あらすじ
昭和20年9月21日、神戸・三宮駅構内で浮浪児の清太が死んだ。シラミだらけの腹巻きの中にあったドロップの缶。その缶を駅員が暗がりに投げると、栄養失調で死んだ4歳の妹、節子の白い骨がころげ、蛍があわただしく飛び交った……戦後どれだけの時間が過ぎようと、読む度に胸が締め付けられる永遠の名作『火垂るの墓』をはじめ全6編を収載。
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「死児を育てる」
どうしようもない環境下で死なせてしまった妹と、
全てがある状況下で殺してしまった娘、
でもどちらの場合も1人で幼児に向き合っていて
まずその構成が巧みすぎる…!
時系列が混ざっている文章で読み辛れ〜と思ったけどおかげで主人公のフラバの臨場感が強まったかも。
「なぜ食べ物を粗末にするのか、妹は食べる物が無かったのに」という実子への怒りと、「でも妹を死なせたのは自分」「自分の生だけを優先した」という罪悪感、それを誰にも咎められなかったせいで未消化のまま、
目の前に妹よりも遥かに恵まれた環境にいるにも関わらず、同じように夜泣きが治らない実子がいる。
「なぜ泣き止まないのか」
実子への憎らしい気持ち、妹を死なせた自身への罪悪感、共通して自分以外誰もこの子に向き合わない孤独…。
自分の持つ痛みを誰も知らない、
自身でも気づいていない、痛みを増幅させる目の前の存在を排除して、自分の痛みを終わらせたい。
「誰に話しても伝わらないから言わない
だから私のことを殺してほしい
妹を齧っていたネズミが踏み潰されたみたいに」
元気な時は読めない作品でした。
Posted by ブクログ
映画は未だに見れないけど、原作をと思い。消えていく罪悪感、でも消えない空腹感、文章から伝わるおぞましい情景と死の匂い、他人に頼らないと生きれないまだ子供であるコンプレックス、生々しい死。他の作品も良い。
Posted by ブクログ
高畑勲展を見た後に買って帰ってきた一冊。火垂るの墓以外の野坂昭如作品を読んだことがなかった。大阪弁の口語で長回しの文が多く、臨場感があった。まるで、横で話している人の声に耳を傾けていたような読後感だった。特に「死児を育てる」の酷い描写は、目を背けたくなるくらいだったけど、戦争をより身近に感じたと同時に、今の生活が当たり前じゃないことに立ち返ることができた気がする。
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火垂るの墓、死児を育てる を読んで
飢餓がどんなに辛いことか現代を生きる私にはわからない。妹にあげようとしながらも自分の食欲を優先してしまったこと、空襲の恐怖から妹を置き去りにして逃げ出してしまったこと、親戚の家で冷遇に遭い泣き止まぬ妹を泣き止ませるために殴ってしまったこと。
まだ子どもであるのに、自分より更に幼い子を抱えて生きなければならず、苦しむ姿に心が痛んだ。
アニメでの火垂るの墓の描かれ方に何が意図されているかはわからないけど、清太と節子は本当によく頑張って生きたのだと思う。大人も子どもも皆自分達が、最終的には自分が、生き延びるのが精一杯な時代だったと思う。そこには綺麗ごとでは済まされない人間の本能が、悲しく強く印象に残った。
アニメとは引き離して考えれば良いのだけど、考察動画(?)で節子が亡くなったのは清太のせいとか、節子が亡くなった後に節子の分のご飯を食べた、とか、駅で野垂れ死にかかっている所おにぎりを差し出されたのに食べなかったのは大人から差し伸べられた手を清太が拒絶していることの象徴、などと言われてるのを見て、とても心が痛む。私は清太は極限の状況下で、本当に一生懸命に、妹を守ろうとしていたと思う。
