉い。
そして丁寧。
精神分析や現代思想にカブレていた十代。
ラカンはド真ん中だった。
何かの答えがあると思って。
中年になり再入門して、作者の所謂「居直り」をしているところだと気付く。
「シン・エヴァ」でさようならしたからかも。
人生の折り合い。
無限に先送りされる欲望。
永遠に遠ざかる風景。
遠い座敷。
仄めかし。
水で書いた名前はすでに蒸発した。
砂に書いた名前はすでに波でさらわれた。
シーツに遺された残り香。
熱で魘されていると、聞こえる何か。
何者かが、いや隣室で両親が、語らっているらしい。
気配。
Posted by ブクログ
私は何故この本をわざわざ選んで読んだのだろう。
読み終える頃には何かしらの発見があると良いと思ったが、見つけることができなかった。
分からない、何も分からない。。。
自分の理解力、思考力が低すぎて辛い。