あらすじ
2011年3月11日、東日本大震災が起こり、東北地方を大津波が襲った。宮城県の地域紙・石巻日日新聞社では、輪転機が一部水没。創刊99年の新聞発行が危機に立たされる中、「電気がなくても、紙とペンはある」と手書きの壁新聞を決意する。家族・親族の安否もわからない中、記者たちは最前線で取材を繰り広げた。避難所などに貼り出された壁新聞は、被災者の貴重な情報源となり、人々を励まし続けた。「伝える使命」とは何か。震災後7日間の記者たちの葛藤を追った。
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読むと心が締め付けられる感じです。父親の実家がこの新聞取っていたのを思い出した。
未曽有の震災の中で、正確な情報を伝えなければという使命感で、自らも被災者であるにもかかわらず、新聞発行の手段が使えなくなった状況の中で壁新聞というギリギリの手法で発行。その中でも葛藤があり、最初は避難所情報や炊き出しの情報、それから皆を勇気づけられるような記事、そして客観的に正確な情報を伝える記事と、書くスペースが限られた中で、今一番伝えなくてはいけないことを選んで伝えていた。復興までの道のりは長いが、自分ができることはこれからもしていきたい。
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以前ドラマ化されていた作品で、改めて原作本を読んでみることにしました。
後半の、記者それぞれの体験談が、各々異なる場所や視点で記されていて、当時報道されなかった状況を、少しながら知ることができたように思います。
以前、現地で市職員の方からお話を聞いたときに「長机を使った脱出用の橋」のエピソードをうかがったのですが、この本でも紹介されていて、改めてよく知ることができました。
この時期は、努めて震災関連の本を読むようにしています。
自分の中で年々記憶が薄れていくようで、なんとかリセットというか、記憶の上書きというか、そこらへんを試みています。
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これこそがプロフェッショナルの仕事。
原点に立ち返った時に単純に何ができるか。
新聞の場合は「伝える」ということ。
自分の場合は何か?を考えながら読んだ。
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自らも被災し、家族の安否も確認出来ないなか、
真実を伝えなくては、報道をしなくてはという使命感に突き動かされ、
壁新聞を発行し続けた方々の姿勢に
最大限の敬意をはかりたいと思う。
記者達の書いた、地震発生直後からの手記は、ただ事実だけが時系列に記され、
部外者からは見えない、当時のその場が鮮明に記録されている。
そこから見えた、正解な情報の取得
と伝達の難しさ。
コミュニティとコミュニケーションの重要性が浮き彫りになった。
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東日本大震災の翌日から貼られた6枚の壁新聞が、1枚1枚カラー写真で載っている点に感動。水道や電気と同じように「情報もライフラインになる」ことを物語っている。大切に保存版として残しておきたいと思う。
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石巻を舞台にした3.11の記録は、様々な団体や法人、企業が出してます。この本の舞台は石巻であり、本に登場する石巻日日新聞の記者が津波に巻き込まれて石巻赤十字病院に入院していたことから、『石巻赤十字病院の100日間』と併せて読むと、当時の臨場感がより強烈に伝わってきます。また、同じ被災地の新聞社という点で『河北新報のいちばん長い日』辺りと読み比べると、同じ被災地にありながら異なる環境下でそれぞれのベストを尽くそうとした人たちの気概が伝わってきて、また興味深いというところです。
この本の出色としては、後半の6人の記者による時系列での活動記録。各自の行動が交差しているので、この記録を読むことで個人個人がどのように有機的に動き、絡み合って取材を続け、壁新聞を出すに至ったのかがクリアになっていきます。何度か、一足先に印刷された新聞を発行した河北新報への嫉妬と焦りが出てきますが、これはエゴとしてではなく、地元愛と会社愛のなせるワザと見るべきでしょう。
