あらすじ
嫉妬感情にまつわる物語には事欠かない。古典から現代劇まで、あるいは子どものおとぎ話から落語まで、この感情は人間のおろかさと不合理を演出し、物語に一筋縄ではいかない深みを与えることで、登場人物にとっても思わぬ方向へと彼らを誘う。それにしても、私たちはなぜこうも嫉妬に狂うのだろう。この情念は嫉妬の相手のみならず、嫉妬者自身をも破滅させるというのに――。(「プロローグ」より)政治思想の観点から考察。
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Posted by ブクログ
かなり面白かった
こんなに読書メモを書いた本は初めて
神とも動物とも異なる「人間味」を体現する、不合理な嫉妬という感情。
本書の主旨「嫉妬は民主的社会の必然的産物である」
まず嫉妬とは何かから始まる。
相対的剥奪、ルサンチマンやシャーデンフロイデを例と共に分かりやすく紹介し、これから考察する嫉妬と言う感情の領域を明らかにする、と言うプロセスに感動を覚えた。
Posted by ブクログ
"嫉妬の感情は比較可能な者同士のあいだに生じるということだ。"
・人はなぜ嫉妬するのか
・どんなときに嫉妬するのか
人が社会的な生き物である限り、嫉妬をなくすのは難しい。でも嫉妬を俯瞰的に見るきっかけをもらえました!
Posted by ブクログ
民主的な社会の必然的な副産物としての嫉妬、そこから見える「人間学」。
安易な答えに逃げ込まず、それでも社会の実践のヒントを探る真摯な姿勢。
・嫉妬は疲れを知らず、非生産的で、みっともなく、それが故に自他に隠したい。
◯嫉妬
・他人の幸福が自分の幸福を少しも損なうわけではないのに、他人の幸福をみるのに苦痛を伴うという性癖(カント)
・比較可能な者同士のあいだに生じる(アリストテレス)
cf.義憤
・不当な幸運に苦痛を覚えること
下方嫉妬
・自分が苦労して手に入れたものを、他の誰かが簡単に手に入れたとき
◯類似の概念
・相対的剥奪:自分が感じる満足の絶対量の多寡ではなく、他人と比較することで生じる不満や欠乏感。
cf.サルの実験
・ジェラシー:「喪失」に関わり防御的
嫉妬:「欠如」に関わり攻撃的
・ルサンチマン:行動によって反応することができないために、想像だけの復讐によって、その埋め合わせをする。
嫉妬感情はルサンチマンを引き起こす一つの燃料
・シャーデンフロイデ:他人の不幸は蜜の味。メシウマ。
嫉妬の対象が不幸にあるのを目の当たりにすると、嫉妬がシャーデンフロイデに変わる
◯嫉妬回避:隠蔽、否認、賄賂、共有
・誇示と嫉妬の共犯関係。誇示の民主化
◯正義にかなった社会こそ、嫉妬が蔓延し、手に負えないものになる可能性がある。
◯コモンとして民主的に共同管理するとき、これまで気にも留めなかった差異が途端に顕在化する。そしてこの薄暗い感情はまたしても人々を煽り、社会主義のプロジェクトの足を掬う。
・嫉妬心の捌け口としての陶片追放
◯正義や平等の要求には、みにくい嫉妬心がべっとりと貼り付いているかもしれない。
◯民主主義のもとでは、もはや誰かを打ち負かすこと(優越願望)が目的ではない。誰もが同じ権利を享受すること(平等願望)が何よりも重視される。
◯嫉妬が完全に禁止された社会は、どんな差異も許されない息苦しい社会となる可能性が高い。平等と差異(これらはいずれも民主主義にとって重要な価値である)が交差する地点こそ嫉妬の故郷であるとすれば、民主社会はこの感情の存在を受け入れる必要がある。
◯私の嫉妬は私だけのもの。私は誰も何に嫉妬しているのか、なぜ彼や彼女に嫉妬してしまうのか。これは翻って、私がどういう人間であるか、私は誰と自分を比べているのか、私はどんな準拠集団のなかに自分を見出しているのかを教えてくれる。
◯多元的な価値観を許容する社会のほうが、嫉妬に耐性のある社会になる可能性が高い。そのためには評価軸をなるべく多様化し、序列をわかりにくくすることが重要になる。
◯個人としては何か物を作ることに没頭し比較から遠のく(ただし新たな競争に捕まる可能性)、比較をやめられないのであれば徹底的に比較をする。
Posted by ブクログ
自分ももちろん嫉妬するけど、色々な矛先・感情の嫉妬があって、
ちょうど選挙の時期だから、嫉妬からこういう政策が人気なのかな?っていうのもいくつか思い当たって面白かった
Posted by ブクログ