ー せめて『火垂(ほた)るの墓』にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持ちが強く、小説中の清太(せいた)に、その思いを託したのだ ー 野坂昭如
Posted by ブクログ
高畑勲さん監督のアニメ映画の悲しくも美しい映像から原作を手にした。
私は東京大空襲に続く、横浜・名古屋・大阪・神戸の東海道大空襲なる無差別爆撃をあまり知らなかった。
栄養失調の4歳の妹の、汗疹とノミ湿疹だらけの背中を海水で洗う優しい14歳の兄は、三ノ宮駅の構内で、他たくさんの浮浪児の死体と一緒に、駅員に葬られるのである…
著者の野坂さんは、実際に亡くした妹へのレクイエム、として火垂るの墓、を書いたよう。年齢的に兵士としては召集されず、集団疎開に行くでもない狭間の世代に入り、、生き恥を晒して生きるのが辛かったそうだ。
戦争孤児は12万人とも言われ、植民地からの引き揚げ孤児やもちろん原爆孤児は有名だが、彼らはGHQによる児童福祉政策や新憲法、教育基本法制定、でもまだまだ飢餓や親戚の家での子守り等の仕事、、で学校に行くこともままならず、人権は守られていないような状況が続いていたのだ。
火垂るの墓、含めて6編、独特な関西弁の文章がどしり、ときて、そして無知な私は読み終えることが出来て良かった…
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先週NHKで高畑勲のジブリ作品「火垂るの墓」の制作にあたっての下準備過程を記した7冊のノートを題材にしたドキュメンタリーが放送されていた。亡くなってから東京近代美術館で高畑勲展を観に行って美術館でアニメ作家の展覧会をやることに多少違和感を感じていた。しかし「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」やテレビアニメ「狼少年ケン」「アルプスの少女ハイジ」「赤毛のアン」など多くの名作を世に送った高畑勲はアニメ監督としてただ者ではないと展覧会を観て感じその後高畑勲の本も読んだ。
「火垂るの墓」の原作本は数年前購入して積読状態だったが、今週このアニメがテレビ放送されるようで昨日今日で読んだ。35ページほどの短編だが、終戦直前の4歳と14歳の兄妹にふりかかる戦争の悲惨さを淡々と描かれて、淡々と描かれればかかれるほど現実の戦争がいかに残された市民、子どもたちに犠牲をしいているか、これでもかと表現されてます。母親が空襲で焼け死に、父親は海軍軍人として戦場に行って音信不通、遠い親戚の家をたよりますが、おばから邪見にされ兄妹はそこをでて、壕で生活します。母親の形見を金に変え食べ物を調達します。それもつき空襲にあったときに農家の畑に盗みに入り、また民家の家に入って金目のものをうばったりして飢えをしのごうとしますが、妹は終戦直前に飢え死にし、兄も20年9月22日に三宮駅構内で野垂れ死にします。
短編だけど分厚い本なみの人間の起こす戦争の醜さ、悪を充分訴えてます。
高畑勲は反戦映画ではないとして戦争のリアルを忠実に表現した作品としてます。
この8月にこの半日で読める本に触れるのは充分意義があります。
Posted by ブクログ
はじめは読みにくい文体だと思うが読み進めていくうちに読みやすく感じてくるのは落語や講談のように文章のリズムがいいからだろう。戦争の残酷さを淡々と描写していて、数ヶ月の間にまるっきり生活が変わってしまう状況や、アメリカ人に対する感情などはこういう本を読んで想像することはできるが、実際にはその時代にある程度の年齢になっていた人にしかわからない複雑なものであり、そういう年代の人と接する機会があっても普段はまったく感じさせないが、きっと記憶としていつまでも残っているものなのだろう。これは後世に読み継がれてほしい一冊。
Posted by ブクログ