もう少し内容が濃くても好かったかな、という気もします。あっさり読み終えられるぐらいの量なのが、ちょいと残念。
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すべての「当たり前の生活」がなくなってしまうということは、「何もわからない」ということで、それは人間にとっては、何をすべきなのか、何をしてよいのかわからないという異常事態なのだということが再認識できる。意外というか当然というかあっけないほどの記事しか載せられていないこの壁新聞が、切望され続けたということが、その現場で起きていた異常事態を外部の人間にも教えてくれる。
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世界の人々にも、あの衝撃、惨状をいまもなお
訴え掛け続けている「6枚」の壁新聞。
その製作までに至った過程を、たんたんと書き綴っている。
そこには、地域に根付く本来の記者の姿があった。
ただ、注目を浴びる一方で、記者たちは
「おれたちはただ、普通のことをしているだけ」という世間との
ギャップにも悩まされていた。
本当に支援が必要な人たちをもっと取り上げてほしい、
がれき問題など、伝えるべきことはたくさんあるじゃないか・・・
記者という仕事を考える。
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手を挙げたのは、12人中わずか2人だった。
福島民友のA記者が分科会のメンバーに投げかけた質問。
「福島の農産物買ってますか」
「少なくてショックだった」。結果を見て、
少し表情を曇らせたA記者の姿が、福島県民の心情を代弁している。
震災後、連日福島の放射能事故が紙面をにぎわせた。
一方でマスコミは風評被害に苦しむ農家を取り上げ、
「福島産は安全」とPRしてきた。だが、安全を口にする、
その自らの口に福島の農産物を入れない矛盾。
記者として、この矛盾にどう向き合っていくべきなのか―
責任ある報道が求められている。
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Posted by ブクログ
どうして壁新聞を作ったのか。なぜ壁新聞だったのか。
私がテレビの前で呆然としていた時、石巻の新聞会社やその周辺では何が起きていたのかを記録した本です。
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2011年3月11日の東日本大震災の際、宮城県の地域紙・石巻日日新聞社では輪転機が一部水没し創刊99年の新聞発行が危機に立たされる中、彼らは『壁新聞』という方法で七日間新聞を発行し続けたその記録です。
本書は2011年3月11日の東日本大震災のときに、宮城県地元紙である石巻日日新聞社にて、輪転機が一部水没し、新聞の発行が危うくなる中、なんと壁新聞として紙とペンだけで7日間、手書きの壁新聞を発行し、自身の家族の安否もわからないまま取材の最前線を走り続けた記者たちの様子や、発行された新聞によって励まされた現地の人々の記録を綴ったものです。
あの壮絶な地震と総てをなぎ払い、飲み込んでいった津波のあった中で『伝えるとは何か?』ということを多言し続けた彼らの『心意気』に息を飲まれました。どんなことがあっても必要なものは『確実な情報』で、これは全国紙には決してできず、地元紙だからこそできたことだったのだ、ということを思いました。特に震災直後、混乱がピークになったときにも社長が自分の執務室に止まりこんで陣頭指揮を執っていたことや、取材に当たった記者たちの行動が時系列で記されている点。
合間合間にはさまれている生々しいまでの震災の爪あとを写した写真の数々には圧倒させられました。彼らの貴重な記録は僕もいつかその新聞を見てみたいな、と思っております。
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前半が壁新聞、後半は各記者さんたちの地震発生時からの行動記録。津波にのまれた方が油のまざった水を飲んでしまったので洗浄のため入院したそうで、改めて真っ黒な波を思い出した。
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【きっかけ】
読売新聞の朝刊にワシントンDCにある報道博物館に手書きの壁新聞が展示されたというニュースを見て切り抜いていたことがきっかけだ。
まさに報道の原点と受け止めていたのでその背景をそして今回の震災の地元からの視点を知りたかった。
