あらすじ
ただの酒飲みか、偉大なる俳人か
流浪する民か、真実の僧か
作家・町田康が自由律の俳人・種田山頭火に向き合う。
その生涯と俳句をめぐる文芸エッセイ。
これまでの評伝と一線を画す。
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実は山頭火のことをよく知らない。
なんとなく、凄い詩人、俳人らしい、という知識がある程度。
そこにこの本を読んでしまった。
町田康さんの、べらんめえというか、話し言葉というか、思ったまま書くというか、
すぐどこかに飛んで行ってしまう技法のもとで、山頭火の生涯を知る。
薄い知識では哲学的な人のようなイメージがあった山頭火。
町田さんの前でもろくもそのイメージは崩れました。
ただの酒飲み、放蕩息子。そもそも親もダメ。財産潰しで息子山頭火も大学中退。
九州に逃げ、家族を持つも、一念発起?家族を置いて東京に戻る。
でもカネに困り、、、そう、このひと常に金には苦労している。
そんななかついに仏門に入り、托鉢みたいなもんで凌ぐようになるが、
それも続かない。
今度は庵を構えようとするが、ここでもカネがいる。支援者を頼り、会費を頼るも
会報を出すカネすらない、、、
ぐだぐだ。
そんな中で彼の詩は生まれる。
人間、そんなもんだ。それでいい。
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とても素晴らしく面白い本。「私が携わっていた頃のパンクロックというものは、下手であればあるほど価値がある、」というフレーズを読んで、上手くなることを避けるパンクスピリッツを捨てられないと思っていたけど、いまのパンクは違うのかも、と考え直す。
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「老パンクロッカーで物書き」である町田康さんによる、俳句界のパンクともいえる山頭火の評伝。
山頭火入門、ではなく、『入門 山頭火』である。
町田さんは、山頭火のことはよく知らない、と、言いつつ、村上護さんの著書『山頭火 漂泊の生涯』を主なガイドに、小説家の想像力で、山頭火と併走し、山頭火に潜る。
脱線したり、山頭火や、自己にツッコミを入れたり、はたまた世間に吠えたりしながら、山頭火に共鳴していく町田さん。
その姿は真摯で、例えば、こういう評伝とか読むと、この人はアンタなのかいっ!と言ったものも多いけれど、町田さんは「〜と、俺なんかは思う」と、謙虚。
そこが好きである。
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町田康さんははじめて読んだ。独特な感じで最初は色々気が散って読みにくい気がしたけど、慣れてくれば気にならない。「分け入っても分け入っても青い山」「まっすぐな道でさみしい」など好き句についての話は面白い。
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種田山頭火は漂泊の俳人と呼ばれる
仏門に帰依して僧侶となった彼は
いわゆる行乞、托鉢をやって
少量の食べ物や金銭を恵んでもらいながら
旅する合間に俳句をつくっていた
しかし元々、俳人としてそれなりに人気のあった彼は
各地のファンに援助してもらったり
時には別れた妻の…かつての自分の家に転がり込んで
必ずしもストイックとは呼べない
どちらかといえば自堕落に思える人生を歩んだ
それでありつつ息子の将来に思い悩んでみたりなど
なんつうか、しょうのない人だった
なぜそんなことになってしまったのか
幼少時に母親が自殺したことや
家業の造り酒屋を潰してしまったことなど
不幸な挫折はいろいろあったが
本人には、父親から受け継いだ女狂いの気質であったり
飲酒に逃げる性格の弱さがあって
まあ自業自得な要素のほうが大きかったと思う
それでいてなお自殺もせず生き延びたのは
やはり俳句の才能に頼むところがあり
それを踏まえた上で近代的な問題…
すなわち、人間の完成にこだわった結果でもあろう
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山頭火のことは、昔「まっすぐな道でさびしい」という漫画を読んで(最後まできちんと読み切ったか自信はない)なんとなくそういう人だと知った。それ以前にも有名ないくつかの句は知っていたようには思う。
