あらすじ
差別の現れ方、正当化する言説は時代とともに変わっていく。
例えば、部落差別はかつての結婚・就職ではなく、その土地に住むことに対する忌避が強く現れる。
また、昨今は「社会的弱者であることをふりかざし、福祉に甘えている。逆差別だ」などという偏向した言説も目立つ。
こうした差別の変容はなぜ、どのように起きるのか。
現代的レイシズムを基点に、差別「される側」ではなく「する側」の構造をあきらかにする。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
差別とは変容していくもの。差別の再生産という言葉があるが、これは差別をされる側が変わっていくという問題。それに対して本書ではあくまで差別を“する側”について、どのように変わっていくのかということを論じていた。古典的レイシズムから現代的レイシズムに変わっていく過程で社会システムに入り込んでいく差別にウイルスのようなしぶとさを感じた。
Posted by ブクログ
部落差別を基礎としながら差別全体について考察していて面白かった
部落差別のもつ系譜性とレイシズムとの重なり、地価という形で市場に組み込まれた部落差別
「まさに現代の差別は、「差別する人」を免責する構造を持ち合わせているのだ。」(p.206)
Posted by ブクログ
最初の章が男女差別や男尊女卑に対する話題で持ちきりだったため、本を間違えたかと思いながら読み進めた。
しばらく進めると、これは「差別する人」の研究という名が表すことがふと腑に落ちた。部落差別は一つの切り口でしかなく、あくまで対象は「差別する人」なのだなと。
「差別する人」として今後の自身の在り方を見直す必要がありそうだ。
コンプラやハラスメントや差別なんかを気にするあまり、他者に対して無関心が最適解と言う勘違いが、自分含め世に蔓延っていて、これは相手のアイデンティティを受け入れないことに繋がるため差別解消への一つの壁になるようだ。
なかなか難しい世の中だ。例え部落差別が完全に解消しても次は新たな別の差別が生まれて、差別者が"暴力"の正当化のために被差別者を作り出す。
そんな世界でも楽しく生きたいものですね。
Posted by ブクログ
なんとなくそうだろうな、と思うことが統計的に裏付けられているだけで(現代は人への差別より土地への差別の方が色濃いとか)、取り立てて新しい発見があるわけではない。
ディベロッパーの友達と話していても、彼自身が差別的人間であるかどうかに関わらず、仕事上で部落の土地を把握するという考え方が定着しており、差別というのはこのように社会に残り続けるのだと感じたことを覚えている。
特権言説の理由として挙げられていた「資源をめぐる競争的考え」というのは良いフレーズだと思った。
現状への怒りや不満が、自らの状況をよくするための問題解決行動ではなく差別的感情に転化されるのは、為政者の思うつぼだしそれでは社会はよくならない。権利という資源をめぐって社会の間で競争するのではなく、社会改革につなげるにはどうしたらいいのだろう。
犯罪被害者の、受刑者への人権保障も、報復感情よりこちらの方が大きい気がするな、と思いながら読んでいた。