あらすじ
ChatGPTをはじめとする生成AIの可能性と限界を見通す!
ChatGPTに代表される「生成AI」は、急速に浸透したが、内容の間違いへの対応や著作権保護等、多数の課題がある。さらに、一層の開発をめぐる企業間、国同士の覇権争いまで、多くの論点を含む。生成AIをどう活かすべきなのか、AIの歴史や動作の理由も知り、その本質をあぶりだす。
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Posted by ブクログ
ChatGPT をはじめとする生成AIの仕組み、これからの活用領域、リスクなどをわかりやすく解説した入門書。どちらにしてもこれからAIのある生活が普通になるのだから、変に恐れず、上手に活用できるように馴染んでいくしかないと思う。
Posted by ブクログ
生成AIに対する態度を考える上で、有用な情報がいくつか得られた。
例えば、生成AIにアイデアを箇条書きで提示し、それを文章化してもらうことで、人間が文章を作成する手間を省くことができる。また、生成AIは思考して文章を書いているのではなく、ある言葉の次に統計的にどのような言葉が続くかを学習し、それを出力しているに過ぎない。この点は、「生成AIに感情があるのか」という議論に対する明確な反論となり得る。
さらに、翻訳AIや生成AIをはじめ、無料で提供されているサービスは、大量のデータを収集し、サービスの質を向上させることを目的としている。そのため、無料のものを使用する際は、情報が収集されている可能性を考慮すべきだろう。
現時点では、生成AIと人間は「雑務をAIに任せ、人間はよりクリエイティブな部分に集中する」という形で共存していくのが望ましい。少なくとも、AIの性能が今のレベルにとどまっている間は、このような役割分担が適切だと考えられる。
Posted by ブクログ
先日、生成AIを使用して書かれたある文書を読む機会があった。その時感じた違和感の正体が筋道立てて説明されていた。
生成AIが書ける文章は、ネット上に散らばっている膨大な文書の、それらしい平均値でしかない。一見、滑らかだが脈絡が不足しているか甘く、普段文章を読む機会が多い人間が読めば、おそらく不自然さに気づくと思う。
そして何より、書き手本人の個人的な経験を反映できない。私たちは論理以上にエピソードに心が反応するようにできているから、そのエピソードの薄さや不足にも、おそらく不自然さを感じるだろうと思う。
会場では大多数の人が生成AIが書いた文書の出来を、不可、と判断していた。だが、ごく少数ではあれ、可、とする人もいた。
結局は、読み手次第、使い手次第なのは、スマホやパソコン、何なら包丁や鉛筆とも変わりない。賢い使い手なら使いこなせるし、そうでないならそれなりに、ということだ。
巻末にあった言葉がそれを端的に示している。
「ゴミを入れたらゴミが出てくる」
果たして自分がゴミしか打ち込めないダメユーザーか、否か。まずは使ってみなければわからない。
Posted by ブクログ
大量の情報を機械学習させた大規模言語モデル(LLM)とのインターフェイスは対話。文章、つまり人間にとって自然な言葉で指示を与えることができ、コンテキストに基づいた対話で深めることで、情報の精度を高められる。
ネットにポストする情報も、読者に対してと同じくらい、AIの学習に使われるということを意識すべきなのでしょう。