その程度の知識だったが、町田康さんがお書きになったものなら読んでみたいと思った。何年か前、講演で町田さんが山頭火の「行乞記」を今読んでいるという話をされていたのも記憶にあった。その時「ぎょうこつ」という言葉を初めて知り、漢字も全く浮かばず、ただ話の流れで意味はなんとなくわかったのだが、全く知らない言葉ってあるもんだととても印象に残った。
評伝エッセイというのか、町田さんの地が現れて、とても読みやすく面白かった。引用される句は、わりとわかりやすく共感できるものが多く(基本「ダメな自分」を表してるような作品って共感しやすい)、町田さんの解説もついているのでしみじみ味わえた。自分のダメさを偽ることなく、正直に表現するところに興味を持ったと書かれていた。
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分け入つても分けいつても青い山
の句と前書きから山頭火を読んでいく。
町田康の文章の矛盾の描き方が滅茶苦茶すきだ。
矛盾が煮詰まって煮詰まって主人公が自分自身というものに疲れ切る。その後の現実世界のやりとりのパキッとした場面。癖になる…。
私へ:政治的な立ち位置などはあまり描かれていなかったので釣られて他の本を読むときは注意したほうがいいかもしれない。思った感じと違うと思われる。
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詩人や歌人というのは、文学をやる人たちの中でも、一番不器用で不細工な人が多いような気がする。町田康氏が自身とも重ね合わせながら、時に軽妙に噛み砕いて吐き戻していく様子が、オモロい。
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町田康が種田山頭火の生涯・人間性を独断と偏見で語る一冊
それはもう本当に『わしはこう思う』で書かれた一冊
でも、町田康自身のパンクロッカーとしての経験だったり、酒に溺れていた過去だったりだとかと重ね合わせて語ってくれるので、なるほど!と思わせる説得力があります
ただ(後半は特に)さすがにこれは好意的に捉えすぎ、山頭火を擁護しすぎでは……ってな部分も見え隠れするので、もうちょい厳しい視点での意見も読んでみたかったかな
山頭火の生涯を語ってはいるのだけど、没年まで追っているわけではないです
ので、巻末に掲載された山頭火の略年譜を見ると「ほえー、このあとこんなことしてたんかー」とか「んでこのあと○○年ののちにお亡くなりになるわけですねー」とか、色々と感慨深いものがあります
年表の数行を読んだだけでその時の人生に思いを馳せる事が出来るという、ちょっと不思議な体験も面白かったです
Posted by ブクログ
前半の少し謙虚?遠慮がち無い町田康の語りからはじまり、途中からだんだん山頭火考察に熱がこもってゆく。後半はまるで山頭火が町田康に乗り移ったかのよう。熱い!そしてパンク!
山頭火の人生観のなかに自分と同じものを見てしまう。その結論に至るまでの、町田康の世の中に対する、ちょっと捻くれた(でも私はとても正直だと思う!真っ直ぐで気持ちいい!)見方や物言いに私自身がハッとさせられ、自分のことをぐさっと言われている気がして。むちゃくちゃ突き刺さってきた。
恐ろしく粗暴な語り口と、自由な文体とこれぞ生けるパンクな町田語りにどっぷり浸かっていると、いつもやけどなんか元気もらえる。
口の悪い兄貴、でもちゃんと分かってくれてて、本当は芸事も人も大好きで、正直で、誰かを救えたらと思ってそうな(ご本人はその意識はないかもやけど)、そんな兄貴に会ったみたいな気持ち。
山頭火も町田康もすっっっごい素敵な人だと思う。かっこいい。絶対真似できひんけど。
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山頭火。旭川発の美味しい塩ラーメンのことではない。「分け入つても分け入つても青い山」で有名な俳人の種田山頭火のことである。そんな山頭火の生涯を楽しく辿り語ったのが町田康氏による『入門山頭火』。本書の執筆2週間前から山頭火の勉強を始めたというから驚きである。お金に困りながら放浪し、酒も絶てずに俳句を作り続けた山頭火。著者自身だったらこう行動するのに、と余計な文を入れながら現代に照らし合わせた解釈もあって、愉快に読み進められる。町田節炸裂。こういうスタンスの伝記もいいものである。
