あらすじ
〈山の深みに届いた生活〉に憧れ始まった八ケ岳の山小屋暮らし。
石造りの暖炉に薪をくべ、揺らめく炎の語りに耳を傾ける。
山庭の細い涸沢には雪解け水が流れ、鳥や草木が刻々と季節のうつろいを告げる。
自然界とのいのちの交流を通し、私たちの〈新たな日常〉を探る、地球視線エッセイ。
毎日新聞「日曜くらぶ」連載2018年4月~2020年6月掲載分を収録。
※電子版オリジナル!新聞連載時の小沢さかえさんによる全挿絵をオールカラーで収録しています。
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Posted by ブクログ
偶然このタイミングで読み終えましたが、ちょうど冬にぴったりな内容でした。
私は梨木さんの物語はもちろん、エッセイがとても好きです。
勝手に好きな物などに共通点を感じています。
梨木さんのエッセイに登場する植物や鳥たちの名前を見ただけで、調べなくてもパッと頭に浮かぶのが嬉しかったりします。
一番心に残ったのは「徒然と」という言葉。
私自身は使わないけれど、母や今は亡き祖母がよく使っていました。
東北だからか「とじぇん」と訛っていましたが、本当によく聞く言葉でした。
Posted by ブクログ
いろいろな場所へ旅をし、想いを綴ってきた梨木さんだが、コロナ禍でおもむきか変わった。旅ができなくなったこともあるが、コロナをきっかけに起きた、政府の方針や、外出制限で、引きこもることが当たり前になったことで起きた社会の変化だ。
梨木さんも引きこもりを余儀なくされ、思いはより個人の内側へと向かうかと思ったが、むしろ社会へ、政治へと向かっていた。コロナ禍の今を、誰もが危惧する戦争への足音を、梨木さんは書かずにはいられなかったのだろう。(これがのちに『ほんとうのリーダーのみつけかた』へ繋がっていく)戦前のジャーナリスト桐生悠々の『他山の石』を取り上げたり、ベラルーシでデモを行った若い人たちの声に耳を傾けたりする梨木さんの文章は、穏やかな言葉だが決意に満ちている。
この文章は2018年4月から2020年5月のあいだ、毎日新聞で日曜ごとに掲載されていたが、2023年になった現在、より現実味を持ってきている。
これまでご家族のことは書いてこなかったが、「神話の時間」であったという、父との最後を迎えるにあたり、連載を抱えているその時、自分の中を占めるものがそのことしかなかったため、文章にしたという。このことが新たなテーマとなっていくとも。
しかし、八ヶ岳に購った山荘で火を熾したり、野鳥やリス、時にはテンやシカの訪問を受けて暮らすひとときは、変わらない日常として訪れる。そこで思い出に語られる旅や、生活の描写は、炉辺の温度のように穏やかだ。
Posted by ブクログ
梨木さんの最新エッセイ。
八ヶ岳に山小屋を得て、そこでの様子など徒然と。
毎週の連載だったもよう。そちらでは挿絵の油絵があったようで梨木さんも好きだったようなのでできれば収録してほしかったな。
相変わらず植物、鳥の名前が個別名がしっかり特定されてでてきて、本当に好きなひとは図鑑を引きつつ読むんだろうなあっと思う。
残念ながらそれほどの熱意は私にはない。
家に暖炉があるというのはいいものだろうなあ。
それなりの手間がかかるのだろうが、チラチラとゆれる炎をずっと眺めているのは気持ちが良さそうだ。
梨木さんは自分の手で実感することを大切にされてる感じがする。そーゆー意味で自分で自分の火をつける、という行為がなんとゆーか好きなのかなあっと。
面識はないもののその住んだ家の気配に魅せられるお話が好きだった。
残念ながらその家はもうないのだが。
お父様の話は心痛めた。
それがただの仕事、いや作業となってしまった時に起こる悲劇を思う。
全くレベルは違うものの自分が働く姿勢のなかに、彼らのような部分があってしまっていることに反省。
つくづく人の生き死にに関係ある仕事についてなくてよかったと思う。私は私が一番信用ならんから。
ネジバナは私も大好きなのでその出会いを喜んでおられる一文に、私も好きなんです!っと心の中で叫んでしまった。
好きな人が同じものを好きと言ってくれるとなんか嬉しい。
あまりご自身のことをだされない感じの方なので、
今回、背骨骨折やら、耳が聞こえないやら、お体があまりよくないこともあったことを書かれてて、
どうぞご自愛ください!っとめっちゃ伝えたい。
