あらすじ
人生は苦。世の中は諸行無常。でも、「そこがいいんじゃない!」と唱えれば、きっと明るい未来が見えてくる。住職を夢見ていた仏像少年時代、青春という名の「荒行」、大人になって再燃した仏像ブーム。辛いときや苦しいとき、いつもそこには仏教があった。グッとくる仏像、煩悩まみれの自分と付き合う方法、地獄ブームと後ろメタファー、ご機嫌な菩薩行……。その意外な魅力や面白さを伝える、M・J(みうらじゅん)流仏教入門。
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Posted by ブクログ
自分なりのゆるい仏教の解釈と自らが仏教にはまったきっかけを記したエッセイ。
専門家ではなく一好事家だからこそのとっかかりやすい語り口がよかった。
ついメインではなく端の方にいるヤツに愛着が湧いてしまう独特な着眼点の源泉は仏像好きの生い立ちからきて、それはある種の大乗思想なのだとわかる。
諸行無常、諸法無我といった仏教の概念を「後ろメタファー」「自分なくし」「比較三原則」というキャッチーな造語で日常生活に落とし込むみうら流説法が満載。
最後の辛いときも「そこがいいんじゃない」と修行として乗り越えるという発想が特にみうら氏らしくてこれからは心の片隅に「そこがいいんじゃない」と言ってくれる小さいみうら氏を住まわせようと思った。
Posted by ブクログ
なにごともモノやかたちから入るタイプの人がいる。みうらじゅんもそう。憧れの住職になるため、マイお寺を得るために、まずは仏像から入った。仏像の写真を撮って整理しまくった。寺巡りもした。あげくは仏教系中高一貫校にまで入ってしまった。すごい。
マイ仏教がすべてを包摂する。ウルトラマンも、ジョン・レノンも、吉田拓郎も、ボブ・ディランも、すべてがマイ仏教のなかで解釈できてしまう。逆に、これら現世のものを通してマイ仏教を見つめなおすこともできる。
200ページ足らずのスカスカの本なのに、なんかとてつもなく遠く・心静かなところにたどり着いたような気がする。もしかしてこれって涅槃寂静の境地?
Posted by ブクログ
すっごくいい本だった。
まず「自分なくしの旅」ね。自分はサークルでコピーバンドをやっているんだけど、先輩に「もっと自分らしさを出した方がいいよ」って言われたんです。確かに「モノマネだけじゃ自分がやる意味なんてないか」「モノマネならもっと上手い人いるしな」って思うけど、そもそも「自分」なんてものもなければ、「自分がやる意味」なんてものがあると考えていること自体が煩悩まみれというわけですね。じゃあ、かえってみうらじゅんの言うようにその人に「憧れて」、自分を「なくし」てしまう方がいいのかもしれない。そんなことできっこないんですが。だって褒められたいし。煩悩煩悩。
そしてポジティブなあきらめ。これは僕もよく言ってるな。「諦める」って悪いことじゃない。「期待しない」って悪いことじゃない。そうすることで素直に「今」を生きられる。がっつかないで少し離れたところから見る。そうすることで見えてくるものもあるはずだよね。諦めるからこそ得られるものもあるはず。「裏切られた」なんて思わなくて済むしね。
ご機嫌を取りはコールアンドレスポンス。これ肝に銘じないとな。たまには誰かのために生きてみるのも悪くないかもしれない。
悪人正機。煩悩と修行(をすることで涅槃に達したい)というのは相反するものだけど、いずれにせよ「欲望」なのは変わらない。「涅槃に達したい」と思うことこそが最大の煩悩でもあるわけだ。そう考えたら、自分なんてものはないわけだから「自分」にできることなんてないと、仏を最大限信じて煩悩のままに生きる「悪人正機」も悪くないのかもしれないね。
「そこがいいんじゃない!」。これね、最近実践したんです。渋谷に僕の行きつけの某映画館があるんですけど、そこには券売機はなくて(オンラインで予約することはできるけれど)カウンターでチケットを買うんです。はじめてそこに行った日はオンライン予約の存在を知らなくてカウンターでチケットを買ったんだけど、そのときの店員さんがめっっっちゃくちゃサバッッッサバだったんです(今ではその方のことも密かに好きです)。人に話しかけることが苦手な僕は、「覚悟決めて話しかけたのになんだこの愛想のなさは!」と思ったわけです。少なからず「こっちは金を払う客だぞ!」とも。でもその日、①映画のチケット、②その映画のパンフレット、③別の映画の前売り券を買いに、なんと3回もカウンターに行くハメになったんです(自分のせい)。だから「あの愛想のなさがいいんだろう!」と自分に言い聞かせて、そして「たびたびすみません」と心のなかでつぶやいてカウンターに行くことにしました。それを繰り返すうちに気がついたのが、「○○ください」というと、その途端に「△△円です」と返ってきて、その一秒後に商品が出てくるんですよ。究極のシゴデキだったんです。まずは素直にそこが素敵だった。そしてだんだんその愛想のなさも、この人はこのコミュニケーションを仕事だとしか思っていないと、多少どもった程度でこの人は何も気にしないだろうと感じられるようになってきたんです。「この人は自分を見ている」という感じがしなくなった途端にかえってその「冷たさ」は心地よくなってきて、気がつけば僕はそのお姉さんとそこの劇場のトリコになっていました。言葉ひとつ、認識ひとつでこの世界は辛くも楽しくも生きられる。「そこがいいんじゃない!」。魔法のコトバです。……まあ、もうチケットは事前にネットで買うんですけどね。
自分の生活にも結びついて、フッと笑えてきて、もともと仏教大好きなのもあって、とにかく良著でした。こういう捉え方があってもエエじゃない!
