あらすじ
世界を変えるための「最古の科学」が「儀式」だった――。
生活や価値観が猛スピードで変化する現代。昔からある「儀式」は単調で、退屈で、無意味にみえる。でも、ほんとうに? 認知人類学者の著者は熱した炭の上を歩く人々の心拍数を測り、インドの祭りでホルモンの増減を測定。フィールドに実験室を持ち込んで、これまで検証されてこなかった謎めいた儀式の深層を、認知科学の手法で徹底的に調査する。ハレとケの場、両方にあふれる「儀式」の秘密と活用のヒントを探究する空前の書。
ジョセフ・ヘンリック(人類学者、ハーバード大教授)
「ギリシャの火渡りからアマゾンの恐ろしい祭礼まで、認知人類学者の著者は、リズム、ダンス、音楽、苦痛、犠牲などから成る、一見すると無意味で反復的で因果関係が不明瞭な〈儀式〉を、人類がどのように、なぜ行うのかを探求する。民族学的なデティール、個人のナラティヴ、認知科学の成果が盛り込まれた本書は、QOLや健康状態の改善、地域社会の構築のために、古代からの知恵であり最新の科学でもある〈儀式〉をどのように活用できるかを教えてくれる」
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Posted by ブクログ
儀式には意味がある。キチンとそのことを証明した名著だ…。
個人の観点から見れば、儀式というのは苦痛を支払うのに何も得られない……ように見える。神に祈っても世界は変わらないし、火渡りをしてもお金がもらえるわけでもない。
ただし、社会性の観点から言えば、儀式というのは目に見えない形で得られるものがある。それは共同体として扱われたり、不確実な未来に希望を持たせたり、社会的地位をアピールしたりなどなど…。
特にそれは、(共同体の中で生きるしかなかった)近代以前の文明では必須の要項だった。だからこそ儀式は数千年の歴史の中で生き残ってきたのだ。
現代社会は「なぜ?」を問うことが多くなっており、一部の慣習はそれに答えられずに廃止されていっている。(例えば「なぜ出社しなくてはならないのか」「なぜ男性/女性が〇〇をしなくてはならないのか」など)
それはそれで正しいし良い方向に向かっていると思うけれど、その一方で言語化出来ない/説明できない何かが”穢れ”として払い落とされてしまうこともある。
現代人は「儀式なんて無駄だ」と言うかも知れないが、様々な文化にて見られた”儀式”には(自然淘汰的な観点でも)キチンと意味がある、というわけだな。