嫉妬をギリシャの賢人や哲人時代から現代の思想家に至るまでの文言を元に分析した一冊。現代社会のポピュリズムやヘイトにも繋がる考察が面白かった。
特にルネ・ジラールの「羨望の三角形」をベースにした「誇示は羨ましがる他者がいないとなりたたない」という話や、三木清の「嫉妬は質的なものではなくて、量的なもので起こる(個性的なことではなく誰もが欲しがるお金や名誉、ステータスといった量的な物差しではかれるもので起こる)」といった話が勉強になった。
面白すぎたので、近日読書会で取り上げようと読み込んでいる最中です。著書の次回作にも期待大
Posted by ブクログ
ギリシャ哲学の時代から邪悪とされた「嫉妬」という感情。SNSで常時繋がる現代では、これまで見えなかった他人の一部が見えてしまうことで、他人と自分の対比がより鮮明に、嫉妬の源泉がより身近になったのではないでしょうか。
良くも悪くも横並び一線だった義務教育課程を終えると、高校、大学、社会人と進むに従い、周囲は持つ者、持たざる者に徐々に分かれ始めます。自分と同等だと思っていた相手の社会的階層の上昇を素直に受け取ることができない、そんな感情を抱いた経験も人生で一度はあるのでは。
こんな負の側面から語られることが多い「嫉妬」ですが、その社会的上昇への渇望からフランス革命など民主化の原動力になったのも事実。正にPromotion、前へ進む原動力なのです。
人生が上手く行っていると感じられるためには、自分が「どこかに向かっている」と前進している感覚が不可欠であり、他人と自身の移動を比較して生じる妬みや羨望は、人生のコマが順調に進んでいる感覚、もしくはそこからの離脱感と関連する。
大切なのは、自分が一歩前進できたとき、次なる一歩へ向かって、差異化要素を自分の中でどれだけ積み上げできるか、正に勝って兜の緒を締めよという姿勢が現代社会をサバイブする一つの方法なのだと思います。
Posted by ブクログ
人生のネガティブな事、不幸の原因の大半は他人と比べる事にあり、そこから全ての道は「嫉妬」に通ずるという気がしてならない。人間は本能として競争を組み込まれているのは受精を巡る精子の鞭毛運動のはじまりから明らかで、しかし、必ずしも活発さが競争優位となる単純なスピードレースではなく、精子にしても運次第。つまりは人間が競争せざるを得ない事と、しかし競争とは公正な能力争いではないという原初的な二つの定めを生命の誕生から業のように背負うのだ。
生まれ落ち、それが続く。ランダムな競争は能力と偶然によって多様化を齎す。そんな時、敗者が自制しきれない「嫉妬」は、多様化を種の根源的欲求にもつ人間社会において、どんな意味をもつのか。退出による淘汰?公正の押し付けによる結果の修正?努力を促す動機づけ?嫉妬は競争を促すための本能やその副産物に近いのかも知れない。
故に、競争射程範囲外の存在には嫉妬しない。何かを取り合う間柄にはなり得ないからだ。近い水準、同じ所属、似たような属性こそ、敵だ。
ー カントによれば、嫉妬とは「他人の幸福が自分の幸福を少しも損なうわけではないのに、他人の幸福をみるのに苦痛を伴うという性癖」パラフレーズしてみよう。嫉妬者は自分の損得とは無関係に隣人の幸福を許すことができない。つまり、彼(女)は自分の利得を最大化しようとしているわけではないのである。むしろ逆である。彼(女)はたとえ自分が損をしようと隣人の不幸を願う。嫉妬は功利主義的な快楽計算にはしたがわず、そうした自暴自棄さはある意味で、すがすがしくさえ感じるほどだ。
「マタイによる福音書」にある「ぶどう園の労働者」の喩えが戒める相対的剥奪感。自分が出世しても同じように同期が出世していれば、特別感は薄れる。ましてそれが見下していた同期ならば、自分自身が馬鹿にされたとすら感じるはずだ。
性欲と嫉妬心は、まさに競争により遺伝子や種を残す為の両輪となる駆動力だ。呪いのプログラムとも言えるし、それが抑揚を与え、恋をしたり怒りや悔しさを乗り越えたり、人生を色鮮やかにするものとも言えるだろうか。欲を換言して夢とし、生存戦略を愛や平和と言い換え、醜くも生々しくエゴを求める姿こそ美しい。
Posted by ブクログ
嬉しい、悲しいと同じで人の感情の一つである嫉妬について考察されている。自由、正義、民主主義に通じる嫉妬の在り方を考えることができた。嫉妬を軸にすると世界が見えやすくなる?
