【感想・ネタバレ】山本五十六(上)のレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

やはりこう言った史実を追いながら進む人物像を描いた作品は、読むのがしんどいですね。最初の百ページ読むのに一週間以上かかった。山本五十六とは…名前だけは知っていても、彼の骨柄や来歴、功績なんか全然知らなかったので阿川弘之先生の海軍提督三部作の代表作を選択出来たのは僥倖でした。大東亜戦争が始まる前の日本の政界と軍部の立場や主張、それに陸海軍の軋轢など史実に基づいた詳細な記述は非常に面白かったです。何故、日独伊三国同盟が締結されたのか?その時、それが正しい選択であったのか否か?その辺の経緯が分かって、眼から鱗が落ちる思いでした。それに山本五十六提督がどんな人物で、何をどう考えていたのかよく分かりました。上巻ではまだ戦争が始まる前が舞台ですので、開戦後の下巻も楽しみです。

0
2019年10月25日

Posted by ブクログ

稀代の海軍元帥、山本五十六。

これからは航空機の時代と先を読み、航空本部長時代には飛躍的とも言える技術推進。海軍次官時代にはアメリカとの戦争を避けるために三国同盟に命がけで反対。しかし、中央に残ろうとするも命の危険を避けるため連合艦隊司令長官へ。そして三国同盟が締結される。

戦争やむなしの中、周到に戦闘準備を行いながらも最後まで戦争を避けようとした姿勢。

頑固者で肝が座っており、しかし茶目っ気があって。そういった人間的な部分も克明に記した良書である。

0
2019年09月30日

Posted by ブクログ

せっかく読書するならこういう大きな物を残すものと対峙したい

いやあ3か月くらいは延々とこの本に取り組んでいたのではないでしょうか。

引っ越し前から読んでたもん。

しかも文庫本ではない単行本サイズを持ち歩きもして読んでいたので

「凄い本読んでますね」と言われる次第。

大概そのときには「あの、あれです、「聞く力」の阿川佐和子さんのお父様の本で」と返しておきました。

淡々と事実と著書、インタビューであった内容を私情を余り挟まずに書かれている、その量二段組みで400ページ。

本だけでなく新聞、雑誌、書簡までもを丹念に読み込んで読み込んで作り上げた魂の大作。

その力を受け止めるのにこちらも準備が出来ておらず150ページまでは、読み進めるのに相当な時間がかかりました。

でも、200ページを越えたら速かったなあ。「あれ、もう300ページになってしまった。そろそろ死期が近づいているんだろうなあ」とさみしくなりながらも、ページが止まらなくなってラスト100ページは週末で読み切ったのかな。

これを読みきることで、自分の中の新たな引き出しが、からっぽの引き出しができたなと。

そこには今まで2,3読んでいた半藤さんの本やここ1、2年で読んできた太平洋戦争の情報が入ったけどまだまだすっかすか。

知りたい。

その思いがあるので、まずは「米内光政」。
山本五十六さんと被る時代を新たに読み解き、さらに総理大臣としての話、ミッドウェー後の海軍、戦況。そういったものを知りたいですね。

それとお恥ずかしながら全く存じ上げなかったのですが最近読む書物でやたらと出てくる「井上成美」。

こちらを読んだらもう秋か年末か、という気も致しますが、今の私なら確実にこの山本五十六を読むよりもぐいぐいと読んでしまうことでしょう。

今手近にある本を読んで、こちらを手にかけるのをしみにしています。

2015年、大きな収穫でした。本を見てうわ、と思ったけどやめずに挑んで良かった。
せっかく読書するなら、こういう大きな物を残すものと対峙したい。今後も失敗はあれど、そういう気持ちをもって行動していこうと思います。

0
2015年08月01日

Posted by ブクログ

やってみせ、といて聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ。
男の修行
苦しいこともあるだろう。言いたいこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣きたいこともあるだろう。これらをじっと堪えて行くのが男の修行である。

0
2012年05月05日

Posted by ブクログ

海軍提督三部作の一作目だが、「米内光政」、「井上成美」を先に読んだので、歴史事象の方は、混乱なくさっと読めた。山本五十六の言葉はビジネス書でもよく引用されるが、ひととなりをどっぷりと理解するのによい本だと思う。