美術館でアニメーション作品に使用された画を観て『火垂るの墓』に関心を寄せた。アニメーション作品の雰囲気を伝える別な本にも触れたが、原案となった小説をゆっくり読んでみたくなった。そういうことで手にして読んだ。
本書は短篇集ということになる。『火垂るの墓』、『アメリカひじき』、『焼土層』、『死児を育てる』、『ラ・クンバルシータ』、『プアボーイ』の6篇が収められている。各作品、各々の味わいが在って引き込まれるが、共通項のようなモノも強く感じた。
各作品は昭和40年代前半頃(1960年代後半)に登場しているようだ。作者自身、野坂昭如は1945(昭和20)年の終戦時に15歳であったそうだ。「焼跡闇市派」と自称したそうだが、戦時の様々な事柄、戦後の混乱期を潜り抜けて、その時期から20年余りを経て「自身の中で終わったような、終わっていないような“時代”の記憶」が何時も在ったのかもしれない。本書の各作品については、そうした作者自身の経験、想いの遍歴というようなことを細かく切り取り、適宜組み合わせて脚色する形で小説各篇の主要視点人物を編んでいるというように感じられた。
『火垂るの墓』はアニメーション作品でもよく知られている。14歳の寄る辺の無い少年が、神戸の三ノ宮駅で力尽きてしまう場面から物語は起こる。そしてそこへ至る迄の、戦禍の中で幼い妹と2人になり、妹を護って生きようとして果たせなかったという顛末が綴られている。何か、少年の魂が何処か遠い所、更に未来にでも在って、そこから自身の顛末を見詰めて語っているかのような、不思議な雰囲気が漂う文章であるとも思った。
『アメリカひじき』は会社を営む男が、妻をハワイ旅行に出したことが契機で、ハワイで知り合った米国人夫妻が来日するので自宅に迎えたいと言い出すという辺りから物語が起こる。戦時のこと、戦後の様々なことに想いを巡らせながら、米国人夫妻との交流というようなことになる顛末が綴られる。戦後20年程を経ている時期の物語だ。
『焼土層』は戦禍で少し身体が不自由になった実母により、親類へ養子に出されたという経過の男の物語となる。戦後20年程を経た或る日の出来事が在り、色々なことに想いが巡る。
『死児を育てる』は2歳を過ぎた娘を絞殺してしまったという若い女性が出て来る。そういう挙に出てしまう背後に何が在ったのか、その複雑な想いが解かれる物語だ。戦後10年余りを経ている時期の物語である。
『ラ・クンバルシータ』と『プアボーイ』とは1947(昭和22)年頃というような時期の物語である。『ラ・クンバルシータ』では、或る少年が少年院に収容されるということになり、そこへ至る迄が振返られる。『プアボーイ』は『ラ・クンバルシータ』の主要視点人物である少年と少年院で同房であった別な少年が主要視点人物となる。新潟で会社を営むようになっていた叔父夫妻に引き取られるのだが、少年院に入るに至った顛末や、新潟での顛末という物語となる。
6つの篇を大まかに振り返ったが、作者自身の経験、想いの遍歴が様々に反映された形で物語が創られている様子が凄く伝わった。戦禍という異常で過酷な様子、そうしたモノに何か捻じ曲げられたような人の心や人生、少し長い時日を経ても澱のように人の中に溜まっている何か、場合によって人を突き動かす何かというような共通項が6つの篇から感じられた。
6つの篇の中、『火垂るの墓』の少年は力尽きてしまって「戦後」を長く生きるのでもない。他の5篇は「戦後」の経過を各々に経ている。年代の設定が少しだけ違う、また『死児を育てる』は少年ではなく少女ではある。それでも『火垂るの墓』以外の各篇は、「力尽きることを免れた場合の人生」というようなことであるかもしれない。