Posted by ブクログ
このひとサイコーだな。小学生で般若心経誦じてたとか、ひとりで寺に行って餓鬼目線で観音様を見上げていたとか、仏教の学校に行ってお坊さんになろうとしていたとか。空の解釈もユニーク。駐車場に空きあります、空きなしとか。考えに考えて、無心で般若心経を撮っていく。まさに写経の心。ふざけているようで、核心をついているように思う。この人からもっと学びたい。
Posted by ブクログ
今更だけど、みうらじゅんのワードセンスのすばらしさ。電車で読んでいて思わず笑い声が出そうで困ったけど、読み終わった後はなんか心がシーンとした。
読み終わってしばらく経つけれど「そこがいいんじゃない」と思ってみると日常生活のイライラすることが少し違う見方で見えることに、ビックリしている。
Posted by ブクログ
好きな本と言われたらまず頭に浮かぶ
人生変わったとまでは言わないけど、当時の自分の状況もあり、考え方に大きな影響を与えてくれた
本に救われる経験ができたのはこの本が初めてだったかも
Posted by ブクログ
何度も読み返してしまうこの本。
自分探しならぬ自分なくし、僕滅運動、後ろメタファーなどなど…みうらさん流のユニークな仏教の解釈にはいつも明るい気分にさせられます。
心穏やかに日々過ごすためにも、上手に「機嫌を取る」修行を続けていかなければ。
Posted by ブクログ
岡本太郎の本に「自分なんてものはない!」と書かれていて、納得できずずっと引っかかっていた。
けど、みうらじゅんの「好き=なりたい」でなれなかった部分が自分という言葉に膝を打ったよね。
全く素晴らしいお方だ。私もみうらじゅん見習って人生の3分の2はいやらしい事考えて生きよ。チガウ
Posted by ブクログ
さすが仏教系(著者言うところのシャクソン系)の学校で学んだだけあり、仏教の教えや考えを自分の経験や日常よくある場面に結びつけながら分かりやすく解説してくれている。何より面白い。そして深い。笑いながら、時々考えさせられながら一気読み!何度か読み返したい本。
Posted by ブクログ
おもしろい!さすがみうらじゅんさん!
身近なようでよくわかっていない仏教についてこんなにわかりやすく語ってくれる本、なかなか無い。(いや、仏教は結構あるかも?笑)
みうらじゅんさんの言葉のセンス爆裂な本。
一見アホなことをやっていそうでそこには上品な教養の下敷きがある。
みうらじゅんさんみたいになりたい。
Posted by ブクログ
サブカルの帝王(?)みうらじゅんによる、仏教を軸にしたエッセイ。軸が軸なので、単なる随筆にとどまらず、仏教の成り立ちや教義、歴史とも深く関わる「自分探し」や「人付き合い」、または「仏教の影響力低下」などのテーマについても語られている。本書の言葉遣いは独特で、「マイブーム」や「ゆるキャラ」という言葉を生み出したという著者ならではである。不安な時には「不安タスティック」、嫌なことがあったら「そこがいいんじゃない!」、歳を取ったら余生は「グレイト余生」と呼び、ポジティブに考える。また、苦しみを避けるために「比較三原則」や「僕滅運動」に取り組んだりしている、と自分の考え方を紹介している。そのほか、「後ろメタファー」「接客行」「人間けだもの。」など様々な用語を駆使している。これら全体、言い得て妙であり、なんか仏教のメッセージってこんな感じなのかも..と思わせる内容で面白い。
面白いし、含蓄深いのに、偉そうじゃない、説教臭くない、というのがこの本の妙味。
Posted by ブクログ
機嫌を取る、撲滅運動、自分なくし、大乗仏教的な菩薩行を目指すのであれば自分をなくして人の機嫌を取る、何のためにするのか、それは人に喜んでもらうため、自利ではなく利他、年を重ねると自分が大した人間ではないことに気づくがそれに反比例して立場はよくなっていく、大した自分でないのであれば自分探しではなく自分なくしを自覚して生きる/
マイブームなど言語化することで存在が生まれる、言葉は強い、だからこそ自分に言い聞かせる、そこがいいんじゃない!でもやるんだよ!それが念仏、南無阿弥陀、マイ仏教/
それでもまだ自分を探してみたくなる 自分探しと自己観察って違うのかな。
Posted by ブクログ
昔から宗教に興味はあるが、自身は無宗教だ。著者もそうらしい。本書内で、宗教に没入するときの団体(集団)に所属している的、団体行動が苦手なのだと書いている事になるほどなと思うところがあった。宗教の考え方を知りたいと思っても所属はしたくないんだな。
みうらじゅんさんなりの仏教解釈楽しんで読めた。
自分なりの念仏を唱える。
元気ですかー!
