あらすじ
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上白石萌音さんが何度も読み返す、愛する一冊
れいんさんの文章には体温があり、とても人間らしくて趣深い。
言葉の楽しさが詰まっています。
素直に、真っ直ぐに人を愛する姿にあこがれると同時に、
身近にいる大切な人をより愛しく思えます。 ――「20歳の20冊」より
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全国の書店員から熱烈な支持!
最注目の著者による、大反響エッセイ文庫化。
人生はドラマではないが、シーンは急にくる。
わたしたちはそれぞれに様々な人と、その人生ごとすれ違う。
だから、花やうさぎや冷蔵庫やサメやスーパーボールの泳ぐ水族館のように毎日はおもしろい―― 。
短歌、小説、絵本と幅広く活躍する著者が描く、「ともだち」との嘘みたいな本当の日々。
大反響の傑作エッセイ!
【文庫版あとがき収録】
[目次]
うたうおばけ/ミオ/アミ/まみちゃん/Sabotage/パソコンのひと/内線のひと/
瞳さん/謎の塚澤/暗号のスズキくん/物理教師/回転寿司に来るたびに/
雪はおいしい/一千万円分の不幸/八月の昼餉/イナダ/不要な金属/
かわいいよね/冬の夜のタクシー/ロマンスカーの思い出/抜けないボクシンググローブ/
からあげボーイズ/エリマキトカゲ/きぼうを見よう/秩父で野宿/うにの上/
まつげ屋のギャル/桃とくらげ/ひとり占め/クロワッサン/終電二本前の雷鳴/
白い鯨/バナナとビニニ/わたしVS(笑)/ふきちゃん/
死んだおばあちゃんと死んでないおばあちゃん/喜怒哀楽寒海老帆立/
山さん/あこがれの杯/あとがき/文庫版あとがき
感情タグBEST3
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Posted by ブクログ
◾️record memo
今になって思う、あの大きな輪の中に(なーにが友達だよ)と思っていた人が何人いただろう。わたしはそういう人ともっと仲良くなるべきだった。わたしにとっての「友達」は、そういう、繋いだ手から抜けたらステージの上にいる先生が「そこ!」と怒るような、むさ苦しくて窮屈で退屈な言葉になってしまった。友達だから。友達なのに。そんなつまらない絆物語に、自分の人生を添わせてたまるか。
人生はドラマではないが、シーンは急にくる。わたしたちはそれぞれに様々な人と、その人生ごとすれ違う。だから、花やうさぎや冷蔵庫やサメやスーパーボールの泳ぐ水族館のように毎日はおもしろい。どれを掴むのか迷って迷って仕方がない毎日であれば、この人もこんなつまらないことわたしに聞かなくたっていいはずなのに。「友達が多そう」って褒め言葉のつもりでしょう。友達の多さが人間の価値だと思っているのでしょう。そんな安易なものさしでわたしを計らないで。あなたたちはみんなそう、みーんなそう。
わたしは頭に浮かぶかぎりの意地悪なことを言いそうになり、やめる。友達の多さを褒める世界で生きている人は、でも、割とわたしよりもちゃんとした人生を送っていることが多い。(ちゃんとした人生、とは……)こういう人と対峙するとわたしももっと言われた通りやってりゃよかったんだろうな。と思ったりする。言われた通りやってりゃ今ごろ。今ごろ何だ。
不謹慎、それがなんだ。こっちはどれだけ理不尽な思いをしても生きていかなきゃいけないんだよ。
わたしはアミのフルーツナイフみたいな鋭い言葉に結構救われていた。膿が出ないと完治しないような悩みばかりだった。
たいていは本当に体調を崩して休んだ日の次の日がそうだった。おなかが痛いとか頭が痛いとか。うめき方、眉のひそめ方、吐きそうな咳の仕方。前日からどう症状を引き継いで訴えれば母を欺けるか大体わかっていた。今になってわかる。ほんとうに恥ずかしくて仕方がないが、母はそれを全てわかった上で、信じたふりをしてわたしを休ませていた。
不登校というわけでもなかった。ただ、ぽっかりとしてしまうと数時間や数日、どうともならないのだった。どうして休んでしまったのだろう。行けないな、と思って、行かないと、行けなかった。明確な理由はなかった。たぶん行けば行けた。でも、行けなかったし、行かなくてよかった。そのぶん、冷蔵庫からかにかまを出して泥棒みたいなきもちで食べたり、蟻の巣にチューペットを刺したり、全然わかんない数学の解説番組を観たり、毛布の四隅の先を吸ったりしたときのほの暗い思い出が今わたしに沈澱している。
キーを叩きながらしばらくはぼーっと考えていた。おまじないにしかなりませんでしたね、という言葉の妙なパワーのことを。気休め、なんて言葉よりずっといい。おまじないにしかなりません。おまじないだけで解決する問題を、みんながどれほど抱えているか。
ばかだなあわたしは。虚しい。虚しいと思ったら涙が出ていた。かちかちに凍るほど冷たくなっていた頬に涙はとても温かかった。寒すぎるところから突然暖かいところに来たせいか顔の筋肉がうまく動かなくなってしまい、泣き止もうとしても全然うまくいかないのでひたすら涙を流しっぱなしにした。
タクシードライバーはそこで運賃のメーターをストップさせてから、本当に家の目の前まで送ってくれた。
「なんかあったときほど、夜道はひとりで帰らんといて」
「はい。ありがとうございました、お会計、教え」
タクシードライバーの手元から、ピ、と音がした。見るとメーターの表示が0になっている。
「わたしも泣いてる女の子ひとりで帰らすような女じゃないんで」
「いや、でも」
「その分、いつか泣いてる女の子助けたって」
「そんなの、かっこよすぎるじゃないですか」
タクシードライバーはわたしの顔を見て吹き出した。降りた降りた!と追い出されて、あっけにとられているうちにタクシーは行ってしまった。
ひりひりと痛む頭皮と引き換えに髪色はどうにかそれっぽくなった。白に近い金。色むらはそれはもうひどいものだったが、わたしはとてもうれしかった。金髪だ!