作者の野坂昭如の名を聞けば、自身が中学生や高校生であったような頃、更に大学生位の頃に、様々な活動で耳目に触れることも在った「個性的な文化人」というようなことを思う。「みんな悩んで大きくなった〜♪」というようなCMソングも歌っていたと思う。そういうことではあるが、彼は常々「作家 野坂昭如」と紹介された。その「作家」としての仕事には、自身では触れたことが無かった。今般、美術館で観た画が契機で、「作家 野坂昭如」が遺した仕事に確り触れることになった。善かったと思う。
2025(令和7)年は「戦後80年」ということになる。戦禍の記憶等を忘れずに考えるというような問題意識も在るのかもしれない。そうした中、戦禍という異常で過酷な様子、そうしたモノに何か捻じ曲げられたような人の心や人生、少し長い時日を経ても澱のように人の中に溜まっている何か、場合によって人を突き動かす何かに「経験者」として向き合った作家が綴った作品に触れるのは価値在る営為であると観る。
更に言ってしまうと、「今でも激しい戦禍に見舞われている国や地域」というような例も見受けられる中なので、「戦禍」というモノと「人間」というモノに想いを巡らせなければならないようにも思う昨今である。そういうことで、本書は考えるための好い材料になり得ると観る。
御蔭様で好い読書体験をさせて頂いているというようなことを感じる。本作は手軽に入手して気軽に読めるような文量の文庫本であるので、広く御薦めしたい。
Posted by ブクログ
1.著者;野坂氏(2015年没)は、作家・作詞家・歌手・政治家。実母の死別後に養子に出され、2人の妹も養子となる。野坂氏は神戸で罹災し、養父母を失い、浮浪児生活を送った。上の妹を病気で、下の妹を栄養失調で亡くす。「エロ事師たち」で作家デビュー。「火垂るの墓」等で直木賞、「同心円」で吉川英治文学賞などを受賞。他に「おもちゃのチャチャチャ」で日本レコード大賞、参議院議員に当選する等、マルチ人間。
2.本書;浮浪児兄妹の餓死までを描いた短編小説。「主人公の清太(14歳)は、病弱な母の死後、妹(節子)と遠縁の未亡人宅に引取られます。実子との食事差別。清太はそれが嫌で、二人は川辺の防空壕で生活。満足な食事が出来ず、妹が栄養失調で死に、清太も同様に死ぬ」という、野坂氏の原体験小説。著者は「妹への贖罪のつもりで書いた」と言います。「(妹)が泣けば、深夜におぶって表を歩き、あせもとシラミで妹の肌はまだらに色取られ、海で水浴させた。(妹)の無残な骨と皮の死様を悔む気持ちが強い」と回想。本書は他に5編収録。「戦争がなければ」と、涙せずには読めない力作。
3.個別感想(印象に残った記述を3点に絞り込み、感想を付記);
(1)『火垂るの墓』より、「死んだ清太が持っていたドロップ缶の蓋がとれ、白い粉がこぼれ、小さい骨の欠片が三つ転げ、草に宿っていた蛍が驚いて二、三十慌しく点滅しながら飛び交い、やがて静まる。白い骨は清太の妹、節子、・・防空壕の中で死に、死病は急性腸炎とされたが、実は四歳にして足腰立たぬまま、眠るように身罷ったので、兄と同じ栄養失調症による衰弱死」
●感想⇒本書を再読し、度々涙します。その訳は私事にあります。物心つかない幼少の頃、疫痢(伝染病)にかかりました。医師から余命一週間と宣と言われていたのに、姉は隙を見て入室し、高熱で苦しむ私の顔を冷たいタオルで拭いたそうです。姉に病気が転移し、その後亡くなり、私は元気になったそうです。成人した頃に、祖母がその事を話してくれ「お前は姉の分まで健康に生きなければいけないよ」と言われました。幼少だったので、姉の顔を思い出せません。悲しい気持ちが込みあげます。「火垂るの墓」を読むと、戦争がもたらした悲劇とは言え、他人事とは思えない感動に包まれ、人間愛の貴さを再認識します。