下巻はいよいよ、真珠湾奇襲。
日独伊三国軍事同盟締結と対米戦争にトコトン反対を貫きながらも、いざ戦争が近づいてくると海軍が全面的にやらざるを得ず、来るべき時に備えて、予算獲得と軍事訓練と作戦立案に脳髄を絞らなければならない状況というのは、仮に戦死せず済んだとしても、命を削るような毎日であったろう、と下巻を読む前に想像する。

0
2022年12月30日

Posted by ブクログ

聖人ではなく人間味があり、痛快と言えば痛快。
あの時代はこのレベルの人物でも流れを変えられなかったというのが、基底としては悲しく、課題を突きつけられる

0
2020年03月30日

Posted by ブクログ

連合艦隊司令長官としてブーゲンビル島の空に散った山本五十六提督伝。我々の世代からすると既に歴史上の人物ではあるが、執筆当時は同時代性の中綿密な取材や記録にあたっておられたことがうかがえる。これが執筆された当時山本未亡人に告訴されたという。貴重な記録文学であると思う。

0
2019年02月12日

Posted by ブクログ

昭和史(ここでは終戦まで)というものは、どうしても後ろめたさが先行してしまうもので、もちろん学校で習ったり、テレビや映画を通じて受動的に知ることはありますが、自分からよく知ろうとは思いませんでした。したがって、戦国や幕末、明治を舞台にした小説はこれまで数多く読んできましたが、昭和史、つまり太平洋戦争を扱った小説というものは、本書が初めて。では、なぜ本書なのかと問われると、「山本五十六」という名前は、そんな受動的な自分にとってもよくよく聞こえてくる人名でして、例えば「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という有名な言葉も、実はこの言葉を通じて山本五十六という名前を知るに至ったのでした。では何をした人なのかと問われると、「どうやら戦争に反対した人らしい」という程度で、恥ずかしながら本書を通じて連合艦隊司令長官という職位や、真珠湾攻撃を推し進めた人物であることを知りました。

そんな山本五十六を赤裸々に描いた本書。これがまた、なかなかの赤裸々具合で、五十六の女性関係を包み隠さず描く姿勢には、五十六の親族から訴えられるのではないかと思うぐらいで(実際に著者は訴えられているようですが)、軍神・五十六の正直な姿を描ききった力作といって間違いない作品です。
日本の実情を正面から捉え、決して米国とは戦争などできる状況ではないことを理解し、にも関わらず世論と政治、そして陸軍の暴走により、戦争の幕を切って落とす役割を担った五十六。その苦悩と怒りは、本書で引用される彼の手紙を通じて伝わります。

彼が当時の近衛文麿総理大臣に「万一(日米)交渉がまとまらなかった場合、海軍の見通しはどうですか?」としつこく問われた際、

「是非私にやれと言われれば、一年や一年半は存分に暴れて御覧に入れます。しかしそれから先のことは、全く保証出来ません。」
「もし戦争になったら、私は飛行機にも乗ります、潜水艦にも乗ります、太平洋を縦横に飛びまわって決死の戦をするつもりです。総理もどうか、生やさしく考えられず、死ぬ覚悟で一つ、交渉にあたっていただきたい。そしてたとい会談が決裂することになっても、尻をまくったりせず、一抹の余韻を残しておいて下さい。外交にラスト・ウォードはないと言いますから」

と返したとあります。前半はまさにそのとおりの展開になったところが彼の卓見さを物語りますが、後半部分も結局は勝てないことがわかっていたからこそ、交渉でなんとか妥結の糸口を見出す必要があることを強く訴えていたことがわかります。
本書の冒頭で著者が惜しむように、本書を通じて五十六の昭和史を追っていくと、「もしもあの時」という言葉がどうしても頭に浮かんでしまいます。日本が破滅に突き進んだ時代においてもこのような人物が居たのだという事実は、昭和史を知る上での励みとなりました。

0
2019年02月02日

Posted by ブクログ

海軍予備学生だった著者が、資料を駆使して書きあげた『山本五十六』『米内光政』『井上成美』からなる「海軍提督三部作」の第1弾です。上巻では、ロンドン軍縮会議での活躍が中心に描かれており、陸軍との摩擦や、海軍内の「艦隊派」の突き上げに苦慮しながらも、冷徹な目で日本の行く末を見据えていた山本の考えに迫ろうとしています。

