あらすじ
「人間の生」とは一体何なのか。今から100年前、人類学者たちはその答えを知ろうとしてフィールドワークに飛び出した。マリノフスキ、レヴィ=ストロース、ボアズ、インゴルドという4人の最重要人物から浮かび上がる、人類学者たちの足跡とは。これを読めば人類学の真髄が掴める、いままでなかった新しい入門書!
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Posted by ブクログ
「人類学」といわれて思い浮かんだのは「文化人類学」という分野だった。
最近、社会というのは人間同士が動くことであわいに蠢き、その小さな波がうねりをあげて高波になって眼前に迫った時にようやくその存在に気がつく、そんな感覚を持っていた。
AI、ソーシャルネットワーク、アート、デザイン、外交、文化、教育、宗教……全ての根底には「人間がつくり出したもの」があり、またそれらを取捨選択することが私たち現代人には求められている。例えば、倫理観・哲学・宗教観・文化……などである。
この本を読んで一番強く感じたのは、「対人的なもの・コト・の作り手や観察者であるならば、自身も当事者としてそれらに向き合い、関係者に尊敬の念を抱くことを忘れずにより良い社会を作っていくことが、現代人の大義名分なのではないか」ということだ。
本作に出てくる人類学者たちは、皆、時代のうねりに翻弄されながら、自分とは異なった未知とも言える他の文化圏に分け入っていく。
その勇気や好奇心、期待などの強い気持ちは読んでいて心が跳ねるが、一方で現実に打ちのめされ、憎悪や不信を他文化の人々に向ける人間らしさには自身の中の他文化に向ける排他的な部分の生々しい仄暗さを自覚するため、読んでいて少し嫌な気持ちになった。
しかし、それら人類学の光と闇を経て、インゴルドという近代の人類学にまで到達している21世紀という世界は希望を感じた。希望を感じたからこそ、本来、もっと明るくても良いのではないか、とすら思う。
最近、X(旧Twitter)の言語が統一され、「バベルの塔」なんて言われているが、言語や文化がSNSの発達により、タイムレスに可視化されるようになった。そこにはもちろん、虚飾や本来、出会わなくて良いコンテンツなども存在している。
社会の摩擦や、文化間の摩擦が、文明の発達によってシームレスになった今、どれだけの人が相手をヒロイックにすることなく等身大の同じ人間として見ることができるだろうか。
以下は、私が印象に残った本文の抜粋である。
199-l4
知識は私たちの心を安定させ、不安を振り払ってくれる。知恵は私たちをぐらつかせ、不安にする。知識は武装し、統制する。知恵は武装解除し、降参する。
p200-l13
フィールドで人々から学ぶには、「他者を真剣に受け取る」という姿勢が肝要です。
p222-l6
動き、知り、記すために注意深い目を持って、私たちも人類学者も世界に向かって生きているのです。
ではなぜ、人類は「生きている」という問いに挑まねばならないのでしょうか。それは、人間が本質的に「生きづらさ」や「生きにくさ」を感じているからです。
私たちは慣れ親しんだ現代世界の「内部」で、戦争に至る政治、貧富の格差、環境の危機などだけではなく、法や制度、慣習上の問題、個人的な身体と精神をめぐる困難などを抱えて暮らしています。そして、その「生きづらさ」や「生きにくさ」は、ますます加速しているようには感じられます。
これらの言葉に表れているように、この本は私たち読者の線の一つになってくれる。この本にもたくさんの知識と知恵が散りばめられており、ぐらつかせ不安になる部分もあるが、真剣に受け取り自分なりに考えるきっかけにすることで、今を「生きている」ことの心の安定につながってくれる。
落ち着かない世の中だからこそ、多くの人に読んでほしいと思う1冊だった。
Posted by ブクログ
一言要約:人は何故「生きづらさ」を感じるかに「we」で向き合う学問
人としての倫理や道徳こそが社会を構成する我々の「構造の骨格」であり、これらは時代や環境、条件に合わせて組み替えが起こるものと捉える一方で、超マクロに(時間・空間を拡大して)見れば不変である
この骨格構造内で生じるミクロ変化が「理(倫理や道徳)から外れる」ことが起きれば社会の歯車がずれて問題が噴出すること、これが昨今の企業の不祥事などであろう
自分たちの行いがマクロで見た際に根底の倫理や道徳を外していないものであるのかの自戒が必要であり、ここに人類学が示唆を与えてくれると考える
後半のまとめがことごとく刺さったが、人類学の変遷も三現主義を欠いた在り方から現地に赴くエスノグラフィへ、自身の目で確かめる現実主義、そして人を「研究対象」として見るのではなく自分たちと同じweと捉える「現物」化(彼らも自分たちと同じ生きている)、これがインゴルドの主張で信念、人類学を本質的な域へと戻し上げた偉業なのだろうと思慮
人は何故学び、知を探求するのか、全て現状への「不満」つまりは「生きづらさ」を解消し、より良く(楽に)がその答え(本質目的)と捉えた
この答えは結局は自分の中にしかないのだろうが、自分を「I」としてしか捉えていないとおよそ見つけられなく、他者から見た自分、つまり「me」や、他者を含めた自分「we」で捉える、この脳内回路を形成するにも、人類学は多くの示唆を与えてくれると感じた
元来、人は社会的な存在(一人では成り立たない)であって自然の中で生きる生物的な面を分断する二面的な捉え方に異議を唱えた姿勢には強く共感する
まさに自身が人類学に関心を抱いたポイントで、科学的な経済学に心理学が加わって行動経済学となったように、社会学的な「人」と生物学的な「ヒト」を一元的に考えることが多様化する現代に必須な姿勢と確信している