(2)『火垂るの墓』より、「“せめてあんた(清太)、(節子)を泣かせんようにしたらどないやの、うるそうて寝られへん”ピシャリと襖を閉め、その権幕に益々泣きじゃくる節子を連れ、夜道に出ると、相変わらずの蛍で、いっそ節子さえおらなんだら、一瞬考えるが、すぐ背中で寝付くその姿、気のせいか目方もグンと軽くなり、額や腕、蚊に食われ放題、ひっかけば必ず膿む」
●感想⇒友人に苦労人がいます。彼は夜間高校から大学に進み、弁護士になりました。聞けば、高校時代は弁護士事務所で書生として働き、住み込み生活を送ったそうです。「食事をするにも、トイレに行くにも、遠慮の連続で、身が細る苦労だった」と述懐していました。その体験から、今では弱者に寄添う弁護を軸とした活動をしています。某大学での講義や、本を出版したりの活躍です。若き日の厳しい体験があったからこそ、世間の片隅に追いやられがちな人々の弁護に精を出しているようです。頭が下がります。これからも社会的弱者の後ろ盾として、行動してほしいと願います。
(3)『ラ・クンパルシータ(タンゴの名曲)』より、「百姓の子弟の多い同級生は、卵焼きタラコ塩昆布梅干し、懐かしい昼弁当を当り前のようにひろげ、高志のみは無くて、学校の購買部で売る一皿十円の芋パンを買うそぶり、だがその金もなく、ひたすらにじみ上がる唾を飲み込み」
●感想⇒「ラ・クンパルシータ」は少年院に収容された戦争孤児の話。戦争で家族や家を失い、生きる為に盗みを働き、犯罪者になる者が多かったようです。私事です。私の家は裕福とは言えず、よく麦飯を食べました(麦は今こそ健康食ですが、当時は貧乏人の代名詞)。小学生の頃、弁当に麦飯を持っていくと、同級生によくからかわれました。「お前んちの飯は色付きだなあ、白米は無いのか」と。「いつか見ていろ」との思いでした。一方で、貧しくとも祖母から数々の人生訓を学びました。「三度のご飯を頂ける事に感謝しなさい」「恩を忘れたら、犬畜生にも劣る」「三つ子の魂百まで」・・・、私の行動指針です。人間は、辛い事を経験し、克服する毎に成長出来ると信じています。
4.まとめ;本書は6つの短編構成。「火垂るの墓」は勿論、「焼土層(生活保護をうけず、少額の仕送りで生活し、プライドを守る義母)」にも心を動かされました。「野坂氏は、既成の権威や秩序が音をたてて崩れ落ちるのを、その目で見、その肌で感じた世代」と解説にあります。想像を絶する日々を生き抜いたのでしょう。戦争は人々に大きなダメージを与えるだけです。アインシュタインが戦争の起因について語っています。「知識人こそ、大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走り易い」と。保身の為に、自身の哲学無き政治リーダーには閉口です。戦争回避の為に、庶民感覚でバランスの取れた世界観を持つ指導者を選択したいものです。所で、私は、多彩な顔を持った野坂氏が「火垂るの墓」書いたと思えませんでした。本書は氏の体験が滲み出おり、他人には書けない作品です。戦争がもたらす悲劇に心が痛みます。レビューに個人的な事を書き過ぎました。ご容赦を。(以上)
Posted by ブクログ
どれも、悲しかったり、怖かったりするのに、閃光が残るような、話でした。おもろいのに、強いこころが在るなど、なんだか一生忘れないような タマシイですかね。妙に現実的に、残りますね。特に、アメリカひじき が妙に好き。
Posted by ブクログ
たぶん誰もが知っている「火垂るの墓」が掲載されている
野坂昭如の書いた短編集がギュッと凝縮された本。
最初は改行とか句読点がすごく読み辛くて、これ全部読み切れるかな…と思ってたけど
なんだかんだで読めた、というより気付いたら慣れてた。
火垂るの墓も然ることながら「アメリカひじき」はコミカルかと思いきや
いや、まじで笑えんよ…って。
紅茶をひじきだと思ってってたという話。
あと「死児を育てる」が一番まーじで強烈過ぎるほどに強烈!!