日本海軍の歩みをたどることが本書の眼目ではなく、むしろ山本の人間像を活写することに著者の力が注がれているように感じます。ちなみに下巻の「解説」を執筆している村松剛は、山本の私生活にまで立ち入ることで、彼の人間像に迫ろうとした本書の叙述を「反英雄(アンチ・ヒーロー)的な方法をもって、〔阿川〕氏は英雄(ヒーロー)の像を描いた」と述べています。緻密なノンフィクション作品らしい叙述を期待した読者は、時代の波に翻弄されながら生きたヒーローの物語に辟易させられるかもしれませんが、個人的にはたいへんおもしろく読むことができました。

0
2018年03月27日

Posted by ブクログ

2016.8.30
山本五十六の人物像に迫るもの。決して、五十六礼賛では無く、戦争回避に全力を尽くすべきだったとも指摘している。
五十六のエピソードをもとに、ひととなりが分かる面白い作品。

0
2016年09月02日

Posted by ブクログ

「坂の上の雲」を読んでいて、
 
日本海軍を作り上げた山本権兵衛に関心を持って、
  
権兵衛と勘違いして、読み始めた。
 
結果的には、日露戦争あたりの日本と
 
太平洋戦争頃の日本とが対照的であることを感じた。
  
太平洋戦争前夜、
 
軍部が一体となって、戦争に突き進んでいったと思っていたが
  
少なからず、軍部の中にも、反対派がいたことを知れてよかった。
  
山本五十六は先見の明がある人だったと思う。
  
戦艦大和の建設に反対し、
 
航空部隊を作ることに情熱を燃やしたところとか。
 

0
2015年12月26日

Posted by ブクログ

日米開戦時の海軍連合艦隊総司令官だった山本五十六の伝記。対象と程よい距離感で淡々と描かれており、かなり良質な伝記文学となっている。山本五十六の人間くささがよく伝わってきた。ただ、山本五十六自身にはそれほど惹きこまれることはなかった。どちらかというと、はっきり物を言い、考えが一貫している井上成美に好感を持った。海軍の上層部には山本や米内や井上のような戦争に消極的な人たちが少なくなかったのに、結局、日米開戦にまで至った経緯をたどると、個人の力ではなかなか抗うことのできない時代の空気ともいうべきものの恐ろしさを感じた。本筋からは外れるが、人相見の水野義人のエピソードが興味深かった。

0
2015年04月07日

Posted by ブクログ

歴史小説というものを初めて読んだ。現実にあったこと、実在した人物だらけで(当たり前だが)、時代も時代だけに、さぞかし重く暗いことを覚悟して臨んだが、そうならなかったのはこの主人公の人柄か、作者の捉え方文章力か人柄か。山本五十六という偉人に対してはもちろんだが、ここまで調べて書き挙げた作者に対して尊敬の念を抱かずにはいられない。いつの時代にも偉人は存在するんだ。

0
2014年11月28日

Posted by ブクログ

山本五十六という一人の海軍の人に焦点を当て、日本の戦時中の海軍の様子を詳細に語っています。
「真珠湾攻撃」=「山本五十六」ということぐらいしか知らない知識。日本史でも名前が出るか出ないかくらいの人物。それなのに、この「山本五十六」は日本の戦史の中で非常に重要な人物だと思いました。
アメリカやイギリスとの外交を通して「戦争反対」ということをずっと言い続けた一人。この当時からアメリカの工業力は日本と比べたら桁違いだった。どれだけアメリカを敵に回したら危ないことになるのかを言い続けたにも関わらず、日本は戦争へと突入していく。上巻はこのあたりまでが描かれています。
本当に学校では教えてもらえない日本の戦史と山本五十六の「海軍」として「一人の男」としての人生が描かれています。この時代に、自分の意見をこれだけ言える賢い人はこの人だけだったのではと思ってしまうような人物だと感じました。

0
2014年09月14日

Posted by ブクログ

日本海軍・山本五十六の史伝。
ばくち好きでひょうきんな彼の一面が見て取れる。
山本五十六は無謀な戦争には反対だった。
日独伊の三国同盟にも真っ向から反対した。
彼のような現実的な物の見方をできる人物がもっといれば
悲劇は避けられたかもしれないと思う。
僕はまだまだ先の大戦に関する知識が足りない。

0
2013年05月30日

Posted by ブクログ

山本五十六ってもっとお堅い人かと思ってました・・・
普段は茶目っ気があり人間臭いが、仕事は自分の信念に基づいて徹底的にやる・・・公私のバランス感覚が絶妙!と思いました。上巻は開戦前までなので、下巻で五十六像がどのように描かれているか楽しみです。

0
2013年03月07日

Posted by ブクログ

仕事上のトラブルから、友人に勧められ手を取ってみた。山本五十六という人間術、仕事術の面白さが伝わってくる本。自分も我慢しなれけばいけないと、身につまされる。
息抜きをしながら読める。後半も楽しみ。

0
2012年03月28日

Posted by ブクログ

映画やってますからね。行きたい!