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確かYouTubeで山頭火の解説してたし詳しいんだろうと思ったら、「よく知らない」という出オチでズッコケた。(さっき調べたら本書の元になった連載に絡んだ企画だった)
「ようわからんけど、こんな感じなんちゃう?」って調子のダラダラした書きっぷりが町田先生らしい。パンク歌手がパンク歌人を語るとあって町蔵時代のパンチラインまで引っ張り出してくるのもミソ。
私はこれを読んだところで俳句のことは相変わらずよくわからないんだけど、このまま町田先生の小説のキャラクターとして登場しても違和感なさそうだし、令和に転生したらバンド組んでX(Twitter)やらせたら面白いことになりそうな人だという理解をした。
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大好きなさ自由律俳句の俳人二人のうちの一人。尾崎放哉については、吉村さんが「海も暮れきる」という名作残しているが…。大分、赴きは異なるが、これも伝記?つまらないギャグ、ダジャレは辟易だけど、俳句に関心のない若い人には逆に取り付きやすいかも。面白い試み。酒好きの二人だから通じるものがあるのだろうな。「分け入つても分け入つても青い山」「まつすぐな道でさみしい」「解くすべもない惑ひを背負うて」「どうしようもないわたしが歩いてゐる」「現代人でもひとりで山登りをすると魂が身体から滲み出ていくような感覚に見舞われることがあるが…」「人にバカにしられて腹が立つのは自分の中に人を見くだす心があるから」心しないと。
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少し前に「口訳 古事記」を読んだ。ややこしくて読み切れなかった。
山頭火は予備知識もあるし、興味もあるし。
出生から、生い立ち、亡くなるまで述べてある、が、そうであろうとか、こう思うとか、作者の推測によるものが多い。
また随所に出てくる、関西弁の感想や、話がめちゃくちゃな妄想劇?が少しうざったい(すみません)関西に馴染みのない人が読んだら意味不明な言葉多々あり。
思うに、芭蕉や西行など俳人や歌人は往々にして旅に出ます。山頭火も然り。
でも先のお二方とは何かが違う・・・
旅と放浪? 目的? 人生観? 作品への思い?
とてもモヤモヤしています。
最後に私の好きな山頭火の句。
〈生死の中の雪ふりしきる〉
〈ここにおちつき草しげる〉
Posted by ブクログ
町田康氏とたどる山頭火の生涯。
『ギケイキ』や『口訳古事記』みたいな町田節が炸裂…!
それらとちょっと違うのは地の文に完全に町田氏が入り込んでいる分、よりパンクロッカーとか実際の経験をたくさん盛り込んでいるところ。
山頭火の生い立ちは恵まれていたのに、親の手腕が及ばず崩れていっており、それらも生きることに対するやるせなさに影響していて、一方で自分でも押さえきれない真面目さに振り回されている…。そんな生きるのに不器用な人だなぁと思いました。
そこにお酒が入ってきて、何もかもがめちゃくちゃに…。
山頭火の人生がつらつら描かれていても入り込めなかったと思うのですが、町田氏が自分と山頭火を重ねながら話を進めているので面白く読めました。
Posted by ブクログ
山頭火も町田康からすれば、紛れもなくパンクロッカーだ。
「…自分の身の上に今この瞬間起きている抜き差しならない事態、を当事者としてでなく、劇として眺める、そしてそれを水のように純粋な言葉に置き換えることによって、それを見ている自分、肉身を離れた自分を創りだし、肉体の痛苦、精神の痛苦から免れようとする。現実から離脱して「一切を放下し尽くす」みたいな境地に一瞬、至る。或いは、至った気になる。これが山頭火の俳句ではなかったか。」
のあたりに大きく共鳴しているのは、『くっすん大黒』や『きれぎれ』などからもよくわかる。
「入門」とあるが、山頭火やその俳句の解説本ではなく、それに町田康の心がどう動いたかを味わう本。