餓えって本当に(餓えもそうだけど衣食住の全てが整ってないと)
正常じゃないというか、ここまでなるかって思うくらい
狂う感じがまじで恐ろしい。
興味本位で読んでみたけど、これは読んでよかった本
Posted by ブクログ
戦争の生々しさが濃い作品です。
火垂るの墓は著者の自伝らしく、守れなかった妹へのレクイエムだそうです。
何度もアニメで観ましたが、この本は壮絶な戦争体験記の恐らくそんな内容です。
蛆虫すら惜しいとか、盗みかっぱらいが蔓延し、当時の少年院の様子といい汚いだの何だの言う余裕がなくとにかく凄絶。
「ぜいたくは敵」「欲しがりません勝つまでは」を砂糖に置き換えてあったり、普段私達が聞いたり、テレビで観るよりも、この本を読んだほうが「語り継がれる」の意味が本物のような気がします。
Posted by ブクログ
第58回(昭和42年)直木賞受賞作。
有名な火垂るの墓を含む短編集。
独特の言い回しに直木賞というより、より純文学的な芥川賞に近しい気すらしてくる。
火垂るの墓はアニメで有名だが、それを見たことが無い自分はその先入観がなく、野坂昭如の実体験に基づくその思いを十二分に感じられたと思う。
誤解を恐れずに言えば、文章を読む限り、アニメ(文庫本の表紙がアニメの火垂るの墓)のようなエンタメにはなりえない。そもそもアニメみたいなふくよかな肉付きの良い絵になるわけがない。
著者の実体験に基づいているので、兎に角ディテールが圧倒的に凄いし、それが、根底にあるので、ひとつひとつの出来事に対する価値観として「何故それが正しいと言えるのか」という問いに対し、自信を持った回答ができない。
戦時中とはそういうことなのかもしれない。
死であり生であることなのかもしれない。
アニメでなく原作を読む事を勧めたい。
きっと心の深いところをぎゅっと掴まれた感じになると思う。
Posted by ブクログ
本書の表紙。「火垂るの墓」を読み終えて見返すと、どうしても感じ入ってしまいます。
しかし「感動」「感激」「感涙」などの推薦文句が苦手なひとには、ぜひ「火垂るの墓」以外の全編を読んでほしいです。作者の独特な筆致と感性には感じ入るかもしれません。
Posted by ブクログ
戦後80年ということで読んでみた。火垂るの墓はもちろんジブリで見た事はあったが他の作品も全て合わせて、一度は皆読むべき作品だなと思った。忘れてはいけないと思う歴史。
Posted by ブクログ
今まで、ジブリ版の絵本等で読んだりはしていたけれど、野坂昭如さんの小説で読むには初です。
「火垂るの墓」
昭和22年敗戦後、混乱の中。駅構内のトイレの近く、戦争孤児となり、浮浪児となってしまった少年が、亡くなる。
戦争で、家を親を失い、最後に親身に世話をしていた妹を亡くす。彼も駅構内で力尽きる。
駅員が、投げたドロップ缶から転げ落ちる妹の骨。
野坂さんの饒舌体と言われるらしい、言葉が次々とたたみかけてくるような文章が、映像とは又違った、苦しみと悲しみの連続に圧倒されました。
「アメリカひじき」
敗戦時、少年であった男が、22年後、日本観光に来るハワイのアメリカ人夫婦を自宅で接待する。
敗戦時と現在が交互に語られ、アメリカという大国に、国だけでなく人種としても劣っていたというコンプレックスから、逃げられない。
が、精一杯もてなそうと頑張るが、どうもアメリカ人の行動に同調しきれない。
「焼工層」
敗戦直後、貧困から養母の元を離れて実父の元に戻った少年。養母は、少年の未来と幸せを願うことが、人生の糧であった。
社会人として成長した少年は、養母の死の知らせを受け、彼女の最期の場所を訪れる。
そこは、貧しい間借り部屋のような一室。戦争で焼かれた家と夫が眠る側。
「死児を育てる」
自分の娘を殺してしまった女性。
彼女は、戦中、貧しさとひもじさに 抱えて面倒をみていた妹に手をあげていた。妹は、彼女が留守をしている間に亡くなる。その死は、彼女の故意であったのか。その深い傷は、娘が妹の死んだ歳になった時、再び罪を犯す。