わたしはさっそく真っ赤なコートを着ていつもの道を歩いた。真っ赤なコートは取ってつけたような色の髪に案外似合った。
街を歩くと、人の波に道が開けるような感覚があった。いつもはわたしが避けなければいけないようなおじさんや気の強そうなお姉さんがわたしの歩行ルートを最初から避けて歩いてくれる。これは結構衝撃的な感覚で、強くなったようなきもちと共に淋しいような気もした。
同世代の就活生らしき学生から向けられる視線は痛かったが、社会の色に反している(ようなきもちになる)のは、とても開放的だった。やーい、と思った。やーい、社会のバーカ、つまんないの!
わたしの一重と短いまつげの顔はまつエクをするだけでミニーマウスのような顔になった。顔が豪華になる。値は張るが、かんたんな(そう、ほんとうにかんたんな)お化粧をするだけでそれなりに見えるので、まつげのために働くぞ……と決めた。
母と職場のみんなにもあげよう、と思い立ってはっとした。そういえばずっと前に、わたしは晴海にひとり占めが苦手かもしれないと打ち明けたことがあった。素晴らしい風景、おいしい食べ物、貴重な経験、自分の身にいいことがあるとそれ自体への感動よりも先に家族や恋人や友人などを思い(あの人にも分けてあげたかった、一緒に来ればよかった)と後悔してしまうこと。その後悔を先回りするあまり、ひとりで何か行動を起こすのに尻込みしてしまうこと。
わがまましてください。と、手紙には書いてあった。わたしはひとり占めの練習をしたほうがいいのかもしれない。全部自分のものだと思うとはらはらわくわくする。クッキーはまだ十五枚残っている。
聞けば聞くほど別れに際する彼氏の対応は酷いものだった。彼氏はもっともらしく別れの理由を言っていたようだが、わたしが要約してしまえば、今まで自己肯定感の低い女を飼いならすことしかしたことがなかったので、自分よりも自立した聡明な女性に対して劣等感が生まれ、付き合っていられない。と言うことだった。そしておそらくそれは、リコちゃんとは別の自己肯定感の低い女を捕まえた、という意味だった。「ダーァ、バッカらしい!」とでかい声で言うと、「本当ですよ、ばーか!」と、リコちゃんもでかい声を出した。
恋のつらさは、憎らしい相手を憎もうとするせいで恋の真ん中にいたピンク色の自分ごと傷つけてしまいそうになることだ。そんな人だった人を尊敬して愛していた自分との折り合いを付けるのには時間がかかりそうだった。
仕事で忙しくて自分が自分じゃないみたいに感じるとき、机の引き出しにしまったお守りを取り出して薔薇の刺繍を撫でている。「ビニぃニぃ」と小さな声で呟く。ほんとうにネイティブな英語に聞こえるんだよなあ、はあ、くだらない。くだらないのに「ビニニ」は今ではわたしの情熱の呪文である。
でも、気がつかないだけで、わざわざ額に入れて飾ろうとしないだけで、どんな人の周りにもたくさんのシーンはあるのだと思います。ハッとしたシーンを積み重ねることで、世間や他人から求められる大きな物語に呑み込まれずに、自分の人生の手綱を自分で持ち続けることができるような気がしています。
高校生のわたしにとって、学校の行き帰りや空き時間に文庫本を開いている時間は、読書以上の意味があった。盾だったのだ。心臓の前で開くちいさな盾。だれがどんな言葉でどんな表情で何を話しているのか周りのことを気にする分、自分がまわりからどんな風に思われているのか常に考えてしまうところがあった。そういうわたしを、文庫本が護ってくれた。文庫本を読んでいる間、わたしはわたしにまつわる人間関係や、時間や歴史や責任や期待から、解放されている気がしていた。「本を読んでいる人」でいることで、文庫本はわたしの盾となってくれた。
けれどわたしにとって文庫化されるというのは、たったひとつ、高校生だったわたしのリュックサックに入るかもしれない本になる、ということなのだ。わたしはこうして、あの日わたしが持っていたちいさな盾を作ることができた。
Posted by ブクログ
初めましてのくどうさん。ダヴィンチの『登場人物未満』で気になった作家さん。
全部が素敵なエッセイだった。日常で出会う言葉を大切にされているんだなあとしみじみ思う。人との繋がりを重んじて、自分の感情に全身で向き合って生きている感じがとてもいい。
私にも以前、「きぼう」を一緒に見ていた人がいた。私のきぼうにはなってくれなかったけど、今もどこかで楽しく過ごしていたらいい。