あらすじ
「人間の生」とは一体何なのか。今から100年前、人類学者たちはその答えを知ろうとしてフィールドワークに飛び出した。マリノフスキ、レヴィ=ストロース、ボアズ、インゴルドという4人の最重要人物から浮かび上がる、人類学者たちの足跡とは。これを読めば人類学の真髄が掴める、いままでなかった新しい入門書!
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Posted by ブクログ
一言要約:人は何故「生きづらさ」を感じるかに「we」で向き合う学問
人としての倫理や道徳こそが社会を構成する我々の「構造の骨格」であり、これらは時代や環境、条件に合わせて組み替えが起こるものと捉える一方で、超マクロに(時間・空間を拡大して)見れば不変である
この骨格構造内で生じるミクロ変化が「理(倫理や道徳)から外れる」ことが起きれば社会の歯車がずれて問題が噴出すること、これが昨今の企業の不祥事などであろう
自分たちの行いがマクロで見た際に根底の倫理や道徳を外していないものであるのかの自戒が必要であり、ここに人類学が示唆を与えてくれると考える
後半のまとめがことごとく刺さったが、人類学の変遷も三現主義を欠いた在り方から現地に赴くエスノグラフィへ、自身の目で確かめる現実主義、そして人を「研究対象」として見るのではなく自分たちと同じweと捉える「現物」化(彼らも自分たちと同じ生きている)、これがインゴルドの主張で信念、人類学を本質的な域へと戻し上げた偉業なのだろうと思慮
人は何故学び、知を探求するのか、全て現状への「不満」つまりは「生きづらさ」を解消し、より良く(楽に)がその答え(本質目的)と捉えた
この答えは結局は自分の中にしかないのだろうが、自分を「I」としてしか捉えていないとおよそ見つけられなく、他者から見た自分、つまり「me」や、他者を含めた自分「we」で捉える、この脳内回路を形成するにも、人類学は多くの示唆を与えてくれると感じた
元来、人は社会的な存在(一人では成り立たない)であって自然の中で生きる生物的な面を分断する二面的な捉え方に異議を唱えた姿勢には強く共感する
まさに自身が人類学に関心を抱いたポイントで、科学的な経済学に心理学が加わって行動経済学となったように、社会学的な「人」と生物学的な「ヒト」を一元的に考えることが多様化する現代に必須な姿勢と確信している