Posted by ブクログ
完全に公平であった場合に成功失敗の要因は100%自分の能力次第になってしまい、上手くいかない場合メンタルにダメージを負う話が面白かった
言い訳って大事よね
Posted by ブクログ
嫉妬は個人的な範疇に於いては「手なづけがたい厄介な病」だけど,公の嫉妬は時に「社会を前に進める原動力」になる反面ひとたび悪用されれば容易に分断を図る劣悪な政治家を生み出してしまう「魔物」であると常々思ってきた.
そんな折に見かけた本書は,「民主主義と嫉妬」の堂々巡りを是認しつつ,今求められている多様化が一つの解決策になるのでは?との提起と読めた.
あと,読書におけるsynchronityとして,直前に読んだのか「傲慢と善良」だったのも良かったのかも.
傲慢の源泉に嫉妬が根深く絡んでいるのは間違いないので.
Posted by ブクログ
独身未婚中年男性の自分が読んでみました。
なかなかおもしろかったです。
言われてみればああ、という、コロンブスのたまご的ではあるんだけれども、このことに気が付かなかった。まさに、民主主義やら資本主義やら社会主義やらの話の根底は嫉妬にあるんだろうなと気づかせてもらいました。
「あいつだけずるい」と足の引っ張り合いになってしまうのが、日本は多いような気もしますが、それで結局、全体的に質を落としている感じは、日本も含め、世界全体的にそうだったりするのかもしれませんね。
自分自身も最近、若い同性の子に対して苦言を呈してしまったのですが、どうやらそれは嫉妬だったようで、これは自分で認めねばならないなと思いました。
相手のほうがだんぜん能力が上で、私などたちうちできないのに・・・。
若い子と張り合おうとしたところがすでにおこがましいというか、中年にしてなんと子どもっぽいことだなと、恥ずかしくなりました。
手塚治虫先生みたいな才能のある人なら、若い人に嫉妬してもよいと思いますが、自分のような凡人が嫉妬するのはただただ醜いばかり。
なんとか折り合いを付けて、人には迷惑をかけないようにしたいものです。
Posted by ブクログ
「嫉妬」という感情を紐解いた書籍はたくさんあるけれど、この本のように政治的な面から分析しているものはめずらしいと思う。だいたいは心理学や哲学系の分野で、嫉妬が思考や行動にどのように影響するかが書かれている
けれどもこの本は嫉妬とは何かを検討したあとで思想史において思想家が嫉妬をどのようなものと考えているのか、そして嫉妬はコミュニティでどのように変化するか、また現代の民主主義において嫉妬はどう作用するのかを様々な人の定義や言葉を引き付けながら書いている本。当たり前だけれど人間は理屈によってのみ動いたり考えたりしているわけではなく、嫉妬をはじめとする種々の感情があり、それを無視して理屈のみによって政治的な訴えを起こすことの困難さが理解できた
Posted by ブクログ
嫉妬についての本は初めて読むので、嫉妬について詳しく考えを聞くことが新鮮で面白かったです。
古代より悪しきものとして思われ続け、人々が苦しんできたものとわかって、恐ろしく掴めない嫉妬という感情が不毛でも人は持ってしまうもの、とわかり妙な親近感というかリアリティが伴って怖さが減りました。
感想を書こうにも中々建設的なことが出てこないのでまだまだ理解できていないのだと思われる。
嫉妬は私感で、民主主義など政治に関係ないと思い込んでいたけれど、そうではなく社会の体制に一個人の嫉妬の感情が作用してまた社会が作られ、というように影響があるのだと知れた。
印象に残ったところ
p116
嫉妬を「あるゆる種類の個々の傑出した人物に対して、凡庸者どもが申し合わせなど抜きに暗黙裡にとり結び、いたるところで栄えている同盟の塊」
p241
社会が価値あると見なす次元が多様であれば、安易な序列化が難しくなり、彼我の比較も容易ではなくなる。それが社会における嫉妬の爆発をいくぶんか抑制することになるのだ。
『ルルドの泉で』の話題に触れたのは初めてだったので何だか嬉しかった。
Posted by ブクログ
私の嫉妬は私だけのもの。
嫉妬を飼い慣らすためには、比較をやめるのではなく、むしろ徹底して比較してみてはどうか?