戦争により、家、親、食、全て失った、少年少女達の絶望感に苦しくなります。
Posted by ブクログ
火垂るの墓はもちろん、最後の関連した二つの感化院の少年の話も面白かった。野坂さんは戦争の悲劇の真摯な語り手であり、同時にエログロの狂気の提供者でもある。
Posted by ブクログ
1968年出版,第58回直木賞受賞作。「焼け跡闇市派」の金字塔ともいえる作品である。
「火垂るの墓」:戦時を駆け抜けた者による,その過程で犠牲になった者たちへの鎮魂歌。作者の自伝要素もあるそうだ。曳光弾はほんのわずか向こう側でありながらも,生命の切迫すら感じされる文章。蛍は確かに印象的だ。削られた社会について一切の妥協なしに書いたもので,単なる反戦のプロパガンダではない。
「アメリカひじき」:戦後のアメリカ兵がうろつく街とそこで生きる人々をシニカルに書く。アメリカひじきとはブラックテー(紅茶)のこと,それに対する感覚はまさに戦後を象徴するものだろう。大阪弁に加えカタカナの英語を混ぜることで,更に文体が濁る。
その他短編「焼土層」「死児を育てる」「ラ・クンパルシータ」「プアボーイ」を収録。
Posted by ブクログ
「火垂るの墓」は、言わずと知れた戦争文学の傑作。
アニメにもなっているので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
私も子供時分に、たしか学校の視聴覚室で視聴した記憶があります。
節子がドロップではなく、おはじきを舐めている場面を見ると、恐らく今でも人目をはばからずに泣くと思います。
ただ、原作には、おはじきを舐める場面は出てきません。
それよりも勝手に原作は長編と決めつけていましたが、短編なのですね。
それ以前に、なぜ、今、火垂るの墓? ですね。
実は、割と読書家である自分は長年、野坂昭如をスルーしていました。
40代のぼくには「悪目立ちするタレント」というイメージが強くて、敬遠していたのですね。
それがひょんなきっかけで、野坂の代表作の1つである「エロ事師たち」を昨年初めて読み、野坂の世界観にすっかり魅了されてしまったのです。
それで、野坂を世に送り出した「火垂るの墓」を読んでみようと手に取った次第。
本作は、文庫でわずか35ページの短編。
それでも重厚な戦争文学になっているのですから、野坂恐るべしです。
併録されている「アメリカひじき」もおもしろく読みました。
こちらも戦争文学の範疇に入るでしょう。
敗戦国の日本国民のアメリカ人に対する屈折した心情が、実によく描かれています。
小島信夫「アメリカン・スクール」も同じテーマを扱っており、私も好きな作品。
エンタメなら「アメリカひじき」、純文学なら「アメリカン・スクール」と、文学を志す人には両作は良いテキストになるのではないでしょうか。
Posted by ブクログ
悲しいお話です。とても有名なのでそれ以上語る気もしない感じが現状です。原作は短編です。故海音寺潮五郎氏は「結末の明治調の展開にはやや辟易」と言っていたようですが…。彼自身苛烈な戦争を体験したのに戦後や早落ち着いてくるとこんなものなのでしょうか。確かにこの物語の主人公のような悲惨な最後を遂げた子供はいたでしょうに…
Posted by ブクログ
この2編以外にもいくつか話が入っていたのだが、この2つに関して言うと、どちらも話の途中で「回想シーン」のようなものが入り、分かりづらかったのだがドラマチックになっていた。「ほたるの墓」は、映画そのままだった。「アメリカひじき」は・・・戦争を知る人たちは、今の日本をどう思っているんだろう、と思った。
Posted by ブクログ
6つの短編集。ただただ飢えと暮らしの惨めさがリアルで、読んで暗い気分になります。多分これは誇張ではなく、現実に戦後の日本の至るところで起きていたはずなのだ。それからもう?まだ?72年。