【感想】
震災発生から6日間、壁新聞が発行された。その間の日日新聞の記者たちの手記形式で語られる。津波に流される者。家族の安否を気遣いつつ取材を続ける者。そこにあるものは地元の被災者への正確な情報を伝えるという使命感だ。
情報を伝える。正確な情報がもたらす安堵感がヒシヒシとくる。それは自らも被災しながらも地域を盛り立てようとする生の姿勢だ。一緒に掲載されている写真がさらに臨場感をかき立てる。
あまり主観は語られることはなくどの記者も終始事実のみを語っているため怖いぐらい淡々としている。この淡々さは何だろうか。最初は諦めかと思ったが新聞記者としての使命感からくる行動はむしろ熱い。言葉では言い表せない凄さが淡々とさせているのだろう。恐怖を超えた恐怖。想像できないがよく理解できた。
それにしても何故、壁新聞という疑問は解けた。やむを得ないとはいえ、防災対策ができておらず輪転機がすぐには動かなかったという事実に結局は何かあったら手が頼りになるあるいは手しかないことに強い説得力があった。
【終わりに】
3日間。地震が起きた時にライフラインが復旧するのに要する期間だ。この期間をサバイバルすることでその後の生存率が高まるという。今回の大震災の場合、とても3日間ではない。津波の凄さが全てを飲み込んだ。6日いや1か月単位でのサバイバルになる。
確認したいことが頭に浮かぶ
避難場所
通勤中で被災した場合の連絡方法
防災グッズ
お金
結局、災害に遭遇しても金が必要になる。最低限の食料と判断力と生きていくための知恵。つくづくこの本を読んで考えた。
Posted by ブクログ
出版元から、ご恵贈頂く。 一気読み。 東日本大震災で被災した、石巻日日新聞が、通常通りの新聞を発行するまでに出した、6枚の壁新聞をめぐる、記者達の軌跡を綴る。 ローカルメディアとして、大震災にどのように対応できるのか、すべきなのか。 地元に根付く一住民として、さらには被災者として、どう報道していくか、等身大の記録に胸をうたれる。
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石巻日日新聞の東日本大震災時の壁新聞のルポ。当時どのようなことを考えて壁新聞発行に至ったのかがよくわかる。また本書で指摘しているように、「危機管理能力が足りなかった」ことは否定できない。けれどこのジャーナリズム精神は多くのジャーナリストの手本となる姿勢である。その点はきちんと評価したい。
Posted by ブクログ
手書きでも伝える使命を忘れず全うし、淡々と起こった出来事が書かれていました。ローカリストという言葉が印象的でした。伝えること、全国紙では伝えられないことを伝えた地元紙ならではの伝え方。そしてその熱意は評価されるにあたいします。読めて良かったです。ありがとうございます。
Posted by ブクログ
購入したのはずいぶん前だが、やっと読むことができた。
震災当日からの7日間の石巻日日新聞社とそこから各地に散り、情報を集めた記者たちの記録。
集めてきた記事を6日間壁新聞として手書きで発信。大手の河北新報などはすぐに印刷を再開するなか、もどかしい思いを抱えつつ、1枚の壁新聞として避難所に張り出した。
それぞれの記者が自分の7日間の様子を記しているのも特徴的。
正確な情報の大切さ、収集の難しさを感じさせられた。
「地域のために」という共通の思いがみんなの気持ちを強くしたのだと思う。
Posted by ブクログ
これは新聞社としての指命とかそういう内容ではなく、東日本大震災の発生直後に、現地で何が起きたのかのドキュメントとしての価値のほうが高いように思いました。惨状を伝えると共に、記者本人、そして周りの人の心の持ち方がストレートに描かれています。
この「壁新聞」は、確かに当時の現地で何もわからないという人々には大きな価値があったに違いありません。しかし、機能としては通信社的機能であり、新聞社としてのジャーナリズムとは違うものだと思うのです。
当時の著者らの行動は素晴らしいことですが、今の新聞というのは必ずしもその延長線上にあるべきではないはずです。逆の言い方をすれば、多くの地方誌は壁新聞を印刷しているようなものだということです。「伝える使命」というのはいい言葉ですが、油断すれば思考停止に陥る道だとも思います。
というわけで、僕はあまり地方誌にいい印象をもっていませんが、この本に登場する記者の手記は、震災の記憶を薄れさせないための記録として、とても価値のあるものだと思います。