あらすじ
互いに事情を抱え、母親達の同意を得られぬまま結婚した外山くんとゆき世。新婚旅行先のヘルシンキで、レストランのクロークの男性と見知らぬ老夫婦の言葉が、若いふたりを優しく包み込む(「ミトンとふびん」)。金沢、台北、ローマ、八丈島。いつもと違う街角で、悲しみが小さな幸せに変わるまでを描く極上の6編。第58回谷崎潤一郎賞受賞作。
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Posted by ブクログ
はじめての吉本ばななさん。本当に文章が素敵。
生きている以上、大切な人をなくしてしまうという絶望をいずれ味わなければいけない…。そのことにたまに気づき、酷く恐ろしく感じることがよくある。
でも、この本を読んで、もしその絶望を感じることがあったとしても、その人から貰った愛情や思い出を大事に抱えながら、少しずつ薄まりゆく記憶により泣く頻度を減らしながら、たまにその人の事を思い出し、なんとか生きていく…それが遺された人の業なのだと改めて気づいた。
私はまだ大切な人をなくしたことがないからこそ、ぼんやり想像するくらいだったところを現実として改めて突きつけられたような感覚になった。
それは、決して嫌なものではなく、いずれ来るその時のために今すべきことはなんなのか考えさせられ、今大切な人と過ごしているこの時間が宝物のように感じた。
そして、大事な人たちから貰った愛情や、思い出のパーツをすべてもらさず覚えていかなければいけないと思った。
相手が先に死んだら、相手のことを想えるように。
自分が先に死ぬとしたら、走馬灯が愛おしい思い出だらけで、決して後悔のないように。
【好きだった表現】
《小さい感謝はおいしいふりかけのように私の心全体に
ぱらぱらと散った。》
《どんなに他人と親しくなり、その人のことをわかったつもりになっても、結局その他人とは自分の中に生きているその人にすぎない。》
《だれかと暮らすというのは、青海苔が細かく散ったその人のTシャツをひたすら手で洗ったり、ラベンダーのろうそくをつけてごきげんに過ごしていた部屋に、全身酒と炙りものの匂いをさせながら帰ってきた人を、「ラベンダーに打ち勝つなんて最強のアロマだな」と苦々しく思っても文句を言わず良きタイミングで細く窓を開けたり、風呂に入ろうとすでに半裸になっていたのに、なかなか彼が風呂から出てこないで風呂の中で歌まで歌っていたりするのを、なにか羽織りなおして待っていたりすることだ。》
《だいじなのは、突き詰めないこと。そして、本気で自分の死を、この風の中で、美しい景色の中で、こんもりした緑にダイブして人生の最後の瞬間を見るときを観想したときに、一瞬だけ見える彼らの顔の心配な表情がほんものであれば、それがどんな占いよりも自分を確かに支えるということ。
私は間違ってない、間違った人たちといっしょにいるんじゃない。そんなことは、自分にしかわからないのだ。自分に自信を持つってそういうことだ。》