あらすじ
五八一年に誕生した隋王朝。五八九年には文帝楊堅が南朝の陳を滅ぼし、長き分裂の時代に終止符を打った。草原、華北、江南に君臨する帝国の誕生である。二代目の煬帝は大運河を築き親征を行い、帝国を拡大したが、高句麗遠征に失敗して動乱を招き、六一八年には唐に滅ぼされた。南朝、高句麗、突厥といったライバルが割拠したユーラシア大陸東部の変動を視野に、北方から興隆し、流星のように消えた軌跡を描く。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
本書では隋の成立から滅亡まで幅広く学ぶことができます。
そして本書の特徴は隋を「漢民族、漢字文化」の歴史観で見るのではなく、そこに多くの異民族の存在が関わっていることを重要視している点にあります。
以前紹介した川勝義雄著『魏晋南北朝』ではまさにこの様々な民族についても知ることができましたが、その知識を得てこの本を読むとさらに興味深く読むことができました。
また、本書後半では暴君として悪名高い煬帝の様々な政策が本当に愚策だったのかを検証していきます。大運河の建設や派手な船団行幸、高句麗遠征などは民を苦しめた悪政だったとされがちですが、本書を読むとまた違った面が見えてきます。思わず「なるほど!」と唸ってしまうようなそんな見解を知ることになります。これは面白いです。
隋の全体像を知る上でもおすすめの参考書です。
Posted by ブクログ
400年間もの長きに渡った魏晋南北朝時代であったが、分裂が長かったがために国都という中心が各地にでき、各勢力が開発を進めたために全体として開発が濃く進められた。隋の時代に大運河の整備により、開発されたかつての国都と交通と物流が確保され隋帝国は繁栄を迎えた。
3度にわたる高句麗討伐失敗が隋滅亡の原因になった。隋の中華統一後の平和な時代の将校のガス抜きや恩賞の機会の提供、生産性と物流能力の向上により有り余る備蓄穀物や人を使う、大量生産・大量消費のシステムとしての戦争とも考えられる。戦争や大運河建設のしわ寄せは当然のように人民にのしかかり、困窮して逃げ場を失った民衆は反乱勢力に身を投じるようになって各地で反乱が起こり、それが唐の誕生と隋の滅亡に繋がった。
悪名高い煬帝であるが、本書ではスケールの大きい優秀な皇帝の姿も描かれている。突厥との関係構築や大運河などのインフラ整備などの煬帝の遺産を同か引き継継げたこと、太宗李世民が煬帝を反面教師とした事などを思うと、何事も一面的に評価するべきでないと改めて気付かされた。
匿名
中国の長い戦乱を制した4つの王朝のうち
長続きしたのは1つしかない
後の三つはすぐにほろんだか群雄に逆戻りした
隋はすぐにほろんだ王朝の1つだった
隋だけでなく他の秦、晋の事情も見てみたい