あらすじ
昭和38年11月、三井三池炭鉱爆発と国鉄の多重衝突という、戦後事件史に残る大事故が同日に発生。「魔の土曜日」と言われたその日の夜、12歳の百々子の両親は何者かに惨殺された。裕福な家庭に生まれ育ち輝かしい未来が約束されていた少女を襲った悲劇。事件は拭えぬ悪夢として胸のうちに巣食い、彼女の運命をも揺るがしていく――。一人の女性の数奇な生涯を描破した著者畢生の大河小説。(解説・佐久間文子)
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Posted by ブクログ
1963年11月9日、横浜で鶴見事故、福岡の大牟田で三井三池炭鉱大爆発があったその日、両親を殺害されたある少女が主人公。
小池真理子さんご自身が10年を掛けて紡ぎ上げた大作とあり、私のような素人がインタビュー記事を読み齧っただけで感想を述べるのもおこがましいのですが、喪失しながら歩み続けたからこそ書げられた作品だったのでは…と、胸がいっぱいになりました。
なぜそう思ったかの理由は、左千夫の描き方にあります。
映画館で間宮と対峙したあたりから立待岬での幕引きまでは、左千夫のことを陰鬱で臆病な自尊心の固まりのように容赦なく描写されていますが(実際に百々子を見つめる左千夫の視線と妄想は反吐が出そうになるほど)、終盤にある百々子と美村の会話の中では、百々子が左千夫を「あの男」と呼びながらも、ある一点でのみ血の繋がった叔父を赦すような、左千夫の心情をはかろうとするような発言を残しています。
ページをめくる時間すら勿体無いくらい物語にのめり込んでいた私にしてみると、断罪から赦しへ急転直下のような印象を受けましたが、おそらくこの間に、小池真理子さんの歩まれた時間による作品への向き合い方の変遷が詰まっているのでは。
自分に負けない、その思いで自分の人生に向き合い続けた百々子の再生を描いて、自らの日常からずっと逃げ続けた左千夫の未熟性と異常性を際立たせつつも、被害を受けた当事者・百々子以上に読者が左千夫を糾弾することのないよう、物語を動かす“神の手”を持つ作者として、小池先生は終章で左千夫への裁きにピリオドを打たれたように思いました。
--ここからは各登場人物について思ったこと--
たづ
出てくるだけで安心する。百々子への無償の愛。たづみたいなお手伝いさんって存在するんだろうか。いなさそう。その点ではこの作品唯一のファンタジー要素であり、癒しであり、薬箱で太陽。
紘一
分かってるのに、百々子を遠ざけた。ちゃっかり結婚、海外駐在。…と言い切っちゃうのは読者として無責任すぎるなと反省。自分の責任の取れる範囲で人と関わり、そこに全力を尽くそうとする真人間。
美佐
無念、ただ無念。律に会わせたかった。
清水
左千夫の同僚。左千夫が虚偽の退職理由を語った時、多分本音では気づいてだと思う。
間宮
定年前に謎が解けてどう思ったか知りたかった
Posted by ブクログ
恵まれた環境にあった百々子の両親が殺される。最初から犯人が暗示されている倒叙法的展開の、ある種の大河小説のような味わいのある作品。息付く暇がないというよりも、私には最初から終わりまで、息苦しい作品だった。
Posted by ブクログ
何もかも恵まれて生まれた美しい少女が
ある日両親を殺され亡くす。
最初は色んな人の目線で描かれて物語は進んでいく。犯人もわりと最初の段階で分かるので
犯人を予想するというサスペンス要素はない。
ただなぜ、殺したのか
なぜ捕まらずに生きてこれたのか
は読み進めて段々と分かってくる。
偶然重なった事故によって
アリバイができ捕まらずに
姪のことを異常なまでの愛情によって
それに気付いた姉が激昂し、思わず殺すという展開。
彼にとっての幸せとは?
百々子の人生で何度も襲ってくる別れ、悲劇
最後百々子はアルツハイマーになるが
彼女の記憶に最後に残るものが
美しいもので幸せな日々であることを願った