【感想・ネタバレ】エラスムス 闘う人文主義者のレビュー

あらすじ

中世の大ベストセラー『痴愚神礼讃』の名を知る人は多いだろう。ヨーロッパ文化への貢献者に与えられる栄えある賞に今もその名を残す、西洋知性の粋、デジデリウス・エラスムス。宗教改革をはじめ、世俗権力と教会の対立が顕在化し、争いが絶えなかった狂乱の時代を生きた彼は、つねに学問に打ち込み、「何者にもその道を譲らない」という自らの信条が揺るぐことはなかった。派閥に属さない知性的な態度や人間味あふれる魅力的な人柄、「世界市民」としての生き方を、西欧文化を知悉する著者が憧憬をこめて描き出す傑作評伝。 【目次】まえがき/第1章 我、何者にも譲らず/第2章 不信の時代/第3章 変革への底流/第4章 古代へのめざめ/第5章 ふたつの友情/第6章 イタリアへの旅/第7章 ヴェネツィアの印刷業者/第8章 ゆっくり急げ/第9章 『痴愚神礼讃』/第10章 宗教改革の嵐/第11章 嵐のなかの生涯/第12章 自由意志論争/第13章 栄光ある孤立/はしがき

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Posted by ブクログ

ネタバレ

2024年に新しくエラスムスの本が出た事実を嬉しく思う。

●エラスムスと孤独とふるさとについて
「我、何者にも譲らず」というエラスムスの態度をあらためて格好良いなとおもう。
その一方で、私生児としてうまれ早くに両親をなくし結婚もせず、最後には新旧両派から敵視され友は遠ざかっていった様は、どうしても胸がくるしい気持ちになる。

ラテン語を自在にあやつりヨーロッパ各地を転々としたコスモポリタンとしての彼が最後にのこしたことばが「Lieve god」(愛する神よ)という故郷オランダの言葉だったことは、非常に示唆的である。

私生児として生まれた彼は、「デシデリウス・エラスムス」という名前さえ自分で付けた。その名前が父親の「ヘラルド」という名前をそれぞれギリシャ語とラテン語に訳したものであるという。また、彼が常に「"ロッテルダムの"デシデリウス・エラスムス」と名乗ったことを考えると、コスモポリタンたらんとした彼の根っこの部分にある、ふるさとという概念に対する憧憬を思わされる。

古典に対する愛も、こうした彼のふるさとに対する憧れの延長と見るのは考えすぎだろうか。憧れの気持ちは大いに膨らみ、しかし彼が長年のぞんだイタリアの地で見たのは、教会の堕落した姿だった。教皇が率先して戦いの先頭に立つような時代だった。

●微笑ましいエピソードについて
暗い晩年以前(正確には、ルターが95か条の論題を出す1517年以前)のエラスムスのエピソードはほほえましく思うものも多い。
ロレンツォ・ヴァラのラテン語をアルファベット順に並べたり、トマス・モアをあらん限りの言葉を尽くして長文で褒めちぎったり。

イタリア滞在時、当時のイタリアの質素で少ない料理が耐えられず、美食家のエラスムスはひとりで食事していたそうだ。微笑ましいが、人好きなエラスムスをおもうとすこし切ない。
またイタリアといえば食事が美味しいという思い込みがあったので驚いた。エラスムスはむしろモアやジョン・コレットと出会ったイギリスの料理を褒めちぎっている。これは本当にイギリス料理が美味しかったのか、エラスムスの主観が多分に入っているのかはよく分からない。

●その他
あの有名な「パンドラの箱」という言葉がまさかエラスムスの誤訳だったとは、なんだか感慨深い気持ちにもなる。元は「パンドラの壺」だとか。
その他、15世紀末には1500年というひとつの大きな区切りの近づきを目前として、終末感がひろくヨーロッパに漂っていたという。

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2024年06月06日

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