Posted by ブクログ
梨木さんのエッセイはある時から、見つけると必ず手に取っている。
日常に繋がるエピソードでありながら、彼女の視点が、ことばが、非日常に導いてくれる、あるいは別の価値観、選択肢を見せてくれて、日常の行き詰まりを緩和してくれるので、だいたいいつもすがるように読んでいる(笑)
しかし、今回は書かれた時期や媒体のためか、全体に「焦燥感」のようなものを感じた。
それでも、いくつかのことばに、胸がすっとしたり、「これでよいのだ」と救われた。
また、引用された本のほとんどが私の「読みたい本リスト」に追加された。
自分のペースでやりたいことをやりたいときにやりたいだけやって、なんとか死ぬまで生き延びよう!との決意新たに。
Posted by ブクログ
本当に大好きな梨木香歩さんなんだけど、最近の作品は政治的思想をまったくオブラートに包まずに書くようになってきて、しかも自分には理解できない価値観なので読んでいてぐったり疲れる。これは新聞の連載だからしょうがないんだろうか。「非暴力民衆一揆」という謎の言葉で原発をなくそうとか、ちょっとびっくりする。原発は電力確保のいち手段なのだから、本当になくしたいなら現実的に利用可能な代替手段の開発を援助するとか、そういう方向性で実現に向けた努力を確実に踏み出してほしい。
戦争だって政治だってつまるところただの手段だし、そう扱うことで御すべきではないかと思うのだが、コロナ対策についてでさえ、政府に従うことは民主主義を自ら手放すことだ、一億火の玉まですぐだ、などとまで書かれるので、もはや目的を見失っておられるとしか思えない。梨木さんの言うように民主主義が破壊されたのだとすれば、それは政権によってではなくて、こうやってますます政治を目的化しようとする風潮によってではないのかと思う。
今回好きなのは立ち枯れるウバユリの話、漆喰の養生の祈りの時間の話。あらがうことのできない生命の流れの中で、思う、祈るという行為の意味。いのちの中でそれらがフックとなって点々と残り、最後の瞬間に本質に導かれる「過程」になるように思う、というか、そうであってほしいと祈る。
ご家族のことやご自身の病気のことなど、プライベートな状況についてはいままで全くと言っていいほど書かれていなかったが、今回そういったことに踏み込んで書かれている。お父様の話はあまりに痛ましく読んでいてつらかったが、相手の医療従事者の方々の気持ちも何となくわかる気がして、単純に一刀両断できる話ではないなと思った(そして、梨木さんもそうはしていない)。たぶん、その人たちの態度が悪く見えたのは、相手が女だとか、仕事が作業になっているとかいう次元の話ではなく、どうしようもなく日々忙殺される中でそんな取り返しのつかない事象が今まで何度も起こって、その度当然になじられ続けるループの中で、もうその人たち自身の体や心も壊れているんじゃないかと思うのだ。微笑むっていうのは、もう心のやり取りのレベルに降りてこられない防御的反応に思えてならない。やるせない。誰かがどこかで気がつけばよかったのだろうけど…と思いきや、気が付いても隠蔽されたというのは、もはや倫理で正される段階を超えて追い詰められ、疲れ切った環境を思わせる。
その犠牲になった梨木さんとお父様はもはや相手を糾弾しない。その重さ。
命が命と深く通じ合う、つながっていく、続いていくということの尊さを梨木さんはずっと書いておられて、私もそれが大大大好きだ。けど、分かって欲しい、は分かるでしょう、分かれ、という風にあっという間に翻り、鋭い暴力性を獲得する。それがどんなに正しい感情でも、強い圧に晒され続けた相手も関係も歪んでおかしくなっていってしまうように思う。それは家庭のレベルでも、社会のレベルでも、国家のレベルでもありふれたことではないか。
分かって欲しいという時に、相手を変えようと思わず自分を変えるべきというのは有用な処世術ではある。梨木さんはそういった処世術に落ち着くのではなくて、本質的に伝え伝わること、どうにか相手に打撃を与えずに、関係と尊厳を保って互いに浸透するようなやり方を常に模索していたように思う。「春になったら苺を摘みに」はそんなイメージだった。本当に好きだった。
近年の政権の一言一言をあげつらう、尖った攻撃性を帯びたエッセイを読むにつけ、そういったことはやはり無理だったのだろうかと感じてしまう。どうにも心の整理がつかない。