あらすじ
2011年3月11日、東日本大震災が起こり、東北地方を大津波が襲った。宮城県の地域紙・石巻日日新聞社では、輪転機が一部水没。創刊99年の新聞発行が危機に立たされる中、「電気がなくても、紙とペンはある」と手書きの壁新聞を決意する。家族・親族の安否もわからない中、記者たちは最前線で取材を繰り広げた。避難所などに貼り出された壁新聞は、被災者の貴重な情報源となり、人々を励まし続けた。「伝える使命」とは何か。震災後7日間の記者たちの葛藤を追った。
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Posted by ブクログ
世界の人々にも、あの衝撃、惨状をいまもなお
訴え掛け続けている「6枚」の壁新聞。
その製作までに至った過程を、たんたんと書き綴っている。
そこには、地域に根付く本来の記者の姿があった。
ただ、注目を浴びる一方で、記者たちは
「おれたちはただ、普通のことをしているだけ」という世間との
ギャップにも悩まされていた。
本当に支援が必要な人たちをもっと取り上げてほしい、
がれき問題など、伝えるべきことはたくさんあるじゃないか・・・
記者という仕事を考える。
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手を挙げたのは、12人中わずか2人だった。
福島民友のA記者が分科会のメンバーに投げかけた質問。
「福島の農産物買ってますか」
「少なくてショックだった」。結果を見て、
少し表情を曇らせたA記者の姿が、福島県民の心情を代弁している。
震災後、連日福島の放射能事故が紙面をにぎわせた。
一方でマスコミは風評被害に苦しむ農家を取り上げ、
「福島産は安全」とPRしてきた。だが、安全を口にする、
その自らの口に福島の農産物を入れない矛盾。
記者として、この矛盾にどう向き合っていくべきなのか―
責任ある報道が求められている。
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