読点が少なく畳み掛けられるような文体が、あっという間の転落、流れるような時と行動の移り変わりに読者を連れていきます。
ほたるの墓はアニメで観てトラウマだったけど、それでもこの本の他の短編と比べて、空襲、戦後の食糧難、必死に生きる人々を兄弟愛で「綺麗に」書いていたと知った。
死児を育てる、ラ・クンパルシータの、家族の食べ物を盗み他人を蹴落としてもとにかく食べ物を口にしなければならない、口に入れたいと願ってしまう残酷さ。アメリカひじきの、戦後の日本の、卑屈さ惨めさ。
飢えというのは道徳を超えた、非道いものだという印象しか受けない。糠団子、黒くドロドロした雑炊なんて食べたことないけれども。
Posted by ブクログ
何かの本で、花村萬月が「どんな小説を読んでも泣くことはなかったが、これだけは泣きそうになった。いや、泣いてしまった」と書かれていた。私もこの作品は知っていた。アニメにもなっているのも知っていた。活字としてこの小説を実際に読んでみると読点(、)がほとんどなく、次々と言葉が数珠のように連なっていて、1文の長さも非常に長い。しかし、それが全く苦にならず、作品の世界が現在の自分の目の前に鮮明に広がって、作品の中の人物が生きて私に戦争の悲惨さを教えてくれた。
Posted by ブクログ
たたみかけるように言葉を並べて、しかもその情景がありありと目の前に浮かんでくる。独特の文体だ。
まあもちろん、戦争文学なんだから、これっぽっちも楽しくはないのだけど。
野坂昭如さんは、先日亡くなったそうだ。
父の母親や祖父が、「アメリカひじき」は正に戦後の日本の風景だったと話していたらしい。だから読んでみた。
生きるって、きれい事では片が付かない、グロテスクな行為だ。人権のじの字も無かった時代の話だ。今でも、人権は全ての人のものではない。
目次
火垂るの墓
アメリカひじき
焼土層
死児を育てる
ラ・クンパルシータ
プアボーイ
火垂るの墓で美化させすぎたから、清太を飢え死にさせて、「死児を育てる」を書いたんだろうな。
Posted by ブクログ
故人となったので読みました
火垂るの墓は映画にて初めて知ったのと号泣した思い出
まさかの短編で映画のように泣けなかった
死児を育てる、ラクンパルシータ、プアボーイの話しが良かった
Posted by ブクログ
この本は戦争を直接的には扱っていないものの、戦争小説と呼んで差支えない気がする。
幼児、児童、青少年が戦争によって翻弄され、傷つき、けなげに、したたかに生きていくさまが、不思議な筆致で描かれる。
Posted by ブクログ
全体的に、戦争の傷痕と、それでも人は自分が思うようにしか生きられないという希望と諦念を感じる。もちろん時勢や社会規範に照らして好きに生きるからこその転落や陥穽もあるのだけれども、人間簡単に変われるものでもなのだなという印象が強い。
Posted by ブクログ
平成2年ごろ、映画との比較で読んだ。
短編集で、表題の『火垂るの墓』はわずか30ページほど。なかなか文体にも癖があり、この作品があの映画になるのかと、現ジブリの作品の完成度に驚いた。
他の作品も、敗戦にまつわるものなのだけど、これは『火垂るの墓』の世界観とは少し異なるので、ある程度、気持ちをフラットにしておかないと、読めない人もいるかもしれない。
Posted by ブクログ
1文が3ページに渡るなど、句点を使わずひたすら文を続ける独特な書き方に初めは戸惑ったが、すぐに気にならなくなった。「火垂るの墓」悲しいなぁ。ドロップの缶から出てきた小さな骨。戦争は終わったのに、三宮の駅構内で死ななければいけなかった清太を思うと悲しすぎる。「死児を育てる」私が娘を殺したのは、ねずみになるため。私はねずみのように殺されなければいけない。「ラ・クンパルシータ」異常に食欲のある高志は、母の衣類や掛け軸、置物など片っ端から売り払い食べ物を買いに行く。母が泣いても考えることは食べ物のことばかり。