さて・・・
映画の原作となっている半藤一利さんの五十六は読んだけど、他の方が書いたのも読んでみようと手にした本。

生い立ちなど詳細に書かれている。
読みやすい。

0
2012年01月11日

Posted by ブクログ

作者は山本五十六に対して一定の距離をおいて、必要以上に感情移入することなく、敢えて言えば淡々と史実に基づいて叙述しているといった印象を持った。山本五十六は非戦論を最後の最後まで主張していたのだが、最終的には参戦に与することになった。どのような経緯があったにせよ、その判断は否定せざるを得ない。

0
2011年11月30日

Posted by ブクログ

これ、城山さんの「鈴木商店」と同じで綿密な取材と
筆者の考察による山本五十六の履歴・調査書的な
形でおもしろい。。

はやく下巻を読もう!

0
2011年08月26日

Posted by ブクログ

今まで連合艦隊司令官としての山本五十六さんしか知らなかったけど、軍縮会議や三国同盟の際に政治家として(政治家表現は本人の軍人としての誇りに反してしまうが)手腕を発揮されていた姿を知り、真の日本人を見た
また賭け事好きな一面に、この偉人に人間味を感じた


人物について細部まで書いてるせいで、上巻の最後でようやく開戦の気配が出てくるから、進みは非常に遅い
ただあの戦争を語る上で山本五十六さんの関係性が不可欠である以上、色んな角度から見れるこの本の書き方は個人的に好き。

下巻が楽しみ

0
2011年05月03日

Posted by ブクログ

海軍は、その生い立ちからイギリスの影響を受け、開明的なところもあった。山本の開戦への葛藤が読み取ることが出来る。
彼のマネジメントは”人”を見ること。ビジネス書としても読む価値ある。
また、彼が長岡藩(河井継之助)の流れを汲み、薩摩閥である海軍のドンになった経緯も興味深いところ。

0
2011年01月30日

Posted by ブクログ

山本五十六を直接知る人へのインタビューを中心として書かれた記録。昭和9年のロンドン軍縮会議以降、海軍次官を経て連合艦隊長官となるまでが上巻の範囲。

0
2010年01月16日

Posted by ブクログ

物語形式でなく、エッセイ風に書かれているため内容を客観的に理解出来るのが良し。
面白いエピソード等は大抵網羅してるのでは?この情報量は重宝しそうです。

0
2009年12月15日

Posted by ブクログ

読んで感じたこと。

・近藤泰一郎は一介の在外武官であったため、現地で見て、実感してきたことに基づいて鳴らした日本政府への警鐘が、頭の凝り固まった偉い人たちに受け入れられなかった。
しかし伊藤は自身で外遊したため、麾下の西郷や副島たちの征韓論を退けられた。
上にいる人は、状況が許せば自身で識見を高めたり現場を視察することが望ましいが、無理なようであれば麾下を送り(信頼できる)、その人の言うことを信頼できるということが必要だと思った。

・五十六は自分の地位に執着していない。むしろ壮年期には「そろそろ海軍を辞して故郷に帰り‥」などということを考えていた。
嶋田なんかは地位を守るために動いて、結局地位は守れたが国は悪いほうへと進んでしまった。
五十六は優先すべきものをわきまえていた。結果はちゃんとついてきた。岡田も米内も、五十六を中央へ戻そうと運動をした。
扇さんもはじめ、やりたくもない大臣に就けられたせいもあって職に全く執着せず言いたいことを言って、かえって支持を集めた。
自分の命、ましてや地位・学歴などは全く取るに足らないものと心得た人でありたい。