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なかなかおもしろかった!
Posted by ブクログ
妬み、嫉み、恨み、辛み。
ルサンチマン、他人の不幸は蜜の味…
私たちの社会生活において日々出会う感情だが、合理的・理性的な人間像を基本とする社会科学の主流においては自分を引き上げることよりも他人を引き下げることを望む負の感情は適切に扱うことが難しかった。
とはいえ、文学では主要なテーマの一つでもある嫉妬について、思想家たちはあれこれと論じてきた。本書ではそうした嫉妬論を概説したり、「自慢や誇示」についての思想を追って嫉妬に別の角度から輪郭を与えたりする。基本的に嫉妬は負の感情であり、良い面はほとんどないというのが、多くの思想家たちに共通しているところだが、最後に著者は負の感情であったとしても、嫉妬をなくすことはできないし、完全に無くしてしまえばいいものでもないと言う。嫉妬の源泉は対等性(自分とまったく異なるものに嫉妬はしない)と差異であり、この二つは民主主義の源泉でもあるからだ。民主主義の理念と嫉妬の情念は光と影のようなものとして付き合い方を考えていく必要がある。
社会の中に嫉妬を解消するための仕組みや機会を織り込むマクロレベルの対策も、ミクロレベルで一人一人が対処していく対策も(著者は半端に比較して嫉妬するのではなく、比較から無理に降りるのでもなく、徹底的に比較するのが良いと言う)、どちらもやり続けていくことが重要だという。はてさて。
Posted by ブクログ
前半(3章途中まで)はほとんど過去の著名人の著作物から引用し、嫉妬に関して言及を行っている。
後半は現代の SNS 等に関わる嫉妬の話を展開していく。エピローグでは嫉妬にどう向き合うかについて解説しているが、基本的には嫉妬がなぜ発生してしまうのかについて解説している。
平等・公正が進み、比較できるから嫉妬が生まれるという理論は面白い。平等と差異のバランスの上で嫉妬が生まれるということ。ただそれが格差を認めるということになるとは思わないが。
要は言い訳ができる余地を残しておくことで、嫉妬につながりにくくなるはずなのに、現在は過度な自己責任論と SNS による視える化で比較せざるをえなくなり、社会全体の嫉妬が強くなっているのではないかと感じる。
難しいとは思うが、なるべく比較をなくして、自分の個性を強くしていくのが大事だと思う。個性的であることは唯一であると思うので。本書で述べられていた「多様であることで比較の軸を見えにくくする」という視点が面白かったので、これを心にとどめておきたい。
Posted by ブクログ
小室圭のフォーダム大学、マーティン奨学金の受給等、嫉妬ではない、憂だ。
不正にニューヨークの弁護士資格を取得した、
受験資格すら無いのに。
よくも事情を知らずに、嫉妬と言う、
よく事情を知ったら、どう思うか、知りたいが、
小室圭に嫉妬心はない、ただ気の毒だな、とは思う。
愚かなピエロに成り下がった、笑い者。