あらすじ
世の中の発達とともに失われていった身体技法は、疫学研究者である著者の興味をひいてやまない。ある身体技法ができる、ということはどういうことか。なぜできるようになるのか、なぜできなくなるのか。本書では今はこの国でほとんど失われてしまった身体技法「頭上運搬」の記憶を追う。沖縄や伊豆諸島をはじめ日本各地や海外にその痕跡を訪ねつつ、話題は着物や伝統衣装、お産のほか、生活と労働を支えていた身体技法へと広がる。
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Posted by ブクログ
主に日本国内の頭上運搬の「最後の世代」をいくつか紹介しつつ、共通事項と、いままでの頭上運搬に関する研究を結びつけている。頭上運搬の謎がはっきりするわけでもなければ、日本の生活に馴染む身体技法について広く知ることができるわけでもないが、過酷で良い評価をすることが現代では困難ながらも、その身体性との連続に感動する筆者の熱が伝わり、面白く読んだ。
Posted by ブクログ
頭にモノを載せて運ぶ、頭上運搬。
かつてな日本各地でも行われていたこの身体技法について、
フィールドワークで得た情報を綴り、生活や文化を探る。
・はじめに
I 失われゆく身体技法 II 頭上運搬の記憶をたずねて
III 生活と労働を支えた身体性
・あとがきにかえて
石垣島や沖縄県糸満、沖永良部島、神津島、江島、
中川の北山杉集落でのフィールドワークと様々な先人たちの
研究などから、かつて日本各地で行われた頭上運搬が
解き明かされてゆく。
頭に載せるのは、芋、薪、魚、水、タライに洗濯物、
燃料用のソテツの葉、花、丸太さえも。しかも重い!
載せる工夫のクッションは様々。額に紐を掛けての運搬も。
ササグやイタダキは神への供物、神饌を運ぶ意味が内包。
できると思ったから。周りの人がみんなやっていたから。
やらなくなったらできなくなった。
やっている人がいないのでできない。そう、
水道整備、車や自転車での運搬、石油燃料等の出現での、
生活の変化により、頭上運搬はほぼ消えてしまった。
でも、掲載されている頭上運搬の姿が美しい。
日々を支える運動で身体を意識し、センターの通った
真っ直ぐな筋の通った身体には、リズムとゆるみ。
まるでファッションモデルの如し。
このような失われつつある生活や文化を調べ、
教えてくれるのは有難いし、興味を深めてくれました。
Posted by ブクログ
頭上運搬、安定しますよね。はい、私ある程度重いと一番楽なのは頭上運搬です。方手添えるけど。階段問題ない。ばあさんがやっていたので田舎では普通にやることだが東京の人はやらないことだと思っていましたよ。結構まれだったのね。ばあさんは明治生まれだったからなあ。
Posted by ブクログ
薄い本なのだが、内容が絞れてない。
経血は意識することでかなりの程度コントロールできると言う話から、身体操作は「意識」の問題で、頭上運搬もやるものだと思ってやったらできたのだと言いながら、軽いものと重いものを同列では語れないと言ったり、3世代経つと復元は難しいと言うなら意識して出来るってのはなんだろうと思わせながら、まあ、前半南の諸島地域の風俗持って来て、後半には今日周辺のソレを語る。
具体的な頭上運搬の身体的な技術には全く触れていないと言ってよく、そりゃ、頭上にものがあるんだから重心を通ってるのは当然だと思うし、筋肉でなく骨で支えるから思ったより重量物は扱えるのだろうが、首とか腰とかへの負担が長い間にどう言う影響を与えるかは全く考慮してなくて、背負う文化の高齢者が腰が曲がるのに対して歳を取っても凛と背筋が伸びてる。
それは美しい。
その美しさは、所作とか精神の美しさにも繋がるはずだ。
センターとか、ゆるんでいるとか突然何言ってんだと思ったが、ゆる体操の高岡英夫さんのお弟子さんかあ。
だったら端からそう言ってくれよ
高岡先生の本は少し齧ったが、胡散臭く感じてしまって、近寄ってない。
それからあなた、スポーツと武道を同列で語るのもちょっと失礼です。
スポーツや武道は趣味で、頭上運搬は生活と人生が掛かってると言うふうなことをおっしゃっていたと思うが、それこそ武道は命のやり取りの果てに残ったものです。武道と武術をきちんと切り分けているのなら申し訳ないが、高岡先生持ってくるあたりでちょっとしんどい。