・東郷平八郎のように手柄があったとしても、決して聖将などと言われて自分を見失ってはいけない。驕ってはいけない。
千里馬は常にあるのだから、自分が伯楽になるよう努めなければいけない。
いつも心を謙虚に保てば、田沼のように目下の人の正論を受け入れることができる。
とは言っても、後輩の進言には2種類ある。追従と諫言。
山本五十六の死んだ、あの飛行を止めようとした人々は、ともすれば前者と取れなくもないが、少し考えれば後者であることは明白である。
連合艦隊司令長官が終戦を望んでいるという珍しい状況だったのに、自ら命をなげうっては意味がない。
自分を過大評価したくないのは無論であるが、過小評価も考えものである。

0
2009年10月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

山本五十六。背丈は160cm,60kg弱,骨組みも女性的で華奢な方で,指などはピアニストのような指をしていた。また,太平洋戦争では,山本の指は8本しかなかった。2本は日本海海戦の時,少尉候補生として乗り組んでいた軍艦『日進』にロシアの砲弾が命中してそのとき失ったのだ。

山本が海軍部内で頭角を現して来たのは,ロンドンの海軍軍縮会議予備交渉の海軍側首席代表に任命された頃からだった。日本国内ではもとより,アメリカや英国やドイツの政府,海軍上層部でその名を知られるようになったのだ。ワシントン会議では主力艦に関する英米日比が5対5対3に決定した。しかし,日本が対米英6割という比率に,海軍部内が満足したかというとそうではない。これは,海軍部内でも意見が対立し,やがて条約派と艦隊派と呼ばれる派閥を発生させる。

日本は始めから対米英6割を呑む腹で交渉に臨み,それがアメリカ側に外交電報を解読されていた。交渉は始めから負けていたと言える。ワシントン会議に全権で挑んだのが加藤友三郎である。広島出身だ。当時はアメリカを仮想敵国として八・八・八艦隊建設計画が着々と成果を上げてきており,中心人物は加藤であったが,海軍比は国家予算の3分の1を占めるようになり,やがて総軍事費が総予算の6割にまで膨張する計画となって,経済上国民の負担能力の限界という壁に突き当たってしまっていた。加藤自身が推し進めてきた艦隊建設を放棄せざるを得なくなり,放棄するその決心を固め,原首相とも話し合って会議に臨んでいた。八・八・八艦隊は,対米7割を目標とした海軍であり,これをもって米国を制することは不可能としても,アメリカの艦隊が西太平洋に進攻して来た場合,日本が互角の戦いをする最小限の海軍であった。したがって,対米英6割を呑む決心をすれば,仮想敵国アメリカという想定を葬ってしまわなくてはならない。

加藤はこの時,はっきりした考えをもっていた。金がなければ戦争ができず,米国以外に日本に金を貸してくれるところはない。米国が敵となれば,開戦時は仮に軍備が拮抗しても,その後が続かないのである。日本はこのため,アメリカと戦争をしてはならないと。国防は国力に相応する武力を整えると同時に国力を涵養し,一方,外交手段により戦争を避ける事が目下の時勢に於いて国防の本義であると,日米不戦論,不戦海軍の思想を述べている。しかしこういう考え方は,当然,一部の人々には米英の顔色を伺っている卑屈な弱腰に見えたのであろう。対米7割を主張し続けた加藤寛治提督は,ワシントン会議に海軍専門委員として列席していたが,帰国後,その不満をぶちまけるようになり,それが海軍少壮将校はもとより,国民の多くに強くアピールすることになった。仮想敵国はアメリカ,そのための所用兵力は八・八・八艦隊と,明けても暮れても唱え続け叩きこまれ続けた大勢は到底一朝にこれを転換しえぬものだった。軍艦土佐などは,当時世界最強の戦艦のひとつになるべき船であったが,ワシントン条約で廃棄処分が決定し,宿毛湾の南で海底に自沈させられた。日本人が食べる事も寝る事も置いて,まさに心血を注いだ巨大な戦艦を米英の圧迫と上層部の弱腰とによってむざむざ海底に廃棄してしまうのかと考えると,一部の人たちの国民感情としては,それは我慢のできないことであったろう。

