【感想・ネタバレ】世界史の中の戦国大名のレビュー

あらすじ

ポルトガルインド総督に使節を派遣した大友氏。アユタヤ国王との接触を図る松浦氏。カンボジアとの「国交」樹立を目論む島津氏。さらには天正遣欧使節や伊達政宗による慶長遣欧使節。あるいは、その本拠地で花開いた国際色豊かな「コスモポリタンシティー」ーー国の「王」として、狭い冊封体制の枠組みを越え、東南アジアから南アジアへ、そしてヨーロッパへと、対外活動を地球を俯瞰する広範囲へと拡大してゆく戦国大名たち。日本史の文脈を越え、世界史のコンテクストの中から見えてくる、戦国大名のこれまでとはまったく異なった新たな姿を提示する。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

<目次>
プロローグ 戦国大名は世界史の中でいかなる活動をしていたのか
第1章  「倭寇」となった大名たち~戦国大名と中国
第2章  外交交易対象の転換~対中国から対東南アジアへ
第3章  対ヨーロッパ外交の開始とその影響
第4章  戦国大名領国のコスモポリタン性
第5章  東南アジア貿易豪商の誕生
第6章  日本と世界をつないだ国際人たち
第7章  戦国大名の「世界」と徳川政権の「世界」
エピローグ 「世界史の中の戦国大名」の精神性

<内容>
簡単に言えば、戦国時代は世界にひらかれた日本であった、ということだ。室町時代後半、日明貿易を独占した大内氏、ポルトガルと深く付き合った大友氏、そこにザビエルがやってきて、島津氏や大村氏、有馬氏、松浦氏なども介入した。やがて秀吉の朝鮮侵略は、一面でこうした先行した戦国大名を乗っ取る形で、東南アジアからせかいに目を開いた秀吉が、その精神性に対し、行動が戦国大名の発想だった故に、朝鮮で躓いたともいえる訳だ。江戸時代当初、新たにノヴィスパン(メキシコ)経由のスペインと、家康や伊達政宗がチャレンジしたのも、この流れにつながる。江戸幕府が九州の大名を押さえ込むためには「鎖国」しかなかったのは、残念だったのかも知れない。 

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2024年04月19日

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