あらすじ
人間の連帯は,真理の哲学的な探求によって可能となるものではない.他者への残酷さに対する感性を想像力によって拡張することで達成されるべき,目標なのだ.20世紀後半を代表する哲学者が,ありうべき社会はいかに構想されるかという課題に,永遠なる自由の実現というリベラル・ユートピアの可能性を提示する.※この電子書籍は「固定レイアウト型」で作成されており,タブレットなど大きなディスプレイを備えた端末で読むことに適しています.また,文字だけを拡大すること,文字列のハイライト,検索,辞書の参照,引用などの機能は使用できません.
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Posted by ブクログ
ローティ→肩甲骨のおののき
以下松岡正剛引用
リチャード・ローティの両親は戦前の共産党員だった。両親はいっときトロツキー(130夜)の秘書を匿ったことがあった。少年ローティはそういう両親が誇らしかった。その両親の影響らしいのだが、ローティは12歳のころには、「人間としての大事なことは、社会的不正義との闘いに自分をささげることである」という仄かな確信をもつようになった。
しかし他方では、12歳のローティはニュージャージー北西部の山に自生する野生の蘭の美しさにとても惹かれていた。その途方もなく官能的な美しさには「うしろめたさ」を感じるほどだった。
では、「トロツキーと野生の蘭」をともに抱くにはどうしたらいいのか
◯戦後の学問そのものの方向性に根差した独創的思考
言語はゲームに過ぎないことを喝破したリトゲンシュタイン、アプリオリなんてないことを証明したゲーデル、相対性理論のさらにその先科学は人間のものの見方のひとつに過ぎないことこそがその優位性であることに気付かせる物理学、文化人類学の存在論的転回…
コスモスからカオスへ
を体現する「偶然性」の思考の源流がリチャード•ローティ。
現代美術作家のワイド・ガイトンもおそらくローティーのコンセントを作品化している。コンテンジェンシームーブメント。
偶然性に身を委ねる、とは何かの実践こそがローティ以降の哲学的試行錯誤となっているし、あらゆる分野でローティ的価値観を垣間見る。マイケル・サンデルの「すべては運である」。