加藤寛治は間もなく軍令部次長の地位に就き,その下に末次信正が座り,一方,加藤友三郎は大正12年の夏に亡くなって,部内の重石が取れてしまうと,対米強硬論の艦隊派と,加藤友三郎の流れを汲む条約派との対立が一層はっきりしだした。山本五十六が言う,負けるに決まった対米戦争に日本が突入する遠因はこのころにあった。ただ,どんな強硬派でも,昭和10年ごろまではアメリカに戦争をしかけて勝てると考えるほど勇ましく無知な人物はたくさんはいなかった。海軍の責任ある立場の軍人で,当時,無敵艦隊とか,無敵海軍とかいう言葉をみだりに用いるものはいなかったようだ。『無敵艦隊』とは景気付けの形容詞であって,のちに自らが『もしかしたら,ほんとうに無敵なのではあるまいか』と思い始め,歌謡曲で『無敵』と唱えだした時,帝国海軍はもう滅びの支度をはじめなくてはならなかったのである。ただ,強硬派にも論理はあった。戦時における洋上の力関係は,保有兵力Nの2乗に正比例する。静的状態での10対6は,運動を加味すると100対36になる。アメリカに侵攻して勝てるとは思わないが,優勢のアメリカ艦隊が日本へ攻めて来た場合,洋上にこれを邀撃して敗れないためには,少なくとも100対49の,つまり,対米7割の海軍兵力が必要であり,そうでなければ,国防の責任を負いかねるというのが,強硬派の言い分であった。したがって,彼らの間には,軍縮会議はもうこりごり。条約で縛られるのは真っ平という空気が強く存在していた。これら強硬派の人たちは,戦前,戦中,戦後を通じて,山本に対しては終始極めて批判的である。山本五十六は誰にも親しまれ,敬愛された人物のように一般には考えられているが,事実は必ずしもそうではなく,彼には部内にかなり敵がいたというのが実情のようである。

山本はアメリカ駐在2度の経験から,デトロイトの自動車工業と,テキサスの油田を見ただけでも,アメリカを相手に無制限の建艦競争など始めて,日本の国力で到底やりぬけるものではないとよく言っていた。6割,7割で深刻な対立が生じているが,7割で日本の安泰を保持できると言うようなものではないと山本や堀や井上成美は考えていた。日本に不利な条約を結ぶ事は好ましくないが,無条約状態に入る事の方がそれ以上に好ましくないと考えたのであり,5対5対3は,裏返せば,米英を日本の6分の10に押さえれたということの方が重要であるということであった。

ここで,山本の生まれについて言及しておきたい。山本は江戸時代で言う長岡藩出身である。実の祖父である高野秀右衛門貞通は,維新戦争の際,官軍と戦い,七十七歳の高齢で敵陣に斬り込んで死んでいる。長岡藩には,山本帯刀という,河合継之助が重傷を負って立つことができなくなった際に,代わって長岡藩の総司令官になった人がいる。この山本帯刀が系譜上の五十六の養祖父である。その帯刀も,官軍に捕らえられ,降伏を肯んぜず斬られている。山本家は代々長岡藩の家老職であったが,帯刀が死んで,維新の際,御家廃絶となり,明治十六年になって許されたときには跡が途絶えていた。その後,他家に嫁していた帯刀の長女が便宜上当主となり,家名を再興した,大正四年五月,五十六が少佐の時,高野貞吉の末子であった五十六は望まれてこの山本家の相続人となったのである。

ワシントン条約は有効期限が昭和十一年に満了する。日英米仏伊の5カ国で条約が切れた後の新しい海軍軍縮協定の予備交渉を始めることになった。ただ,仏伊は海軍国として日米英と格段の開きがあったので特に重視すべき交渉相手ではなかった。当時の日本の国内事情は,ワシントン条約をそのままの形で継続することはできないという雰囲気が支配的であったが,ただちに無条約状態に入っていいと考えていたわけではなかった。不脅威不侵略の原則の確立,その不脅威不侵略の方式は,各国の保有兵力量の共通最大限を規定したい,つまり,日米英,あるいは仏伊とも,海軍兵力をどの程度まで持っていいかと言う共通の限界を定めて,その線は各国平等にしてほしい,そのかわり,それを出来るだけ低いところに引いて,攻撃的兵器は廃棄し,防御的兵器の充実にお互い力を入れようということであった。この主張に対する米英の考えには違いがあった。アメリカは全く反対であったが,イギリスはアメリカの武力拡充に脅威を感じてきており,日本の考え方にはある種賛意を示したが,結局,アメリカが引かず,協議は物別れに終わってしまった。

山本は無類のギャンブル好きだった。いつも時間があれば,若手将校達と一緒にブリッジやポーカーなどをしていた。山本が初めてモナコで遊んだとき,あまりに勝ちすぎるので,カジノのマネージャーが最後には山本の入場を拒絶したという。そういう客はモンテカルロの賭場が始まって以来2人目だという,そんなエピソードもあったほどだ。