でも、
How does it feel?
でも、
でも、やるんだよ!
でも、なんでもいいんだってマイ念仏なんだって納得。
Posted by ブクログ
期待せずに読んだけど、結構よかったです。
ありがちで既視感のある話も、みうらじゅん氏を通すと不思議と素直に受け入れることができてしまう…不思議ですよね、人格者ってわけでもないのに。
自分なりに身に付いた、等身大の仏教観が本当に面白いです。
Posted by ブクログ
仏像のかっこよさに惹かれた幼少時代からの遍歴と、仏教的な考え方の紹介が書かれている。
仏教は全部を取り入れると大層になるけれど、この本のようにエッセンスだけ取り入れたゆる仏教はとても心身によいと思う。
「リスペクトする人をどうしても真似しきれなかった余りの部分、いわゆるそれが「コンプレックス」と呼ばれるやつですが、そのコンプレックスこそが「自分」のであって、これこそが「個性」なのです」
という文がよかった。個性って自分にとっていいものとは限らないですものね。
Posted by ブクログ
「自分探し」より「自分なくし」
地獄ブームと後ろメタファー
「弱さ」「おもしろさ」愛おしさ
ご機嫌取り、僕滅運動、接客行
マイ念仏:「そこがいいんじゃない!」「不安タスティック!」「でも、やるんだよ!」「How does it feel?」「元気ですか!」
他人と過去と親、この三つと自分を比較しない
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“仏教って優しいな“って思った。
不安を感じたり、悩んだり、落ち込んだり、暴走したり。全ての上手くいかない事は、当たり前なんだ、そんなものなんだと教えてくれる。
人が“悪”に染まらず、なんとか歩んでいけるように導こうとしてくれているようだ。
著者は、堅苦しい仏教の形式にとらわれずに、でも教えの基本からはそんなにブレる事なく“生き方”を教えてくれた。
Posted by ブクログ
みうらじゅん氏のことはおぼろげに知っていたが、正直なところ何が本業なのかわからなかった。と思ったら、本人も何が本業か分からない、と書いてあった。
勝手な彼の印象としては、マニアックでこだわりが強い人なのではないかと感じていたが、割と当たっていたようだ。そうはいっても、多かれ少なかれだれにでもそういう一面はあるものだと思うし、特別というわけではないだろう。彼は少年時代に仏像に魅せられ、お寺の住職になりたいという渋い将来の夢を抱いた。
実は私も中学生の時に仏像に魅せられたひとりであり、もちろん当時は仏像ブームのずっと前であったため、参考資料も少なかったし、仏教の知識も少なかった。
みうら氏はその後ずっと仏像・仏教研究を続けていたわけではなく、興味の対象はいろいろ移ったそうだ。マイブームという言葉を流行らせた本人なので当然というところはあるだろうが、彼なりに仏教の本を読み、共感できるところはしている。
彼自身がどの程度仏教を信じているか分からないが、本書を読む限り彼の人生観の根底にあるようで、みうら氏は幸せそうである(本書執筆時点で50代のようだ)。それが結局はすべてなのではないだろうか。
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友人のプレゼントで初めてこの方を知った。
思考の断片を見ていると、この方(良くも悪くも)かなりずるいんじゃないかと思う。
宗教の大きな誤謬は、死や死後を「在る」と言ってしまったことだと思う。無いものを在ると言ってしまうという大いなる嘘。逆に嘘だから信じることができてしまう。ユダヤ教ならはじめに光あれ、キリスト教なら信ずるものは救われる、仏教なら四苦八苦に色即是空。
プラトンはそれをイデアだと言ったが、ソクラテスなら「さぁ僕はよく知らないね。ところで君、それはなんだと定義するのかね?」と白を切るところか。ヴィトゲンシュタインは沈黙する。
仏教家ではなく、この方はそこから一度離れて眺めているひとだ。そこのところを無意識に心得ているのか、触れているようで触れずに煙に巻いてしまう。これがそのコレクションだとでも言うようなそんな示し方だ。
Posted by ブクログ
仏教オタクの小学生、そして、仏教にあこがれて入学した仏教系の高校(永観堂の隣というとあの高校でしょうか)で目撃した荒行に励む若者たち。仏教愛を語りながら、青春を語っているような本であります。般若心経を求めての荒行、なかなかやりますね。作者の仏教愛に★四つであります。