そして山本は昭和13年3月にアメリカから帰国した後,巡洋艦五十鈴の艦長になり,12月に航空母艦赤城の艦長に変わった。

2・26事件は,決起部隊を叛徒として鎮圧し,首謀者を軍法会議にかけ,非常の事態を収拾して粛軍を断行したかに見えたが,事実は決してそうではなかった。一口に言えば,これを境として,陸軍部内の皇道派が追われ,統制派が主導権を握り,軍の政治的発言力が頓に強化されたのであった。統制派を主体とする陸軍に下克上の風潮は一層甚だしくなり,それをひこずって終いには太平洋戦争までつっこんでいくのである。

陸軍の要求を呑んで組織された広田弘毅内閣は,国策の基準の大綱として,『外交国防相まって,東亜大陸における帝国の地歩を確保すると共に,南方海洋に進出発展するにあり』という多分に侵略的匂いのする露骨なものであった。山本は,航空本部長を何年でもやっていたいと思っていたので,こういう情勢下で永野修身海軍大臣から自分の次官になってくれと言われても,ありがた迷惑であったに違いなく,何度かこれを拒否したが,最後には仕方なく辞令をもらう派目になってしまった。こうして,山本は渋々海軍次官の椅子に座り,これより,広田,林,近衛,平沼の四内閣にまたがる苦闘が始まる事になった。

その永野も間もなくお手盛りで連合艦隊司令長官に出て行ったが,その代わりに,米内光政が海相に座った。この米内を最も強く押したのが山本だった。山本は次官として軍政面に携わるようになった以上,自己の政治的な責任,海軍の政治的な使命についても考えないわけにはいかなかった。海軍の政治的使命とは,このまま行けば道は戦争から破滅へと通じているだけで,事実上もう,陸軍の横暴をチェックできるのは海軍しかないという自覚があった。それには,末次信正大将ら部内の強硬派かつ陸軍への同調派を場合によっては首を切ってでも海軍を一本に立て直すよりほかはなく,そしてそれには米内以外に人はいないと山本は考えたのである。永野の置き土産の山本次官の上に米内光政が大臣として座って,海軍はこれ以後,初めて見事な統制の下に置かれることになったのである。

当時の日本国民も軍も政府も全てが余りにも緊張し伸びきってしまっていた。ゴムをいっぱいに引っ張り,伸ばしきってしまったら再びゴムの用をなさないのと同じように,国家として緊張するのも大切だが,その反面には常に弾力性を持つ余裕がなければならぬというものだ。

そうこう言っているうちに,平沼内閣の総辞職に際し,米内の海軍大臣もお役御免となり,後任に山本と同期で,連合艦隊司令長官の吉田善吾中将が決まった。そして,その吉田の後任に,連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官に山本五十六が就任することになったのである。

第2次近衛内閣が出来ると,それまで米内が必死になって抵抗していた日独伊三国同盟があっさりと成立してしまう。これを機に,日本はアメリカとの戦争に不可逆的になったのではないか。建艦競争でも対米英作戦の問題でも,総人口がいくらで男が何千万人,そのうち工業に振り向けられる人間が何パーセント。水兵として徴募出来る者は最大限いくら,軍艦一隻に必要な乗員は何人,と,数字から割り出せば,無理に軍艦を造ってみても,動かす燃料がなく,乗せる水兵がいない,船は軍港に繋いでおかなくてはならないという結果が出て来る。そんな馬鹿な軍備はない。ただ,当時,そのような事を言えばすぐに”西洋かぶれ”といって罵られ,どんな不合理な事でも皇国日本は違うと言われ,下手をすると命まで取られかねない状況であったという。海軍部内でもこのような神がかりに同調できない良識派は,つい大声を出すのが嫌いで,概して沈黙を守っているということであった。そんな神がかりな議論を山本も嫌いだったという。

0
2012年06月26日

Posted by ブクログ

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず 。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」

0
2009年10月04日

Posted by ブクログ

うーん・・・ 上巻は太平洋戦争開戦前のエピソードばかりなので何とも(^_^;) 下巻の出来如何によるかな? ただ、今まで持っていた「山本五十六感」とはちょっと違います。読む価値はあるかと。

0
2009年10月04日

「小説」ランキング