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『「ない仕事」の作り方」が面白かったので、みうらじゅんをもう一冊と思い、2011年刊行、2018年著者の仏教伝道文化賞沼田奨励賞受賞のきっかけともなった「マイ仏教」を手に取る。
自らの仏像ブーム、地獄ブームはもちろんのこと、青春の苦悩やヤンキー連中を人生の荒行と見たり、Bob Dylan の "How does it feel?" や、アントニオ猪木の「元気ですかー!」に「羯諦羯諦波羅羯諦」(般若心経末尾にある、唱えると楽になると言われる経文」を重ねたり、駐車場の「空あります」に開眼したり、今そこにある仏教をカジュアルに紹介する。凡百な自己啓発書を100冊読むよりも、みうらじゅんの「そこがいいんじゃない」を 100回唱えた方が、人生は豊かだ。
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受堅苦悩不可忍耐処という地獄があるそうだ
責任ある立場にありながら、その任務を途中で放棄して、責任を転嫁したものが堕ちる
二千年以上も前からこのような行為をする人はいたのだと感慨深くなる
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言葉で脳を惑わす。不安タスティックと、そこがいいんじゃない!困ったらそれを唱える。愉快になる。
マイ住職が助けてくれる。
自分なくし、僕滅運動。相手の機嫌を取る。
次のマイブームはこれです、といって周りの人を楽しませる。自分が楽しいというよりは周りの人を楽しませるためにやってるマイブーム。
自分なくしと、念仏作戦だな。
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みうらじゅん氏の仏像好きは有名な話ではありますが、仏教について詳しく話しているのは読んだ事ありませんでした。確かに仏像ってかっこいいですよね。
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著者の考え方や生き方は素敵
そこがいいんじゃない!と自分だけの念仏をとなえてグレイト余生を生きるなんて
仏教に関して、もっと遠慮なく書かれているのを期待したけど。
Posted by ブクログ
何か辛いことがあったら、「そこがいいんじゃない」と思う。たしかに前向きになれる。
自分もかねてから辛い時や嫌なことがあったら「ちょうどいい」と思うようにしてた。
新たな魔法の言葉を発見。
Posted by ブクログ
実家の本棚より拝借。
すぐに読める。
みうら氏の仏教との関わりや、人生振り返りエッセイのほか、仏教の概念をみうら氏の言葉で噛み砕いた説明のある本。
相変わらず、この人はネーミングがうまい。
中高時代のエピソードが笑えた。
わずかながら、松本清張にも触れてあった。
みうら氏が40代になって、突如として、松本清張に開眼したのは最近別のところで知っていた。
いわく、清張には、「後ろメタファー」がある、と。
Posted by ブクログ
序盤は、みうらさんの「仏像(仏教)とわたし」といった趣向で
話は進んでいきます。
そこから、地獄というものの紹介や、
みうらじゅん的仏教教義実践テクニック紹介などへと流れていき終わります。
みうらさんの変な真面目さというか、
もしかすると計算されたふざけ加減じゃないのかと
疑ってしまったりもするのですが、
そういう妙なところがすごく面白いです。
小学生が仏像写真のスクラップをする。
それも、のちに長髪でイラストを書いたり歌を歌ったり、
エロスクラップもする人が…。
まぁ、これは偏見だと思いますが、
この本を最後まで読んでいくと、
いかにみうらじゅんさんが、子どもの頃から触れている仏教というものを
自分の根っこに据えて持っているかというのがわかってきて、
それはそれで、すごいなぁと深読みすることになりました。
みうらさんは「自分探し」ではなく、「自分なくし」を奨励します。
他人にあこがれてモノマネするもよし。
そして、ここに一番共感したのですが、
人を追いこむどころか、人のご機嫌取りばかりをやる社会のほうが
よっぽどお互い生きやすいということを言っています。
僕も、これはこれで、ご機嫌をとる人もとられる人も、
度を過ぎなければ、きっと楽しいものだと思いました。
つねづね、みうらじゅんさんに興味があったので
以前読んで面白かった彼の自伝的小説『色即ぜねれーしょん』に続いて読んでみました。
糸井重里さんの弟子筋にあたるような感じのポジションっていうのも意外な感じがしますが、
あたたかい感じを根に持っているようなところが繋がっているようにも思いました。